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37 ―幕切れ。

 季皇歴七一三年。


「もう少し、もう少しなんだ」

「アシェル様! もうよせ! 無茶だッ」

「ぅ、ぐっ……」


 アシェル・リマヴェーラが祝福酷使(オーバーロード)により倒れた。

 それを皮切りにアウトリアンより冷戦状態は破られた。

 イルヴェントに応援要請をしようにも量産していたスクロールは領民の避難に大多数を使用したため、現在有るもの以上の製造が厳しい状況。


「アシェル様!」


 豊かな自然と美しい街並みが火の海へと変貌するのはあっという間だった。

 唯一不幸中の幸いと言えるのは、領民やエストレラのオルデニアへの避難が済んでいたことか。

 アシェルの未来視のために守りを固めていた本邸も、ローザ騎士団と派遣されていたイルヴェントの騎士で持ち堪えていたが、ほぼ全壊にまで追い込まれていた。


「おい、オーリ」


 鼻と口から血を流した末に意識を失った主人を背に庇い、押し寄せる敵を鮮やかに切っていくオーリに声をかける。


「なん、だっ!」

「スクロールがひとつ残ってる。これでアシェルを連れてオルデニアに――」

「阿呆か! お前を置いていけってか!?」


 敵の波が落ち着き部屋の扉を閉め防波堤のようにソファやら棚やらと大きな家具を二人で積み上げて行く。

 これでいくらか時間稼ぎになるだろう。


「だったら俺が残る、寝言は寝て言え!」


 緊急時用に服の内側に忍ばせていたスクロールは一つだけ。

 携帯用に自分で改良した簡易版のそれのキャパシティは大人の男では二人が限度だった。


「オーリ、お前は自分の主人から離れるのか? そんな無責任なやつだとは思わなかった」

「なっ!」

「僕はアシェルの護衛じゃない」


 一生涯、死んでも仕えるのは――僕が真心を尽くすのはレティシア・リマヴェーラだけだ。


「いいか。あまり無茶はするなよ」


 僕とオーリの間で、両者一歩も引かない不毛な睨み合いが勃発した。

 睨み合いに負けたのは、オーリだった。

 行き先をオルデニアへ合わせたスクロールを受け取ったオーリは僕に念を押す。


「善処するよ」

「お前の顔に傷なんか付いたら、レティシア様発狂するぞ」


 そう言われて頭をよぎるのは、絶望に顔を染める愛しい人の顔。

 敢えて攻撃を受けて小さなあの手に頬を包まれるのも悪くないな、なんて思う。


「……それはそれでアリかも」

「おい」

「冗談だよ。――ほら、早く破って」


 家具を積み上げたなけなしのバリケードは今にも突破されそうだ。

 どう見ても、長くは持たない。


オルデニア(あっち)で待ってる」


 その言葉を最後にオーリたちはスクロールの眩い光に飲み込まれた。


「ここだああああああっ! やっちまえぇぇ!!!!」


 アシェルとオーリを覆った光が鎮まったのと、アウトリアンの騎士らがバリケードを突破したのはまさに同時だった。

 リマヴェーラの生き残りを追ってこの場へたどり着いたであろう騎士(侵入者)たちは、目的の人物がおらず代わりにその場にいた僕を視認した途端たじろいだ。


「お、おい……。 “黒狼” がいるなんて聞いてねーぞ――」

「どうなってるんだ……。事前に仕入れた情報と違うぞ!?」


 《黒狼》はレティシアの従者として活動しているうちに周囲の人間が勝手につけた呼び名だった。

 守られた環境ですくすく育った坊ちゃん嬢ちゃんには、畏怖でしかない存在だったようだ。

 久しく耳にすることがなかった言葉に懐かしんでいると、扉前で渋滞を起こしている男たちのうち一人が叫んだ。


「お前ら何怯んでるんだ! あっちはたったの一人だ、やっちまえッ――」


 その安っぽい在り来たりな言葉を合図に部屋へ侵入者たちがなだれ込んでくる。

 多勢に無勢と言いたいのだろうが。

 その場限りの虚勢ほど面白いものはない。

 侵入者たちは僕からすれば威嚇にも程遠い雄叫びと共に此方へ飛びかかってくる。


「うおおおおぉおおおぉおッ!」


 ソードにべっとりついた血液を振り落し、目を閉じて深呼吸を一度。

 再びゆっくりと目を開ければ、映る敵の動きは超が付くほどにゆっくりなものに変貌した。

 周囲に流れる時間と自分に流れる時間に差異が生じるこれは、レティシアを失ってから目覚めた特殊能力。

 相手の目には僕が瞬間移動しているように見えていることだろう。



◇◇◆◇◇



 彼らを伸すのは僕にとっては容易いことだった。

 感覚的には、そうだな――初めて木刀を手にした幼子を相手にしている様なもの。


「――ふぅ……」


 顔に飛び散った返り血を無造作に拭い取り、とうに中が抜け落ちた屍を跨いでテラスへ続く硝子戸を開け放つ。

 プリマヴェールの園庭は焼け焦げ、その上に転がる死体は敵も味方も綯い交ぜだ。

 混沌としたこの場を流そうとするように軽風が起こる。

 馬鹿になっていた嗅覚がリセットされる。


「オーリ、僕はね。ここを離れるつもりは無いんだ」


 無操作に身を翻したその流れのままに腰から抜いたソードを真後ろに感じた “物体” へ突きつけた。


「少なくともこいつを葬り去るまではね」

「――ッ」


 ソードの先はその物体(人間)にあと数ミリという距離を保っていた。

 僕はこの人間に私刑を下さねばならない。


「よく……気が付いたな?」


 物体――改め、グレイ・エスティアは喉に突き付けられた刃先に冷や汗を浮かべながら、敵意がないと示すためか両手を上げていた。

 僕に対してなんの意味も成さないが、それなりに言葉も慎重に選んでいるつもりのようだ。


「主人を守る為にはこの能力が優れていないと話にならない」

「まあそれもそうか」


 一歩でも踏み込めば、息の根を止める事が可能だ。


「――ま、待てッ」


 グレイに切っ先が沈む。

 さてどうしてやろうか。

 レティシアは胸を貫かれ、次に喉を掻っ切られた。

 なれば、同じように腹をソードで先に突くのが正当か。


「もう知っているんだな……」

「あぁ?」


 なぜ――なぜお前が、そんな表情をする。

 痛みから来るものではないのだろう、グレイのその表情に僕の怒りが沸点を超えた。

 血が垂れる喉元を鷲掴む。


「ゔッ――」

「その顔をレティシアにもしたのか」

「その顔、って、な、んだ、よッ」


 エストレラが視たグレイについての情報は服装だけではなかった。

 中には、表情や仕草だって含まれていた。


『彼――泣きそうな顔をしていたわ』


 そして今――目の前に現れた男はみっともなく顔を歪めていた。


「『俺、可哀想』――ってか」


 本来ならレティシアが泣きたい場面だったはずだ。

 それを……。


「は、はぁ!?」

「レティに赦しを乞うなんて馬鹿な事してないよな?」

「ち、違うッ! 俺はただ――」


 していないとは言わなかった。

 これだから脳筋は嫌いなんだ。


「ただ……? 『ただ』、何だって言うんだよ!」


 良き友人 “だった” 頃、貴族にしては珍しい裏表のないグレイの性格は自分の置かれた状況に辟易としていたレティシアの心を確かに軽くしていた。レティシアはグレイに気を許していたのだ。

 嘘も誠も取り繕えない、良くも悪くも正直もの。


「被害者面するなよ。――反吐が出る!」


 その信頼していた相手にトドメを刺された彼女が感じた絶望は僕には計り知れない。


「ああするしか、ああするしか道はなかったんだ!」


 力のままにグレイを硝子戸へ叩きつける。


 何度も。


 何度も。


 何度も。


 硝子は衝撃で粉々に砕け落ちた。


「親父、が、チャールズを……みとめ、ないって……」


 床へへたり込んだグレイがぽつりぽつりと話し始めた。


「チャールズは、いい奴、なんだ。短気な……ところも、少し横暴な面も、あるけど、学園で護衛をしていたから、俺には分、かるんだ」


 頭から血を流して意識が朦朧としている様子からして、とうとう気でも狂ったか。

 この話がどうレティシアへ(やいば)を向けた話と繋がると言うのだ。


「親父が、プリマヴェールと手を……組んで王政をひっくり返すって……聞いたんだ」

「聞いたって何? それ、何処からの情報?」

「俺は将来、王を支える……夏の守護者だ。仇をなす存在の排除を――」

「春の柱は排除すべき、と?」

「だって、エルダーが春はもう駄目だ、って」


 そうか。

 エルダー・アドリアムの入れ知恵だったのか。


「道から逸れれば、今までの国の歴史が、壊れてしまう。永く、王政で繁栄してきたのに、なぜわざわざ壊そうとするんだ? 同じやり方が一番最善だろ?」

「本当に馬鹿だね」

「他人の言葉を鵜呑みにしたのか。自分で考えることもせず」

「ぇ……」

「この国を作った人間と代々それを受け継いできた人間たち。性格や生い立ちは必ず違うものになる。その時代の背景だって刻一刻と変わるのに、今まで繁栄してきたのは一切やり方を変えずにしっかり引かれた道に沿って歩んできたからだって? 有り得ないだろう」


 王が、周りを支える人間が、生活を営む国民が、代々不変な完全一致の人格を持ち合わせて生まれてくるならば、そりゃエルダーの戯れ言が現実のものでも可笑しくない。


「お前は、排除すべきだという言葉のままに、リマヴェーラに手を出して、終いには自分の父親を殺して不正に家督を手に入れた」

「ぁ……あれは。あれ、は――俺は、殺すつもりなんて無かったんだ。標的は、エストレラ様だった」


 僕はリマヴェーラとしか言っていないのに勝手にレティシアの事だと認識したグレイが、体液に顔を濡らしながら弁解しようとする。


「他国の人間は、排除すべきだから。チャールズの邪魔をするプリマヴェールの人間だから、尚更だ。俺はレティシアがいるなんて知らなかった」


 グレイの中にはエルダーに植え付けられた根深い洗脳があることが窺えた。

 僕の先程の言葉は一切響いていないようだ。


「気が付いた時には、あいつがレティシアを刺していて……自分の手で友人を殺すなんて、考えられなかった。でも既に虫の息だった。だから、俺は、せめて俺の手で、早く解放してあげようと……親父だって、素直に隠居してくれれば、それで済んだのに。――な、なぁ、ルキウス。俺、悪くないだろう……?」


 支離滅裂な話に開いた口が塞がらなかった。あまりにも、身勝手で、理不尽で、傲慢な保身。


「もう――」

「ルキ、ウス?」

「もういい」


 わかってくれると信じてやまないグレイの態度に心は一切動かなかった。


「もういいや、聞きたくない」


 あるのは、膨れ上がった憎悪だけ。


「ゔ、ぁッ」


 まずは腹を。

 背に突き抜けたソードを確認して、一気に引き抜く。


「なんで、だ」

「なぜ、か」


 ヴァイオリンでも弾くかのように、喉へソードを沿わす。

 勢いよく血飛沫が散布した。

 ヌメリのある生温かい液体を全身に浴びる。


「お前には、分かりっこないよ」


 血の海に倒れた仇は返事をしなかった。

 そうして、僕の復讐は幕を閉じた。

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