お兄ちゃん想いのディファストロ
妖魔の力は満月に頂点となるもので、竜に変化したユージーンは幻覚に威嚇し、幻聴に唸りをあげるから、結界の鎖で縛るのだという。
「だからといって、鉄格子ごと湖に沈める必要があるの?」
「月が欠け再び眠りにつく間だけ」
そこに共存の選択はなく、支配した結果だと伝えることに意味はない。
「竜を捻じ伏せるには銀の力が必要だった」
寮塔名が無い入学許可証の意図はそれで、しかし盟約という厄介が付いてくるとは思いもよらないことだろう。
「私にとっては棚からぼた餅だけど」
ユージーンがエボルブルスである限り、国を人質にするという「ぼた餅」だ。
チリンと鈴が鳴って、交代のロレッツァがスイカを担いで来る。
「わっ、この季節にスイカ!」
「ふっふっふ、貴族御用達の超早場スイカだぞ」
「ガラルーダさんから貰ったの?」
「当たり。いいよなあ、お貴族さま」
「いいねえ、お貴族さまのお友達」
理想のポジションねといえば鼻高々である。
「たらふく食べて昼寝だ。夢渡りに引きずられるなよ」
竜の巨体を通そうと夢路をぐんと広げたことで歪みが生じ、うっかりすると夢に転がりそうになる。黄色が魂魄の離脱を見張っているが、深い眠りに入る度に起こされるから、ここ数日眠った気がしない。
「ロレッツァと初めて会ったのは夢渡りだったね」
窓辺で餌を啄む小鳥の夢を渡ったのが、初めての夢渡りで初めての外出だった。
「ミミズを啄むのを全力で拒否する小鳥だったな」
「うげっ」
小鳥は小鳥らしく畑のミミズを啄もうとしたが、同化しているイリュージャは首を仰け反らせており、雑草を抜いていたロレッツァにとらわれた。
夢渡りだと気付いたロレッツァとスイカの一番甘いところを食べ、人の姿で会いに来いと空に放たれた二年後に人の姿で再会したのだ。
ロレッツァの膝に頭を乗せれば鉄錆がツンと鼻を掠めて、付き合いばかり長いけど、私が知るのはほんの一部なんだと思った。
▽
▽
満月にディファストロが不機嫌なのはいつもだが、今回は一段と不機嫌である。
「僕のジーンが銀の魔女と密談したんだよっ」
話す相手は使役魔のリヴァンで、キュウと困ったように相槌を打った。
魔力を搾り切った滝の結界は治癒のジャマにしかならず、神様から頼まれましたで始まるロレッツァの説教は、
「ジーンさまもディファさまも宝物です」
そんなふうに優しくて、泣き止むまで抱き締めて、泣き止んだところでニコリと笑った。
『だけどね』
泣き止むのを待っての説教を寝たフリでやり過ごそうとしたら、翌朝は妖魔オイワサーンみたいな顔でチクチクと釘を刺すから威力は倍増し、逃げるように登校したものの、城のカタスミにある金のエンジェル像と王家のオドリウマーンを持ち出したことに雷が落ちた。
ユージーンから銀の魔女と会ったと聞かされたのはその直後で、ハクハクと呼吸困難に陥って、
「ディファ、ハクハクするとまた嵐を呼ぶぞ」
小さい頃、ディファストロのハクハク(魔力暴走)で城の一部が崩壊し、別邸での生活を余儀なくされた国王は、一年間通勤ラッシュを経験した。
いや待てよとユージーンは首を捻る。
「濁流が城に押し寄せたのはハクハクでなく地団駄だっけ。侍従にスイマー技能検定が必須になったアレ」
側仕えの皆さんが逆三角体型なのは、癇癪王子の珍騒動から王を守るためで、技術向上用に訓練プールが併設された。
最近は物損被害は減ったけどと、ユージーンは遠い目をする。
「『甘酢タコが力みなぎるタコさんにすり替え事件』は記憶に新しい」
「父上がジーンを学校に入れないっていうからだよ」
「タコが狙ったのは父王でなく俺だがな。吸盤に奪われた唇は苦い思い出だ」
給仕がクローシュを開けた途端、活きのいいタコさんの8本アシが、ユージーンの顔に巻き付くや否や、
『ぶっちゅうぅぅ~ちゅぱっ』
世にもおぞましい光景を見るとは誤算だった。
「だから大人しくしておくこと。いいね、ディファ」
そう念を押して、ユージーンは行ってしまった。
キュルとリヴァンが喉を鳴らし、廊下にいた生徒たちがざわつきはじめる。
「ガラルーダさまがいらしたわ!」
弾んだ声が教室まで響いて、窓という窓を生徒が埋め尽くした。
「黄金の髪がステキ」
「軽鎧であるのに凛々しいな」
令息は家と騎士団の繋がりを自慢げに話し、令嬢は髪を整えたり制服の皺を伸ばしたりといじらしく、ああバカバカしいと眉を顰めて席を立った。
▽
「ご無事で安心しました、ディファさま」
ガラルーダが鎧を纏ったままなのは、ディファストロが気を失った報せで洋館から直行したためだ。
「ああ。銀の魔女のせいでひどい目にあったよ」
無断で結界に侵入しようとし、イリュージャに弾かれ気を失ったことに反省の色は無い。
『他人の家に押し入ったら、扉をドンと閉められても当然でしょう?』
イリュージャによればそんなふうで、命に関わるものではないという。
「銀を刺激せぬように。あれほど周到に用意した邂逅ですら・・」
その先を察したディファストロの片目が金に変わる。これは魔力暴走の兆しで、ガラルーダは呪いの瞳を素手で覆って大気と遮断したが、衝撃は腕を伝って肩を裂き、骨がギシギシと軋む音に顔をしかめた。
『ルウルルウ』
リヴァンの歌声が、大気と遮断されたディファストロを正気に戻す。
「ジーンさまはお元気です。想定外はあったが計画通りですよ」
マントで腕を覆ったガラルーダだが、床に血が滴り落ち、リヴァンの喉元は興奮を示す赤に染まっている。
「だから早退してジーンさまの見舞いにいきませんか?」
『お前がそんなだから、甘ったれ王子になるんだよ』
長い付き合いの宰相どのは叱るだろうが、この学び舎には血も涙もない生き物オタクがいるのだから、リヴァンの生命を最優先したと言えば、返す言葉はないだろう。
▽
ユージーンの竜は夢うつつのまま竜の言葉で歌い、少しの間だけ人の言葉を話す。
「湖底の鉄格子。あれは俺の夢なのか?」
「夢渡りでないあなたに夢は渡れないから、あれは竜の夢よ」
「それは竜が俺の一部だということか?」
「どうだろう。私にはどうでもいいことだから分かんない」
「こら、イリュージャ。病人と怪我人には気遣いをするもんだ。それに夢はしょせん夢です。この話はおしまい」
季刊誌『おいしい野菜はいい野菜』を閉じたロレッツァに、ユージーンの竜は不満そうだ。
「ロレッツァがただの農夫なら不敬罪でしょっぴかれるよ。農夫のフリして本当は何者よ?」
「俺は生まれた家が農場だから農夫で、就職したのが城だから騎士で、牧師はフリだ」
「なんてややこしい。マトモな牧師でないのは知ってたよ。地精霊が隠した立派な剣を見せては、『強いのぉ、偉いのぉ』って自慢してたからね」
精霊はなんでも知っているうえに口が軽い。
「つまり牧師のフリした生粋の農夫で偉い人だ。あれ?騎士はどこにいった?」
指折り何か数えるロレッツァを、ユージーンの竜が笑う。
「テンポがいい。北の最終兵器の魔女と相性は抜群だ」
「うわっ、それ禁句!」
ロレッツァはイリュージャの表情をソッと窺い、目が合うと逸らした。
「ふん、不穏なワードは聞かないのが主義で、関わるなと私の第六感が警告してる」
「いいぞ、第六感。事なかれこそが平凡への第一歩だもんな」
ごまかし切ったと安堵するロレッツァに、イリュージャはこれみよがしの溜息をつくのだった。
▽
▽
「『使役魔実技検定修了証明取得のお知らせ:学校長』」
登校したイリュージャは、掲示板の三日前の告知を口に出して読む。
これは妖魔を使役する全生徒向けの告知で、実技指導の希望日を、期限までに提出するようにと書いてあった。
「掲示板さん、ありがとう」
魔法の掲示板は一限目の王国史の教室でイリュージャを待っており、読んだと確認すると、次のターゲットへ向けガラガラガラと滑車で疾走していく。
「読むまで追い掛ける掲示板らしいよ、黄色」
「不快であれば木屑にしてやるぞ」
「どちらかといえば愉快かな」
次のターゲットは、今日から登校したユージーンに違いない。
「実技検定か、目立ちたくないなあ」
「お前の非凡を知るシャラナ先生に相談してはどうだ」
「ややこしくなる予感しかないよ」
黄色はお世話になっているガラルーダを警戒するが、根拠なく私を絶賛するシャラナ先生に対して友好的で、まさに過保護が成せる曇りメガネだ。
バサリと窓辺に下りて来たのはユージーンの手紙鳥ポッポで、ポーと鳴いてメモが括られた脚を伸ばした。
「今日の放課後に検定を受けないかって書いてある。それと掲示板に三人轢かれたって」
公務の掲示板だけあり、任務遂行の手段は選ばない。
▽
王国史の授業に他学年が多いのは、現役吟遊詩人先生のファンが殆どを占めているからで、講義は芝居仕立て、教科書は台本と個性的な授業が大人気。
「そーれぇぇぇ~は、きーけーんっっっ~かも~♪」
しかし叙情を表現する演出が長く、授業中に顛末まで辿り着かない。
エボルブルス王国はLvMAXな王さまによって建国され、その圧倒的なカリスマ性に、先住の美魔女は降伏して平和譲渡が成された。
初代の王さまは城を失くした美魔女を憐れに思い、魔女といえばやっぱり黒だと美魔女をカラスに変えて空へ放つ。
先住の民は慈悲の御心に涙すれば、頭上でクァークァーと元美魔女カラスが旋回したという。
「ハタ迷惑でしかない行動は、カタスミ違いの王子さまに遺伝してる」
眉唾物の建国物語も、ディファストロを見る限り信憑性が増す。
「育ちは良いが、察しが悪いのは兄へ遺伝だな」
全くその通りだと遺伝の不思議に思いを馳せていたら、いつの間にか眠っていたようで、
「イリュージャ、スタンディングオベーションだ」
ハッと目を覚ませば、満場総立ちで割れんばかりの拍手に目が丸くなり、来年はこの授業を取るのをやめようと誓った。
▽
使役魔の実技検定会場へのお誘いにやってきたユージーンは、教室の片隅で剣の手入れをするイリュージャに首を捻っている。
「この剣が短いのは、私の背丈に合わせてあるからよ」
「そうか。ところで、」
「特注品で驚くほど高いの。子供の成長に合わせたサイズ展開が欲しいところよね」
なぜ剣の手入れをしているのか、侯爵令嬢がなぜ剣を特注する必要があるのか、そもそも自分が常識に疎いだけで、これが普通なのかとユージーンは混乱している。