28 《サイレント》の秘密 前編。
「――偽造だと?」
父の緩急のない声が来客に向けて発しられた。
現在、私は父の執務室にいる。
祖父の抱っこで母屋に帰ってきたは良いが、気が付けばこれだ。
その祖父はというと、私を長椅子に座らせるとそうそうに退室してしまつこの場をあとにしてしまった。
ルイーズについての話が祖父からなされるはずが、なぜこうなってしまったのかは一時間程前まで遡るとわかる。
ーーーーーーー
私を腕に抱いた祖父は園庭の散策を終えた後離の館には戻らず母屋の敷居を跨いだ。勝手知ったるその家に迷うことなくスタスタと歩を進める。
「入るぞ」
返事を待たずして乗り込んだのは執務室。以前は当たり前だが祖父の所有所だった。しかし今は違う。
あまり許された行為とはいえない。
「父上、せめて返事を待ってください」
そこには現在部屋の主である父はもちろん、そしてもう一人私の記憶にも新しい先客がいた。
「前侯爵様、お久しぶりでございます」
「ああ、息災だったか」
「はい、おかげさまで」
すっくと立ち上がりその場で恭しく礼を取ったのは冬の柱・イルヴェント辺境伯家当主リーヴァイ・イルヴェルだった。
「我が孫も混ぜてもらっても良いかな」
「父上!」
「お嬢様には些か……」
「リーヴァイの言う通りだ!」
祖父は父とリーヴァイの言葉を平然と受け流し、私をカウチソファへ下ろす。傍から期待していなかったとでも言うように。
そして、空気のように部屋に溶け込んでいたアシェルの傍に佇む青年に声をかけた。
「オリバー・ハントだったな?」
「はい」
「かの件について、レティシアは部外者か?」
「父上!」
「お前に訊いとらん」
「当事者であらせられます」
オリバーと呼ばれた丸眼鏡の青年の返答は祖父を大いに満足させた。
祖父の暖かい手が私の頭を往復する。
「お前の父と共に聞きなさい」
「ちょっと父上! 約束が違いますよ!」
「幼子だからと侮るなかれだ。いずれ知るところとなるのなら、今聞いても問題ないだろう」
そう言い残して颯爽と去る祖父の背中を扉が閉まるまで、父は苦々しげに見つめていた。
「やられたな」
「はぁ……全くだ」
感服だと両手を上げたリーヴァイに敵わないと父が肩を竦めて同意する。
「レティシア、当初の予定ではお爺様からお前に結果だけ伝えてもらうつもりだったんだよ」
「では、私はやっぱりりせきしたほうが――」
「いや、良い。お爺様の言う通りだ。お前も居なさい」
机に肘を着いた微苦笑の父に私は首を横に振る。
「オリバー、始めてくれ」
リーヴァイの言葉に、オリバーは早速手にしていた羊皮紙の束を一部ずつ私たちに配った。
「では、僭越ながら私よりご説明を――」
オリバー・ハント、歳を二十六、役職を尚書官。
祝福自体はさほど強力ではなかったため当時の月桂冠受領者に選ばれなかったものの、平民出身ながらに幼い頃から王侯貴族に引けを取らぬ知識量と記憶力を有していた彼は、その類稀なる才能を買われアカデミーへ異例の特別入学。
在学時には司法の穴を見つけ代替案や解決策を提示する功績をあげた。学園側から飛び級を勧められるほど(断った)優秀オブ優秀な彼だが、如何せん自身の外見に無頓着なため特に目立つことなく普通に卒業。
そんな逸材にいち早く目を付けたのは尚書省の長官だった。
尚書省は職務上、国璽の管理を担っているため様様な試験をクリアし厳選なる選考をパスしなければならず、高給取りなので志願者は多くいるが就職率は極めて零に近かった。
――という具合に、勤め先最難関とされる尚書省だったが、彼はアカデミー卒業後僅か三年、尚書長官からの押しの強いスカウトに負けて齢二十四にして国の機密文書や賢人会議の議事録など重要書類を作成保管する尚書官に抜擢された。
とても優秀な尚書官なのだと、回帰前一切関わりのなかった私の耳に噂が入る程に仕事が出来る人。
彼の身の上はまとめればこんな感じだ。
「まずこちらの資料をお配りします」
そして今世。
初めて対面したオリバーは、祖父を前にしても崩さない表情に私を七歳児だからと差別をしない姿勢、一時の感情や置かれた状況に成すことを左右されない恬淡とした態度を崩さない人だった。
気概のあるなかなかいい人材かもしれない。
遠くない未来に訪れる私や大切な人が死を回避するための味方としては強力なんじゃないだろうか。
どうにか引き入れたいなんて思ったりしてみる。
そうして一人考えを巡らせていれば、耳元にゾクゾクとする声が届いた。
「僕がいる」
「ヒェッ」
「浮気はダメだよ」
「へっ?」
う、浮気。
仕事に支障をきたすことが無いので放置しているが、ルキウスのメンヘラ具合に最近磨きがかかっている。
というか、十二歳の子供が七歳の子供に何言ってるんだ。
「してないし、しないわよ」
心外だとすぐそばに在るルキウスを睨め付けるも、残念ながら全く効果はなかった。
「可愛い」
「なっ」
当の本人は頬を染め破顔しただけだった。
「コラ、そこ! 近い離れろ!」
「失礼いたしました」
目敏く察知する父の小言にもルキウスは反抗することなく顔を上げ一歩下がる。
「ああ言えばこう言――おい待て。今なんて言った」
「以後気をつけます」
「!?」
今までのことが悪い夢だったかのように態度を入れ替えたルキウスに父が目を白黒させる。
まぁ、本採用が今の試用期間にかかっているのだから当然と言えば当然だろうが。
最初からそうしておけば良いものを。
飛んだ回り道だ。
「……ふっ」
「おい、リーヴァイ」
「――すまん。オリバー、続けてくれ」
小さく吹き出し、くつくつと笑うリーヴァイへ父が恨めしそうに視線を送る。
「ルイーズ・ファルメリアの《サイレント》についての詳細です――」
オリバーの声に意識を資料へ移す。
羊皮紙びっしりと記されているのは、ルイーズの身辺調査と関連する事項について。
「順を追って説明致します。まず、ルイーズ・ファルメリアが当日身につけていた宝飾品ですが。回収致しました所、魔道具であることが判明しました。……恐縮ですが、最終ページを開いていただけますか」
オリバーの指示に従い数十頁にも渡る羊皮紙を読み飛ばし最後の頁を捲る。
載っていたのは、至って普通に見える指輪とイヤリングの三面図だった。
記憶の片隅に引っ掛かるみたくどこかで見たことがあるそれを、父はヒントもなしに一発で何か見抜いた。
「――能力吸収魔具の挿図だな」
「はい」
《ギャラリーコピー》――それは、他者の祝福を複製して自分の能力とて使うことが出来るという消費型魔道具だ。
凡百の祝福の再現が可能な技術は瞬く間に話題となり、祝福を持たぬ『無能者』の救済物として注目されることとなった。
『無能者』の烙印を押された回帰前の人生の私が知らぬはずがない代物。
現物はもちろん挿図も見た事はなかったので、耳の言葉でやっと点と点が繋がった。
「きんきのまどうぐ……」
「お、よく知ってるな?」
私の呟きを逃さなかったのはリーヴァイだった。
感心したように片眉を上げた彼にこれはマズいとどうにかこうにか取り繕う。
「あ、はい……その、父のしょさいにあったご本にきさいが」
回帰した今回の人生ではまだお目にかかっていないが、回帰前の十歳のとき忍び込んだ書斎で解説が記載されている本を見つけたのは本当だ。
「書斎に?」
唖然とした様子の父と目が合う。
まずいぞ。
「レティシア……いつの間に――」
これでは「無断で書斎に入った悪い子は私です!」と自白しているようなものだ。
「えらく難易度高めなやつを選んだな? 難しくなかったか?」
「えっと……。じしょを引きながらよんだので、あまり……」
「おい、リーヴァイ! 今の聞いたか!? うちの子天才だ!」
「あーあー、わかったわかった。そうだな、お前の娘は賢いよ」
興奮気味に父がリーヴァイに話を振るも、彼は煙たそうに空返事をする。
私に雷が落ちることは無かったが、これはこれで羞恥心が抉られて辛い。
「よろしいでしょうか」
「あぁ、すまん。良いぞ」
挙手したオリバーから話を進めていいか声がかかる。
咳払いで取り直した父がそれに応え、脱線しかけた話はまたルイーズの祝福に戻った。
「ルイーズ・ファルメリアが身につけていたペンダントも、こちらのシリーズのうち、プロトタイプの一種類だと判明いたしました」
本来『無能者』に与えられるはずの完成品は、理想と反して祝福の複数持ちというステータスに酔いしれた王侯貴族の私利私欲の為に消費された。
ギャラリーコピーは十年で三度の改良が行われ、新しいものが発売された。都合上生産数は少なく、都度貴族たちによる醜い争奪戦が勃発。
しかしそれも改良も四度目に入った頃、製作者がこの世を去ったことで終止符が打たれた。
製作方法が亡くなった製作者の頭のみに存在していたものだったからだ。
王位を継いだ若い王はまだ自身が王子だった時からこの魔道具に懸念を示していた。そして、父王が所持していた物を含め、全てのギャラリーコピーを違法魔道具として認定した。
前王の崩御と共にすぐさま回収に乗り出した若い王だったが、残念なことに全てを回収する事は出来なかった。
そして、ここで問題がひとつ。
ギャラリーコピーに封じ込められた祝福は複製と言えど女神からの祝福には違いなかった。そのため回収したは良いものの迂闊に処分する訳にはいかず、若い王は王宮の地下深くに永久に封印することを決断した。
「それにしても――回収し損ねた模造品のひとつがそんな所にあったとはな」
「リアパウンド伯がなぜ手にしていたかは協力要請を出したらすぐに吐いたよ」
父の呟きを拾ったのはリーヴァイだった。
少し補足をば。
ルイーズの一件について、祖父ヨハネスは成り行きで一足先に国王から直接報告を受けております。
オリバー・ハント(26)
茶髪、ヘーゼルアイ。
目がかなり悪いため学生時代から愛用している厚底ビンのような丸眼鏡を着用。
もの持ちが良いタイプ。




