お詫びの玉結び
銘刀笹の葉スッパスパの切っ先がイリュージャの額に触れた途端、裂け目は貝のように開いていき、ロレッツァは慌てて短剣を投げ捨てた。
凶行を制止する者はおらず、傷口から煙のように銀の魔力が立ち上がり、大気に溶けて消失していく。
頭の中が真っ白になって傷を圧迫したが、銀の放出は増し、流血は銀の髪とロレッツァの服を赤く染めている。
トンガリ屋根の家に転がりこみ、薬箱から針を取って戻ると額を縫い合わせたが、糸は溶けて傷は広がる一方だ。
「おやおや、お裁縫で魔剣の呪いに対抗しているよ」
麻酔無しでザクザク縫われ悶絶するイリュージャに、サラは肩を竦めた。
「証拠隠滅は我が一族のお家芸だから、相談に乗ってやったのに」
跡形無く消すために助けたの!?口パクが伝わって、両頬をむぎゅうと潰される。
「治癒魔法は嫌いだが、うるさくって敵わない」
サラは睫毛をけぶらせ呪文をほとぎ、天使の如く白き羽の、
「・・目玉さん」
見た目はともかく目玉の癒し手が額の傷をなぞり、恐る恐る目を開けば目玉と目が合って、癒し手だけにきゅるんとした潤いがあると感心する。
「生かし続けるのが治癒魔法で、手を離せば死に向かう。術者は引導を渡す責を負わねばならないんだよ」
サラが手放した命は数知れず、いたずらに苦しみを与えたと呟く。
「ロレッツァは、ありがとうを言わなかったの?」
誰のこととも言わぬのに、なぜ癒しの目玉ほど目を見開いて驚くのか。
「一万回は聞いた」
「だったら本当にありがたいのでしょう」
嘘をつかない『ひとつ』の言葉は、胸の深い場所に沁み渡る。
「力の流失が止まったよ」
「ありがとうご・・うおっ、今だといわんばかりに縫い始めた!痛い痛い、糸だるまになるっ!」
「おやまあ。お詫びの玉結びまで付き合っておあげ」
麗しのサラは知ったことかと寝そべって、あまりの痛さにイリュージャは癒しの目玉を握ってオデコに当てたが、さすが鬼畜宰相の目玉は容赦がなく、羽の軸を突き刺しダメージ倍増だ。
「銘刀笹の葉スッパスパの力を以てしてもこれだもの」
サラは仰け反るイリュージャから、痛みをバチっと遮断する。
「うるさい。さてあの泣き虫には時間が必要だ。もうしばらく待ってやろう」
バカだがあれでも友だと首を振るサラに、イリュージャはそれじゃと目を輝かせた。
「サラ先生、きれいなお姫様のお話をしてください!」
真っ白な世界に古い家が見え、風が吹いて畑と鶏小屋、川と森が描かれていくことに口端がゆるむ。
「むかしあるところに、サラさまという大層美しく賢い麗人がおりました。皆は困ったことはサラに聞けを合言葉にして、サラさまは慢性的な眼精疲労、頭痛、肩凝り、腰痛に悩まされ、これらによく効く銀の薬が手に入ればいいのにと常々願っておりましたとさ」
「一週間以内に納めます・・」
「よろしい」
大層美しく賢い麗人は満足気に頷いた。
▽
イリュージャ、ナクラ、タクンが一緒くたに厄介払いされたのは、廃墟と見紛う鬱蒼とした塔で、しかし戦時は司令塔として宰相が暮らしていたという。
塔の五階には銀の鎖を手にしたナクラがおり、こうやって縛るのねとイリュージャは興味津々だ。
「何をしでかすか分からないからな」
「サラ先生みたいだねえ」
夢渡りでロレッツァが泣き止むのを待ったのは、サラの気配りではなく、
「頭皮マッサージの時間なんだ。むむ、効かない!その手は肉球かいっ」
三歳児の身体的事情は鑑みず癇癪を起こし、花を咲かせろ、鳥を鳴かせろと欲求は尽きず、退屈だからガラルーダを呼べと無理難題。
ニンジン王子のハタ迷惑を凌駕する大迷惑サラさまで、血縁関係を疑ってしまう。
「鎖は銀の魔力でしょう。私にも出来る?」
「記憶を削らない手加減ができればな。使役魔を失えば、ダメージは契約者が負う」
ナクラはフューラに使役魔を剥ぎ取られ、意識を失っていたにも関わらず、身を裂く痛みの記憶があるという。
「ふうん、鞭みたいに叩くのかと思ってた」
「叩いたら痛いだろう。諭してだめならそれもあるけど」
「私なら張り手一発よ、妖魔使いには向いてないわね」
ここまでやられちゃなと、ナクラは頬のデコボコに触れた。
「額の抜糸は終わったか?」
「縫合に意味はなくて、抜糸じゃなく毛玉取りってサラ先生に言われた」
裁ち鋏でジョッキンだ。
怪鳥オーデュポンのタクンが金切り声で叫びだす。
「銀は一族の敵!バケモノ!」
「タクン、反省しないとゲドと会えないぞ」
「アタシはゲドとわかちあう妖魔。『ふたつ』のない半端など恐れないっ」
イリュージャの影から顕れた黄色が、タクンの羽を噛み切った。
「黄色、収めろ。こいつとゲドをどうするかはイリュージャが決める」
ナクラは鎖をもう一巻きして、タクンを縛る力を強める。
「元の背丈にして欲しいよ。黄色見て、ナクラ先生は触ってみて。すっかりチビになっちゃった」
本体が目を覚ませばこの通りの五歳児で、夢では三歳児だったから少しマシだが、小さくなった仕組みが分からなければ、サラの魔法でも効果がないという。
「ザックリと削られた分を他から集めて練り直すんだもん。一口齧ったおにぎりを、ぎゅと丸めたら小さくなるのと同じ」
サラみたいに賢い人は、案外単純なことがわからないのかと言えば、
「そう、おにぎりなのだね。腹に鮭を詰めて海苔で巻くとしよう」
一体どこが勘に障ったのか脅される。
タクンは凝りもせず檻を破ろうとし、鉤爪は欠けてボロボロだ。
「こういう当たって砕けろ精神が、私には皆目無いのよね」
「達観した五歳児だな。ロレパパとはまだ口を利いてないのか?」
「目を逸らすんだよ」
「いいオッサンがガキか」
まったくその通りで手はかかるし気も使う。
私が塔に繋がれた理由を知ったナクラは憤慨しながらも、まあ俺たち銀だから仕方ないわなと理解が早い。
「ロレッツァはずっと変わらない愛情を私にみせていたの。だけど愛情は変化するもので、変わらない理由は演出された愛情だから」
一度だけ町の子たちと遊ぶ姿を見たことがある。両腕に四人をぶら下げて、木の間をブーンと言いながら駆け回る。笑い声が響き渡って疲れるまで遊び、そのまま大地に横たわると、ああ幸せと雲を見上げていた。
「あれが本当の姿で愛情深い人よ。大切な人のためなら、仇の私を愛するフリも厭わなかった」
そして私を殺し損ねた今、その感情と折り合いをつける必要があり、それはロレッツァが己と向き合う問題だ。
コツコツと階段を上る靴音は、食事を運ぶロレッツァだ。
「部屋に置いときゃいいのに、お前を捜してるみたいだな」
「愛情が重たい」
「五歳児らしくあれ。それでタクンはどうする?」
タクンの姿はボロボロで、初めて黄色に会った日を思い出させる。
「ねえタクン。『ふたつ』は願いを叶える妖魔でしょう。黄色は一緒にいたいという私の願いを叶えてくれた大切よ。タクンが黄色を侮辱したら容赦はしない。銀の私は残酷な方法でタクンを苦しめることができるのだから」
目の前でゲドを四つに割くことは、完全な銀には容易いと囁いた。
「何を話していたんだ?」
ロレッツァは私とタクンを交互に見たが、返事の強要はせず抱き上げる。
「雨の匂いだね。季節が変わったの?」
この塔は時が止まったようで、季節ばかりか昼夜もわからない。
「秋、かな」
ロレッツァの感覚は鈍感になり、終わりが近いことを示している。
手渡すサンドイッチはキュウリで、昨日はレタス、一昨日はトマトだ。嫌いな卵とチーズとハムを避ける気遣いがごめんなさいのつもりだろう。
目は逸らすくせにきっちりと膝に抱え、特技の縄抜けなどしたら地に潜るからとガラルーダに懇願されている。
することも無いので寝てばかりで、膝の温もりでまた睡魔がやって来てサンドイッチから手が離れた。
食べさせようとしたロレッツァと目が合って、
「あれ、久しぶりじゃない」
ロレッツァではあるけれど、ずいぶん昔の懐かしい気配で、
「ごめん」
それは声を震わせて私を抱き締めた。
▽
執務室のサラは、羊皮紙に魔法の封印を施すとディファストロに渡す。
「これでガラルーダは無罪放免だ。ワガママ王子が役に立った」
「ひどーいっ。僕、頑張ったんだからね」
頑張れば有罪を無罪に歪められるほど、ディファストロを次代王に推す勢力が拡大しておりサラは頭が痛い。
「ねえ、ロレッツァにファゲルとの交渉を一任したんだって?」
どこから情報が漏れたんだと、眉間に皺を寄せた。
「ファゲルの国へ対する忠誠心は本物だ。銀の魔女を忌避するのは、国へ災いをもたらす火種だからで関係修復は望めない」
ファゲルに有利なだけなら交渉は容易いが、愛し仔であるイリュージャに不利益があれば、交渉人は大気の制裁を免れない。
「ロレッツァは親和力に長けているから、こういった調停向きなのだよ」
「精霊の制裁より、黄色がファゲル邸を粉々にしちゃいそう」
そうなれば面白いと笑うディファストロのおでこをペチンと叩き、戻って来たねと手ずから扉を開ける。
「ただいま、サラ」
「遅かったね。難攻したかい?」
「交渉は一時半、ファゲルにとって無意味な時間だ」
受け取った誓約書に戒めを施すサラは、ユージーンとガラルーダを証人とした。
「侯爵家からの援助も干渉も無しとは単純で良い。精霊の見解はどうだい?」
「ファゲル領の発展はイリュージャの貢献が大きい。そこは慣例に従い、成人まで自領に籍を残すことで精霊とも合意した」
イリュージャは放置されたが虐げられてはいないが精霊の見解だ。
「お前を行かせて正解だったよ」
精霊との疎通には親和力を使うが、これは感じ取るもので意味を取り違えれば制裁は免れない。
「それにしたって二日も何をしていたんだい」
やきもきと過ごした刻にムスッとすれば、ロレッツァはユージーンの頭を撫でて目を細めた。
「精霊とジーンさまの盟約を解除するお手伝い。サラ、視てくれ」
サラは驚いてユージーンの顎をあげ、薄紫色の瞳を鏡にして『視る』。
「盟約の楔が消えている。ああ・・良かった」
スベスベ玉の肌を擦り寄せられて、ユージーンは顔が真っ赤になり、ディファストロの癇癪カウントダウンのスイッチが入る。
「しかし盟約とは命で贖うものではないのか」
ガラルーダが疑うのも当然で、死を以て解除されるのが盟約だ。
「イリュージャが言うには、精霊以上の力があれば可能だって」
精霊以上とは大気そのもので、イリュージャが銀の魔女として覚醒していることを示している。
「これがメルヘンの世界で、精霊を手の平に乗せて、それはダメ、それはいいよって約束したら互いのおでこにキスして解除となる。俺も列の最後に並んで待ってたんだが叱られた」
「変質者め」
妹が変質者に狙われていると、ガラルーダはお怒りだ。
「退学は昨日付けで、後見人は俺ね」
「その判断でいいよ」
サラは誓約書に鎖と錠をかけ、ハタと手を止める。
「後見人であり・・続くこれは何だろう」
「サラサラ、くるっと巻いてちゃちゃと封して」
アセアセするのが余計に怪しく、ガラルーダが両手を拘束している隙に誓約書を広げた。
「成人を以て後見人と婚姻だって?お前と婚約することで、后候補から外すと交渉したのか」
ユージーンの口が開きっぱなしで止まった。
「そこまで譲歩したなら、一生食うに困らない手切れ金を取れそうなものだよ」
サラは不甲斐無いと嘆き、ガラルーダはロレッツァに拳をお見舞いしたが、ヒョイと交わしてサラの背に隠れる。
「サラちゃん、締結急いで!」
「サラ!それは無効だ、私が交渉をやり直すっ」
うっとおしいと払い退けたサラは、ロレッツァがここに残る方法を模索しているのだと安堵した。




