09 早まった邂逅 その二。
「――今、なんと言った? 少年」
耳に届いた声に父の言いつけを破り、あらぬ方向を指さして叫び思わず走り出す。不意をつかれた騎士たちが私に遅れを取る。
「あ、ちょっ! レティシア様!?」
猫のようにするりと騎士たちの手を掻い潜ったことで、小さな身体に翻弄された彼らは出入口で大渋滞を起こしている。
そんな彼らを他所に、まるでハリケーンでも通った後かのような演習場に足を踏み入れた。無惨にも崩れ落ちた壁と散乱した木刀や弓等の諸々の武器、屍と化した騎士たち、それらの中央には、仁王立ちの父と騎士団長により地面に押さえつけられた “あいつ” と思わしき子の姿があった。
もはや地面にめり込んでいるように見えるその子はボロボロの麻の服を身に纏い、そこから覗く手足は泥だらけで傷だらけだった。
土埃が舞った跡があることから、かなり抵抗したことが見て取れる。
団長に後頭部を鷲掴まれて地べたに張り付けられている状況下で、未だ起き上がろうと抵抗の意を示すその少年に私の目は釘付けになった。夕陽に照らされたその少年の髪は漆黒を纏っていた。
私の視線を感じ取ったのかハッと顔をこちらに向けた少年と目が合った。
その瞬間、時間が止まったかのような感覚に襲われた。まるで世界に私たち二人だけかのような――。
「ルキウス……」
無意識的に呟いた。
見間違えるはずかない私の何よりも大事な人。
会えるとは思っていたが、回帰前の人生より二年も早い出会いに動悸が早まる。前回は場所だって公爵領内とは言えど、ここではなく街中だった。
なぜ、どうして。
聞きたいことは無限にある。
前倒しになった出逢い。
こんな状況じゃなければ涙を流して抱き着くような場面だった。こんな状況じゃなければ。
「レティシアさま~、一度戻りましょう……て、ああぁあ!」
追いついたギリアムが恐る恐るというように声をかけながら、私の視線を追う。侵入者とバッチリ目を合わせてしまっている状態と、七歳には刺激が強かろうショッキングな光景が広がっていることに慌てふためき、その鍛え上げられた身体を屈め視界を遮る。
厚い胸板しか見えない。
「あれはレティシア様には良くないです!!」
「だいじょうぶよ」
「い、いえ! いいえッ、だいじょばないです!!」
動揺しすぎてギリアムの言葉使いがおかしい。中身は二十歳なのよ? なんていう主張も出来ず、頬を膨らます私にギリアムも駆け付けた騎士たちも頬が緩む。
ちょっと、ここ和むとこじゃないんですけど??
「――もう一度言ってみろ」
「アルフレド様!!」
押し問答をしていると、カイオンの焦り声と共に鞘からソードが抜かれる金切音が耳に届いた。前方にまたもや肉壁を作った騎士たちの隙間から見えたその光景に、私が駆け出した先は父と剣先を向けられたルキウスの間。
父の頭へ完全に血が昇っているのが見て取れる。
なんせ、先程までルキウスの体を押さえ込んでいた団長までもが暴走間際の父を宥める側に回っているのだ。
非常にまずい。
うつ伏せから状態を起こした少年は片膝を付いた体勢で喉に剣を突き付けられている。
その間に滑り込んで両手を広げる。
「レティシア、待っていなさいと。呼ぶまで来てはならないと、言っていただろう?」
「ごめんなさい」
「そこを退きなさい」
「イヤです」
「「…………」」
父の目が据わっている。一体ルキウスは何を言って怒らせたんだ。
割り込んだところで、さてどうしたものかと考えを巡らせているとドレスの裾がクイッと引かれる。
振り返れば、私が好きだったオニキスの色を持つ瞳が暖かく輝いている。柔らかく微笑んだ彼からは最後の記憶よりもずっと幼い声が発せられた。
「僕を拾ってくれませんか?」
流れるようにドレスの裾へと口ずける姿は洗練されていた。土埃を全身に被った姿が気にならない程にとても美しく映り、私は息を飲んだ。
だが同時に、父の形相に全く動じず、最早眼中に無い様子のルキウスにダラダラ冷や汗が出てくる。
「僕じゃ……だめ、ですか?」
一触即発の場面でそれを言うか!?
今!? 今それを言うのか!?
否、今じゃないだろう! と、ツッコミたいのをグッと堪える。
錆びたブリキみたく父に向き直って、彼の懇願は一旦聞かなかったことに、する。
「お、お父さま。ル――この子、まだ幼いのにもんをとっぱして、ここまで来たのでしょう? このまま元いたばしょに帰してしまって、きょういとなるより、こうしゃくけでそだてた方がゆうえきではないですか?」
明らかに元いた場所には戻す気がなさそうな父に向かって、とりあえず一息に案を出す。
「いや、この世から抹消する道もある。灰も残らない。それなら脅威にもならないだろう」
返答が早い、そして物騒。
非常に物騒だ。
子供にも容赦がない無慈悲さに、皆が青ざめる。こうなったら、アレしかない。
「お父さま。今日は何の日ですか?」
「え? っと……」
「わたしのたんじょうびです!」
「ん!? うーん、と? いや過ぎて……」
「ぜんごすうじつもふくまれるので、たんじょうび月はフィーバータイムです!」
「えぇっ!? そうなのか!? そう……そうだな? レティシアの誕生日……?」
少々、否、かなり無理のある主張だったが、父は私のことに関しては阿呆になるので、それが幸を成した。
その証拠に、周りの騎士たちは宇宙にゃんこ状態だ。
「そうです。私のたんじょうびです。なので、私の言うことはゼッタイです。なので――」
「! 待て! ダメだ、ダメだぞ。それは許可できない」
何かを察した父が顔面蒼白にソードを手から落として首を振る。凄い。流石、親子だ。以心伝心もばっちり。
だが、ここは私も譲れない。
この機を逃せば、出会うはずだった本来の時と場所でルキウスと再会しても、その時きっと父は受け入れない。それこそ連れ帰ったが最後、本当に抹消してしまうだろう。
片眉を上げる団長と「あ」みたいな表情をするオーリとトーリ、珍しくカイオンも視界の端に映る気がするが、私はそのまま突き進む。
「わ、分かった! 灰にはしな――」
「この子を私つきの見ならいじゅうしゃにします」
「ダメだ!」
「はじめにお父さまが言ったのですよ。今日この日は私の言うことはぜったいだと! さいわい私には、ごえいきしはいれど、じゅうしゃはいません」
「侍女がいるだろう!」
「兄さまは、じじょもじゅうしゃもいます!」
「うぐぅ……………………うぅ、わかった! だが、お前の傍だけは絶っっっ対ダメだ。アーロン! こいつのことはお前に全て任せる。当主の私に楯突くくらいだ、見込みはあるだろう。徹底的にしごけ」
「拝命されました」
騎士団長が一歩前へ出て頭を垂れる。
一か八かだったが良かった……誕生日月強いな。
ゴリ押しして父が動揺していてくれたおかげで何とかなった。
これで言質は取ったことになる。
父が私に関して阿呆で良かった。
「初めまして、僕のお姫様。ルキウスといいます。歳は十二だ。覚えておいて下さいね」
奇跡的(?)に大人しく、事の成り行きを見ていたルキウスが口を開いた。
私がこの場に現れてから今この瞬間まで、彼の目には私しか映っていないようだった。
「……レティシア・リマヴェーラよ」
“初めまして” か。
本来より二年も早く彼の姿を見れたことで私と同じく記憶を持っているのかと期待していたのだが、そうではなかったらしい。
少し寂しく思いながら返事を返す。
てっきり会いに来てくれたのかと。
態度といい、所作といい、引っかかる所はまぁあるが、そんなに都合がいいことが起こるはずもない、か……。
「いずれ必ず貴女に侍るから、それまで待っていてください」
は、侍る。
騎士の誓いのポーズをとったルキウスは私の指先へ唇を落とす。
ドレスの裾から手の指。
この短時間で距離の詰めようがすごい。
恭しく手を取り口付けるまでの一連の動作はそこらの騎士に引けを取らぬ、板のつきようで。
「わぁ」
思わず腑抜けた声が出た。
あれ、ルキウスってこんなキザなこと出来たっけ……?
回帰前、拾った彼の当時の年齢は十四で……いや前の人生での彼はこんな感じじゃなかった、はず。
もっと初々しさがあった気が……。
十二歳の彼からダダ漏れる色気にあてられる私の後ろでは、困惑半分好奇心半分で囃し立てる野次馬とは別に何かが噴火するような熱さを感じる。
「却下あああああああああああ」
父の悲鳴とも取れる怒号が辺り一帯に響き渡る。
それは、広大も広大な敷地面積を誇るプリマヴェール侯爵領の端の端にまで届く程のものだった。
まさか領主の声だとは、領民らは露知らず。
「レティシア様――僕の全て……」
とりあえず。
早期再会を果たした(元)従者の様子がなんだかおかしい。
……え?
……なんでだ???




