プロローグ:ある夜。病室にて
季節外れの嵐が、病室の窓を叩いていた。
雨が真横に流れていくほどの強い風でも、高級リゾート並みの病室の窓はガタつくこともなく、ただ時折ライザ自身から生じる哀しみの音以外は静かなものだ。
真っ白い壁と天井を照らすライトは白々としていて、冷たい。
開けっ放しのカーテンでは時折響く雷鳴と雷光を遮ることもできず、さきほどまでライザに笑顔を向けていた白い顔に深い陰影を与えていく。
それがまるで苦悶の表情に見えて、ライザの喉奥を締め付けた。
けれど、すでに彼があれほど嫌がっていた、身体にたくさん取り付けられていた酸素ボンベや点滴の管たちはすっかり取り外され、看護師たちの手で回収されていった。
広くなった病室に、今はふたりだけ。
医師も看護師もいなくなった病室なら、もう彼は稀代の色男の役も、天下の伊達者の振りもしなくていい。
年老いた、ただのひとりの病人として、痛みに暴言を以って喚き散らし、差し迫った死期への恐怖に泣き叫ぶこともできるというのに。
彼はもう、安息の地にいってしまった。
「ねぇ、愛しいあなた。冗談ばかり言っていたんだから、死も冗談にして、いいのよ? 『吃驚しただろ』って。自慢げに笑って? そしたら、ちょっと怒るだけで、済ませて上げるから。ねぇ、ディア。お願いよ」
『ディアと呼べ』
最初にロダリックからそう言われた頃は、恥ずかしすぎて卒倒しそうな気持ちだったというのに。
当然のように、今のライザは、彼をそう呼んでいる。呼べるようになった。
それだけの時間を共に過ごしてきた。
世間からは眉を顰められるような関係ではあったけれど、彼の傍で、ライザは生まれて初めて守られているのだと安心できた。彼との邂逅は、彼女にとって人生最大の幸運だった。
「ありがとう。ロダリック、私の愛する家族。たったひとりの大切な人。ディア」
皺だらけの大きな手を何度も何度も握っては、撫でた。
もしかしたら握り返してくれないだろうか。諦めた願いが、頭をもたげる。
『吃驚したかい』
『さぁ、笑って。ハニー?』
そんな風に声を掛けてくれるのではないかと思ってしまうのだ。
いつものように握り返して、海のように蒼い瞳でチャーミングなウインクを贈ってくれるのではないかと。
そんな奇跡を願う自分が愚かだった。
「あなたを見送ったのが私だけだなんて。連れてこれなくて、ごめんなさい」
ライザの榛色の瞳に溜まって潤んでいた涙が、ついに堰を切ったように流れ落ちた。
それでも、常に泣く声を誰にも聞かせぬように堪えてきたライザは、声を喉の奥に押し殺しつつ、朝までずっと泣き続けた。