25 念願の。
「エストレラ様、怖ぇ……」
「なにが?」
「いや、お嬢様は分からなくていい話だよ……」
顔色を悪くしたトーリに内心首を傾げていると、対面に項垂れていた父が重々しい声を絞り出す。
「ルキウスを呼ぶ――話はそれからだ」
「はい、お父さま。ありがとうございます」
「あっ、俺、呼んできまぁす!」
立候補したトーリが返事を待たずに部屋を飛び出した。
多分耐えられなかったのだろう。
私の対面に座る両親の両極端な空気はまさに混沌なそれで、なんだか既視感がある。(EP07参照。
私はメイドが入れ直してくれたホットミルクを口へ運びながら、そのときを静かに待った。
◇◇◆◇◇
「お呼びでしょうか」
ルキウスはフットマンの装いに身を包んで参上した。
今日は屋敷内での講習だった事が見て取れる。
いつもは乱雑な様子の髪型もしっかりと整えられており、綺麗なオニキスの瞳がよく見える。
騎士団での訓練はお休みの日だったのだろうか?
「ルキウス、此方に――回りくどいのは好かん。単刀直入に言う」
父の中ですっかり定着したルキウス呼びにひとり嬉しく思う。父には自覚が無さそうだが。
「ルキウス、お前を従者にとレティシアから進言があった」
対座する私たちの間に立たされていたルキウスが勢いよく首をこちらに向ける。
「勘違いするなよ。無条件にレティシアの側仕えにするつもりは無いからな。で、だ――なぜお前はその服装なんだ。騎士団の訓練はどうした」
「あ、それは俺から。『もう教えることがないので、執事長に託した』とアーロン団長より言付かっています」
挙手したノーランがそう進言する。
彼の希望はあの日から一貫して、ずっと私の従者になることだった。
従者になるのならバトラーの下につくのは至極当然のことだが、まさかアーロン団長が騎士団訓練免除を言い渡すとは――。
一つ目の関門はクリアしたと言っても過言ではないだろう。
「初耳だが? なぜ直ぐに報告しない」
「アルフレド様は、ルキウスに関する全権をアーロン団長に委ねていらしたので……」
「委ね――?」
心当たりがないという表情を浮かべる父の前で私が思い出すのはあの日の一幕。
ーーーーーーー
『わ、分かった! 灰にはしな――』
『この子を私つきの見ならいじゅうしゃにします』
『ダメだ!』
『はじめにお父さまが言ったのですよ。今日この日は私の言うことはぜったいだと! さいわい私には、ごえいきしはいれど、じゅうしゃはいません』
『侍女がいるだろう!』
『兄さまは、じじょもじゅうしゃもいます!』
『うぐぅ……………………うぅ、わかった! だが、お前の傍だけは絶っっっ対ダメだ。アーロン! こいつのことはお前に全て任せる。当主の私に楯突くくらいだ、見込みはあるだろう。徹底的にしごけ』
『拝命されました』
ーーーーーーー
しっかり委ねていた。
「委ね――ていたな。あぁ……そうだ、そうだった……」
一歩遅れてだが、父も思い出したようだ。
「本日分の活動報告書にて纏めて報告するつもりだと伺っています」
トーリからの説明に頭を抱えて父が項垂れてしまう。
体力を数値化すれば、父のそれはもはや残っていないんじゃなかろうか。地面を見つめる父はまるで断頭台に立つ死刑囚のようだ。
「ルキウス。お前はここに侵入したあの日、私に『レティシアにひと目会いたい』と言ったな?」
「はい」
「まぁそれはいい。レティシアは親の贔屓目なくしても美しい子だからな」
親バカが発動したが、誰もその事に突っ込みはしない。
「その後、なんと吐かしたか覚えているか? 『侯爵家の姫は必ず僕をお望みになる』だ。それを俺に告げた直後に “思わぬ事態” で、お前は目的を果たした」
おっと。
父の言う “思わぬ事態” に心当たりしかない。
思わぬ事態とは、きっと私が割って入った時のことだ。
悩ましげに目元を揉む父から思わず私は目線を外す。
「はい。覚えております」
父の低い声に一切怯むことなくルキウスは返事をする。
そんなルキウスの態度に目を細めた父は、彼から視線を外すことなく私に問いかけた。
「レティシア。賢いお前なら、私がなぜこんなにもルキウスを警戒していたか今ので分かるな?」
オーリからルキウスが父に放った言葉の報告を受けた時に導き出した仮説を話す。
「プリマヴェールをよく思わない何ものかが、しむけた回しもの……もしくは、しょうさいを知るきけんじんぶつ――ですか?」
「そうだ。終いにはあろう事か、レティシアに『拾ってください』だ? お前が言ったことがまさに現実になったあの瞬間。私は本当に灰にしようと思ったぞ――だが……」
ここで一度言葉を切った父の声色は今までルキウスに向けていたそれとは丸っきり変わっていた。
「今はそうしなくて良かったと心から思っている。僅か半年、されど半年。お前の動向は逐一報告させていたが、レティシアを害するような不審な素振りは――まぁ、見られず(?)、先日に至ってはレティシアの窮地を救ったのだからな」
意外にもルキウスへ微笑みかけた父に私が密かに関心していると、その笑みを向けられた本人が一番怪訝そうな顔をしている。
ルキウス、気持ちはわかるけども……もう少し隠そう?
「だから、問題はないと判断した。ちょうどその服を着ているのなら、早速今日からレティシアの侍女の補佐をしてみろ。期間は……そうだな、とりあえず一ヶ月だ」
驚いた。
まさかいきなり私の傍に置くとは思わなかった。
てっきりアシェルの従者の見習いからのスタートかと。
「ルキウスを讃美する文面が何十枚にも渡って私の手元に届くのも、もうそろそろウンザリだからな」
遠い目をしながら呟く父に、使用人たちのボイコットの話を思い出した。
まさか抗議文まで提出しているとは。
しかも何十枚にも渡って……。
「このような機会を設けて頂きまして、心から感謝申し上げます」
「感謝なら、エストレラに。そして、あくまでも試用期間だ――気を抜かず、励め」
「精進致します」
「お父さま、お母さま」
僥倖にも従者として(まだ仮ではあるが)ルキウスと共に過ごせることに地に足がつかない私は両親にはしたなくも飛び付き力の限り抱き締める。
「ありがとうございます」
「あぁ、いいんだよ」
「では、私はしつれいいたします。ルキウス、あなたも来なさい」
「はい」
ルキウスが改めて両親に礼をとる。
「ルキウス」
今まで静かに父の隣でことの成り行きを見守っていた母がルキウスに近づき話しかけた。
「――そんなことはないとは思うけど、一応伝えておくわね」
「……もちろんでございます」
トーリが開けた扉を潜り掛けていた私は二人から距離があり、残念ながら詳細は聞こえなかった。
「青ざめてら……あれは、念を押されてるな」
母に何かを耳打ちされたルキウスを、トーリが苦笑いに眺める。
先程男性陣が青ざめた事と関係しているのだろうことしか私には分からなかった。
◇◇◆◇◇
「とうとうですね!」
「騎士の夢が叶ったッ!」
ルキウスを連れて部屋に戻った私を見たリアとミアの反応は予想した通りだった。(――ミアに関しては、何を言うか分からないという意味で)
「メイドたちと一緒に嘆願書を出した甲斐がありました!」
「作文は少し成績が悪かったので自信はなかったんですが、頑張った甲斐がありました!」
父が遠い目をしていた抗議文書にうちの侍女らが一役買っていたとは。
「あなたたちも、さんかしていたの?」
「「はい!!」」
私に報告する時は恰も他人事のように話していたのに……もう何も驚くまい。
「あ。確か、ノーランもその集まり参加してましたよ」
ノーランもか。
誓ったそばから、再度動揺してしまう。
トーリが思い出したように付け加えた事実に感心するしかない。主人である私の前では、そのことをおくびにも出さず職務を全うしていたのだから。
「そうだったの」
皆がルキウスを気に入っていたのは知っていたが、まさかそこまでとは。
「あの〜、お嬢様」
「どうかした? リア」
普段と違い何故か遠慮がちに私へ声をかけてきたリアはなんだかソワソワと落ち着かない。
「ルキウスくん、一時こちらでお預かりしても良いですか?」
「えぇ、良いけど――」
私が「どうして?」と訊く間も無かった。
即座に両脇を固める侍女二人のあまりの俊敏さにルキウスの反応が遅れる。
「!?」
「お姉さんたちに任せなさい!」
「え」
「お嬢様のお傍に控えるならそれ相応の制服に着替えないとね!!」
「え。いや――え?」
獲物に狙いを定めた猛獣のようにリアとミアの目がギラつく。
ああなっては私では止められない。
こちらへ助けを求めるように首を横に振るルキウスに、私は手を振って送り出した。
「少しのしんぼうよ」
私からの助けも見込めず、入室して間もなくズルズルと引き摺られ退室を余儀なくされたルキウスの顔の悲壮感はなかなかのものだった。
「あの、お嬢様」
私と共に部屋に残ったノーリは唖然とルキウスが消えた扉を見つめる。
「なぁに」
「お嬢様の専属使用人用の制服とかありましたっけ」
トーリがそう疑問に思うのも無理はない。
ミアが言っていた『それ相応の制服』が何を指すかは私にも分からないのだから。
「ないわ」
「ですよね?」
間違いなく別室で着せ替え人形状態だろうルキウスがどう変貌するか今から楽しみだ。




