35 ―追憶の識。
『ロニー、どういうことだ』
私室へ戻ろうと横切った部屋からアシェルの苛立った声が聞こえてきた。
「これなんの騒ぎ?」
「あぁ、ルークじゃん」
部屋から出てきたのはレティシアの亡き後エストレラの護衛騎士へ再配属されたノーランだった。
「いやさ、ちょっと――」
『なぜ原因が分からないだ!?』
「ちょーっとまずいかな」
とうとう声を荒らげたアシェルにたった今出たばかりの部屋へノーランが引き返す。
この部屋は前侯爵アルフレドとエストレラの寝室に続く繋ぎの間。
慌てた様子で侯爵執務室へ執事長ヘンドリックスが乱入したのが数刻前のことだ。
「アシェル様、落ち着いて下さい!」
「そーですよ! ロニーさんだって最善を尽くし――」
「尽くしてこれならいる意味など無いに等しい」
「も、申し訳ございませんッ」
ノーランに便乗して乗り込んだ部屋は男たちによるカオスが広がっていた。
闇を背負ったアシェルをオーリトーリの兄弟が必死に宥め、数刻前アシェルを呼びに来た執事長が顔を青くし、医師のロニーは頻りに額をハンカチーフで拭っている。
「もうっアシェル坊ちゃん!!!!!! お声のボリュームを落としてくださいまし!」
ダァアアアアアアアンッ! ともげるのではないかと思う勢いで開かれた寝室に続く扉から、それはもう怒り心頭な侍女長ロージーが現れた。
「お母様が苦しんでおられるのですよ!? もっと他にするべきことがございますでしょうに!」
家のルールであるアシェルだが、ロージーにそれは通用しない。怯まなければ、容赦もない。
先々代の頃からプリマヴェールに勤める彼女は先代侯爵の時に侍女長へ昇進し、以降女主人を支えるなくてはならない存在だ。
「ロージー……」
そんな身内のように近いロージーにアシェルは弱かった。
「先生に怒る時間かおありなら、その時間を奥様にお使いなさいっ」
ロージーの怒涛のお叱りに狐につままれた様子のアシェルは彼女の後に大人しく寝室へ消える。
「ロージーさんいて良かった……」
「それなァ」
オーリとトーリが兄弟息ぴったりに一件落着だと一息つく。
アシェルが激おこな理由は結局なんだったのかは分からず終いだが、事が済んだのならもうどうでもいいこと。
僕は興味を失った。
そうして、部屋に戻ろうとした時だ。
――レティシア
聞き捨てならぬ名前が聞こえた。
気がついたら、足がエストレラ様の寝室へ向いていた。
「え、おい! ルーク、お前は入ったらダメだかんな!?」
ノーランがすかさず扉と僕の間に滑り込む。
「邪魔、どいて」
「いーや! なに平然と入ろうとしてんの??」
「ルキウス、お前疲れてんだよ」
「オーリの言う通りだ、ルキウス。早く休め。どうせまだ帰ってから一睡もしてないんだろ?」
お節介三兄弟をどう退かすか。
「…………あ――」
「「「えっ?」」」
何気なく窓を見る。
小さく声を上げて驚いたような表情を作れば、単細胞な彼らは簡単に釣れる。
案の定、揃ってそちらに顔を向けた三人の間を縫って抜ける。
「あ、おい!」
するりと部屋へ入った後、扉を後ろ手に閉める。
「みえるの! み、みたのッ! あの子が、わたしの子が、ち……ちだらけで」
ベッドの上には青い顔で悶えるエストレラの姿があった。
ベールの下に隠された顔を見たのは随分と久しぶりだった。
「……レティシア……レティ、シア……」
「母上、大丈夫だから」
「!?!?!? いやぁあああああああ」
取り乱す母親を宥めようとアシェルが肩に手を置いて目線を合わせたところ(エストレラは見えないだろうが)、落ち着くどころか様子は更に悪化してしまったようだった。
一体エストレラに何が起こっているというのか。
(バカっ)
耳に届いたのは声を最小限に抑えたノーランの声。
(さっさと出ろ!)
お前はダメだ、と 首根っこを掴まれグイッと後ろへ引っ張られる。
ノーランのように護衛でもなければ、ロージーのように使用人でもない僕がここにいてはいけないことは重々承知だ。
――だが。
(ちょっ!)
「れてぃ……わたしのいとしいこ……」
弱った声でレティシアを呼ぶ人に近づく。
「お前……何しに来た」
僕に気がついたアシェルが尖った声を出すが、どうでも良かった。
親子なだけあり僕の愛しい人に良く似た容姿からほろりと流れる涙につきりと心が痛む。
「ルキウス。出ていけ」
「アシェル様、申し訳ございません。すぐに連れて出ます。――ほら、行くぞ!」
ノーランに腕を掴まれるも、僕の視線は一点に集中していた。
「おい、ルキウス??」
僕は見逃さなかった。
焦点の合わないエストレラの目が淡く輝きを放っていることを。
「エストレラ様」
「その声……ルキウス、ね?」
「貴女に断りもなく入室してしまったこと、誠に申し訳ございません。しかしながら、聞き流すことの出来ない名前を耳にしてしまい、無礼を承知で馳せ参じました」
「いいえ、良いのよ……」
力なく微笑むエストレラに愛しいあの人が重なって見える。
「貴女は目が見えない」
「おい」
すぐさま静止に入るアシェルを無視して僕は尚続ける。
ことが終わり用済みになれば即刻プリマヴェール追放処分でも下りそうな無礼を働いている気がする。
だが、確かめなければならない。
もし僕のこの考えが確かなら、僕の目的に大きく近づくことになる。
「しかし貴女はレティシアを視た」
「そう……みたの、みえたのよ」
「母上?」
「ルキウス……貴方にかかえられたレティシアよ。あの子の喉と、お腹から……服は真っ赤に染っていて……とっても、ぐったりしていたわ……」
「――まさか」
アシェルは気がついたようだ。
「追憶の識を発現しましたね?」
僕は確証を持ってエストレラに訊いた。
ポストコングとは、プリマヴェールの祝福《先見の識》から派生した祝福。
直系には発現しないが、他家からプリマヴェールに嫁いできた者に稀に見られる祝福だ。
過去この祝福を得た者たちは姓がリマヴェーラに変わったタイミングでの発現だった。
他国から嫁いできたエストレラは祝福無しと判定を受けていた為、アシェルが気が付かないのも無理はない。
「後出しにも程があるぞ……何故今更」
「はぁ」と思い大きな溜め息を吐いたアシェルの横で、不安そうに僕の声を辿りこちらへ顔を向けるエストレラとはやはり視線が交わることは無い。
「……これがそうなの?」
「確かめてみますか?」
焦る気持ちを何とか押さえ込みながらエストレラに問う。
祈りの間に行けない今、確かめる方法はひとつ。
実践のみだ。
幸い、ポストコングの発動条件は知っている。
前侯爵アルフレドが存命だった頃、執務室によく忍び込んでいたレティシアに便乗して読み漁っていた甲斐があった。
「おい、今日はもういいだろう。後日にしろ。母上、休もう」
「――どうするの?」
「母上!」
「視たい情景や物事を思い浮かべて下さい。その状態で人や物に触れます。そうすれば、エストレラ様が触れた人や物が記憶している情景がビジョンとなって脳裏に再生されるはずです」
エストレラがそっと手を伸ばし触れたのはアシェルだった。
プリマヴェールの者らが祝福を発動する時に現れるサインのようなものとして、瞳が光を帯びる。
彼女の目はやはり光は無いが淡く輝いていた。
「レティシアはあの日、そんなドレスを纏っていたのね……さっきみたものは真っ赤に……」
様々な感情が織り交ざった声にその場にいた皆が顔を歪めた。
「とっても可愛かったのね、妖精さんのようだわ」
「うん、レティシアはとても美しかったよ。――さぁ、母上。もう休もう」
アシェルに促されベッドへゆっくりと体を沈めたエストレラの規則的な呼吸が聞こえてきた。
初めての祝福発動は相当負荷がかかったことだろう。
「アシェル様」
「…………」
「処罰は甘んじて受け入れる所存です」
「――当たり前だ」
アシェルが僕に目を向けることは無かった。
ーーーーーーー
進展の兆しが見えたのは、エストレラのポストコング発現から一週間が経過した日だった。
「よぉ、ルーク」
あの日からすぐにエストレラと “アシェル” への接近禁止命令が出た僕がすることといえば――。
「って、おい……怖ぇンだけど……」
「何が?」
「いや『なにが』って、それ――」
ノーランが引き攣った表情で僕の手元を指差す。
僕が腰を下ろす前方には大きな砥石があった。
「手入れは大事だろ?」
「いやうん、もうじゅうb……まぁいいや」
「?」
研磨も終盤、刃こぼれが無くなり輝きを取り戻したソードを前にノーランは言葉を濁すと、仕切り直しだとでも言うように咳払いをした。
「エストレラ様がお呼びだ」
「接近禁止命令出てるけど?」
手を止めて見上げた先のノーランは僕に懐疑的な視線を向けていた。
「お前、いつの間にコンタクト取ってたんだよ」
実は接近禁止命令が出た後シレッと違背していた。
護衛騎士のノーランさえ躱せば、厳戒態勢なんて僕に掛かれば何ともないのだ。
僕はエストレラに近づき、息子のアシェルから殆どのことを知らされていない籠の鳥な彼女に僕が知り得ることを全て話した。
もちろん、エストレラの意思は確認したし、決断の猶予も少し与えた。
「僕の目的達成にはエストレラ様の力が必要不可欠だから」
「――ったく……お前なぁ」
「エストレラ様はなんて?」
「協力するとさ」
長くは待てないと考えていたので、結論が出なくとも明日にはエストレラの決断を聞きに行こうと思っていたので良かった。
「なぁ。一体、エストレラ様に何を吹き込んだんだ」
不信感を顕にしているノーランに僕は微笑むに留めた。
これで、やっと行き詰まっていた犯人探しに終止符が打たれるかもしれない。
「すぐ分かるよ」
完璧なコンディションに戻ったソードを鞘に戻し、柄に巻かれた栞紐にそっと触れた。




