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14 束の間の逢瀬。

 雲が掃け、満月がより一層輝き辺りを照らす。

 自分の背より塀が高いのでノーランに抱き上げてもらい、空気を斬る音が響き渡る演習場を見下げた。

 そして、私は一点へ目が釘付けになってしまった。

 彼の美しい髪がその優雅な剣捌きに合わせてふわりふわりと宙を舞う。


「お、やってるやってる」


 同じく演習場を見下ろしたノーランが読み通りだと満足気に頷いた。

 用心深く真下まで顔を覗き込ませて、よし、と呟くと満面の笑みで私に向き直る。


「お嬢」

「うん?」


 フワッと嫌な浮遊感を体に覚えた次の瞬間には、もう演習場にいた。


「!?!?!?!?」


 私の返事を待たずして、主を抱えた護衛騎士が豪快に飛び降りたのだ。

 高さは二〇メートルはくだらない。


「――お、おりる前に、何か言ってくれない!?」

「俺はここで誰かこないか見張っとくよ」

「ありがとう?!」


 未だに心臓がバクバクいっている私と対称的なノーランは呑気に任せろと胸を叩き、ウインクをする。


「お礼は、お嬢の絵でいいよ」

「……あなたのそういう所、きらいじゃないわ」


 「わかった」と返事をすれば、ノーランは小躍りを始めた。その行動は、彼の容姿と相まってとてもお茶目に見える。

 それにしても。

 足腰の骨にヒビ――否、骨折でもしそうな高さからの着地にケロリとしているところを見ると、身体強化を自身に施していたのだろうが……騎士恐るべし。


「あ! お嬢はまだちっさいんだし、夜更かしは身体に毒だから程々にね」


 ルキウスのもとへ歩みを進めていたところ、背後から張り上げた程度に抑えたノーランから声が掛けられる。


「はぁーい」


 歩幅は狭くとも着々と距離は縮まっていく。

 胸の内は爆発するんじゃないかと思うくらいに大きな音を立てていた。


 なんて声をかける?

 何を話そうか?

 頭は正常に回らない。

 胸元を押えながら、視線は前を見据えることが出来ず足元だ。


 月明かりで出来た塀の陰から私の足が、頭が、そして体が順に光を浴びた。


「こんばんは。僕のレディ」


 ノーランとこの演習場に降り立った時から、空気を斬るあの音は消えていた。

 きっと彼は私たちに初めから気がついていた。


「こんばんは」


 平静を装ったが故に、自分から出た声が鰾膠(にべ)も無い。

 思わずとった突っ慳貪な態度にハッとする。

 照れ隠しにしてももっとあるだろう????


 やばいどうしようなんて考えを巡らせていた私はある意味油断していた。

 足元に視線を落とし動揺を抑えるために両指を絡めていたら、カコンと木が落ちるような乾いた音が耳に届いた。


 私の手が同じそれの温もりに包まれる。


「ひぇっ」


 見上げれば神秘的な美しさを持つ彼の顔がそこにはあった。

 その距離まさにゼロと言っても過言じゃない。


「おっと」


 思わず背を反った私をすかさず支えるその腕は見かけによらず聢りとして危なげがない。


「近いうちに会いに行こうと思っていましたが、まさか貴女から来てくれるなんて――とっても嬉しい」


 取られた私の左手がそのまま彼の頬に持っていかれると、手の甲に擦り寄られる。

 か、可愛い。

 その姿はまさに大型の犬だ。


「ノ、ノーランがね? 連れてきてくれたのよ。私が貴方を引き取ったのに、なかなか会えないから……橋渡しをしてくれたの。気をきかせてくれて――」

「ルカ」

「へ?」

「 “貴方” じゃ嫌です。『ルカ』と。それじゃあ、よそよそしく感じる」

「あ、ああ! ええと、ルカ」

「はい、レティシア…………様。あと、僕の前で他の奴を褒めないで。ちょっと抹殺しちゃうかも」

「えぇ……それは、困るわね……」


 少し(?)物騒な物言いも可愛いと思ってしまうのは、末期だろうか。クスクスと笑い合いながら、穏やかな時間が流れていく。


「そうだ。渡したい物があるんです」

「なぁに?」


 そう言って彼は自身の首から下げていた小さな袋が着いたそれを私の手に納める。


「次に会った時にって思っていて」


 少し色褪せているがそれがいい味を出している上等な革の袋。中身は入っているのだろうが、何があるか分からないくらい軽く感じる。


「想像以上に早くそれが叶ったので……あ、待って。開けるのは、どうか部屋に戻ってから」

「分かったわ。有難く受け取るわね、ルカ」


 中身が気になって早速確かめようとした私の手を袋ごと握り込むことで静止させる。

 貰ったのは私なのに、なんと幸せそうな顔をするのだろうか。

 だからだろうか、聞くなら今だと思った。


「……次に会った時に、って言ったわよね。私も次に会った時に聞こうと思っていたことがあるのよ。答えてくれる……?」

「――それが我が姫の為になることならば」


 ルキウスの言葉にはどこか含みはあるが、私を真っ直ぐに見つめるその瞳に嘘はないように思う。


()()()、何故、無理に敷地内へ入ってまで私に面会を望んだの?」

「その日発行された号外を見たのです。広場がとても賑わっていて、少し路地から覗いていたら、それが足元に舞落ちた。姿絵に一目惚れして」

「えぇ、そうね。確かにそれは私も聞いているわ。でも本当にそれが理由? 一目惚れが?」

「新聞の姿絵の君は誰よりも気高く美しかった」


 恥ずかしげも無く言い切る彼に面を食らう。


「そして、実物の君は姿絵以上に美しく、愛らしい」

「あいッ!? え、っと、ありがとう」


 指の背で頬を撫でられる。

 自分の容姿が整っている自覚は勿論あるが、改めて褒められるとなると顔が熱い。

 しかも想い人に真正面からだ。


「ルキウス。もう一度だけ聞くわ」


 今度は私がルキウスの手を包み込む。


 決定的な事を避けるような受け答えに感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。


「理由は?」


 私がこうも粘るのにはワケがある。


 話は父がルキウスに剣先を向けた時まで遡る。

 父が激昂したルキウスの返答をあの当時私は知りえなかったのだが、あの場にいたオーリがこっそりと後日教えてくれたのだ。


 ルキウスは『侯爵家の姫は必ず僕をお望みになる』と言ったそうな。


 この言葉を聞いた時、父はこう思っただろう。

 ――どこから漏れた、と。


 私が夢に見た黒髪の男の子を好きになったこと(半分嘘な訳だが)を知っているのは、あの場に居合わせた少ない人間のみ。


 だからこそ、プリマヴェーラをよく思わない貴族家が仕向けた者だと考えたに違いない。


ルキウスが他家の送り込んだ間者ではないことを確信していた私と違い、父は侯爵家を守る為に疑わなければならない。

 それほどに無駄に敵が多いのが、王の側近である春の柱のさだめだ。


 事情(私が見た夢の内容)を知らぬハズの騎士らがああして私を必死に止めたのも、父のただならぬ雰囲気ゆえだったのだから致し方ない。静止を払って突入してしまったことは申し訳ないと今は思う。


 話しを戻そう。

 ルキウスが何故そう言ったのか。

 お世辞にも綺麗とは言い難い姿で現れた彼が、自信満々に父に啖呵を切ったのには理由があるはずだ。

 そしてそれは、私をある仮定へと導いた。

 彼は私と “同じ” ではないか、と。


「――会わなければと、そう思った」


 辛抱強く待てば、ルキウスはポツリとそう零した。

 零れたその言葉には、確かな強い意志を感じた。


()行かなければ、後悔してしまうと。言い様のない、焦燥感に駆られた」


 私たちの手は重ねられたままだ。

 彼の手からさっき迄無かった明確な熱が伝わってきた。


「これを……言葉にしていいか、まだ分からない。だから」


 ルキウスは私に目を合わせて、私が痛くない程に力を篭め私の手を取り直した。


◇◇◆◇◇


 同じくその頃、短い時間の逢瀬を楽しむ二人を少し離れた場所から見守っていた彼女の騎士はその光景に驚倒していた。

 あれではまるで、同僚の侍女が愛読する本の主人公たちのようだ。そう、年齢設定が十代後半で――。


 視線の先の二人が十二と七の少年少女のようには護衛騎士の目に到底映らなかった。

 もはや妙齢の男女の幻が見えるような気さえする。

 そんな馬鹿な。

 目を擦り、頭を振る。


「いやいや……あれだ、そう。訓練で疲れてんだよ。だから、そんな風に見える。うん、そうに違いない」

「ノーラン?」

「う、うわあああああああああああぁ?!?!?」

「!? しぃーーーーーーッ」


 ノーランの叫び声が反響して辺りに響き渡る。


「あ、お、お嬢」

「どうしたの? ゆうれいでも、見たみたいなはんのうして」

「い、いやぁ~。あははは……えっと、もう良いんですか?」


 何かを誤魔化すように頭を搔きながら話を逸らすノーランを不審に思うが、まぁ問い詰める程じゃないかと大人しく彼の質問に答えることにする。

 時間にしてまだ十五分足らずしか経っていないのだから、ノーランの疑問も当然だ。


「えぇ。かれはしんしなの」


 というのも、私はもう少しここに居るつもりでいた。七歳の私を夜更かしに付き合わせる訳にはいかないとルキウスが私に帰るように促したのだ。


「ふむ。なるほど」


 あまり分かっていなさそうな表情で納得の意を示すノーランに苦笑する。

 訓練用の木刀の手入れを始めたルキウスをそっと視界に入れる。彼にはもうこちらを気にする素振りはない。

 手渡された革の小袋を無くさないように胸に握り込む。

 会えただけでも良しとしよう。


「まんぞくしなきゃね」


 自分の足りないと訴える心の声に蓋をしてノーランを伴い部屋へ戻る私は、その()背に掛けられた小さな声に気がつくことは無かった。


「おやすみ、レティシア」


 愛しい人へ向ける甘やかな声が人知れず夜の空に溶ける――。

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