幕間 《パラディゾ》前編。
本編お休みです。
《パラディゾ》
楽園を意味するそれは貴族の監獄・西の塔の通称名である。
約束された質の高い食事、高品質な家具に衣服。
収容される貴族の階級に合わせて牢獄の仕様は異なるが、屋敷で生活しているのと何ら変わりのない快適さを兼ね備えている。
窓が無いため時間感覚が狂うと言われているが、苦と言えばそれだけだ。
大した罪にもならず釈放される者が大半を占める中、『避暑中と変わらない』とこの名前が定着するのも無理はないだろう。
そして此度、この《パラディゾ》へまたひとり新たに収容されることが決まった。
名をルイーズ・ファルメリア。
王立アカデミー出身者の彼女は、女官として王宮での在職を経て、プリマヴェール侯爵家ご令嬢レティシア・リマヴェーラの家庭教師を勝ち取った『働く女性』の先駆者だった。
王立アカデミー在学中、品行方正で才色兼備なルイーズは常に人の輪の中心にいるような人物だった。卒業後もそれは変わらず、 “清く正しい” 彼女を慕う者は多い。
弁が立つ彼女が未だ根深い男社会に新たな風を吹かせた功績はとても大きなものだ。
そんな耀かしいキャリアを着々と築き上げていた彼女が、掴んだ富と名声を一夜にして失ってしまうとは誰も予想できなかったことだろう。
ルイーズの《パラディゾ》収容期間は、一週間か一ヶ月か、はたまた一年、いやウン十年か――。
まだ、誰も知り得ない。
――――回帰者さえも。
ーーーーーーー
激昂した伯爵令嬢が自身の教え子である侯爵令嬢に手をあげた(未遂)、という衝撃な事件から本日で三日目。
リーヴァイ・イルヴェルは渦中の伯爵令嬢に話を聞くため、貴族の監獄へ足を運んだ。
「お待ちしておりました、イルヴェント辺境伯様」
元々通達がなされていたのだろう。
待ち構えていた看守はリーヴァイの姿が見えるなり捧刀した。
「あぁ」
《パラディゾ》では、国の中枢の辺境伯といえど顔パスは通用しないため、王から手渡された通行証を看守に渡す。
御璽が押されたそれは、この国で出入りが制限されているような場所でも通行可能になる何とも万能な代物だ。
その過程で証書の偽造などの不正防止案として、神官と同じく鑑定眼の祝福を持つ武道に優れた者が各地に配属されたことは自然な流れだと言えよう。
「――たしかに」
鑑定眼の祝福者にのみ現れる瞳の変化は、まるで星空を閉じ込めたように神秘的だ。
「――ご協力ありがとうございます」
精査を終えた額の汗を拭う看守から通行証が返される。
「では、ご案内致します」
入り組んだ廊下を歩く事10分ほど。
外から何重にも厳重に施錠された厚い鉄の扉が鈍い音を出して開かれた。
「待て」
「どうなされましたか、辺境伯様」
リーヴァイは疑問に思った。
扉の向こうに現れた階段が地下へ伸びていることを。
「なぜ階段は下へ向かっている」
リーヴァイは実際に《パラディゾ》へ収監された貴族らを数多く知っているが、地下の事など彼らから聞いたことがなかった。
「リアパウンド伯爵令嬢は――国王陛下より直状が送られてきた場合に取る措置がなされております」
地下牢の存在は秘匿事項。
要注意人物と王が判断した者を収容するための場所なのだ。
「こちらです」
これまた厳重に施錠された、そこいらの非力な貴族の腕力ではビクともしないだろう立派な造りの扉が、おどろおどろしい音を響かせながらゆっくりと開く。
「やぁ、ファルメリア。久しいな」
初めて入室したその場所は『検覈』とは名ばかりの取り調べを受ける貴族らにとって、その名の通り楽園だろう空間が広がっていた。地下牢でこれなら、上階の牢獄はもっと居心地が良いことが想像出来る。
しかし牢の隅でへたり込む収容者――改め、ルイーズ・ファルメリアは《パラディゾ》にいるにしては少々浮かない顔をしているように見える。
「リーヴァイさま……」
リーヴァイがルイーズに会うのは実に学生ぶり。
頬が痩け、声に覇気がなく、目からは光が消えているルイーズには、アカデミー在学時のような学園三大美人の一人として男たちを魅了した快活さと美貌は見る影もない。
「調子はどうだ?」
ルイーズへ酷なことを質問している自覚がリーヴァイにはあった。調子なんぞ良くはないのは目に見てわかる。
「…………」
本気で言っているのか、とルイーズが目で訴えてくるのは想定内だった。
別に返事を待っていた訳では無い。
「まぁ、そうだろうな」
気持ち程度の前置きを終えるとルイーズに席を勧める。
「今日は事実確認をするために来た。なんのことか分かるな?」
「……リーヴァイ様、私は何もしておりません。恥じる事なんて、何も――」
ルイーズは即答した。
答えた彼女から感じ取れるのは仄暗さだけだった。
「あい分かった。では早速――今から君が話すことは一言一句余すことなく全て記録されることを忘れるな」
リーヴァイは《パラディゾ》に一人で来た訳ではなかった。
王へ同行の許可を取ったのは、議事録を取る書記官と 使丁の少年の二人。
「現在、リマヴェーラ側の聞き取りを終えたところでな」
リーヴァイは慎重に言葉を紡ぐ。
彼が聴取に慎重を期すのには理由があった。《ビデオキューブ》に記録されていたルイーズのように喚かれると取り調べもクソもないからだ。
「君はパーティーへ参加するプリマヴェール侯爵令嬢の目付け役を侯爵夫人へ申し出た。間違いないな?」
「はい」
「その理由は?」
「プリマヴェール侯爵家は大貴族です。まだデビュタントを迎えていないとはいえ、公式の場での失敗は避けなければなりません。ガヴァネスとしてお嬢様の礼儀作法にはまだ懸念がありましたので、申し出た次第です」
その後も着々と事情聴取は進み、書記のペンの走る音が部屋に響いた。
窓のない時間感覚が狂う部屋の中、リーヴァイは懐中時計を確認する。ここに来てから実に2時間弱が経過していた。
(頃合か)
リーヴァイは使丁にある書簡箋を提出させた。
目の前のテーブルに置かれた丁寧に紐で纏められたそれにルイーズが眉を顰める。
「これは……?」
「それはプリマヴェール家からの主張とあの会場に居た貴族らからの証言を纏めた聴取書だ。精読してくれ」
カサカサと紙が擦れる音だけが響き、リーヴァイはルイーズが読み終わるのを静かに待つ。
聴取書の内容はこうだ。
まず、彼女がレティシアに手を挙げた事実について。これは、周りの目撃情報により確定されたもの。
次に、手をあげた動機――プリマヴェール侯爵夫人の名誉に関わる当事者同士の口論について。侯爵令嬢本人の証言を《ビデオキューブ》より照合を行ったところ、事実性が極めて高いと認められたことが記されている。
ルイーズはこれを読み何を思うか。
「君側の主張を今聞いた訳だが――ファルメリア、この聴取書に書かれた内容に異議があるんじゃないか? 抗弁を聞こうと思うが、どうかな」
クシャりと紙端を握り締めたルイーズに声を掛ける。
抗弁――それは彼女の正当な権利だ。
「リーヴァイさま……」
プリマヴェール側は手を振り下ろされたと主張した。そしてこの主張は目撃情報と《ビデオキューブ》にて紛れもない事実だと証明された。
それを踏まえた上で、双方の齟齬を指摘する。
ルイーズは侯爵令嬢のグラスの持ち方について危惧の念を抱き、手を掴もうとしたと話した。
「君の主張は『グラスの持ち方の指摘を行おうとした』だったな?」
《ビデオキューブ》に音声機能が施されていなければ、ルイーズの主張が真実だと思わないでもない状況だったことは確かだ。
「ちがいますわ……こんな……」
涙を溜めたルイーズは聴取書を握りしめて首を横に振るばかりだった。
素直に認めてくれる様子はない。
「――そうか。主張は変わらずということで良いか?」
答えないルイーズに、話は終わったと言わんばかりにリーヴァイは帰り支度を始める。
「ま、待って! あれは! あ、あれは……未遂ですわ!」
(かかった)
慌てるルイーズの姿は、限りなく黒に近い者が取る行動そのものだった。そんな彼女を一瞥したリーヴァイは浮かせた腰をまたカウチソファに沈め、膝の上で手を組み直した。
「――君が言う通り “未遂” だ。振り下ろした手が令嬢に届くことは無かった。だが、ただそれだけ。手をあげていないことにはならない。目撃者も多い。聡明だった君なら分かるはずだ」
「振り下ろすだなんて、いいえ……あれは……あれ、は……ちがう……」
足に顔を埋めるように上半身を折って、ボソボソと独り言を零す。
埒が明かない。
「教育の一環です! 私はあの子のガヴァネスですわ。敬意を払うべき相手に、それを怠った生徒を教え導くのは当たり前のこと」
「平手打ちをして正そうとしたのか?」
「そ、そうです!」
「――巫山戯んなよ」
ルイーズの話に声をあげたのは仕丁だった。
その目には抑えきれない怒りが灯されていた。




