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ブラック・パペット   作者: 氷川泪
第一章 黒いパペット
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蔵の中

 園長先生に鍵を借り、保育園の東にある古い土蔵の扉を開いた。金属製の両開き扉の奥に、(すす)けたような色をした木戸(きど)があり、そこに古い南京錠が掛かっていた。園長先生が貸してくれた鍵で南京錠を解錠すると、おれは木戸を開いて土蔵の中に入り込んだ。


「あの野郎!」


 今週中に土蔵の中を整理しておけと、おれは武梶(むかじ)に頼まれた。アルバイト保育士として雇われたばかりのおれは、先輩社員である武梶の命令には逆らえない。


 土蔵の中には新旧含めたありとあらゆる備品やダンボールが(あふ)れるほど積み上げられていた。これだけの量の荷物を数日で整理できると本気で考えているのなら、武梶は完全にいかれている。


「どうするんだよ、これ」


 土蔵の中に足を踏み入れ、おれは辺りを見回した。まだ夕方といっていい時間だが、雨雲のせいで蔵の中は思った以上に暗く、大量に積み上げられた物品のせいで見通しも悪かった。


「床、(くさ)ってるみたいだな」

 

 おれは(きびす)を返し、入ってきた扉へと向かった。外では雨は降りだし、雷鳴が轟き出している。停電にでもなれば、迷路のような土蔵から外に出るのは一苦労だ。


 あと少しで出口というところで、おれの足が何かに(つまず)いた。


「うおっ」


 派手に埃を巻き上げ、おれは備品の山の中に倒れ込んだ。

 

「痛っ」

 

 倒れた体を起こそうとしたが、右足が痺れて動かない。恐る恐る目を向けると、折れた骨が(すね)の真ん中あたりから皮膚を突き


「やばいな。電話。電話しなきゃ」


 パニックならないよう自分に言い聞かせながら、おれは体を捻って仰向けになりズボンのポケットからスマホを取り出し、事務所の番号に連絡した。土蔵から事務所までは30メートルもないから、園長先生やユキミ先生が出てくれればすぐに助けを呼んでくれる。


 しかし、いつまでたっても電話は(つな)がらなかった。電話番号を入力しても、すぐに不通になってしまう。警察や救急に電話しても通じない。


「カミナリ、電波障害か・・・・・」


 痛みとパニックのせいで忘れていたが、蔵の外では稲妻が光り、地を揺らすほどの雷鳴が鳴り響いている。そのせいで電波障害が起きているのかもしれない。

 スマホのライトで傷口を照らしてみると、傷口から鮮血が流れ出て床に血溜まりを作っている。血液の色と量からして、折れた骨が動脈を傷つけた可能性が高い。


「やばい。これ死んじゃうやつだよ。どうしよう」


 スマホのライトで照らして辺りを見回したが、止血に都合のいい布切れなどどこにも見当たらない。

 仕方なく上着を抜いで止血しようとスマホを床に置いた瞬間、手が(すべ)ってスマホを床の穴に落としてしまった。


「あっ!」

  

 スマホを落とした穴に右手を差し込んだ。穴からはスマホのライトが放つ光が漏れてきている。


 おれの右手が何かに触れた。夢中で手を動かすと、指の先に(ひも)のようなものが(から)みついた。そのまま力任せに腕を引き上げると、穴の中から細長い木箱が出てきた。


「なんだよこれ。なんでこんなものが」


 木箱を脇に置いて再び右腕を穴の中に差し込んだが、いくら伸ばしてもスマホに指が届かない。


「助けて。だれか助けて下さい」


 パニックに呑み込まれ、おれは身もだえしながら叫んだ。右脚の出血は一向に収まらず、おれの服は自分の流した血で真っ赤に汚れていく。


「最後に見つけたのが、こんなものなんて」

 

 箱に絡みついている布を引き千切(ひきちぎ)り、真っ黒な桐箱の(ふた)に手を掛けた。

 爪で()きむしって蓋に付着した(ろう)をこそげ落とすと、密封(みっぷう)されていた木箱の上蓋(うわぶた)が動いた。

 左手で木箱を固定し、力任せに右手で上蓋を持ち上げる。


「なんだよこれ」


 箱の中に入っていたのは、犬を(かたど)ったぬいぐるみだった。黒布と白布を縫い合わせた、造りの荒い出来損ないのぬいぐるみ1体が、やたらと(おごそ)かな木箱の中に(おさ)まっていた。


「最低だ。ほんと、おれの人生って笑えるくらいに最低だ。いいことなんてひとつもない」


 投げ捨てる気で、犬のぬいぐるみを(つか)んだ。


「うわっ」


 凄まじい悪寒(おかん)が電流のように背筋を走り抜け、掴んだぬいぐるみから手を離した。


「こいつ生きてるみたいだ」

 

 触れた瞬間、生きている獣の肌に触れたようなぬくもりと、体内に水分を(たた)えた生物のぬめりを感じた。


「手袋、いや、ハンドパペットか」


 手袋のように手を差し込み、手のひらで動かすタイプの人形だ。後ろ足が無い代わりに、親指と小指を前脚に差し込むことで動かせる。

 

 失いそうな意識の中で、おれは不細工な犬のぬいぐるみの中に左手を差し込んだ。

 

「これで一人じゃないな。お前と一緒だ」


 おれは目を閉じ、全身の力を抜いた。


 耳元で何かが動き、(かす)かに鼓膜(こまく)が震えた。

 おれは閉じていた目を開いて音の出どころを探った。死を覚悟したおれですら気味が悪い不快な獣の(うな)り声が、すぐ近くから聞こえてくる。

 

「どこだ?」


 おれは視線を闇の中に彷徨(さまよ)わせ、唸りを上げる獣の姿を探した。唸り声は大きくなったと思うと消え、消えたと思うとまた聞こえ出す。


「どこにいる?」


 床下から(こぼ)れるスマホのライトだけを頼りに、おれは姿を見せない獣の姿を探した。


「わっ」


 おれの目が、獣毛に(おお)われた狼の顔を(とら)えた。金色の瞳を持ち、白く硬い二本の牙を剥き出しにした狼の顔が、不意におれの目の前に現れた。


「な、なんだお前」


 鼻づらに(しわ)を寄せ、牙を()き出しにして唸りを上げる狼は、おれの左手にいた。


「フン、フン」


 鼻を鳴らしながら、辺りを睥睨(へいげい)する狼の視線が、おれの視線と重なった。


「ウウゥ~!」


 今にも飛び掛かってきそうな勢いで狼が唸りを上げる。だが如何(いかん)せん小さい。それは当然で、狼はおれの左手に()められたパペットと同じ大きさしかなかった。


「お前、さっきの人形か?」


 狼に(たず)ねてみた。見たところサイズこそ小さいが本物の狼に見える。おれの親指と小指が差し込まれている二本の前脚にも、きちんと爪と肉球が付いている。


「ハ、ハーン」


 狼が声を上げた。先程までの獣の唸りとは異なり、人の声のようだ。というか、それはそのまんまおれの声だ。


「ハハーン?なんだそれ、お前の名前か?」


 狼が動揺して後退(あとずさ)りした。そうはいっても、下がっていくのはおれの左手だ。どうやら狼の体とおれの左手は一体化しているらしい。


「逃げるなよ。お前さっきの人形だよな?そうだろ?そうなんだよな」


 顔を近づけて詰問すると、狼は前脚で顔を隠し、身を固めた。


「おい、なんとか言えよ。お前、なんなんだ?」


 前脚が開き、狼が顔を突き出した。束の間、おれと狼は鼻と鼻を突き合わせて(にら)みあう。


「ハッハ~ン!」


 叫ぶと同時に狼の頭が不意に巨大化した。それはアラスカの森林に生息する、本物の灰色狼と同等の大きさを持っていた。巨大な灰色狼は、おれの顔目掛けて強大で凶暴なその(あご)を突きだしてきた。

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