夏休みは針子のアルバイト
貴族は学校に入学すると成人として扱われ、ユージーンとディファストロの夏休みは公務に忙殺される日々である。
「未来永劫の安寧と繁栄を願う。王子よ、こちらに来なさい」
国王は二人の王子を横に立たせて盃をあげた。これは次代継承者が定まっていないと公言したに等しく、ディファストロを推す一派を活気づかせたが、ユージーンには文部を掌握する国の宰相サラと、軍部を掌握するガラルーダの後ろ盾があるから、均衡を崩すものでない。
「ピヨピヨ王子。さっさと勤めを果たしておいで」
挨拶を終えた途端にズイッと身を乗り出すのは、七色がさざめくシルクを纏い、絹糸のような薄紫色のウィラサラサ卿サラで、宰相を示す蒼玉タンザナイトの大綬がある。
この天女の如し麗しの宰相殿はいつもに増して機嫌が悪く、それというのも銀の少年に関する調査が遅々と進まずに、信頼するガラルーダとロレッツァを同時に警護に付ける異例の措置を取らざるを得なかったためだ。
「一言一句間違えずに挨拶したじゃないか」
「あれだけ練習すれば猿だって間違えようがない。ああそんなことよりパッと婚約者を捕えておいで。あの節操無しのようにだ」
サラの視線の先では煌びやかな金刺繍の夜会服に、黄金の髪がゴージャスなガラルーダが、大人の魅力全開で美女たちと談笑していた。
「お聞き、ピヨ王子。あのように人気物件は早い者勝ち。畑の芋でもあるまいし、つるむ暇があるなら片っ端から口説いてごらん」
「俺だってイリュージャを誘うつもりでいたんだが、出席していないんだ」
ユージーンが残念そうに会場を見回せば、ディファストロは奇声をあげて、サラは頬を鷲掴みにして黙らせた。
「うるさい、ガラルーダのせいで気分が悪いのだよ。衣装良し、姿良し、品位良し。しかし歯が浮くような口説き文句がゾッとする。いっそ親知らずを除く28本の歯が、入れ歯になってしまえば笑えるのに」
親知らずの4本を残してやるのは温情だとサラは悪態をついたが、睫毛をそっと伏せて艶やかな口端を緩める仕草は、一点の曇りなき美しさだ。
「サラこそ誘う相手はいないのか?その微笑で飛ぶ鳥も堕ちるのだろう」
「落ちたのはポッポだよ。窓枠にグルグルの魔法陣を設置したらポトン。まったく疑うことを知らぬのは飼い主そっくり」
悪態をつけばつくほど機嫌は良くなり、白魚の指を唇にあてて小首を傾げれば、それを目撃した紳士三人と淑女一人の腰が砕ける異常事態だ。
「美しき私が芋や南瓜を相手にするものか。女神か創主に匹敵する美は鏡でしかお目にかかったことが無いよ」
傾国の美女、天界人、ナルシスト宰相と名高いサラが茶目っ気たっぷりに片目を瞑り、人々は神気あたりという謎の病名で医務室に運ばれていくのだった。
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ロレッツァは会場警備をガラルーダに任せ、自身は周辺警備だと会場を抜け出すと、満点の星を眺めている。
「どこにトンズラしたかと思えば」
月光に反射する薄紫の髪は真珠のように淡く輝き、女神の如しサラが顔を覗き込んだ。
「やあ、ウィラサラサ卿」
「サラと呼べ」
宰相の証である蒼玉の大綬を外してベンチに座り、肩が凝ったと伸びをする。
「私の腕は本を捲るためで、国を支えるためではないのだよ」
「俺ばっか自由でごめんな」
お詫びにとサラの腕を揉み解せば、肩だ首だと要求は増える一方だ。
「おまえの言う自由の定義とは何だろうね。会場には戻らないのかい」
「楽器の音がだめ。耳鳴りが酷くなるんだよ」
ロレッツァは過去の大怪我で、一定の音域が聞こえなくなった。
「完治もせぬうちに城を出るのだもの。まあね、あの機を逃せばイリュージャは屍だった」
「サラ、声が大きい」
「私たちの会話を盗み聞きする命知らずがいるものかい。さあ子育ては終いだ。今後は違う任務についてもらう」
ロレッツァの表情が曇り、サラは指を一本立てて言った。
「考え直してほしいなら、今すぐ会場のガラルーダに群がる女人を誘惑し、あいつをボッチにするんだよ」
この悪どい表情がサラの素顔で、それを見せる相手はほんのひと握りだ。
「うわあ・・それって成功率ゼロよ」
「だったら解任決定」
ロレッツァは眉尻を下げるとうーんうーんと頭を捻り、学生だった頃のまんまだねえとサラは笑うのだった。
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襲撃があったナクラの部屋はようやく検証が終わり、片付けのためにやって来た薬草学のローラ先生は壮絶な有り様に息を飲む。
壁は裂かれて窓も扉も原型がなく、散らばる木屑は、机か椅子か本棚か区別もできない状態で、それは他の部屋まで同じだ。
「ナクラの使役魔が抵抗した痕でしょう」
協力を要請されたシャラナは、瓦礫に残る爪痕を指でなぞる。
「妖魔使いの使役魔が、これほど見境ないものかしら」
「ローラ先生のご指摘通り。妖魔の意志を無視して契約を断てば、このように暴走するものです」
「それは報告にはなかったぞ、シャラナ」
「校長、調査官は見えるものを真、見えぬものを偽と申しますからな」
真偽を問われることは、探求の冒涜だとシャラナは歯牙にもかけない。
「暴走した使役魔たちが、生徒に危険を及ぼすことはございませんの?」
「ナクラの筆頭妖魔はマーナガルムですぞ。月の如く黒曜石の肢体と漆黒の四肢、しなやかな体躯に鞭の尾に猛毒。性質は冷徹で冷酷であり、ナクラには勿体ない妖魔です」
「え?ええ、その通りですけど、ね」
生き物への愛は伝わるが答えにはならず、校長はコホンと咳ばらいをする。
「契約がある限り、筆頭のマーナガルムが使役魔の勝手にはさせぬ」
「そしてボンクラナクラが生を終えれば、契約は無効です」
ローラは散らばる本を拾いあげ、学校に入学したてのナクラが、瞳の銀の欠片を消す薬を創ると声を震わせたことを思い出した。
「私ね、そろそろ教職を辞して、故郷に戻ろうと考えておりますのよ」
「ローラ先生の故郷は、薬草栽培が盛んであったの」
「ええ。どこまでも草原が広がる美しい地ですわ。ナクラと共に参りましょう、人は希望の中になくてはなりません」
物理的に抉られた目が見える可能性はない。それでも8歳のナクラが妖魔に生き甲斐を見出したように、新しい土地でまた生き甲斐を得て欲しいと声を震わせた。
「ローラ先生の生き物への愛に感銘を受けたこのシャラナ、とんだ解決策が浮かびましたぞ」
「まあ、さすがシャラナ教授ですわ」
するとシャラナはスエードのメガネをさっと外し、金細工のメガネに替える。
「さてこの通り」
「とてもお似合いでしてよ」
「シャラナの策とは如何なるぞ」
校長とローラ先生は期待のまなざしでシャラナを見つめている。
「替えるのはメガネばかりにあらず。ナクラはメガネでなく目玉を変えましょう」
「・・そ、それはフム、どうかのう?」
「ええ、メガネと目玉ではちょっと・・どうかしら」
生物改造疑惑の噂を思い浮かべた校長とローラ先生は、ナクラのこれからがますます心配になった。
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「うっー食った、食った」
突き出た腹を天に向けて転がるのは、火精霊もどき人形なっちゃんのナクラ先生だ。
「そんな小さい体のどこに入るんだ?」
ジュウジュウと焼けた串肉を片っ端から平らげるなっちゃんを見ているうちに、イリュージャの腹まで膨れた気になる。
「なんだ、イリュージャは魚派か?」
「二回以上は噛まない派」
「しっかり噛んで、しっかり味わえよ」
陽が傾いて人がまばらになると、黄色は噴水の縁で水を弾いて遊び、なっちゃんはその背中で大あくびをした。
「ああ、楽しい一日だった」
その適応能力には呆れるが、夢の世界ばかりのナクラにすれば、あれもこれも輝いて見えるのだ。
「いくら懐かしい故郷でもよく見ればハリボテだし」
「それは想像力が貧困のせいだよ」
「うぐっ」
やることといったら夢渡りだけで、これに相当な魔力を割くものだから、ナクラ本体の体力は削られて夢から醒めることができない悪循環だ。
確かに練習台にしていいとは言ったが、眠ると起こされて、無視すれば騒いで、夜中だというのに「朝だ」と騙されてうるさいったらありゃしない。
「ウトウトした途端に、蚊がぷぅ〜んと耳を掠めてハッと目が覚めるアレよ」
おかげで慢性寝不足である。
なっちゃんをタオルで巻いて抱っこしヨシヨシと髪を撫でれば、立派な大人のナクラは両手両足をばたつかせて嫌がった。
「お母さんはこんなふうに子供をあやすのよ」
私のお母さんはどうだろう?私をあやしたことがあっただろうか、それとも銀の力だと眉を顰め、触れようともせず捨てたのだろうか。
「ねえ黄色。私のお母さんは死んだけど」
ファゲル侯爵夫人としてあの家で暮らしていたのに、その痕跡は徹底して排除したように何一つ残っていない。
「悼む人のない死。お母さんにも黄色みたいなお友達がいればよかったのにね」
ひんやりとした黄色の鱗に頬を寄せればぺろっと舐め、目がギンギンに冴えているなっちゃんに牙を剥く。
「5つ数えるうちに寝ないと噛みちぎる」
そんな最強の寝かしつけは効果抜群で、なっちゃんはグーグーと嘘っぽい寝息を立てるのだった。
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内職で作った刺繍入りハンカチを売りに行った店で、人目につかず、しかも役立つスキルが手に入る針子のアルバイトに勧誘された。しかも夏休みの45日だけの短期で、願ったり叶ったりの条件である。
急募だけあって素性も問われず作業場に案内されると、すでに10人の針子が黙々と刺繍に没頭していた。
「注文が殺到しててんてこまいさ。道具と布はこれ、図案はいくつかあるけどどれにする?」
縁起物のハンカチなら吉祥柄が好まれるが、ここでは植物や獅子などの動物柄が人気で、特に目を惹いたのは天使の羽の図柄である。これなら貴族受けしそうだし、季節を問わずに売れるだろう。
極細糸の扱いと独特な手法を半時間ほど習い、白い手袋に刺していると、あっという間に昼の鐘が鳴って顔をあげた。
針子のアルバイトは午前が3時間で1時間の休憩を挟んで午後は2時間、残業は自由だ。なっちゃんは街を探検すると出かけたきりで、昼になると黄色が咥えて連れ戻してきた。
「時間は守らなきゃだめだよ。そのうち黄色にゴックンされるからね」
「ハイ、ごめんなさい」
顔に歯型を付けたなっちゃんは涙目で頷き、十分反省したところで刺繍した布を首にかけてあげる。
「うわわ!男の子の憧れマントだ!刺繍の技は貴族のたしなみか?」
「怪我か病気で妖魔を狩れないときの稼ぎだよ」
「逞しくて良い」
「南国で氷を高値で売るほうが効率的よね」
「南の島で氷は呪具だって教えただろう」
「呪具なら足下を見てもっと高値で交渉できるわ。なっちゃんは呪い人形の見本で呼び込み役が適任ね」
すると少し間を置いて、それは無理だと首を振った。
「俺には戻れぬ呪いがかかってるからな」
黄色はナクラを一瞥すると、冷たい氷をバキベキと噛み砕く。
「暗示に過ぎぬもの。単純だから騙される」
「・・へ、そうなの?」
人形の首をコテンと傾げ、体の半分もある饅頭と見つめ合っている。
「俺は呪い子だから。・・でも、」
南の島では手に入らない冬服と靴を準備した両親、七色に光る貝殻をお守りに渡して泣いた妹、いつの間にか鞄に入っていた宝の地図は兄たちからの餞別だ。
「くそっ、騙されたっ」
島に留まっても疎まれるだけだと背中を押したのは、旅立つ俺への激励だったのだろうか。
「会いたいな。そして俺はこの国で元気だよって伝えるんだ」
瞼がじーんと熱くなり天を仰いで願いを口にすれば、イリュージャと黄色は顔を見合わせた。
「本体は瀕死でタマシイはもどき人形。元気というにはどうだろう?」
「うーん、ガックリ」
ナクラが故郷に戻るのは、当分お預けのようである。




