19 反撃開始のゴング。
パーティも中盤に差し掛かった頃。
「エストレラ」
父が心配そうに母を呼んだ。
見上げれば、父がそっと母の腰に手を回している。
周りからはエスコートに見えるそれは、ふらつく母を支えるためのものだった。
「いいえ、大丈夫よ」
否定する母だが、たしかに顔色が悪く表情は固い。
「プリマヴェール侯爵様、お待たせしてしまい申し訳ございません」
そしてタイミングを読んだかのように現れた女に思わず点を仰ぎたくなった。
とうとう来たか、私の天敵。
「あぁ、ファルメリア嬢。調度良いところに」
「城での業務が押しておりまして、遅れてしまったのですが、間に合いましたでしょうか?」
姿を見せたのはルイーズ・ファルメリア。
私のガヴァネス、その人。
七の歳の子を持つ貴族のみが参加するこのパーティーで、子持ちでもましてや何処ぞの夫人でもない彼女がここにいる理由は簡単。
「あら。奥様、ご気分が優れないご様子で……。私、付き添い人に立候補していて良かったですわ」
それは、目付け役としての同行。
人脈作りに忙しい親世代が子供に付き添い人を充てがうのは何ら珍しいことではなかった。
「早速、お役に立てることがありそうですわね」
父から贈られたプチ成敗の挽回を図ろうとしてのことか、私の目付け役を “買って出た” ルイーズだったが、ではなぜ遅れたのか。
それは――。
ーーーーーーー
『あ、そうそう。女官時代の同僚から助太刀の要請が有りまして、当日は少し遅れることになりそうですわ』
信じられない言葉が授業の合間にルイーズから飛び出した。
『へ?』
『侯爵様と夫人には了承を得ていますので、悪しからず』
強引にパーティーへの同行をもぎ取ったくせに何を言っているのかと、思わず間抜けな声が出た。
なぜピンポイントでその日なのか。
スケジュール管理ができないのか、この人は。
自分で『自分の行動への管理が出来ないです!』と声高らかに宣言しているようなものだぞ。
『まだまだ私がいないと駄目な女官が多いので、ほんと困ってしまいますわぁ』
と授業中に零されたものだから、私は閃いた。
願ったり叶ったりと思い、それを早速提案してみる。
『かしこまりました。では、じたいしていただいても、かまいません』
『ぇ』
『もともと、りょうしんとわたしのみで、いく予定でしたので』
『い、いいえいいえ!!! 初めての社交場ですわよ! ガヴァネスの私がご一緒させていただかなければ! あなたを一人でそんな場に行かせるのは、先生として許可できませんわ! しっかり私が不足が顕にならないよう隣についてサポートして差し上げますからね!』
ーーーーーーー
という具合で、私は “気を利かせて” 目付け役を断ったのに食い気味で行くと言われてしまい今日に至る。
情けない事に断り切れなかった。
「はは……」
決して遠くない記憶に、思わず乾いた笑いが出てしまう。そうして短い回想を終えた私は、両親らの会話に意識を戻した。
「――妻を控え室で休ませてくるから、すまないがその間レティシアを頼めるかな」
「もちろんでございます」
周りに悟られない程度に父に体を預ける母の顔色はよほど悪い。
「レティシア。すぐ戻るからな」
「レティ、ごめんなさい。――うちの子をどうか宜しくお願いしますね」
一体いつから母は体調が悪かったのだろうか。
まさか、初めから?
体調が悪い中、気品に溢れた振る舞いを維持出来るのは流石侯爵夫人と言ったところだが、娘としてそれを見抜けなかったことが悔しい。
「お任せ下さいませ」
ルイーズが胸を張り答える。
両親がホールから下がった後はルイーズを空気だと思う事にしようと、私は密かに決意した。
◇◇◆◇◇
「お嬢様、良いですか? パーティーでは足元を見てはなりません」
「はい、先生」
両親の姿が見えなくなってからいくら経っただろうか。
私はルイーズの話を右から左へ受け流しながら、人間観察に勤しんでいた。
「言うなれば、そうあちらのご息女のようにいじいじと……あぁ、はしたない」
表向きは祝福の年の子らのための催しではあるが、実際はその親である貴族らの人脈作りの意味合いが大きい。
パーティーでは子供たちの退屈加減もピークに達している。七歳なのだからそりゃそうだろう。
そして、七歳にそんな完璧誰も求めやしない。
「お嬢様はプリマヴェール侯爵家の名に恥じぬようにしてくださいね」
「はい、先生」
両親の横で退屈そうにしているある子は床を見つめ、ある子は会場隅に設置された軽食テーブルに釘付け、またある子はもはや飽きて追いかけっこを始めている子もちらほら。
人間観察に精を出していた所、人集りが出来ている場所から歓声が上がった。
アウトリアン家とその傘下の家門の輪の中央で、父が先程ミラン伯爵を追い払った一角でもある。
「お嬢様の《天眼》はなんと神秘的なんでしょう!」
その中で、光の蝶を披露する該当者はたったひとりだ。
「アウトリアン家のご息女であらせられる」
「いやいや、まだスタートラインに立ったところだ」
「またまたご謙遜を!」
周りからの賞賛に、伯爵も満更でもなさそうだ。
確かに、それ程にバネッサの祝福によって創られた光の蝶はなんとも美しかった。
「――それで、お嬢様の祝福はなんでしたの?」
しんみりとしていれば、水を差す者は当然いる。
今回この場合は、私の横に立つ目付け役・ルイーズだ。
「祝福ですか?」
もう発表を終えたことをなぜ今更聞いてくるのか不思議に思うも、ルイーズが遅れて会場入りしたことを思い出す。
「さぁ、勿体ぶらずに。祝福は? わたくし、一番近くでお嬢様の成長を見守らせて頂いていますのよ? お教えして下さっても罰は当たらないのではなくって?? ほら、あちらのアウトリアン侯爵家のご令嬢も披露なさっているのですから、ここはお嬢様もご披露なさってはいかがですか?」
答えようにも口を挟ませない怒涛の言葉にどうしろというのか。
目をかっぴらいて詰寄ってくるルイーズに私がドン引きしていると、何をどう勘違いしたのか彼女は「あっ」と小さく声を上げる。
嫌な予感がする。
「そういう事でしたのね。あぁ、お嬢様、どうか気を落とされませんよう」
「……なんの事ですか?」
一拍置いてルイーズが息を吸う。
嫌な予感がした。
「奥様とお揃いですのねっ!!!!!」
どデカい声でそうルイーズが言い放つ。
彼女の声が頭の中で木霊する。
ルイーズのこの一言で、私は理解した。
彼女がこれから何を行おうとしているかを。
そうして意味を理解した時、思わずプリマヴェール侯爵家の娘として出してはいけない声が出そうになる。
「は――」
はぁあああっ!?
一気に頭が沸騰したかのような感覚に包まれると、『今しかない』と闘場で耳にするようなゴングの音が私の脳内で鳴り響く。
時は満ちた。




