27 行動が齎した結果。
「へいわだわ……」
キャンバスを前に、私はぼーっとそんなことを呟く。
今日でルキウスが従者(仮)になり三週間が経過したところだ。
警戒していたほど監視の目は厳しくなく、穏やかな日常が流れている。
「レティシア様、昼食の準備が整ったとのことです。もう正午を回りましたので、休憩を挟んでは如何でしょうか」
「もうそんな時間なのね。じゃあ、そうしようかしら」
猫脚椅子に片膝を立てて座っていたノーランが大きく背を反り伸びをする。
「よっしゃ! 休憩~! なぁリア。今日の昼は何なんだ?」
「なんでノーランが疲れた感じを出してるのよ、貴方はそこに座ってただけじゃない。職務怠慢もいいところだわ。私たちはいつも通りよ、いつも通り!」
「おいおい、勘違いしてもらっちゃ困る。俺は、お嬢の絵画見本に指名されたんだからな! 動かないという大事な任務だぞ! 大役だからな!? お嬢、言いがかりにも程がありますよね!」
「えっ」
今日の天気はどうも宜しくなかった。
雨足が強いが為、お気に入りのお庭での風景画の制作を諦めて室内での人物画にシフトチェンジしており、今日はノーランにその役を任せていた。いつぞやの約束を果たすのを兼ねて。
「なんの苦労もなく、レティシア様から肖像画貰えるの!? 私とミアはトーリと死闘を繰り広げたのに!」
「いや……ただのスケッチだから、そんなたいそうなものじゃないわよ?」
「いいえ、レティシア様! 単体ですよ、単体! ノーラン一人だけの絵ッ」
「何それずるい!」と、抗議の声をあげるリアが頬を膨らませる。そう言えば、リアたちは私が同じ頁に描いてしまったが故にじゃんけん大会を行っていたはずだ。
そういえば、結局誰の手に渡ったのだろうか?
「お嬢~、もうそろそろです?」
「まだよ」
「まだかぁ――え、うわ怖い。ほんとに七歳ですか?」
「それほめてるの?」
「もちろん! 今度、個展でも開いたらどうです??」
「いやよ。私なんかのじつりょくで、そんなことできないわ」
フラフラとキャンバスを覗きに来たノーランが驚愕の声をあげる。
「いやいやお嬢、コレで恥かくなんて言ってたら世の中の画家泣きますよ。ご令嬢やめても画家で食べてけます! 俺が保証する!」
「えぇ……」
「だって、お嬢。絵画の先生、三日で『私には無理ですッ』って出てったの、俺知ってますからね?」
「あー……」
本来なら教育の全てを一手に引き受けるガヴァネスだが、ルイーズは絵画が壊滅的にダメだった。
ピアノをゴリ押しするルイーズにささやかな抵抗として私は芸術の授業に絵を選んだ。
その後、専属の先生が就任することになったのだが私はお世辞にも才能があるとは言えなかった。
いうなれば、十人のうち十人が私の描いた絵が何かわからない、そんな状態だ。
あ、ルキウスを除いてだが。
『伸び代があるということです! 知識を沢山吸収できるのですから!』
先生は優しかった。
そうして根気良く教えてくれた先生のお陰である程度見れる物になったのは齢十六で迎えたデビュタントの時期だった。
これが回帰前の話。
『私では力不足ですッ』
今回も同じ先生が就任した。
回帰前の数少ないいい思い出だったので、他の選択肢はなかった。
敢えて齟齬がないようにこの授業を選んだ。
しかし前回と違い、先生は涙ながらにそう走り去って三日で辞めてしまったのが今回の話。
解せぬ。
「お嬢!」
目の前でブンブン手を振るノーランに短い回想を終えて意識を浮上させる。
「ん?」
「悪い方向で考えてるかもしれませんが、逆ですよ、逆! 神童ですよ。七歳にしてこれは、いい意味でヤバい」
ノーランの言葉を受けた私は自分の描いた絵を改めてじっくりと観察してみる。
「俺何処までもお供します!」
「その頃にはルキウスくんが護衛も兼ねてレティシア様のそばにいるから、ノーランは用済みよ。ね?」
「はい、今迄お疲れ様でした」
「おい待て、ルーク! 今はまだ違ぇーぞ!」
「ついて行くのは私とミアとルキウスくんよ」
「後は任せてください」
「二人とも酷いっ」
「あ、じゃあ。追っ手の足止めなんでどう?」
「それ俺、アルフレド様に息の根止められるやつじゃねーか!?」
「大丈夫よ」
「何がっ!?」
まぁ、自分の今世の絵を下手だとは思わない。
回帰前の七歳の私と比べれば明らかだ。
なんせ、今回のスタートは “多少見れる絵” だから。
「お嬢、どうです? 令嬢辞めてみません?? 俺全力で護りますよ」
「私たちみたいにレティシア様の身の回りのお世話も出来ないノーランはダメよ」
「おい、俺は護衛だぞ?」
「護衛はルキウスくんがするって言ってるじゃない」
「でもあれだぞ? レティシア様はもちろん、リアとミアだっている。一人じゃ無理だろ~」
「お任せ下さい。ノーランは一昨日来やがって良いですよ」
「言い方っ! 丁寧に戦力外通告するなよ。ねぇ? お嬢」
「もし家を出たとして、ノーランが言うように絵でゆうめいになれたら、たぶんすぐに家にきょうせいそうかんね」
「あ、確かに……えー残念。でも、それぐらいに凄いってことですよ! 描き始めた時から上手だなぁとは思ってましたけど、コレはもう上手いの範疇だいぶ突き破ってますって! 行き過ぎた謙遜は敵を生みますよ〜」
多少見れる絵がリアたちが夢物語を始めるほどに短期間で上達したのには回帰前の記憶だけでなく、祝福の式典及びその祝賀パーティーにてガヴァネスを(意図的にだが)失ってからその後任がなかなか決まらないが故に持て余した時間を全て、人物画や風景画のスケッチに当てていることと関係していると思っている。
後任探しにこうも難航している理由としては、主に二つ。
その一、次を決めるのに慎重になり過ぎている父やクラインの存在。
その二、私の七歳児には到底見えぬ言動が発覚してしまったから。
その二に関して言及すると、ビデオキューブの監査に携わった者たちが録画された私の発言や佇まいに度肝を抜き、その情報が一部だが拡散されたというプチ事件があったということ。伝言ゲームのように伝え拡がったそれは尾鰭をつけて収集かつかないとか(詳細は知らない)。
というわけで、ビビり散らかした大人たちが立候補しない。
「ねぇねぇ。お嬢には俺こんなにイケメンに見えてるの?」
「私は見たままにかいてるだけよ」
「お嬢好き!」
「はいはい」
「うわ! ルーク、殺気飛ばすな! 怖ぇよ!」
汚れた手を拭きながら席を立ったタイミングで、部屋の扉が叩かれた。
「レティシア様ぁ、ヨハネス様がお待ちかねですよ~」
どうやら、なかなか食事の場に来ない私に痺れを切らせた祖父がミアを部屋に寄越したようだ。
特に示し合わせた訳では無いのだが、体調が戻ってからというもの昼食を祖父と摂ることが習慣化していた。その食事の席は回帰前のような殺伐とした雰囲気はなく、二人きりでも存外心地が良い空間だったりする。
「もう行くわ。リア、ノーラン。あなたたちもお昼に行きなさい」
「はい、レティシア様。では後ほどまた戻ります」
「お嬢! 俺、午後からまたお呼ばれするの楽しみにしてますから!」
下がる二人を見送って、新たに合流したミアとトーリを伴って祖父が普段生活している離の館に急ぐ。
「あれ、ルキウスお前――ノーランと一緒に昼摂りに行かねーの?」
「三日は飲み食いせずに過ごせる体力があるからいい」
「すごい通り越してもはや恐怖なんだが……」
私の傍に残ったルキウスにトーリが不思議に思い声をかけるが、予想外な返答に引き気味だ。
「レティシア様。今日はヨハネス様から大事なお話しがあるそうです」
「そうなの? 分かったわ」
大事な話とは何だろうか。
七歳児な私の生活もなかなか落ち着かないな。
◇◇◆◇◇
「お待たせいたしました。ごきげんいかがでしょうか、おじいさま」
「あぁ、悪くない。――お前の顔が見れたからだな」
最近祖父がよくデレる。
嘘か誠か判りにくいが、どうも冗談ではなさそうだということが最近わかってきた。
「それは良かったです」
席に着くと程なくして昼食が運ばれる。
お、今日はボロネーゼのようだ。
私の好きな料理。
「外は雨だが、何をしていたんだ?」
「今日はノーランに絵のモデルになってもらって、じんぶつがのれんしゅうをしていました」
祖父とする他愛の無い話ももう慣れてきた。
ところで、ミアから伝え聞いていた『大事な話』とやらについては、いつ頃口火を切られるのだろうか。
「そうか、それは良いな」
「はい」
「「…………」」
こうして祖父と二人の空間(使用人らを除く)での無言の時間も苦ではなくなった。
そう思えるという事は、自分の心境の変化として大きな前進と言えるだろう。
「……レティシア、いずれ――」
「はい」
「…………」
「?」
祖父が何かを言い淀む。
口を開けては閉じ開けては閉じを繰り返している。
「その。いずれ、私の姿絵も……描いてくれる、だろうか……?」
空耳かと思った。
祖父の普段の様子からは予想だにしない恐る恐るな提案に反応が遅れてしまう。
「へ?」
「すまん、無理にとは――」
それを否と受け取った祖父がしょんぼりと申し出を引っ込めようとする。
「いえ! とつぜんのことで、びっくりしただけです! あの、ぜひ、かきたいです! おじいさまのこと」
「そ、そうか。では、その時を楽しみに待つことにしよう」
慌てて申し出を受け入れると、普段の厳格さからはかけ離れた柔らかい空気感を纏った祖父が笑顔を浮かべた。
後ろに薔薇が見える。
…………。
――ん?
あぇ、笑顔だ!?
回帰後イチ。――否、前回と今回の人生を合わせて一番の笑顔を見た。
もしやこの表情は父でも拝んだことがないんじゃないだろうか。
「ンン、ところで、レティシア。お前の侍女に軽い伝言を頼んだのだが、聞いておるか?」
「! はい。だいじなお話しがあると、うかがいましたが」
先程までの雰囲気を一転させた祖父に合わせるように、少しピリッとして空気がその場を包む。だが、私がそれを 憂虞することももうなくなった。
「――ルイーズ・ファルメリアについてだ」
なるほど。
確かにこれほど大事な話は無いだろう。
「少し歩きながら話そうか」
「はい」
上品に口元を拭いた祖父は庭へ続くバルコニーへ足を向けた。
◇◇◆◇◇
隅々まで手入れの行き届いた母自慢の庭を祖父と 緩歩する。
「いつ見ても、美しいな」
「はい、おじいさま」
我が公爵家の名は春を意味するものだ。そしてそれを象るように、庭は常に春の陽気に包まれており、春の花が視界いっぱいを彩る。
因みに、夏秋冬の柱の領地も同じことが言える。何処かしらに名の象徴である気候の特性を持つ土地が存在するのだ。
「レティシア」
「はい、おじいさま」
「なぜ今まで……」
「おじいさま?」
言葉を詰まらせる祖父の肩は震えていた。
「一言、たった一言で良かったんだ。『辛い』と言ってくれれば、お前のじいじは――」
前を歩く祖父の表情は分からないが、酷く沈んだ声は自責の念を抱いているようだった。
祖父は深い溜息をついた。
「レティシア、此方に」
「? はい――」
前を歩いていた祖父はくるりとこちらへ半回転すると、私を呼んだ。特に疑うでもなく、片膝をついた祖父の元へ一歩近づく。
「わわっ」
脇の下に手が入れられたかと思えば私の目線は高くなり、いつにも増して景色が広く映る。
そうして見えた道の先には、庭と母屋を繋ぐバルコニーがあった。
祖父との散歩も終盤ときた。私を抱き上げた祖父はまたゆったりとした足取りで歩き始める。
「レティシア、お前は軽いなぁ……もう少し食事量を増やすか?」
「えっ、いいえ! 今のままで十分です」
心配そうに私を見つめる祖父に全力で首を振り馬鹿な考えを辞めるように念を送る。
今でさえ多いと感じているのに、これ以上増やされたらそれこそ吐くだろうよ。
「そうか?」
「はい、そうです!」
あまりにも必死な私に祖父が笑い、私もそんな祖父を見て思わず笑ってしまった。
回帰した直後の私に言いたい。
数ヶ月もすれば、苦手だった祖父とこんなにも軽口を叩ける間柄になるぞ! と。




