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02 令嬢の無念と願い。

目的地に近づくにつれて漂う焦げ臭い空気と夜空に遠くからでも目立つ赤赤しい光――


「どうどうッ」


 やはり一足遅かった。

 開け放たれた柵門を抜け、整えられた草木を抜け、たどり着いた屋敷は炎に飲み込まれた後だった。

 王都を巡回していたであろう憲兵らが我が家に水を放つ。しかしそんな必死の消火活動も虚しく、火の手は大きくなる一方だ。


「ちょっと、君! 近づいてはいけない! 水の使い手たちが火を鎮圧しているから――」


 憲兵の一人が突然馬で現れた私に驚いた表情で引き止める。


「この屋敷の者たちは? 前侯爵夫人が滞在していたはずだ。使用人一人でもいい。避難した者はどこに?」

「えっ……も、もしや、プリマヴェール侯爵令嬢であらせられますか?」

「質問に答えなさい」


 駿馬の背に乗る私の口調と服装――見るからに高位貴族の出で立ちから正体に思い至った憲兵の言葉には答えず、返答を急かす。こんなにも火の手が上がっているのに、避難した者の姿が一人も見えない。

 明らかにおかしい――が、私は彼ら全員の姿が見えない理由に見当がついていた。そして、あえて聞く。


「そ、それが……」


 案の定、憲兵は口吃った。

 まだ、中にいる、か。


 ――レティ……シア


 私を呼ぶ今にも消えそうな母の声が聞こえた。

 意識をその方向に向ければ、燃え盛る屋敷――そのうちの母の部屋に()()()人影が見えた。


「お母様っ」


 下馬した私は迷うことなくこの日の為に作られた一点物のマーメードドレスを腿まで破り、玄関前にある美しい大きな噴水に迷うことなく飛び込んだ。

 急場凌ぎで全身を濡らして、火への対策を施す。

 人目なんて気にしていられない。


「ご令嬢、な、何をなさって!? ちょっ! お待ちをっ」


 制止を振り切りハンカチーフで口と鼻を覆い、燃え上がる我が家の玄関を跨いだ。玄関は私が(くぐ)った瞬間崩れ落ち退路を塞ぐ。


「お母様、どこにいるの! 返事をして!」


 事切れた使用人や騎士が行く先々に倒れている。

 壁に床に血が飛び散る屋敷は事の大きさと悲惨さを物語っていた。

 母の部屋までがとても長く感じる。広い屋敷をこれ程忌々しく思うなんて、後にも先にもないだろう。


「お願い、どうか無事でいて」


 やっとの思いで辿り着いた部屋の扉を勢いよく蹴破る。


「お母様!」


 もぬけの殻だった。


「いない……」


 あるのは、無惨にも燃えてしまった家具だけ。


「そうよ。人影がひとつなわけないもの。ルカが私の命令を無視して、母のそばを離れるはずがないわ……」


 ルキウスは騎士では無いが、侯爵家の騎士たちにも引けを取らない実力を兼ね備えた有能従者。我が家に来た当初から君主至上主義の騎士団で揉まれた彼が、主である私の命令を背くはずも、ましてや死ぬはずもない。

 だから、私は油断した。


 じゃあ私が見た人影は誰だったのだろうと、いつもならすぐに疑問に思うはずのそんな事にも気が回らず。

 良かった、と一息ついた所で背中から胸にかけて一直線に熱を感じた。


「な、に……?」


 胸下に目を落とせば血に濡れた細い鉄が見える。

 ズルりと嫌な感覚がした後、視界にあったそれが消えて私は崩れるようにしてその場に倒れた。

 遠のく意識の中、聞き覚えのある下品な笑いが耳に届く。


「おい、やったぞ! やっぱり戻って正解だった。夫人がいたぞ!」


 私を刺したその男は「夫人」と言った。

 母と娘の私を間違えたのか。


「声がしたと思ったんだよなぁ!」


 続いて、こちらに近づく足音が聴こえる。

 遅れて来た誰かは私の傍に膝を折った。


「なんでここに……だって、お前は今日――」


 信じられないとばかりの震える声からは動揺した様子が伺い取れる。そして、その声にはどこか聞き覚えがあった。


「おい! なんで刺したっ!」

「はぁ??」


 落ちそうな瞼を必死に開け、口論を始めた2人を視界に納める。ボヤけたそれで何とか見えたのは――。


「コイツは夫人じゃない!!」

「えッ!?」


 明らかに違う服装に言われてから気がついたのだろう。

 私を指した男は慌てた様子で胸の前で両手を振る。


「い、いや、さっきまでこの女じゃなかったんだよ!! 信じてくれ!」

「最悪だ……」

「お、おい。悪かったよ。でも、どうせさ? 遅かれ早かれ、この女も始末するって――」


 明らかに我が騎士団の制服では無い物を身に纏った若い男二人。

 一人は、私も見知ったチャールズの近衛の者。

 このヘラヘラと、終始巫山戯た態度が普段から苦手だった。

 そして、もう一人。


「な、ぜ……?」


 私は自分の目を疑った。

 もう一人はアウトリアン侯爵家の騎士服姿のグレイだった。

 エスターティア辺境伯家の跡取り息子のグレイは、現辺境伯で父のヴァルツの命で、時期当主の教養の一環として自領の騎士団で副団長を任されていたはず。それがなぜ、アウトリアンの制服に身を包むことになっているのだ。


「ぐれ……い」


 絞り出した私の声にハッと振り返り、目が合った彼の相好は絶望の色に染っていた。友に裏切られた私がしたい表情を、なぜその張本人がするのだ。


「ど……して……」

「レティ、シア。これは、これには……ワケ、が」


 確かに訳があったのだろう。

 もうずっと、王家を支える四つの守護家の絆は崩壊寸前だったのだから。

 アウトリアンに関しては、プリマヴェールへの敵意は日を追う事にあからさまになってきていた。


 修復するには時が経ちすぎていたのだろう。

 腐った貴族界に、良識なんて邪魔なだけ。


 王家、そしてアウトリアン。

 エスターティアはなぜ加担したか分からぬが――。


 今宵王座に就いた一人の王族と国の要である二柱は、それぞれの利害が一致した結果均衡を壊し新たなる修羅の道を選んだ。

 

 よって。


 私たちプリマヴェール侯爵家は消される。


 “不純物” はこの世から消される。


「――すまない」


 首の後ろを支えられる感覚の後にグレイの今にも消えそうな声が辛うじて聞こえる。


「すまない……ゆるしてくれ」


 ボヤける視界にキラリと何かが光った。瞬間、喉が熱を持つ。


「かハッ」


 腹と喉からどくどくと絶え間なく血が流れる。

 こうなってしまえば、死はすぐそこだ。


 痛みは無い。そうすると、私に襲いかかるのは眠気だった。


 ――ダメだ、眠い。寝てはダメなのに。


 父の落馬も雨が起こした事故だと思っていたが、確信した。

 奴らが一枚噛んだものだったのだろう。

 今は昔、祖父が毒殺された事だってそうだ。ろくな捜査が行われず迷宮入りを余儀なくされたそれは、あまりにも不自然だった。

 その後侯爵家独自で調べても時が経ち過ぎていたのか、犯人は終ぞ分からなかったが……きっとそうだ。

 だが、今更疑問に思っても、こと既に遅し。父だって、祖父だって、この世にはもう居ない。

 そして、私もそうなってしまう……のか。

 ふわふわする意識の中、何故こうなったのか考える。

 意識は掻き集めても直ぐに散漫するように、まともに纏まらなくなっているが。


 この世に生を受けて(おおよ)そ二十年。

 後悔の多い人生だった。

 だから――。


 私の人生計画では、このまま上手い具合に王太子妃候補からフェードアウトして人生の軌道修正をと思っていたのに。

 たった二十年しかまだ生きていないのに。


「レティ!!!!!」


 悲痛な声で名前が呼ばれ身体が浮遊した。

 仲間割れを起こしていた二人の気配はとうに消えていた。


「ダメだ、ダメだよ。レティ、目を開けて……ああ、そんな」


 愛しい人の声が聞こえる。


「エストレラ様は外に逃がしたよ」


 夜会に置いていかれ拗ねていたルキウスは私の言いつけ通り、母の傍を離れなかった。

 母は無事に魔の手から逃れたらしい。


「アシェルとも合流した。無事だ。だから、ねぇ――レティ……レティ」


 兄も無事でよかった。走らせた騎士たちは間に合ったらしい。


「なんで中に入ったんだ……いや違う、僕が遅かったから……あぁ」


 自分を責めるルキウスに「違う」と言いたいのに、私は「大丈夫」と返事をしたいのに、もう声を出す力も残っていない。

 安心してと微笑みたいのに顔の筋肉も働かない。

 目に彼を映したいのに瞼ももう開かない。

 黒い柔らかい髪に手を通したいのに腕は言うことを聞かない。


「レティ。どうしよう。血が……血が止まらないよ」


 せっかく会えたのに、これでは会えたとはいえない気がする。


「レティ。レティ。レティ……」


 失ったものもそれなりにあり、残った数少ない幸せを手に平和に生きたかっただけだった。

 五感とは別の感覚を手首に感じながら、私の気持ちと反した意識は深く深く沈んでいく。

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