領主の騎士(1)
それから三日が経ち、アイラは山小屋での生活に慣れつつあった。
ルルが作る料理は結構美味しかったし、ルルと一緒のベッドで眠るのも当たり前になっていた。
アイラは一切家事はしなかったし、そもそも「任せても絶対にできないから」とルルがさせてくれなかったが、新しい下僕となった馬の世話は積極的にやった。
と言っても、エサをやって、気が向いたら頭を撫でるだけだが。
あとは水を小川から運んでくる仕事もやった。バケツや桶に水を汲んだら、それを魔力で浮かせて運べばいいだけなので、ルルが腕力を使って運ぶより楽だからだ。
けれど迷ってはいけないからと、どの道ルルも毎回ついて来ていた。
男の子の格好をするのにも慣れた。というか、もう苦しいコルセットや、ひらひらした裾が邪魔なドレスは身につけたくないとまで思うようになった。
そして今日はルルがまた街に下りていたが、昼過ぎに帰ってきた彼は、食料以外にも色々と情報を仕入れてきていた。
「新しい国王にはアーサーがなったようです」
「へぇ、そうか。一応父上の血も継いでいるしいいんじゃないか?」
アイラは他人事のように言った。城での贅沢な生活が懐かしくなると思ったのに、今のところそれはない。
また、ルルが言うには、王族の中でアイラだけが行方不明で、騎士たちが行方を探しているという話も広まっているようだ。
そして国民はやはり騎士たちの行動を支持していて、あの夜の反乱は『エルトラーダ革命』と呼ばれるようになったらしい。
ルルはエプロンを付けて、アイラのおやつを作りながら続ける。
「サチの人気もより一層高まったみたいです。異世界から来た聖女が革命のきっかけを作り、国を悪い王族から救ったのだと」
「ふぅん。それよりあいつ、よく食べるな」
アイラは小屋の窓から、外にいる馬を見て言った。さっき人参を与えたのに、今はこの辺りの雑草が無くなりそうな勢いで草をはんでいる。小屋の周りが綺麗になっていいけれど。
「だから太ってるんだ、あの馬は」
「馬ばかり見ていないで真剣に話を聞いてください」
ルルは呆れてそう言いながらも、次にはフッと苦笑した。
「なんだかんだ言って、あの馬のことを気に入っているんですね。美しくない、自分にふさわしくない馬だと言っていたのに」
「まぁ、いいところもあるからな。あいつはのんびりしていて気性が穏やかだ。それに私に懐き始めているし」
そう言って、アイラは人参を持ってまた外に出て行く。「私たちが食べる人参がなくなりますよ」というルルの言葉は聞こえていないらしい。
そしてそれからさらに三日後、アイラは初めて街に下りる事になった。
ずっと小屋にこもっているのに飽き始めていたし、街の様子を見るに、アイラが行っても大丈夫そうだとルルが判断したのだ。
「アイリーデ公爵はやはり王都の騎士をあまり街には入れていないようですからね。すでに公爵の屋敷は一度王都の騎士に調べられ、アイラを匿っているという疑いは晴れているので、強気で締め出しているようです」
「それじゃあさっそく行こう! 私、城の外をほとんど歩いたことがないんだ」
普通、国を支配する王族だからこそ地方へ視察に行ったり、国民と直接交流する機会を設けたりするものだが、アイラの父たちはそんなことは一切しなかったので、アイラもあまり城から出たことがないのだ。
用がある時は、相手が貴族でも商人でも庶民でも、こちらから行くのではなく相手を城に呼びつけていた。
「街では大人しくしているんですよ」
はしゃぐアイラに笑みをこぼしつつ、ルルはそう言ったのだった。
「着いた!」
一緒に連れて行った馬を街の入り口で預け、アイラとルルはアイリーデに入った。
行方不明の王女だとバレなくてもアイラは人目につきやすいということで、ルルに言われて薄い外套のフードを被り、顔を隠している。
アイリーデは大きな街だが、あまり特色のない街だ。昔は織物の製造や、質のいい蝋燭が有名だったが、今ではその産業は廃れつつあるようだ。
物はいいのだが、領主にそれらの産業を支えて発展させる才覚がないのが主な原因だ。なんなら商人が力を持つことを恐れて、アイリーデ公爵自らが締め付けを行っていたふしもある。
「まずは昼食にしましょうか。美味しいと評判の店があるようなので、そこに行ってみましょう」
「分かった。私の口に合うか分からないが行ってみよう」
アイラは偉そうに言った。そしてルルの言う店に着いたのだが、その店構えにアイラは顔をしかめる。
店は『太った山猫』という看板を掲げていて、誰でも気軽に入れる大衆的な料理屋だった。特に汚いとか狭いということはないのだが、アイラにとっては庶民的過ぎる店だったのだ。
「もっと上品な高級店じゃないと、私の口には合わないと思う」
「料理初心者の私の料理を普通に食べてる舌の持ち主が何を言ってるんですか。それにこれからは贅沢はできません」
「私の宝石を城からいくつか持ってきたんじゃないのか?」
「そうですけど、この生活がいつまで続くか分からないのですから節約しないと」
「そうか」
アイラは納得して頷いた。自分が働いて給料を得るという考えはそもそも思いついていないし、ルルが働きに出るのも嫌だった。日中、自分の世話をしてくれる人間がいなくなるし、一人だと暇だからだ。
「入りますよ。逆に怪しまれるかもしれないので、店の中ではフードを取りましょう」
ルルはそう言うと、アイラのフードを後ろから軽く引っ張った。そして二人で店に入る。
昼時ということもあって店の中は賑わっていた。店内は広く、向かって右側に丸テーブルとソファーが置かれたゆったりした席が三つほどあり、左側には四角いテーブルと椅子の簡素な席が八つほどある。
「カウンターに座りましょうか」
ルルは店内を見渡して言った。席がほとんど埋まっているせいもあるが、カウンターならテーブル席の客たちに背を向けることになるので、顔を見られづらいと考えたのだ。
空いていたカウンター席に二人並んで座ると、忙しそうにしていた店主の男が、一旦作業を中断して声をかけてきてくれた。
「お客さん、注文……おや、随分綺麗な兄弟だ。兄弟だろ?」
「ええ」
「美形のお客さん、注文は?」
「おすすめの物を適当に。弟には肉、私には魚料理を」
「飲み物は?」
「林檎水と葡萄酒を」
「はいよ」
店主が準備に取りかかると、アイラはきょろきょろと店内の様子を観察した。客はみんな庶民で、ドレスを着た婦人もいなければ正装した紳士もいない。
でも、騎士服らしき制服を着た男たちの一団はいる。人数は六人で、広いソファー席に座っている。
あとの客は酒を飲みに来たような男もいれば、家族連れも恋人同士らしき男女もいて、みんなわいわいと雑談していた。
店員は三人いて、店主の中年男とその妻らしき恰幅のいい女性、それに給仕をしている若い女性だ。
「あまりきょろきょろしないでください」
「物珍しくてな。ところでナプキンはどこにあるんだ? フォークやナイフは?」
「ナプキンはありません。フォークはすぐに来ますよ。それより……」
ルルは横目でソファー席の方を見て、警戒気味に続ける。
「あそこに座っている騎士たち……あ、こら、そんなに思い切り見ないでください。顔は正面向けて。そうそう。……彼ら、アイリーデ公爵のところの騎士ですね。制服に公爵家の家紋が刺繍されています」
「ふぅん」
アイラもルルに習って彼らを横目で観察する。確かに公爵一家が登城してくる時には、あんな制服を着た騎士たちを引き連れていた気がした。