36 ―判明。
「エストレラ様。お呼びでしょうか」
ノーランに案内されたのは、レティシアとエストレラが好んでよく訪れていたガゼボだった。
「ロージー。ルキウスの分、用意してくれるかしら」
「で、ですが。エストレラ様? アシェル坊ちゃんはこの事を――」
「知らないわよ。準備が出来たら下がってくれていいから。ギリアムたちもよ」
「エストレラ様。我々は護衛騎士です。お側を離れるわけには」
「ここで何が起きるって言うのよ。あなたたちが下がってもルキウスがいるわ」
「いや、そいつが一番ヤバイんですけども」
「下がって」
「はっ!」
人払いが済んだその場所で沈黙が流れる。
エストレラがテーブルにカップを置くのを待って僕は口を開いた。
「ご決断いただけたようで」
「えぇ」
短く答えたエストレラは悩ましげに息を吐く。
「私が《追憶の識》を発現したのには理由があると思うの。貴方はこの混沌に終止符を打つと私に言った――期待してもいいのね?」
「はい。お任せ下さい」
いつものようにベールで隠された表情を読むことは出来ない。ただ、静かにふつふつと燃える怒りが見えるようだった。
「辛い記憶を引き出すことになりますが……エストレラ様、貴女はあの日、レティシアの “あの姿” に取り乱しておられた。今から視るビジョンは間違いなくそれよりも酷なものだ」
エストレラは答えなかった。
僕はそれを彼女の覚悟なのだと判断し、差し出された掌へ柄から解いた栞紐を置いた。
◇◇◆◇◇
栞紐を包み込んでいたエストレラの手から力が抜けた。
どうやら過去視が終わったようだ。
「アシェル……アシェルを呼びましょう」
声をかけようとした時、エストレラが音もなく立ち上がった。
「エストレラ様。アシェル様はノーランに呼ばせますからどうか今一度ご着席を」
倒れて怪我でもしてもらっちゃ困る。
「俺がなんだって?」
これはまたタイミングよく、本人のご登場と来た。
姿を現したアシェルの後ろでアワアワとこちらを見るしかない者たちが目に入る。
「母上。俺が何のために――」
「ルキウスのこと、怒らないでちょうだいね」
「母上?」
夫を亡くし次いで娘も亡くして無気力だった母のハキハキとした様子にアシェルが訝しげに眉を顰める。
ゆらりと僕に視線を移したアシェルの顔は「何を吹き込んだ」と訊いているようだった。
「エストレラ様にだけ、隠して全てを終えるのは無理があるかと」
「……お前だって、あの場にいただろう」
僕に距離を詰めたアシェルは声を抑えて耳打ちする。
あの場とはエストレラが追憶の識を発現した場のことだろう。
確かにあの時のエストレラは尋常ではない程の怯えようだった。
「エストレラ様にとって突然の事だったんだから、あの反応は当たり前だろう。今は違う」
「アシェル」
エストレラに名を呼ばれたアシェルは疲れたように振り返る。
そして、彼女の手に握られた “それ” に気がついた。
「視させたのか!」
途端に頭に血が上ったアシェルに、僕はガゼボの柱へ体を打ち付けられる。
鈍い音と共に、天井からパラパラと細かい石が落ちてくる。
この馬鹿力め。
「私が望んだことよ」
「母上……」
「アシェル。貴方はお父様の死は事故によるものでは無いと言っていたわね? それ以降この母に何も――何も教えてくれやしない。光を殆ど失った私は伝え聞くしか情報を得ることは出来ないのに。そして、次は娘を亡くす事態になった。……アシェル。気持ちが不安定な母を気遣ってくれた事はとても嬉しく思うわ。でもね、私とプリマヴェールなのよ。覚悟を持って嫁いできた」
一息に言い放ったエストレラにアシェルは口を挟むことが出来なかったようだ。
そして、続けて放たれた言葉に誰もが息を飲んだ。
「――とうとう何も見えなくなってしまったのよ。僅かながら感じ取れていた形や色が一切ね」
「え」
「事後報告になってごめんなさいね。目が覚めたら、光を感じることが出来なくて、真っ暗だった。それがあの日よ」
「そんな」
消え入る声でアシェルは「間に合わなかった」と呟いた。
僕はその言葉に気が付かないフリをした。
アシェルは父アルフレドの意志を引き継ぎエストレラの視力回復に奔走していたのを知っているから。
「その後、手がなにかに触れて突然視界がクリアになった。小さなあなたとレティが――思わず取り乱してしまったわ」
かの日の出来事を辿るエストレラは落ち着いていた。それは、まだ誰一人欠けていない在りし日々の彼女の姿が蘇ったようだった。
「でもおかげで目が覚めたの。泣いてばかりでは居られない。私はリマヴェーラの女主人なのだから」
ベールを外し息子を見上げるエストレラは強い母そのものだった。
レティシアがいたら泣いて喜んだんじゃないだろうかなんて思う。
「しゃんとなさい。アシェルがお嫁さんを貰わないから、貴方のお母様はまだまだ引退できないわ」
目の前のふたりの視線は交わらないが、心が通じ合っているのがハッキリとわかった。
まるで見えているかのようにこちらを見たエストレラが僕に栞紐を渡す。
「レティシアを手に掛けたのは二人よ。王太子――今は国王ね……。その彼の近衛と、もう一人。エスターティアのご子息よ」
なんの脈絡もなくそう告げられて僕は反応できなかった。
エスターティア。
その息子。
頭の中で繰り返し、噛み砕き、顔と名前を一致させる。
「二人もいたのか……。しかも片方はグレイ・エスティアか」
「私が視たあの子は何故かアウトリアン家の騎士服を身につけていたわ」
「チャールズの近衛は想像に容易いが、グレイがなぜ――いやそういえば、あいつ。あの日、戴冠式にも舞踏会にも姿を見せなかった。辺境伯がどちらも不参加だったから、そういうものかとあまり気に止めていなかったが……」
詳細を話すエストレラとダンっとテーブルに拳を打付けるアシェルの会話があまり入ってこない。
犯人が分かった。
レティシアを殺めたクソ野郎が。
「ルーク」
いつの間にかそばにいたノーランに肩を掴まれていた。
「早まるなよ」
「……分かってる」
ぐわんぐわんと沸騰するように歪んでいた視界が落ち着いてくる。
冷静にならねば。
「母上、ありがとう。ゆっくり休んでくれ。――ギリアム! アーロンとクラインを執務室に呼べ。ルキウスお前もついてこい」
この数日後、自体は急展開を迎える。
ーーーーーーー
「本日は急な招待に応じて頂き感謝致します、イルヴェント辺境伯」
「招待というか、ありゃ拉致に近い気がするがな?」
まあ良いと余裕の表情で飄々と返すのは、今の今まで音信不通だったイルヴェント辺境伯家当主リーヴァイ・イルヴェルその人。
最優先で進めていた魔術転送陣巻物の製作が僅か三日で完了し、プリマヴェールの屋敷へ彼を招いたのだ。
否――思い返してみると、あれは連行に近いものだった。
イルヴェント辺境伯家の敷地内に突如現れた僕を最初に目撃したのが、辺境伯の娘リリー・イルヴェルでなかったら今頃大騒ぎだったろう。
「現王政に取り込まれてしまう前にと気が急ってしまいました」
「おいおい、よしてくれ。俺が忠誠を誓ったのは今は亡き賢王マキシミリアンだ。あんな傀儡人間の忠臣になるつもりは無い」
心外だと苦虫を噛み潰したような表情を見せたリーヴァイはあの悲劇のイルヴェントの真相を告げる。
「何の為に戴冠式を欠席したと思っている」
イルヴェントの人間があの日に舞踏会は愚か新王即位の戴冠式にさえ参列をしていなかった理由が判明した。
やはり、故意だったようだ。
「だが同時に深い後悔の念も抱いたよ。プリマヴェールがこんなことになってしまうのなら、あの日欠席などするべきでは無かったと。――今となってはたらればでしかないがな」
「“あれ” はイルヴェントが欠席するからこそ実行に移されたことだったのでしょう。もし、参加なさっていたとしてその時は良くとも、いずれ事は必ず起こっていた」
重い沈黙が当主ふたりの間に流れる。
「これからは先達者として力となろう」
「その言葉を聞けて安心しました。アウトリアンとエスターティアが組んだ今、そこへイルヴェントにまで加われてしまえば打つ手がありませんから」
「私の目が黒いうちは、そんな未来は来ないと断言する」
春と冬の同盟が結ばれた瞬間だった。




