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11 嵐の前に。

「では、次は――」

「レティシア」


 授業の終了時間にはまだ少し早い時刻にノックもなしに乱入してきた人物から声がかかった。


「ちょっと! ノックもなしに無礼ですわ! 一体、何方……っアル様!!!!」

「お父さま。あわてて、どうしたのですか?」


 指導中に第三者の入室を嫌うガヴァネスが乱入者に牙を剥くが、それが父と気付くといなや一度顔が強ばり、次の瞬間には黄色い声を上げて態度が百八十度変わる。


「まあまあッ! こちらには、どうして?」

「レティ、おいで。授業はここ迄だ」


 一直線にこちらへ歩を進めた父は「おいで」と言われて反射的に手を伸ばした私を抱き上げて踵を返す。


「えッ!? お、お待ちを!」

「外せない用が出来たんだ。授業よりも重要な、ね」

「ここで中断されるとお嬢様の教育に滞りが――」


 父がルイーズの言葉を手で制した。

 その際向けられた父からの笑みにルイーズはぽっと白い肌を赤らめるが、私には分かる。

 父が笑っていないことが。


「否、うちのレティシアは急いで詰め込まなくても、十二分に間に合うほど賢い。――ルイーズ嬢、君にはこの子のガヴァネスをもう二年も務めて貰っているね?」

「は、はい」

「屋敷の全ては女主人である妻の管轄下にあり、子供たちの教育面でのガヴァネスの報告書ももちろんそうだ。しかし、私がその詳細を知らない訳では無い。()()()()()現実との齟齬がないようにしてくれよ」

「ッ…………」


 父の有無を言わさぬ物言いに、彼女の目が泳ぎ言葉を詰まらせる。


「この話は念頭に置いておいてくれ。次は無いからね。――さて、今日は帰ってくれて構わない。こちらの都合で授業を中断させるからには手当は出すよ」

「あ、あのっ! ではっせめて、何故中断されるのかだけでも理由を――」

「何故だ?」


 父の言葉の端々にあるトゲに気が付かぬのか、ルイーズは尚も食い下がろうとする。


「えっ、な、何故って、私はお嬢様のガヴァネスで」

「すまないが、一族でもない君に話すことは無い。何か勘違いしているようだが、一介のガヴァネスにそんな権限はない。まるで一族の仲間入りでもしたかのような振る舞いだが――ルイーズ嬢、君はもっと賢明な人だと思っていたよ」


 ルイーズは部外者だ、と。要約すればそういうこと。


「愛娘を任せているのは紹介あっての事。君の変わりはいくらでもいるのだから」


 父は彼女に釘を指した。


「橋渡ししてくれた仲介人の顔に泥を塗る言動は控えた方がいい。いずれ自身の首を絞める」

「私は、そんな、つもりでは」

「どんなつもりだろうと別に興味は無いが」

「ア、アル様……な、何故」


 口も挟めぬ怒涛の批難を受けることになったルイーズがなんだか少し気の毒だった。

 ほんの少しだけ。


「――ルイーズ嬢がお帰りだ。見送りを頼む」

「はっ」


 彼女は読んで字のごとく顔を青く染めてしまうと、そのまま力なくその場にへたり込んだ為、父と共に入室していたフットマンに腕を支えられての退場を余儀なくされた。


◇◇◆◇◇


「お父さま。外せないようじとは、なんのことですか?」

「あぁ、お前の服を選びに今からフラゴーラに母様と父様とお出かけだ」


 フラゴーラとは、我がプリマヴェール侯爵家御用達のブティックの名前。


「え? 今からですか??」


 頭の上に疑問符を浮かべた私に父が真剣な面持ちで口を開く。


「父上――お前のお爺様のことなのだが」


 ブティックの話から途端なぜ急に祖父の話になる。

 関連性が一切分からない。


「おじいさま……」


 そして、その名前を聞いてフラッシュバックするのは、祖父の突然の訃報。

 祖父毒殺事件は私が十二の時のことだった。

 そもそも回帰した現在の時間軸はその出来事より五年も前。

 という訳で、今の祖父は隣国アイオットへ赴いているタイミングだ。詳細は知らないが。


「おじいさまが、どうかなさいましたか?」


 まさか、早まったのか。

 かの出来事が。

 原因を黒幕を突き止める間もなく、また易々と毒殺の成功を許してしまったのか。

 父の顔に回帰前の訃報を受けた時のような悲壮感は無いが、思わず息を詰める。しかし、続く父の言葉にすぐに緊張が解れた。


「もうすぐ帰国なさるんだよ」

「ごきこく、ですか……」


 良かった。違った。

 回帰前の道筋を辿るとすれば、祖父が帰国するのは今からまだ半年も先のことなので、回帰前とはまたもや展開が異なることとなってしまった。

 良いのか悪いのか。


「よていではもう少し先では?」

「レティシアが祝福の儀式を終えたから急遽、ね」

「なるほど」


 何故わざわざ。

 回帰前は()()()()()で帰っては来なかったのに。


「お前はお爺様が苦手だね、レティ」


 私が密かに体を強ばらせたことを、父は見逃さなかった。


「えっと……」


 ヨハネス・リマヴェーラ、御歳六十八。

 厳かな出で立ち、隙を一切見せない立ち振る舞いをする人。

 国の重鎮として王を支える一柱だったため、息子夫婦に第一子が誕生するや否やあっさりと当主の座を退いてしまったことは社交界を大いに驚かせた。

 その後は、妻――私からすれば祖母――の墓碑が建てられた離れでご隠居生活を送っている。


「あの人は己にも他者にも容赦をしないからなぁ」


 侯爵時代は《春の粛正者》と名がつくほど恐れられる存在で、社交界でのその畏怖具合は隠居した今なお健在だ。


「アシェルが受けたお爺様直々の指導は幼いお前には、特に厳しく映っただろう」


 父が「レティはあの時泣いていたもんなぁ」と目を細めて思いを馳せる横で私が思い出すのは、まさに童話の魔王のような祖父と対峙するアシェルを目撃した五歳の頃のこと。

 あまりの形相に泣きじゃくって母の胸に飛び込んだのが懐かしい。



『よいか、アシェル』


 気まぐれに本邸ヘ顔を出した祖父からのスパルタな後継者教育が、七歳を迎え儀式を終えた年からアカデミーに入学するまでアシェルには行われていた。


『我がプリマヴェールは “春の頭脳” などと呼ばれておる。どの家門よりも賢く気高く在れ。陛下の未来の一柱として行動には責任を持て。そして、侮られるな』

『はい、お爺様』


 そして、アシェルは祖父の期待に応えた。


『お前なら大丈夫だろう。信頼出来るものをアカデミーで一人見つけろ。我が家の傘下でなくとも良い。味方も場合では敵となりうる。祝福を最大限活用しなさい』


 祖父のお墨付きを頂戴したアシェルはアカデミーの入学後、早速頭角を現した。


 そして、私はというと。


『レティシア。お前は祝福を得られなかった』


 回帰前の人生で祖父にこの言葉を言われたのは、祖父が帰国してから半年後――つまり儀式からは一年が経過していた頃。私がもうこれ以上ないくらい心の内がやさぐれていた時期でもある。

 アシェルが進学試験で初等部から中等部への首席通過が決まった祝いの席で、何故、態々、今更、傷を抉るようなことを言うんだこのじじい、と当時は思ったものだから忘れもしない。


『無条件にお前を守ってくれる者らとの縁が永遠と思うな』


 両親は祖父の言葉にただ困った様に笑うだけ。


『……分かっています』


 子を崖から落とす獅子のような物言いの祖父も、助け舟も何も出さない両親も、無関心な兄も――みなが敵に見えた。


『いや、お前は分かっていない。 “無能” は “無能” なりに知識をつけ自分で自分を護らねばならないのだ』


 ぶっきらぼうな言葉の裏に確かなる愛情があったことは今なら理解出来るが、当時は自身を守る術を教えられることは、即ち一族として『役立たず見込みなし』と言われたも同然だった。

 見捨てられたと感じ、じゃあ自力で身に付けてやる! とアカデミー入学を拒否して余計にガヴァネスのルイーズとズブズブになったのは言うまでもない。


『今のお前にはハンデが有り過ぎる。それを忘れるな。忘れてはならない』


 根に持っていた祖父の言葉たちの真意を両親の表情を正しく理解できるようになったのは、それは祖父が亡くなって随分と経ってからで――酷く後悔したのを(おぼ)えている。


 今回無惨にも命を散らせた一因として、自身の驕りがあった。その失敗を無駄にしてはいけないと強く思う。


「レティシア。お爺様が帰ってきたら、帰国祝いの夕食会を開く」


 夕食会。回帰前にはなかった出来事だ。


「その場で、お前の祝福の事について話をするからそのつもりで」

「しゅくふくのけっかがわかったのですか?」

「あぁ、詳しくはお爺様が帰ってきてからだよ」


 『祖父の帰国祝夕食会』で、『私の祝福』の話をする。

 出来れば、どちらか一方ずつ捌きたかった。


「お爺様が国王陛下への謁見を済ませてからになるだろう。早くても明後日以降。それまでに心の準備をしておきなさい」


 祖父の事は回帰したいま苦手ではないが対峙するとなると回帰前と合わせて十数年ぶりの再会は緊張する。

 祝福の話は “無能者” だと再確認して苦い思いを味わうことになるだろう。


「分かりました」


 回帰前とは時も場も違う。

 さてどうなるか。

 父の言葉に私も引き締まる思いだ。

 心の準備をしなければ。


「よし。それじゃあ、服を選びに行こう」

「あっ、はい!」


 本題をすっかり忘れていた私だった。


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