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21 裁き。

「ルキウス……」


 この場に居るはずもない少年が現れたことに、私はただただ呆然としていた。

 回帰前の最後の日にそうあって欲しかった――渇望した光景が目の前で再現されたようだった。

 まさにこの会場で、貴族らの面前で、力ずくにも膝をつかされる面恥がフラッシュバックする。

 しかし呆けていた意識を戻されるのもすぐだった。


「きゃああああっ」


 甲高い悲鳴。

 それは私でもルイーズのものでもなかった。

 別の場所から聞こえてくる、明らかにこちらに向けられた女性の声が私の耳に届いた。

 そして、明らかに周りが騒がしいことより気が付いた事があった。ルイーズの祝福サイレントが解除されているのだ。

 ルキウスに腕を捻りあげられているあまりの痛みに意識が逸れたのかもしれない。


「レティシア!」


 無音から一転、戻ってきた喧騒の中で一際大きく届いた声があった。

 父の声だ。

 間もなくして、両親が血相を変えて現れた。後ろには慌てて父を呼びに行った男もいる。

 道が(ひら)き遮る者が居なくなった先に広がる光景に、父を始め駆け付けた王侯貴族らは吃驚の表情を見せることになった。


 怒られる。

 そう思った。

 《サイレント》が展開されて音がシャットアウトされていた上に、腕を捻りあげ膝を付かされている女性は常日頃から評判が(すこぶ)る良い淑女だ。

 過程がどうであれ、こちらに非が大きく見えても仕方の無い状況だった。だが予想とは反して、ルキウスの背後に護られるように居る私の傍に膝を着く姿は思っていた反応とは程遠い。


「レティシア。怪我は」

「ありません」

「そうか」


 父はそう言いながらも私の身体を隈無く確認する。


「あぁ……レティ。レティシア」


 目に涙を貯めた母に抱き締められると、もう大丈夫なのだと安心感に包まれた。


「ごめんね。ごめんなさい――私の可愛いレティシア、怪我がなくて良かった……」


 母の少し早い心音が私をどれほど心配していたのかを物語っているようだった。

 ほっとしたのもつかの間、その場の重力がズシッと重くなる錯覚を覚えるような声が場を制す。


「――ルイーズ・ファルメリア。敢えて問おう、私の娘に何をした?」


 この国で一番の高貴なお方で、且つこのパーティーの主催者である国王陛下を差し置いて声を上げたのは父だった。


「…………」


 しかしルイーズは黙秘を決め込んだ。

 自分のした事に後ろめたさを感じているようにも見える。

 埒が明かぬ状況にひとつため息をついた父は、質問の対象者を私に変えた。


「レティシア。何があった」

「お父さ――」

「アル様!!! お願いです! 早くこの無礼者を私から遠ざけて……腕をッ外させてくださいまし!」


 私の言葉に被せるように即座に口を挟んだのはもちろんルイーズだった。

 唇は青く染まり恐怖からくる震えか歯がカチカチと鳴るほどに怯えが見える。もはや疚しいことがあったと言っているようなものだ。


「――ルキウス、 “外せ” 」


 無情にもルイーズを映す父の目は冷ややかだった。


「えっ?」


 ガコッという音が確かに響いた。


「ゔあ ぁ ア゛ア゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ア゛ッ!!!!!」


 ルイーズがその場で床に崩れ落ちることで、一足遅れて彼女の腕が外れたのだと理解した。


「い゛だい゛ぃぃいぃぃぃい!」


 これはある意味トラウマになる。人生一周目――つまるところ、正真正銘七歳児の私なら耐えられなかっただろう。


 そして、いとも簡単にやってのけるルキウスに思わず引いた。

 騎士団の訓練のにはこんな内容(骨の外し方)まで組み込まれているのか。

 若干の恐怖を感じた瞬間だった。

 目撃したことは無かったが、回帰前のルキウスもできたのだろうな。きっと。


「ぅあああああぁあぁあぁああぁぁッ――」


 のたうち回るルイーズに手を差し伸べる者は現れなかった。みな一様に白い目で彼女を見下ろしており、そこに救いは無かった。

 彼ら彼女らの思惑はそれぞれだった。

 例を挙げるなら、ある者はプリマヴェール侯爵からの報復を恐れたから、ある者はルイーズ――伯爵令嬢が侯爵令嬢に手を上げた一部始終を目撃した為に彼女に幻滅したから、だろう。


「我が娘に手を上げたな?」

「う、あぁ、あぁああ……」


 動物のように呻き声をあげるルイーズからは当たり前だが返事は期待できなかった。


「プリマヴェール、一度正してやれ」


 深いため息と共に父へ声をかけたのは、今の今まで静観していた王だった。

 しかし、静かに(いか)るる父が応答する気配はない。


「…………」


 極寒零度で一帯に殺気を放つ父だが、国を統べる王がそれに怯むはずもなく。


「アルフレド・リマヴェーラ。次は無い」

「――直せ」


 王の言葉に折れた父が絞り出した声色からは、かの日のルキウスに向けた殺気等とは非にならぬ位のものを感じた。


「連れて行け」

「「はっ」」


 王より命を承けた騎士らは、いつの間にか用意されていた担架にルイーズを乗せる。彼女へのまたは周囲への配慮か、頭からつま先までを覆うように薄手の大きな布を被せ会場を後にした。


 担架に乗せられた一瞬だけ見えたルイーズの顔からは涙や鼻水が、漏れる口からは虫の羽音のようにか細い声と共に涎が流れていた。

 普段の姿とは乖離した、まさに酷い有様だった。

 そりゃそうだ。

 彼女は貴族のご令嬢。腕が外れるなんて経験はこれまでしたことがないわけで。


 可哀想だと思った。

 だが、それだけだった。

 彼女の嘆き苦しむ表情を見ても罪悪感を感じる所か寧ろ清々しい気分に満たされている自分は、非常なのだろうか。


「さて――此度の関係者は一度場所を移して、じっくり話しをする必要がありそうだな」



 ーーーーーーー


「かかかかか閣下っ! 私の娘は閣下のご息女のガヴァネスであり、今日は付き添い人でもあります! そ、そそそれを、この仕打ちはなんですか!?」


 王が用意した応接間で声を荒らげるのは、当事者(ルイーズ)がこの場に同席出来ない故に呼び出されたその人。

 ルイーズの父親――リアパウンド伯爵、アンガス・ファルメリアだ。


「私の娘に暴力を奮ったのはその()()()でしょう!? 絶対そうに決まっている! 躾がなっていない見るからに穢らわしい黒の者!!」


 娘が王宮医務室へ運ばれたと知らせを受けただろうから、伯爵が取り乱すのは致し方ないことだろう。


「は、早く投獄して下さい! なぜこの場に悠然と居るのですか! こんな餓鬼を王宮に連れてくるなんて、一体侯爵様は何をお考えなのです……はっ! もしや、 “地下の楽園” で落札でもしたどれ――」

「口を慎め、下衆が。この少年は、侯爵令嬢の側仕えだ。勘違いも甚だしい」

「ひぃぃぃぃいいいいっ」

「危害を加える者がいたら、その者を拘束することの何がおかしい。 “躾がなってない” だ? 笑わせるな。これが我が侯爵家騎士団の基礎だ」

「おい」


 今にも伯爵を掴みかからんばかりの父を止めてくれたのは、立会証人として同席している冬の柱・イルヴェント辺境伯だった。


「アルフレド・リマヴェーラ。殺気を飛ばすな」


 さすがに主催者の王が会場を離れることは出来ないので、丁度他の用で城に居合わせたリーヴァイ・イルヴェルに託されたのだ。


『頼むな』

『……はっ? えっ? へ、陛下?!』


 国の防衛を担う冬の柱・イルヴェント辺境伯家の人間が自領から出ることは滅多にない。そんなリーヴァイがばったり鉢合わせたのは、まさに運が悪かったとしか言えなかった。

 王から肩を叩かれては断れまい。

 寡黙でポーカーフェイスがデフォルトな辺境伯のあれほど嫌そうな顔は後にも先にもこの時だけだろう。


「リアパウンド伯、浅慮な言動は己の首を絞めるぞ。そして、プリマヴェール侯、いいか? 私はわけも分からずここへ連れてこられた。私を話から置いていくな」


 春の柱・プリマヴェール侯爵家と冬の柱・イルヴェント辺境伯家の仲は、両家の長男が同い歳な事もあり何かと交流があったためそこそこだ。

 此度の件、片方が国の一柱(プリマヴェール)なので、同じく柱の彼ほどこの場に適する人材はいないだろう。


「もう一つ。私の意向に逆らうなら、問答無用で切るぞ」


 北の砦を護るリーヴァイは常に帯剣しており今日も例外ではない。剣豪でもある彼が剣の腹を少し見せれば、忽ち伯爵は縮み上がり、父も渋々ではあるものの引き下がる。

 実直なリーヴァイにそうされては冗談に見えないのだ。

 二人は来客用の席に向き合って腰掛けた。



◇◇◆◇◇


 多少回復した(父から別室で待ってろと言われても聞かなかった)母と当事者の私はもちろん父の横に、立会証人のリーヴァイは一人席に深く座り直した。いくら剥がそうにも 梃子(てこ)でも離れないルキウスは肘掛を挟み私の横に控えている。後ろではなく横に。それはもうピッタリと。


「レティ。怪我は無いか?」

「はい、お父さま。ルキウスがまもってくれたので、このとおりです」


 あの場での詳しい事情を知り得ないリーヴァイとリアパウンド伯爵に王の遣いより改めて説明がなされている間、父は私に何度目か分からない怪我の有無の確認をする。


「そうか……良かった。ルキウス、よくやった。しかしだ、なぜお前があの場に居たんだ」

「……………………」

「ルキウス」


 父の問いに答えないルキウスに私はお灸を据える。


「こたえて」

「その……屋根に――」

「やね?」


 バツの悪そうな表情でボソリと言い直したルキウスにリマヴェーラ一家の視線が集中する。


「……馬車の屋根に張り付いて来ました」


 ルキウスの言葉に私は耳を疑った。



「はぁあああ!?」


 一息置いて、父の大声が部屋を揺らした。

 私たちが乗ってきた馬車の屋根に張り付いていた――。

 思わず想像してしまう。


「レティシア……様。怒りますか?」


 してはいけなかった行動だったという認識はあるらしい。ルキウスの頭にぺたりと垂れた犬耳の幻が見える。


「いやおこる……というか――え? だって、や、やねでしょ???」


 驚きの方が大きい。

 プリマヴェール侯爵家の馬車は御者の持つ祝福により、他の貴族家より格段に移動スピードが速いのだ。

 王都へ向かうその数時間、ずっと屋根に張り付いていたなんて規格外がすぎる。


 筋力とか諸々どうなってるの、この子。


「有り得ん、非常識過ぎる。怪我をしたらどうするつもりだった」


 父から大人が子供を心配するような、至極真っ当な言葉が飛び出した。

 ルキウスを警戒するは良いがその態度があまりにも幼稚なので忘れがちになる事実、そうだ父は大人だった。


「申し訳……ありませんでした」


 ルキウスも父の言葉が予想外だったのか驚いたように目を見張ると、素直に反省の意を示した。


「まぁまぁ、良いではありませんか」


 パチンと手を叩き空気を入れ替えた母が朗らかな声色で場を改める。

 いや、良くはない気が……。

 母はたまにおおらかの範疇を越える言動を見せる。


「エストレラ! 良くは――」

「結果的に無事だった訳ですし、これからそういう行動を控えてもらえば。この子がついて来てくれたおかげで、レティは怪我せずに済んだのですから」


 父の反論を母は指一本父の鼻に添えるだけで封じ込めてしまう。

 納得しかけた父だったが、既所で母の指を優しく包み込むと首を大いに振る。


「――いや、良くは無いぞ!? ルキウス。帰ったら覚えておけよ」

「レティを助けてくれてありがとう、ルキウス」

「当然の事をした迄です」

「いいか、アーロンに訓練内容の組み直しをさせるからな」

「ですが。これからはレティのためにも危険な行為は控えるように」

「はい、奥様」

「……なぁ、俺の話も聞いてくれないか??」


 ルキウスと母とで話が纏まってしまいしょぼんとする父の声が寂しく響いた。

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