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新しい生活(2)

 ルルが出て行き、一人きりになると、アイラはすぐに暇になった。

 仕方がないのでさっそくお菓子のクッキーをかじる。日持ちするようにか、随分固く作られたクッキーだった。バターの風味もほとんどない。

 

「あまり美味しくないな。餓死寸前でやっと口に入れる気になるような味だ」


 そう独り言を言ってクッキーを皿に置くと、今度はベッドでごろごろする。

 そして時折ウトウトしていたら、いつの間にか結構時間が経ったようだった。少しお腹も空いてきた。


「もう昼くらいにはなったかな?」


 太陽の位置を確かめてみようと、「家の中にいてくださいよ」というルルの忠告をさっそく破って外に出る。

 昨夜は闇に包まれていた山の木々が、今は陽光に照らされて緑色に輝いている。小屋の前はひらけていて、背の低い雑草が生えていた。芝生というほど整ってはいないが、荒れ放題というわけでもない。

 そしてどこからか水の音が聞こえてくる。ここからは見えないが、近くに小川でもあるのだろう。


「行ってみるか。生活するには水は必要だからな、たぶん」


 アイラは何の危機感も持たずに歩き出した。常識のないアイラの頭では、迷ったらどうしようという心配など思いつきもしない。

 

「水を持って帰ったらルルに褒められるかもしれない」


 てくてく歩いて森に分け入る。しかし整備されていない地面は歩きにくく、すぐに嫌になってしまった。


「帰ろうかな」


 けれど水の音は近いし、もう少し歩けば川を発見できるはずだと、アイラは人生で一番の頑張りを見せた。

 と言っても十分ほど森を歩いただけだが、無事に小川を発見することができた。アイラの足では十分かかったものの、ルルなら小屋から三分で来られる距離だ。

 

「思ったより小さい川だ。魚もいない」


 魚がいれば獲って持ち帰れたのに、とアイラは残念に思った。別に魚が食べたいわけではないが、持ち帰ったらルルが喜びそうだからだ。ルルは確か肉より魚の方が好きだったはず。

 

「というか、水を入れる入れ物も持ってこなかったな。これじゃあ水を汲めない。仕方がない、水も諦めよう」


 小屋に戻ってバケツを取り、またここに戻ってくるという発想はなかった。アイラは周りの人間に世話をされながら温室で育ってきたので、そこから放り出されるとすぐに死ぬタイプだ。

 しかしアイラが小屋に戻ろうとしたところで、小川の向こう、ずっと遠くに牡鹿の姿を見つけた。あちらもすでにアイラのことを発見していて、耳を立てて警戒している。


「鹿か。鹿肉もまぁまぁ美味しいよな。獲ってみようか……」


 アイラはそう呟くと、逃げようとした鹿の動きを目だけで止めた。鹿はかなり遠くにいるが、視界の中にいるものの動きは操れるのだ。

 ただ、やはり遠いと魔力が影響しにくく、近くのものを操るより集中力が必要だった。それに複雑な動きはさせられない。


 アイラは鹿を見ながら、ちらりと地面を観察した。落ち葉や雑草に紛れ、あちこちに石が転がっている。

 右手の指を軽く動かし、まずは比較的大きな――リンゴ三つ分くらいの――石を魔力で持ち上げた。これを頭にぶつけたら鹿は死ぬだろうか?

 そして次に、小指の爪より小さな石を持ち上げる。これくらい小さな石なら手を動かす必要もないし、目で見続ける必要もない。そこにあるということが確認できたら、あとは意思だけで自由に操れる。

 遠くのものより近くのものの方が操りやすいのと同じように、大きく重いものより小さく軽いものの方が操りやすいのだ。


 アイラは鹿の動きを止め、大きな石を浮かせたまま、自分の目の前で小石を素早く動かした。ひゅっ、ひゅっ、と小石が風を切る音が聞こえてくるほど早く。

 重い石はここまで高速で動かせないが、小石なら簡単だ。

 小さな石を普通に投げただけでは殺傷能力は無いが、弓矢のように勢いをつけて放てば鹿の頭を撃ち抜ける。

 しかもアイラは放った後の石も操れるので、勢いが足りずに頭蓋骨にめり込んだだけで止まったとしても、そこから小石を魔力で押して貫通させることもできる。やったことはないが、おそらく。


「試してみようか」


 殺気をにじませて呟くが、しかし迷いもあった。鹿を殺した後で小屋まで運ぶのが嫌なのだ。

 力を使えば宙に浮かせて楽に運べるが、問題はそこではない。たとえ手で触れる必要がないとしても、頭から血を流して息絶えている鹿を運びたくなかった。


「それに持ち帰ったとして、ルルは鹿を捌けるのか?」


 自分ではもちろんやりたくない。けれどルルも動物の解体はできなさそうだ。彼は奴隷とはいえ少年の頃からアイラの世話をしてきていて、城での生活が長いのだ。

 

「……やめておこう」


 アイラは少し考えて鹿を逃がすと、二つの石を地面に戻した。動物を殺して解体するのは嫌な仕事だろうに、そういう仕事をしている人間は偉いなとちょっと思った。王族より偉くはないけど、ちょっとだけ。


 そして今度こそ小屋に戻ろうと来た道を引き返す。それほど遠くないため迷うことはなく、無事に小屋が見えてきた。

 しかし森を抜けようとしたところで、


「やめて!」


 甲高い女性の悲鳴が耳に響いた。

 木の陰から顔を覗かせて声がした方向を見てみると、街へ下りる時に使う道を誰かが登ってきている。

 男が三人と女性が一人、馬が一頭いる。男たちはいかつく、あまり育ちの良くなさそうな風貌で、一人は拘束された女性と共に馬に乗っていた。


「助けて! 誰か!」

「こんな山の中で叫んだって、誰も助けちゃくれねぇよ」


 泣いている女性にそう言うと、男の一人が小屋を指さして言った。


「ほら、あっただろ? 確かこの辺りに山小屋があったと思ったんだ。食料も酒も盗ってきたし、しばらくあそこで宴だな」

「いいね、最高だ」


 ニヤリと笑う男たちに、女性は必死で訴える。


「お願いです、私には夫も子どももいるんです!」

「知るか、そんなの」


 女性の言葉に耳を貸さず、小屋に近づき、扉を開ける。


「何だ? 前に来た時はもっと中は荒れてたはずだが、えらく整ってる。誰かが住んでるらしいな」

「ベッドも食料もあるぜ。こりゃあいい。住人が戻ってくれば殺せばいいだけだしな」

「――誰を殺すって?」


 男たちの後ろに立ってアイラが言うと、彼らは飛び上がって驚いた。


「うおっ! なんだ!?」

「驚かせやがって。ここの住人か」

「女? ……いや男か。だが、えらく綺麗なガキだ」


 アイラを見て、男たちはニヤニヤと笑った。脅威にはなりそうもないどころか獲物になりそうな相手だったので、腰にさしているナイフを抜くこともない。

 自分と一緒に酷い目に遭いそうなアイラのことを女性は不安そうに見ていて、女性と一緒に馬に乗っていた男も地面に降りた。

 こちらに近づいて来る男たちに汚い手で触れられる前に、アイラは口を開く。


「お前たちも兄上と一緒なんだな」


 失望したような、温度のない視線を向けて言う。


「昔から疑問だったんだ。どうして兄上は女を攫ってきてまでそんなことがしたいんだろうって。しかも見ず知らずの相手と。私は知らない男に触れたいと思ったことはないのに」

「何を訳の分からねぇことを言ってやがる」

「それにどうして兄上はルルとは違うんだろうと思っていた。だってあんなことしてるの兄上だけだ。ルルとかアーサー、他のほとんどの男は女を無理やり手篭めにしたりしない。なんで兄上はああなんだろう。なんでお前たちはそうなんだ?」

「ごちゃごちゃうるせぇよ。てめぇこそ何なんだ! ――うわッ!?」


 こちらに手を伸ばしてきた男をアイラは宙に浮かせる。胸ぐらを掴んで持ち上げているようなイメージで浮かせたので、手足は自由に動く。男はバタバタと空中で暴れていた。


「何だ!?」

「魔法か?」


 仲間の二人も驚いて焦り始める。

 アイラは続けて、宙に浮かせた男の両足を左右に大きく開いていく。


「痛ぇ! おい、やめろ、クソガキッ!」

「私も兄上にベタベタ触られたことがあるんだ。ルルが上手く母上を連れてきてくれて、母上が兄妹では駄目だって言ってくれたからよかったけど……。あの時のことを思い出したらムカムカしてきた」

 

 そう言って眉間に皺を寄せたアイラは、開いたままの小屋の扉を見た。ここから見える位置に包丁があったのでそれを魔法でこちらに飛ばし、男の股の辺りにピタリと当てる。


「お、おい! 何だよ! 何するつもりだ、てめぇ!」


 男はちょっと青くなって叫んだ。


「包丁で切ってやろうかと思ったけど、もっといいものがあった」


 アイラは包丁を捨てると、小屋に併設されている薪置き場――屋根付きの棚――に視線を向けた。そこには斧が立てかけられてあったのだ。


「これでお前のそこをぶった切れば、もうひどいことはできないだろう。そうすればお前は穏やかな人生を送れる。よかったな。私に感謝しろ」


 アイラは慈悲深くほほ笑んで言った。一方、最初は怒りで顔を赤くしていたが今は恐怖で青くなっている男は、結果的に紫色の顔をして震え始めた。

 アイラは斧を水平に浮かせ、そのままブンブンと素振りする。


「ちょっと練習」


 などと言いながら。

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