5.職権乱用
「ようやく呼び出しに応じる気になったか、イラ・ボーン」
「あれだけしつこく呼び出されれば。それでボット・リット助教に於かれましては、どのようなご用件でしょう。私があなたの講義を取ったのは入学初年度きりなのですが?」
「速やかに呼び出しに応じておけば良かったんだ。そうすればしつこく呼び出されることなかった」
助教としては破格の扱いで与えられている個室の研究室で、ようやく呼び出しに応じて姿を現した学生を目の前にボット・リットは静かに怒りを燃やしていた。
睨みつける視線の先で、ボット・リット以上に、もっさりとした赤い髪を三つ編みにして、顔の両側に垂らし、大きな黒縁の眼鏡を掛けた女子学生は大いに不貞腐れていた。
清潔そうではあるものの、流行おくれのだぶついた服を、イラは悔しげにぎゅっと握りしめた。
「卑怯だわ。講義を持ってもいない助教如きが、成績も出席日数的にも資格を十分に得ている学生の卒業に関して意見書を提出するなんて。職権乱用なのではありませんか?」
「なんとでも言うがいいさ、イラ・ボーン。これまでずっと、呼び出しに応じなかった理由は?」
イラは少しためらった後、口を開いた。
「父が亡くなって、お金を自分で稼がなくてはいけなくなったんです」
「父ねぇ」
どこか馬鹿にした口調に、イラは反射的に噛みついた。
「確かに、養父ですけど! でも私にとっては、血の繋がりしかない実際の父や母よりずっと素晴らしいもので繋がっていたわ」
大きな眼鏡がずり落ちるのも構わず、言い返す。
その、一瞬だけ見えた榛色の瞳に、ボットは「やはり」とひとりごちた。
口元に皮肉気な笑みを浮かべ、厭味ったらしく問い掛ける。
「偽名で講義を行うことに関して俺にクレームを付けてきた君が、偽名で姿まで偽って大学で講義を受けているのはどういうつもりなのかと思ってね」
しかし、目の前に立つ女子学生以上にボット・リットことヒューイ・ケーリーは怒っていた。
意地の悪い視線を向け、その言葉を突きつけた。
「さぁ、どうなんだ。答えなさい、ライザ・ケーリー?」
一歩も引かないとばかりに睨み合う。
しかし、ため息をひとつ吐いて降参したのは、イラだった。
いや、降参とは言わないのかもしれない。
「残念ね。私の名前はイラ・ボーン。この学園に入学した時と今は、正しく本名だわ。途中、ちょっとだけ。素敵な名前を与えて貰ったけど、もう返しちゃったし」
制度としてはあなたよりは正しく運用したわよ、と憎まれ口を挟むことも忘れなかったのだから。