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15 身勝手なガヴァネス。

「ま、まぁ。良いのではなくって?」

「おほめにあずかり、こうえいです」


 私は頭に載せていた本を両手に持ち直した。

 黒の蝶が謄写された深紅の扇子に口元を隠す彼女の声は震えている。 “有り得ない” という心の声がだだ漏れだ。


 慣れないヒールを履き、分厚い本を頭に乗せて真っ直ぐ歩く。

 それは、回帰前では一年後の八歳より組み込まれた内容だった。

 今回は繰り上げられた。

 理由は明白だ。

 ズバリ、回帰前には無かったイベントが追加されたからだ。


「で・す・が! 良いですか? 月桂冠受領式、そして祝賀パーティーに参加するのですから、こんなもので満足してはなりませんわ」


 誕生日会で父が宣言した、月桂冠受領式での祝福の公表。受領式の日程が決まったのだが、その日までの猶予と言うと一ヶ月も無い。


「分かりました。あの、ひとついいでしょうか?」

「なんです?」

「いちどちゅうだんのきょかをいただきたいです。くつずれをおこしたようなので、そのてあ――」

「まぁ! 今の今! ご説明しましたのに、休みたいと仰るのですか!」


 どうしたら、その解釈になるのだ。

 『靴擦れを起こした』と。その部分は全く持って無視か??


「いえ、そうではなくて――」

「全く……。侯爵家のご令嬢という意識が足りていないように見えますね??」


 私は別に休みたいなどとは言っていない。ただ、靴が当たらないように応急処置の時間が欲しかっただけだ。

 会話をしているようで出来ていないこの状況、誰か助けて欲しい。


「…………」

「さぁさぁ、休んでるお暇などないのですから」


 嫌がらせの絶好のチャンスだと、本人よりも(違う意味で)気合いの入った家庭教師にげんなりしても私は悪くないと思う。


「はつげんのきょかをいただけますか、先生」

「? よろしくてよ?」

「ありがとうございます。――おことばですが、先生。先生はおけがを負われた場合、どうなさいますか?」

「意味の無い質問ですね。わたくしはそんなヘマを致しませんので」

「私の聞き方がわるかったですね。()()をなさった時、どう “いたしましたか” ?」

「……何が言いたいのですか」


 不信感に目を細めて私を見るルイーズへ、はっきりとゆっくりと丁寧に説明してみせる。


「お分かりになりませんか。では、くわしくお話しいたしましょう。さかのぼるとこ、いっしゅうかん前の出来事です。私は先生が足をくじいたと、父の前でふらつくのをもくげきいたしました。あのさい、先生は近くにいあわせたメイドに――」

「あ、あれはっ!」


 まさか見られているとは思ってもいなかったのだろう。

 顔を真っ赤にして言い訳を探すように目が泳ぐ。その刹那、ルイーズの顔はこの国では余りお目にかかれないマイナーな海の幸を茹であげたように変化した。


「す、過ぎたことを持ち出すなんて、意地の悪いっ!! 今私のことは関係ないでしょうに!」

「いいえ、かんけいありますよ。先生のあの日あのばでのおことば、いちごんいっく、私はおぼえています」


 私が目撃した出来事はこうだ。


 あの日、講義を終えて屋敷を出よう廊下を歩いていたルイーズが時間を同じくして帰宅した父と鉢合わせた。

 その時ルイーズはいかにも体調が悪いですと言わんばかりに、その場でふらつき父に撓垂れ掛かったのだ。


『あら、なんだか目眩が――』


 父は屋敷帰宅後も慌ただしくしていたため、(見るからにわざと)よろけたルイーズに気づくことなく足早にその場を後にした。

 ルイーズのよろける演技が下手だったのか、父の競歩が早すぎたのか失敗に終わったそれを、運悪く居合わせてしまい廊下の袖へ捌け道を開けていたメイドや従者の何人かは気まず気に目を逸らす他ない。

 そして、その状況(父に気付いてもらえず、それを下の者らに目撃されたという羞恥心)に耐えきれなくなったルイーズが叫んだ。


『――な、何を突っ立ってみているのよ! 足を挫いたのよ!? 侯爵家の使用人ともあろう者が、この家の令嬢のガヴァネスを無視するつもり!?』


 と、それはもう大きな声で。


「ふくしょう、いたしましょうか?」

「……ッ!!! いいえ、結構よ! さ、さっさと、手当てでもなんでもすれば良いわ!」

「ありがとうございます。では、おことばにあまえて、いちじせきをはずさせていただきます」


 身に覚えがあるらしいルイーズから言質を取った。

 文句の付けようのないカーテシーを見せつけて部屋を退出する。

 何も言い返せない彼女のあの今にも癇癪を起こしそうな顔といえば――まぁ、少しは溜飲が下がる。



「あれ? レティシア様、どうなさいました」


 扉横で控えていた護衛のトーリが驚いたようにこちらに問いかける。だが、すぐに私の足の異常に気がついて顔を顰めた。


「少しだけ足のここ、すれちゃって」

「すぐ医務室行きましょう」

「わっ」


 トーリが息継ぎなしに言い切ったと思うと、私の目線が途端に高くなる。

 トーリが私を抱き上げたのだ。

 ビクともしない腕に乗せられて移動だなんて、歩けない訳でもないのにまるで大怪我をしたような扱いだ。


「おおげさだわ」

「いーえ、大袈裟でもなんでもありません。その状態で歩いて、悪化でもしたらどうするんですか。――それにしても、あのガヴァネス。靴擦れを起こした靴そのままで追い出すなんて何考えてるんだ」


 彼の後半の言葉は独りごちただけだったのだろう。

 私に返事を求める様な言葉ではなかったので、私は何も返さなかった。が、心のうちは密かにじんわりと温かくなった。



ーーーーーーー


 トーリに抱き抱えられて無事到着した医務室では、屋敷に常在する医師のロニーが出迎えてくれた。

 

「おや、これは……」

「ひどい?」

「酷いですなぁ」

「そんなに?」

「えぇ。そんなに、です」


 視診から始まり、傷を負った時の状況の聴き取りがなされて触診に入る。靴を脱ぎ、足首の背を外気に晒したところ、思った以上に状態は酷かった。

 皮が捲れ靴に血がべっとりと付着していたからか、早速ロニーから苦言を貰うこととなった。


「一体、何時間履き続けていたのですか」

「そうね、ええっと。――よじかんと、にじゅっぷん、ぜんご……かしら」


 部屋にかかった時計を見ながら、指を折り曲げて時間を数える。

 数えてみれば、思った以上に履き続けていた事が分かる。


「「「四時間!?」」」


 床材を反射させるほど磨かれた子供用キトゥンヒールを四時間以上も履いていたことに、その場にいたロニーとトーリは勿論、医務室で合流したミアが揃って声を上げる。


「かっっっった! えっ、硬くね!? これ、何でできてんだよ」


 ヒョイとキトゥンヒールを持ち上げてぐにぐにと遠慮なく触るトーリが驚きの声をあげた。

 トーリの反応を見たロニーは不快感を示すように顔を顰める。


「一先ずこちらは今日以降お履きになりませんよう」

「れんしゅう用にって、ルイーズ先生がよういし――」

「よいですか、お嬢様。お嬢様はまだ育ち盛りの七歳です。足先が窄まった……しかも、騎士の彼でさえ硬いと感じるものを長時間もお履きになるのは、私が禁止させていただきます」


 ロニーが不快感を隠すことなく首を横に振る。


「私、燃やしてきます」

「えぇ……何もそこまでしなくても」

「いいえ。燃やします」

「そ、そう?」


 射殺しでもしそうな目付きで手中に納めた靴を見つめるミアが怖い。


「確かに、その方が賢明やも知れませんね」

「ロニー先生まで……」


 平和を愛するロニーがとうとう物騒な提案に賛同の意を示すので、余程のことに思えてきた。


◇◇◆◇◇



「お怪我を召したのにご機嫌ですねぇ。お嬢様」


 丁寧に巻かれる包帯をなんとなしに眺めながら思い耽っていると、ロニーが私に微笑ましげに話し掛けた。


「そう見える?」

「えぇ。何かいい事でも?」

「んー、少し」

「それは良かった」


 頭に浮かべていたことは、先程の授業での出来事。

 歩く動線にさり気なく出された足を華麗に避けた時のルイーズの引き攣った表情は傑作だった。

 貴族令嬢としての基本であるカーテシーやテーブルマナーも、回帰で引き継いだ記憶のお陰で彼女が難癖を付けられないほどに完璧だった。それら全てが、回帰前の当の本人(ルイーズ)に教えられたものなのだから皮肉なことだ。


「さぁさぁこれで大丈夫でしょう。今日の所は、湯浴みの後に一度包帯を取り換えることにしましょう。またこちらにお寄り下さい」

「わかったわ。ありがとう」

「いつでも頼ってくだされ。まぁ、怪我や病気とは縁がない方が本来は望ましいですがね」


 傷口が保護された事ですっかり痛みも引き、ミアがタイミングよく持ってきた新たな靴に履き替える。

 履き心地はルイーズから支給された物とは比べ物にならないほど良い。

 私の足にジャストフィットなそれを持ってくるあたり、流石専属侍女なだけある。


「ねぇ、ミア。あのくつは?」


 回収されたキトゥンヒールの行方が少しばかり気になり、興味本位で聞いてみる。

 燃やすと言っていたから、まぁ行先はひとつだろうが。


「焼却炉に突っ込みました」


 ですよね。

 ものに罪は無いので、若干の後ろめたさを感じながら頷くにとどめる。



 只今、時刻は三時を過ぎたあたり。

 さすがロニー医師の丁寧な診察は軽く一時間かかっていた。

 つまり、ルイーズを放置して一時間。

 ルイーズは勉強部屋に私以外が入室することを嫌う為、私がメイドらに指示をしない限りは誰も彼女の元を訪れることは無い。

 もっと言うと、ルイーズは部屋に自身の祝福サイレントで防音を施しているので、申告しない限り誰も気がつくことも無い。

 私が戻って来ない事にしびれを切らした彼女が部屋から飛び出してくれば話は別だが。


「レティシア様。行きと同じように抱っこで移動しましょうか」

「ほうたいもまいてもらったし、くつだってミアがよういしてくれたものだし、もうだいじょうぶよ」


 医務室を後にしてルイーズが待つ部屋への道のりで、心配そうに私を見つめるトーリと目線が絡む。


「じゃああの、俺も同席して良いですか?」

「ありがとう。でもえんりょしておくわ」


 ルイーズは他人の目があると大人しくなるので、証拠集めには向かない。

 トーリの言葉は気持ちだけ受け取ることにする。


「ですが…………いえ、かしこまりました」


 納得いかない表情のトーリと共に、私は勉強部屋へ急いだ。

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