33 ―それはあまりにも酷だった。
「レティシア」
愛用していたネグリジェへ着替え、ベッドへ横たわるレティシアはただ眠っているようだった。
「もう朝だ」
そうして声をかければ、眠たげに目を擦って「なぁに」と僕へ柔らかく微笑むのだ。
「起きないと、さ……ダメだろ? レティ」
意味が無い行為だというのはわかっている。
わかっているのにも関わらず、未練がましくも目覚めないレティシアに声をかけてしまう。
「ルキウス君」
遠慮がちに声をかけてきたのは、レティシアの専属メイドのうちの一人だ。
「その、ごめんね。侯爵様が貴方のことをお呼びなの」
「――わかった」
僕はレティシアの手首からそっと栞紐を解き、彼女の護衛を務める際に必ず帯剣するソードのヒルトへ結び直す。
これは戒めだ。
元々レティシアの髪色と同色だったそれは、彼女の血が散布しそして乾き、赤黒く染まってしまった。
薔薇の金刺繍も蝕んだみたく黒くなり、まるで今の自分を投影しているかのようだった。
ーーーーーーー
「お呼びでしょうか」
「あぁ来たか」
メイドの案内で訪れた当主の執務室には、既にローザ騎士団団長アーロン、アシェルの騎士オーリとトーリそしてノーランがいた。
家令のクラインが居ないのは、代理業務、その他諸々に追われているからだろう。
「リマヴェーラ家は柱を下りる」
建国当初から凡そ七百年も守り継いで来た国の柱を下りるという衝撃の告白な訳だが、その場にいた誰も声一つ上げなかった。
まるで初めから想定していたというように。
「そこでだが――」
まぁ、愛国心なんぞ持ち合わせていない僕からすると、もはやどうでも良いことだった。
なぜ、僕が呼ばれたのだろうか。
「ルキウス、お前に諜報を任せる」
「――なんだって?」
「おい、ルキウス。言葉には気をつけろ」
アシェルの唐突なる命に僕は思わず素で返してしまい
案の定アーロンからすぐに注意が入る。
これが幼い頃なら、頭に鉄拳が落とされているところだ。
「……失礼致しました」
「いやいい、話を戻す」
椅子に深く腰かけたアシェルが足を組み直すと、まっすぐ此方へ視線を寄越す。
「内部に入り込め。情報を集めろ」
内部が王城を指すということは瞬時に把握したはいいものの、なぜ僕がその任につかなければならないのか。
僕はレティシアのそばを離れるつもりはさらさらないというのに。
それが表情に出ていたのだろう。
アシェルは苦笑いに首を振り、力なく自身の護衛を務める二人に目を向ける。
「なんですか、アシェル様」
「俺嫌な予感するんだけど」
オーリとトーリが肘で突き合いながら怪訝な表情で言葉を零す。
「生憎ローザ騎士団の若手は脳筋しかいない」
アシェルはオブラートに包むこと無く言葉の剣を放つ。
「うっは! 容赦ねぇッ」
「言っておくがお前もだぞ、ノーラン」
「えっ嘘でしょアシェル様!?」
馬鹿にしたように義兄二人を指さすノーランだったが、アシェルからの宣告に逆に義兄二人からバカにされる羽目になる。
そんな三人は確かに僕から見ても隠密には向いていないという感想しか出てこない。
「それなりに武術全てを習得していて、且つ機転が利き、五感に優れている騎士はうちではお前くらいだ、ルキウス」
僕を見るアシェルの目は真剣そのものだった。
「レティシアを殺した人物は分からない。だが間違いなく、チャールズとアウトリアン家のものが関わっている」
レティシアの名前を出せば、僕が無視出来ないことをアシェルはよくわかっていた。
「俺とレティシアが王城で拘束された時、場を仕切っていたのはアウトリアンだった。そして同時刻、プリマヴェールのタウンハウスを襲撃した者らの着衣もアウトリアン家の物だったとアーロンから聞いている」
僕は口を挟まずアシェルの話に耳を傾けた。
「お前も母を外へ連れ出した時に見たんじゃないか?」
そう問われ、脳内に残る記憶を遡り思い出すのは、まるで野盗のような卑俗な声を上げてタウンハウスへ乗り込む身なりの良い男たち。
その制服には確かに見覚えがあった。
否、あり過ぎた。
レティシアが当時王太子だったチャールズとのお茶会に出向いた時、よくチャールズの後ろに控えていた騎士の制服だ。
「あぁ……」
アウトリアン家お抱えの騎士または近衛兵の誰かにレティシアの命が奪われたということが僕の中で確実なものになった。
落ち着いていた負の感情が体を駆け巡り、血が沸騰するようにどくどくと脈打つのを感じる。
「お前は良くやってくれたよ」
「……間に合いませんでした」
僕が駆けつけた時には既にレティシアは喉とお腹から大量に出血していた。
そう、意識は最早風前の灯火と言えよう状態だった。
「あれは仕方の無い事だった」
「まるで確信していたかのような言い草ですね」
「…………」
否定の言葉を待っていたのに、アシェルの言葉は続かなかった。
「まさか――」
「俺は幾つもの未来が見える」
それ以上聞きたくなかった。
言葉の続きが簡単に予想出来たからだ。
だが僕の気持ちと反して話は続いた。
「 “これは” そのひとつだった」
ショックだった。
アシェルは祝福でレティシアの死を予見していたのだ。
しかしアシェルの言葉はそれで終わりではなかった。
「――それだけだ」
一拍置いて放たれたそれに、考えるよりも先に体が動く。
僕は執務机に乗り上げて正面から粗暴にアシェルの胸ぐらを掴む。
「それだけ……それだけってなんだよ!?」
息を引き取る直前微笑んだレティシアが脳裏に浮かぶ。
「ルキウス! よせ!」
「おいおい落ち着けよ!」
間に割って入ったオーリがアシェルを後ろへ庇い、トーリが僕を机へ抑え込む。
手足を封じ込まれれば最後、僕は身体強化したこの兄弟に敵わない。為す術もないく無力化されてしまった。
「しっかりしろ! お嬢が悲しむぞ!?」
死者の気持ちを持ち出すなんぞ陳腐なことこの上ないが、ノーランの言葉は今の僕にとって効果覿面だった。
「アシェル、教えてくれ……知っていて、なぜ――何故、レティシアを一人でタウンハウスへ向かわせたんだよ」
レティシアがタウンハウスに単身でやってきた経緯はプリマヴェールへ向かう馬車の中でアシェル本人から聞いていたが、まさかアシェルには初めから視えていたというのか。
しかもそれを「それだけ」と言い放った。
「この未来は幾許と派生した内のひとつに過ぎなかった。しかもレティシアがこうなる道筋はこのひとつだけだった。そして、俺が鮮明に見えるのは精々数秒先までだ。まさか、レティシアが――俺だって未だに信じられない。信じたくもない……」
アシェルが『先見の識』を発動させたのは、舞踏会で二人が拘束された時だった。
そこから数秒先となるとたかが知れている。
「お前らもだ、このクソ三兄弟。全員仲良く揃って王城へ突入しやがって」
死なない未来もあったと知ってしまえば、感情が制御できなくなってしまった。
レティシアが死す確率は限りなくゼロに近かったのだから尚更だろう??
何処に誰に向かっているのか分からない怒りが宛もなく溢れ出す。
「分かってる……護衛だった俺だけでもお嬢について行けば良かった」
今この瞬間はまさにそれぞれの選択が複雑に絡み合って成り立っている。
誰が悪いもないのだ。
タラレバを並べても何にもならないのが現実だ。
「アシェル様――」
アーロンが恭しく片膝を着いた。
忠誠を誓うその構えは僕の主人がもう居ないのだと突きつけるように胸を抉る。
「御命令を」
プリマヴェール侯爵家は既に多くの人やものを失っている。
幾ら聡明でも年若い当主には立て直すにはあまりにも厳しい状況と言えよう。
しかし、腐っても国の “元” 柱。
プリマヴェールは『先見の識』という祝福を保持している。
アシェルはその後継者だ。
窓辺に立ったアシェルは朝日を眺めながら重い口を開く。
「……元々いけ好かなかない奴だった」
『先見の識』は未来が判る反則的祝福な為、建国時の取り決めにより、私益行使を禁じる【血の誓約】が王との間に代々交わされてきた。
プリマヴェールが国のため王のために力を使い、王は見返りとして絶対的安保を約束する。
そんな協力関係に王家と侯爵家はあった。
王がその【血の誓約】を放棄したと言っても過言では無いこの状況で、幸にもアシェルはまだチャールズと “正式な”【血の誓約】を交わしていない。
なんせアシェルが襲爵したのは、マキシリミアン王が崩御してからだった。
「先に手を離したのはあちらだ」
「まぁ、先手を打って躱したのはアシェル様だけど……痛ってぇ! 兄さんッ」
「余計なこと言うなこのバカッ」
呟いたトーリにオーリが拳を落とす。
というのも、一昨日まで国王代理だったチャールズと【血の誓約】を交わす必要はなかったため、アシェルはあれやこれやと理由をつけ戴冠式当日まで回避していたのだ。
そして昨日。
即位したチャールズとの【血の誓約】をどう交わすか考えを巡らせていた所、幸か不幸かあんなことになりそれは成されなかった。
「暗君に反旗を翻す。その日の為に備えろ」
「我が主君の御心のままに」
復讐に燃える当主にアーロンが深く頭を垂れ、オーリとトーリ、ノーランがそれに倣った。
もう衝突は逃れられない。




