9.ロダリックのふたりの子供
そうしてようやく、ヒューイは、ボット・リット助教の名前を使ってまでイラ・ボーンを呼び出した本題を口にすることができた。
「私がしたことは、ロダリックの名前を借りて、ロダリックに教えられたとおりに、ロダリックの資産を生み続けただけよ。ロダリックの名前があったからこそ相手にして貰えた取引ばかりだもの。ロダリックの資産を、ロダリックの命を灯し続ける為に使うのは、当たり前だわ」
ライザであったイラは、ロダリックの治療に効くというならば、あらゆる手を尽くした。
異国から専門医を何人も呼び寄せたし、あらゆる新薬も取り寄せた。
だからこそ、余命1年と言われたロダリックが10年以上の年月を生きられたのだ。
そうしてついに手の施しようがないと分かると、痛みを取り除き心の憂いを無くすことに尽力したのだ。
そう、行方不明であった筈の、ヒューイ・ケーリーを探そうとしていた。
「まさか、ロダリックの専属弁護士に裏切られているとは思わなかったけれどね」
ライザが頼ったのは、勿論ヒューイの事をよく知っているロダリックの弁護士だった。
彼に実の息子を探して貰い、最後の対面をさせたいと相談すると笑顔で請け負ってくれたというのに。
「まさか。ロダリックが先回りしていて、私がヒューイを探したいと言ったら同意だけして何もしないように指示していたなんて。不覚だったわ」
まさか信じていた弁護士が嘘の報告をしてくるなんて、ライザは想像もしなかったのだ。
「『男が、自分の力で生きていきたいと願ったんだ。助けてくれと言われたなら親として何でもしてやる。だが、そうでないなら邪魔をするのは野暮というものさ』だそうです」
くいっと銀縁の眼鏡を持ち上げながら、笑顔で報告を受けて、ライザは膝から頽れたものだった。
「そんなところも、ディアらしいんだけれど」
「おい。お前、結局一瞬たりとも妻ではなかった癖に。その呼び方はやめろ」
「嫌よ。ロダリックからそう呼ぶように言われたんだもの。愛しいあなたっていう意味なんだから、最愛の家族をそう呼んだっていいでしょ」
「……だからハニーだったのか」
ロダリックがライザという愛妻を連れ回す際、ライザは夫を「ディア」と呼び、ロダリックは必ずそれに「なんだい、ハニー」と応えていた。
どちらも、愛しい人、主に恋人同士や夫婦で使われている呼びかけだ。だが、家族内で使ってはいけないという訳でもない。ギリギリでありだ。
「私はお前を妹だなんて、認めない」
「あら、初めて意見が合ったわね。私もあなたを兄だなんて思った事はないわ、ボット・リット助教授。安心して? すでに私はイラ・ボーンだわ。義理の妹ですら、ない」
イラは、ずっと前から決めていたのだ。
ロダリックの葬儀を終えたら、ケ―リーを名乗るのをやめようと。
イラはヒューイの身代わりとしてロダリックの娘にして貰った。
基礎から教育して貰って、マナーも、会話術も教えて貰った。
最高学府に通わせて貰った。
たくさんの幸せを貰って、もう十分幸せだから、それ以上を望むのは厚かましいというものだ。
「遺産もすべて、ヒューイ・ケーリーのモノよ。ちょっと目論みより減ったってるかもしれないけれど、それはごめんなさい。ついロダリックに注ぎ込み過ぎちゃったの。ディアは、『ようやく彼女に逢える』って笑ってたけど。でも、どうしても私は、私が彼に、少しでも長く生きていて欲しかったの。けれど私自身に浪費はしていないから許して欲しいわ」
奨学金だってとった。返済が必要な物も必要ない物も含めて、貰えるものは全部貰って、学費と最低限の生活費以外は、それもロダリックに注ぎ込んだ。
つまり借金スタートだが、構わなかった。
イラにはディア、ロダリックからたくさんの感情、いろんな種類の笑顔も教えて貰ったから、いいのだ。
ディアへの感謝を胸に、ここからイラはひとりで生きていく。
「本当は、喪主だって最初からあなたにやって貰うつもりだったのよ。でも、病に倒れたディアに会いに来てほしかったのに、全然見つからないし。あんなにディアから愛されていたのに、それすら切って捨てるなんてって思ってしまって、ちょっと意地悪しちゃった。ごめんなさい。あなたがあんなに悲しい誤解をしていたなんて知らなかったの」
切ない笑顔を浮かべてイラが呟く。
「あぁ。ディアに、教えて上げたかった。誤解を解いてから、逝かせてあげたかったなぁ」
別人過ぎるイラの表情に、ヒューイの胸がぎゅっと痛んだ。
すべての元凶は、ヒューイがした誤解と葛藤が原因だ。
それがなければ、ロダリックはイラを拾い上げようとはしなかったかもしれないが、まだ幼かったイラに、布地面積の少ない煽情的なドレスを着る羽目にさせたりすることもなかった。
もちろん、酷い母やその情夫たちから救い出される切欠にはなったようだが。
自分の勘違いからの行動が起因となり、人生を変えてしまった少女。
ヒューイは、まるで初めてその少女に会ったように、何度も目を瞬いた。
「それで? その髪の色はどっちが本物だい。今の赤毛が本当の髪色なのか?」
「いいえ、あの下品な金髪が本物よ。本当はもっと地味な色に染めたかったんだけど、地毛が派手過ぎてこの色にしかならなかったの。でも何故そんなことが知りたいの」
怪訝な顔をしてイラが答えた。
そのイラの前に向かって、ずっと研究室の机に肘をつきながら椅子に座ったままであったヒューイが立ち上がり、近付いてきた。
すぐ目の前まできて、じっとイラの瞳を見つめる。
これまでずっと、イラのことをどこか蔑んだ視線でしか見てこなかったヒューイの、ロダリックとよく似た、けれど少しだけ色の薄い蒼い瞳が、まっすぐにイラを見つめていた。
そのまま、視線を逸らさないまま、ヒューイは表情を和らげ、真摯に言葉を紡いだ。
「父の最後を、惨めな物にしないでくれてありがとう、イラ・ボーン。ひとり寂しく逝かせることにならずに済んだのは、君のお陰だ。感謝する」
そうして、深く頭を下げる。
「やだ。なによ急に。気持ち悪いわね」
「イラ・ボーン。君は俺の妹ではない。だが、父の娘であったことは否定しないでいいんじゃないだろうか。父はきっと、君という娘がいたことを最後まで感謝していただろうから」
「でももう、籍は抜いてしまったわ。戸籍も確認したし」
故人の養女になることは、もうできない。
夜中に目覚めて、これからはひとりで生きていくのだと突然不安になっても、どんなに後悔しても、出来ないものはできないのだ。
死んでしまったロダリックにどんなに話し掛けても、返事は貰えないように。
「ひとつだけ、方法はある」




