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03 死に戻り。

 薔薇の甘い匂いがする。

 これは母が特に目をかけて育てているルビーローズの香りだ。侯爵領の特産品でもあるそれは、時期になると咲き乱れこの香りが邸を包み込む。

 意識が浮上する感覚に逆らわずゆっくりと目を開ける。


 目の前に広がるは母が自ら手入れをするほど大事にしていた薔薇園。

 ガゼボからこの景色をよく母と眺めていたものだ。

 覚醒しきらない頭でボーッと景色を眺めてから先程から私の髪を撫でている正体に目を向ける。

 後光が差しているその人は私の視線に気が付き手を止めた。


「……おかあさま」

「あら、おはよう。よく眠れたかしら?」


 母の若葉色の瞳が私を捉え、柔らかく弓なりを成す。

 この生気に満ちた目を見るのはいつぶりだろう。

 プリマヴェールに嫁いで以降、母の視力は緩やかだが確実に低下していき、いつしか母の新緑の瞳は光を失いベールで隠されるようになった。

 王宮勤めの父が血眼になり治療法を探して、父没後は兄が引き継いでいた。

 最後は会うことなく死に別れてしまった為、終ぞ再び母の目を見ることは叶わなかったが……。


 ――ん? 死んで……?


 それまで母の膝で微睡んでいた私は勢い良く身体を起こす。


「!?!?!?!?」


 な、なんで???

 私は刺されて死んだはず。

 場所は王都近くのタウンハウス。ここ――領地内、公爵邸の庭にあるガゼボでは無い。


 突然、起き上がった私に驚き目を丸くする母を置いて、ぺたぺたと自分を触る。

 なんか柔い。

 十代特有のピッチピチな瑞々しさと言うより、こうモチモチスベスベな幼さ特有の――

 視界に映ったそれに私は思わず大声を出した。


「手、ちっちゃ?!」

「レティシア……?」


 今度は心配そうにこちらを見る母に釘付けになる。

 何だが、母の肌も心做し若い気が……。

 いや元々歳を感じさせない美魔女ではあったが、今は本当に年相応の若さがある。

 自分の身体といい、ベールをつけていない母の姿といい……。


 ――これはまさか。


「……まきもどった」


 いや、死んだ記憶があるのだから、回帰と言うべきだろうか。

 そうとしか考えられない。

 記憶よりも目線が近いテーブルからティーカップを拝借する。

 紅茶に映る私の顔はやはり幼い。

 頬はふっくらモチモチ、小さく控えめな鼻と口、ぱっちりとした目は見事に巻いた睫毛に縁取られている。


 幼少期の私結構可愛いな。

 と、なんだかズレた感想を持ちながら、カップの中を只管に凝視する。


「あらあらあら。怖い夢でも見てしまったのかしら」


 母は私を優しく抱き寄せる。

 自分では気が付かぬうちに私の目から大粒の涙が流れ落ちていた。

 そばに控えていたメイド達は、私を一目見て慌ただしく動き始めた。

 トントンと私の背を優しく叩く母の体温とゆったりとしたリズムを刻む心臓の音がこれは夢でないと告げている。


「おかあさま……おかあさまぁ」

「大丈夫。大丈夫よ。私はここにいるわ」

「うわあああああああん」


 感情が上手くコントロール出来ない。

 でもそうか。

 回帰した時代が幼少期なら気持ちも幼さに引っ張られると仮定出来る。そう思えば、これも何らおかしなことでは無いのかもしれない。

 大人な私と幼い私。頭がこんがらがりそうだ。

 私の昂った感情が落ち着いたのを見計らい、母が私を抱きかかえる。


「少し歩きましょうね」

「奥様! お嬢様は私めが」

「いえいえ、大丈夫ですよ。我が娘は羽のように軽いですから」

「ですが奥様――」


 母の姿や私の舌っ足らずな声と幼すぎる体つきから推測するに、きっと今の私の年齢は五か六か。

 ということは、母の視力低下が進行し始めている頃だ。

 もし侯爵家お抱えの医師がもうその診断を下しているとすると、側仕えのメイドが焦るのもわかる。

 私を抱えて歩くなんて、怪我をする可能性が高まる。

 しかもだ、抱っこされるのはせめて三歳までだろう……。


「おかあさま。わたし、じぶんであるきます!」

「あら、そう? でも、私もこのままお散歩したいのよ」

「でも……」

「抱っこは、いや?」


 首をこてんと傾け、腰まで下ろした癖のないとても淡い桃色の髪から覗く少しタレ目気味な目を私に向ける。

 母は可憐でとても可愛い。

 そんなふうに微笑まれると、適うわけが無い。

 同年代の平均より小柄とはいえ母の腕が折れる……と思いながらも了承してしまう。


「いやじゃない、です」

「んふふ」


 抱っこ攻防に即負けした私は大人しく抱き抱えられ、母の侍女も騎士もそれはもう近くに控えているのだからと母の腕の中を満喫しようと開き直った。


 ――平和だ。


 小鳥の囀りと柔らかなバラの香り、抱き上げられている事で感じる歩く揺れに、濡れ衣を着せられた末に刺殺されたあの一夜が悪い夢だとすら思えてくる。

 だが、貴族らの憎悪に満ちた視線から始まり、焼け焦げた匂いや喉が焼け爛れる感覚、刺された痛みは、生々しく五感が記憶している。この場にいる彼ら彼女らの死屍もはっきりと脳裏に焼き付いている。


 そして何より、回帰前の人生私の支えだった彼の存在を鮮明に思い出せる。

 ツキりと痛む胸が、全てが夢ではないと、訴えてくる。


「レティシア、お部屋に戻って休みましょう」


 夜会から始まる一連の出来事を思い出し顔色を悪くする私を母がまた優しく撫でる。


 記憶を保持して回帰した理由は全く持って不明だが、プリマヴェール侯爵家に起こった一連の悲劇は、この記憶を上手く活用出来れば回避出来るかもしれない。

 取り敢えず、何歳に回帰したのか確認した方が良さそうだ。


「お母さま、私いま何さいですか?」

「!? 明日はあんなに楽しみにしていた七歳のお誕生日会なのに、こんなことを聞くなんてやっぱり体調が悪いのね!」

「なッ、なな!?」

「大変っ!」

「なな……」


 直近の私の情緒が不安定だったせいか、直球で聞きすぎたせいか、はたまた明日が誕生日というミラクルなタイミングだったせいか、回帰前を合わせ私の知る限り、母が今までにない程に動揺している。


「熱い気がするわ!!!!」


 私の質問にコツンと額を合わせると、ゆったりしていた足取りを速め庭を抜けて行く。そしてその腕の中の私はというと、母に負けない位に動揺していた。

 七歳目前という事実に。

 私が王太子の妃候補となったのは、誕生日パーティーの日なのだから、動揺不可避だろう。


 どうしよう。

 あまりにも時間が無さすぎる!


「エスター、レティ、ただい――」

「おかえりなさいアル今それどころではないの」


 玄関ホールではちょうど帰宅した父が上着を執事に渡しているところだった。私たちの姿を見つけた父の笑顔を母は一息でスルーした。

 両手を広げた状態でフリーズした父がものすごい勢いで遠ざかっていく。

 いつもならここで熱い抱擁を交わすはずなのに。

 ごめん父、私のせいで。


「ロニー先生を呼ぶから、もう大丈夫よ」


 使用人たちの見事なる連携プレイで障害物や扉なんぞ無いかのように母の足は緩むことがない。

 そして、私をそっとベッドに下ろした。

 庭から私の部屋まで駆け抜けたのに優雅さが損なわれないなんて、“白雪の美姫”の二つ名を持つだけある。

 その当時、父アルフレドと現国王マキシミリアンが母を巡り火花を散らしていたらしいがそれはまた別の話だ。


「レティ! 体調が悪いのか!」


 執事に状況を聞いたであろう血相を悪くした父が部屋のドアを勢い良く開けベッド脇に雪崩込んでくる。


「誕生日会は延期にしよう」


 父はそう言うとベッドで横になる私の頬をそっと撫でる。

 職場ではブリザードの如く人を寄せつけない冷血漢で恐れられている父だが、「熱いかもしれない!」と心の底から家族を想う気持ちが滲み出すぎている節がある。


「でも、お父さま。王さまも王子さまもいらっしゃるのでしょう? 私はだいじょうぶだから、えんきになんてしないでください」

「国王と言っても、マックスだぞ? 遠慮しなくて良い。アイツなら了承してくれる。体調を万全にしてからでも遅くは無い」


 父は親しみを込めて国王を渾名で呼ぶが、王族が出席する催し事を延期になんてできるはずがない。それが正式なものではなく、一貴族の子供の誕生日だとしても、だ。


「元気いっぱいです!」


 回帰前の道筋を回避するなら、延期にしてしまうのも良いかもしれないが、折角なのだ。ここは手っ取り早く真っ向からぶった斬ってやろうじゃないか。

 あのいけ好かない王子の妃候補になる前に戻れたのだから、最早その選択をしなければ解決では? と思ってしまったら言葉に力が入った。


「そうか? レティがそう言うならそうしよう。主役のお前の言葉が絶対だ」


 しかし、私だってそれで死が回避できるほど話は単純明快でない事は流石に想像がつく。きっと事態は思っているよりも深く複雑に絡み合っているのだ。


「ありがとうございます。お父さま」

「お父様!?」

「パーティーをするにしても、一度体調を先生に見てもらいましょうね」


 私の手をそっと握る母と「呼び方がパパじゃなくなっている!?!?!?」と後ろで騒いでいる父にまた涙が込み上げてくる。


「はい、お母さま」


 戻った。

 戻ってきたんだ。

 ほっとしてしまうと、途端に体が鉛のように重くなった。

 ここに彼がいたら完璧なのにと考えてしまう。


「ルキウス……」


 呟いたその言葉は、私本人を含めその場にいた誰にも気づかれることなく泡沫となった。

 彼は今何処にいるのだろう。

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