新しい生活(1)
小屋に入ったアイラは室内を見渡した。狭すぎて一目見ただけで全てを把握できる。
かまどに、小さな調理台、食器や食材を保管する棚、小型のテーブルにベッド。そしてあの扉の奥にはトイレや風呂場があるらしかったが、そちらもきっとびっくりするほど狭いのだろう。
「ベッドも小さすぎないか?」
「一人用ですから」
神妙な顔をしてベッドを見下ろすアイラに、ルルが笑って言う。
「服は? 私は今着ている寝巻きのワンピースしか持ってきていないぞ。しかも裸足だし」
この小屋には絨毯が敷かれていないので、アイラはベッドに腰を掛けた。足が汚れてしまう。
「今は春だからよかったものの、冬だったら凍え死んでる」
「かまどが暖炉代わりになりますから大丈夫ですよ。薪も外にありますし、それに服も靴もそっちの棚にちゃんとあります」
「用意がいいな」
「ありがとうございます。さぁ、今夜はもう寝ましょう。サチたちがいつ行動を起こすかは分かっていましたが、予定を変更する可能性も考慮に入れていたので、ここ数日あまり寝ていないんです。それから、追っ手が来るとしても今夜のうちにここを探し当てるのは距離的に無理ですから、安心してください」
「そうか」
確かに寝られるうちに寝た方がいいのかもしれないと、アイラはいそいそとベッドに入った。
しかしベッドが固い。下に敷かれているマットが薄すぎてほとんど役割を果たしていないし、毛布のふわふわ感も足りない。
「なんだこのひどいベッドは。枕も固い」
「普通はこんなものですよ。言うほどひどくないと思いますけど」
言いながら、ルルまでベッドに入ってくる。
「おい、ちょっと待て。なぜルルまで入ってくるんだ。これは私のベッドだぞ」
「私のベッドでもあります。二人で使うんですから」
「王女と奴隷が一緒にベッドで眠るなんておかしいだろう。ルルは床で寝たらどうだ?」
「嫌ですよ。寒い」
ルルは眉をひそめてそう言うと、自分も毛布にもぐりながら続けた。
「それにアイラはもう王女ではないのですから」
王女ではない、という言葉をアイラが受け止めているうちに、ルルはアイラを抱きまくら代わりにして目をつぶっていた。
「おやすみなさい、アイラ」
「奴隷のくせに私より先に寝るなんて……。まぁいいや」
アイラも眠かったので、そう呟くとさっさと寝たのだった。
翌日。
ルルが小屋に運んでおいたという食料を使って朝食のスープを食べ――調理はルルがしたが、カボチャが入っていなかったし意外と美味しかったのでアイラは文句を言わず食べた――、その後でこれからのことを話し合った。
「ずっとここに住むのか?」
「しばらくは。けれど騎士たちに見つかる前にまた移動します」
「あまり行きたくないが、見つからないようにするならさっさと国外へ行った方が良くないか?」
「いいえ、国境の検問を無事に突破できるか分からないので、国内にいた方が逆に安全だと思います。アーサーたちも我々が他国に亡命することをまずは疑うでしょうし、国境警備に人員を割くはずです」
「だが、いつまでもこの小屋にこもっていられない。食料だってすぐに尽きる」
アイラは床に置かれた箱の中のじゃがいもや玉ねぎを見て言った。そもそもここには日持ちのする食材しか置いてないので、すぐに食事に飽きてしまうだろう。さっきのスープも味は美味しかったが、具は大量の根菜とちょっとの干し肉が入っているだけだった。
ルルは言う。
「もちろん外には出ますよ。今日、私は街に下りて食材や必要なものを調達してくるつもりです」
「ルルは目立つから街にいる騎士に見つかってしまうぞ」
「アイラほどではありませんよ。それに変装もします。アイラにもしてもらいますよ。そのままで街を歩けば、騎士に見つかる前に変態に攫われそうですから」
「ヘンタイって何だ?」
「アイラのような美しい少女が気をつけるべき存在です」
「じゃあ変装って? 帽子でも被ればいいのか?」
そう尋ねるとルルはにっこり笑ったので、アイラはちょっと嫌な予感がしたのだった。
「ここまでするなんて聞いてない」
アイラは椅子に座って頬を膨らませた。
「男の格好をするなんて」
ルルの言う変装とは、アイラに男装をさせることだった。アイラは長く伸ばしていた髪を短く切られ、男の子がするような格好をさせられた。今はシャツとベスト、下は膝より短いズボンとブーツを履かされている。
しかも銀だった髪の色も、ルルの魔法で黒に変えられてしまった。
アイラが椅子に座って足を組み、ふんぞり返って怒っていると、ルルは片手で頭を抱えてこう言う。
「どうしましょう……。私は美少女を少しでも目立たなくさせようとしただけなのに、とんでもない美少年を生み出してしまいました。これでは別の種類の変態が寄ってくるだけです」
確かに今の姿のアイラも美しかった。艷やかな黒い髪に白い肌が映え、青い瞳と桃色の唇を目立たせている。
アイラの華奢な体は彼女を成長途中の少年のように見せることに役立っているが、やはり女性なので、普通の少年にはない妖艶さをにじませているのだ。
「……失敗しました」
「人の髪までばっさり切っておいて、失敗したはないだろう」
けれどアイラは髪にこだわりはなかったので、別にそこはどうでもよかった。怒ってみたけれど、実は男装だってそれほど嫌ではない。男の格好は結構楽だった。
ルルは気を取り直して言う。
「変態を引き寄せる容姿にはなってしまいましたが、まさかプライドの高い王女様が髪を切って男装しているとは誰も思わないでしょうから、変装としては成功ですね。アーサーのようにアイラのことをよく知っている者に近くで顔を見られたりしない限り、まずバレないでしょう。髪型や髪色が違うだけでも結構印象が変わりました」
「そもそも魔法で顔は変えられないのか?」
「顔や姿かたちを変えるのは高等な魔法なのです。一瞬ならともかく、私の実力ではそれを長く保つのは難しい」
そう説明してから、ルルは自分の髪色も変えた。金色の髪を、アイラと同じく黒くしたのだ。
「なんだかルルじゃないみたいで新鮮だ。意地悪そうな感じが増した」
アイラの感想にルルは意味深な笑みを返した。その笑みも意地悪そうに見える。
「アイラと私は兄妹という設定にしましょう。名前も変えた方がいいかもしれませんね。私はそのままでも大丈夫でしょうが、アイラという名はこの国では王女の名前ですから」
アイラが生まれて『アイラ』と命名された日に、国中におふれが出て、アイラという名前の者はみな改名させられたのだ。
だから今では、アイラという名前の人間はこの国では一人しかいなくなっていた。
「逆さにしてライアにしますか? そうすれば男の子につけてもおかしくない名前になりますし、何の関連性もない名前にしてもアイラは忘れてしまうでしょう」
「そうだな、分かった」
名前にも特にこだわりはないアイラは素直に頷いた。
ルルは切ったアイラの髪を掃除した後、アイラのためにお茶とお菓子、昼食を用意し、出かける準備をしてこう言う。
「では、私は街に行ってきます。せっかく男装しましたが、アイラは今日は留守番していてくださいね。まず私が街の様子を見てきますから」
「分かった」
「昼食もスープですが食べてくださいね。冷めてしまうでしょうが、危ないから火を使っては駄目ですよ。包丁も持たないように。お菓子は小腹が空いたら食べてください。私は夕方には戻ってきますから」
「歩いて行くのか?」
「ええ。ここは小さな山ですが、街まで下りるには片道一時間はかかります。買い物にも時間がかかるでしょうから、ちゃんと待っていてくださいね。あまり外には出ないように。家の中にいてくださいよ。お腹が空いたらスープとお菓子を食べるんですよ」
「分かった分かった」
アイラが適当に頷くと、ルルは不安そうな顔をしながらも家を出ていったのだった。