竜のハンブンくん
イリュージャの平穏な学校生活はたったの一日で、赤い天幕の荷馬車を従えたカタスミ違いの王子ディファストロがやってきた。
「おはよう、特別な子。王家の秘宝をご覧あれ!」
天幕の紐を引けば、ピカーンと金のエンジェル像が鎮座しており、
「さあさ、ご拝謁だよ!」
パチンと鳴る指を合図に、金銀財宝をたんと担いだお馬さまが鈴の音でカッポカッポと踊り出し、その後ろからカッポカッポとシャラナがあらわれた。
「はて?このように馬面の生徒がおりましたっけ?」
「ふふふっ、このお馬は『オドリウマーン』、当代のプリマドンナでーす」
今の内だとイリュージャは逃げようとしたが、シャラナ先生と目が合って、
「そういう生き物です」
期待に応えるべく、蚊の鳴く声で呟いた。
「イデア・イリュージャ、パーフェクト!さて、馬の急所は歯茎でして」
ステッキを馬の歯茎に引っ掛けブンブンと振り回したものだから、ビックリ仰天したお馬さまはヒヒーンと嘶き逃げ出した。
「なんの騒ぎだ?・・うわっ、またアンタか!」
騒ぎを聞きつけたナクラがオドリウマーンの手綱を掴もうとすれば、待ちたまえとシャラナが止める。
「助言だ。王家のプリマドンナに傷をつければハリツケ刑、逃がしたら極刑、背に乗ったら嫁入りです」
「助言の要素がない!」
こうして本日も、ナクラはシャラナの尻拭いに奔走するのである。
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オドリウマーン捕獲のため午前の授業は休校になって、トンガリ屋根のおうちに戻ったが、洋館で結界構築をする魔法使いの気配に黄色はずっと機嫌が悪い。
「滞在者のための結界構築だって。トンガリ屋根のおうちに干渉したら、頭からガブリの約束よ、ガラルーダさん」
本日も燦然と輝く黄金の髪と真珠色の鎧のガラルーダである。
「この家だけ除く展開が難しく、領域の一部解放を・・」
「ガブリ」
歯をガチガチすれば困り顔をしたが、しかし魔力が重なれば路が繋がり、魔力強弱の法則で危険なのはそちらだ。
だからこそとイリュージャは言う。
「黄色を崖底に縛った魔法使いを、うっかり世界の裏にも投げ込める」
「もう昔々で生きてはおらぬだろうな」
『ハ-イハーイ!精霊の理なら、子々孫々七代先まで復讐オッケーよ!やっちゃう?』
畑に種を撒く地精霊が目を輝かせ、ガラルーダは交渉を諦めた。
▽
再開された午後の一限目は薬草学基礎だ。
教室に祭壇があるのは薬草栽培のためで、教材の栽培キットから種とコケの肥料を取り出す。
「教会以外でこの種を植えてもタンポポになるらしいよ」
試してみようと一粒ポケットにしまえば、集中しろと黄色に叱られた。
「片頭痛がするんだもん。カタスミ違いの王子さまがいるんじゃない?」
周囲を見渡せば、紺青色の髪の少年が手探りで肥料の栓を抜いている。
「カタスミ違いじゃないほうの王子さま。目が見えないの?」
「暗いとね。隣で作業をしてもいい?」
今日は牙も鱗もないが、入学式の前日に会ったハンブンくんだとわかるのは、あの妖魔の気配がそこにあるからで、人の脳では妖魔のずば抜けた視力を解析できず、見えないのでなく見ることができないのだ。
手探りで種を撒いて肥料を施す動作は慣れており、きっと長い共存状態にあるのだろうと思った。
「いい肥料ね。地の精霊が嬉しそう」
「凄いだろう、これは弟のディファが創ったんだ」
地の精霊が好むのは『均等と繊細』で、繊細とは無縁のカタスミ違いの言動を思い出せば、片側の片頭痛が両方に広がっていく。
「大丈夫か?医務室に連れて行こう」
「黄色がいるから平気、家に帰る」
ズンズン痛みが増して顔をしかめれば、黄色は素早く背に乗せ高く跳んだ。
▽
大気を壁で隔てて遮断する魔法が結界で、イリュージャがとんがり屋根のおうちに施しているのは、少ない魔力で維持できる窓辺のカーテンのようなものだが、洋館にあるのは寄せ集めた粘土を貼りつけたような、強固だがデコボコでガタガタで不快な結界構築だ。
それが神経を刺激して時間が経つほど頭痛が増していく。やがて朦朧としてだらりと横になり、誰かに呼ばれて目をこじ開ければ、金のウエーブの大天使様がロレッツァお手製の果物水を飲まそうとしていた。
「私は果物水がとっても好きだけど、」
大天使がお迎えにくるような善行の覚えはないから、きっと人違いだろうと呟いたところで、意識は深く深く堕ちていったのだ。
▽
コポコポ・・・
その音は耳に心地よく、イリュージャの堕ちた意識体が目を醒ます。
「あらま、他者の魔力と交わる路に捕まったのね」
怖れは魔力を暴走させるから、頬をペチンと叩いてこの領域の主導権を握るべく腹に力を入れた。
「洋館に構築した結界が領域を侵犯して、私が転がり落ちた」
巻き込まれたものの魔力の質に於いてはイリュージャが上位で、領域は上書きがされず、海を漂うガラス瓶の状況に陥っているようだ。
「約束を破った。黄色、頭からガブっとお願い」
黄色に声が届くはずもないが、不平不満は口に出せばいくらかスッキリするものだ。
「深淵、無意識、恐怖の具現、さてここの成り立ちはどれだろう」
この領域の主導権を持つ者をおびき寄せ、秘密を暴いて掌握するためには油断させるのが手っ取り早い。
体を弛緩すれば待ってましたとばかりに引きずられ、幼い声が耳を掠めた。
「ここにいる・・ここにいる」
先日読んだ『人魚姫の仇討ちでアップアップの王子さま』のクライマックスは、
『王子さまは鉄の鳥かごに入れられて、海底深く沈んでいきましたとさ』
そんなホラーな結末を思い出し、ドキドキしながら海底の鳥かごを覗けば、そこにいたのは王子ではなくて竜だった。
竜は美しい生き物だが、これは鱗が剥がれて牙が折れ、鎖に縛られた憐れな姿の竜である。
「鎖をほどいてここから出そう」
鎖を握りほどこうとしたが、黄色の時と同じように絡まっており、エイやっと魔力任せに引きちぎった。すると鳥かごは底が抜け、ボロボロの翼は巨体を支えきれずに真っ逆さまに落ちていく。
「翼の対価に主導権を私に渡すのよ」
否定をしないから肯定と解釈し言霊を紡いだ。
「『竜の翼は杉ほども長く弓ほどもしなやか』」
銀の雫が翼に滴り、杉ほども長く弓ほどもしなやかな翼が風を切って、イリュージャを背に乗せると高く飛翔したのだ。
▽
一方では弱まるイリュージャの鼓動にロレッツァは蘇生を施す。
「魂魄はどこだ!肉体に戻れなくなるぞっ」
戻れ戻れと膨張と収縮の刺激を心臓に与え、物理的に血を巡らせた。
ガラルーダがイリュージャの口に果物水を注いだ直後、鼓動が止まり額から銀色の魂魄が抜けたという。追跡した黄色は夢渡りだといって、『往ケズ』の障壁で肉体を地に固着させ、魂魄の行方に神経を研ぎ澄ませた途端に唸りをあげた。
「領域の侵犯だ!」
雷鳴を轟かせた黄色にガラルーダは耳を塞ぎ、ロレッツァは片耳だけ押さえると空間を凝視する。
「ガラルーダ!すぐに結界を解除しろっ」
黄色の雷鳴はイリュージャの施す結界以外で炸裂を起こし、愛し仔の領域を侵犯したのだと気付いたのだ。
ガラルーダが光の剣で結界を絶てば、幾多の精霊が路を開いて夢路に立つ竜が銀の雫を垂らす。それは水銀のようにコロコロ転がって、イリュージャの肉体にポンっと飛び込みドクンと鼓動が戻った。
しかしホッとしたのは束の間で、精霊はイリュージャをさらうと姿を隠す。
『精霊の愛し仔を虐めタ』
『精霊の愛し仔を裏切っタ』
『精霊の愛し仔は寂しかっタ』
「返せ。それは人の子、人と共にあるものだ」
精霊は愛し仔を森に囲うつもりでいる。魂魄が戻ったのに『往ケズ』を黄色が解除しないのはそのためで、目を覚ますまで時間稼ぎをするつもりでいたが、空を旋回する竜が人の言葉で精霊に告げた。
「人の不手際だ。精霊の愛し仔の自由を約束する」
『盟約』
慌ててロレッツァは制止しようとしたが、それより早く締結され介入は手遅れだった。
「まんまとしてやられたな。精霊、盟約は成された。愛し仔を起こしてから返せ」
ユージーンがエボルブルスの名を冠する限り、契約は個人に留まらず、人ならざる者と道理が異なることを忘れてはならない。
過払いを証明するように精霊は『起こせ』の対価を望まずに、ゴニョゴニュと作戦会議をすると、
『せーのっ!こちょこちょこちょ~』
みんなでイリュージャの首と脇腹と足の裏をくすぐる。
「キャハハハ!ひぃぃ、やーめーてー」
堪らずイリュージャは目を覚まし、群がる精霊をかき分けて竜を見上げた。
「ハンブンくんの竜。飛べたね」
『虐めたら滅多切リぃ』
『裏切ったら飾リ切リぃ』
『ボッチにしたら薄造リぃ』
「わあ、神が人に与えた武器が怖いことを言ってるよ」
何があったのとイリュージャが訊ねれば、ユージーンでハンブンくんの竜はバサリと翼を羽ばたかせる。
「約束したんだ。精霊の愛し仔は竜の翼に護られるってな」
竜だって?それは私が夢見る平凡に、全く不要な代物だ。
▽
イリュージャはとんがり屋根のおうちの結界を洋館まで拡張させ、ユージーンの身を案じるガラルーダは、精霊だけでなく人が自由に往来できることを心配する。
「ここはね、『精霊がどっかーんして、黄色がガブリする結界』よ」
それは心強いと納得したものの、今度は外から来る人を心配する生粋の苦労人だ。
「バイトはハンブンくん王子さまのお世話係なの?」
病人はおろか犬猫を飼ったこともないと言うイリュージャに、ガラルーダは苦笑だ。
「私とロレッツァが交代で付いてますよ」
庭の菜園をウズウズ見ていたロレッツァはヨッと手をあげ、しかしイリュージャに無視され落ち込んだ。
「ロレッツァが牧師でいたのには理由が、」
「農業をするためでしょう?」
違うとも言い切れず、ガラルーダは援護を諦める。
「ザル経営で牧師としてはカラッキシだもの。だけど農夫としては大したものよ」
ロレッツァの耳がぴくりと動いた。
「すぐに神様のせいにして叱るの。だけど頭を撫でてくれるわ」
「こうですか?」
ガラルーダが頭に手を伸ばした途端に黄色の牙が横切って、いけいけとロレッツアが応援する。
「・・うちの妖魔と農夫がご迷惑を。ロレッツァ、顔の青タンが怖いんだよ」
「岩妖魔オイワサーンみたいだろ?」
「お笑いの舞台に立つって教えて欲しかった」
胡乱な目でフリルの服を見るイリュージャである。
「文句は黄色に言え。服を取りに帰る途中で拉致されちまったんだ」
黄色はイリュージャの手を甘噛みしてクーンと鳴いた。
「我は不完全を失念して後れを取った」
不完全とは契約で、真の契約なら魂魄を見失うことはない。
「『なんにもナイ』から隠れようとして、無意識に夢を渡ったみたい」
『なんにもナイ』は私を飲み込むのだと説明したら、黄色はガルルと牙をみせる。
「我を呼べば必ず救い出すぞ」
「なんと黄色はステキ」
ガラルーダがロレッツァの肩を叩く。
「完全に蚊帳の外だな」
「ハッ!これじゃ傍聴席の人だ」
「ふむ、適齢期を過ぎて男が廃ったか」
「いつの間に過ぎたのよ、お報せが来てたっけ?」
-貴殿の適齢期は過ぎました / エボルブルス王国より-
「ひええ、せめて今後の活躍を祈ってくれよ、国!」
妄想で国にクレームを入れたロレッツァをイリュージャが笑う。
「ロレッツァは何をしても後一歩で親しみやすいって町の人から大人気」
「人気なら自慢のスイカといい勝負だ」
「スイカの縞模様を帽子にしたら、ロレッツァほど似合う人はいないよね」
野菜の要素で褒めれば効果ばつぐんで、またもや窓から顔を突き出して、家庭菜園をウキウキと眺めるのだった。