元奴隷(2)
「ポルティカは外国の船もやって来る港があって、この国で一番栄えていると言ってもいい大きな街だ」
「そうなんですか!」
ティアの瞳に少し希望が宿った。よく分からないアイラの存在に対しては未だに困惑しているようだが、ポルティカに興味はあるようだ。
「とにかく今日はもう日が暮れる。宿を取って休むぞ。お前たちの分の宿代もついでに払ってやる。遠慮するな。私は憐れな弱者には優しいんだ」
「アイラ」
ルルが小声で諫めるが、アイラはこの姉弟をポルティカまで連れて行くと決めたようだ。ルルが何を言おうとそれは覆りそうになかった。
ルルはため息をついて財布の中身を確認する。グレイストーンで伯爵に頼み、宝石を一つ換金していてよかったと思った。
「あの、どうしてそんなに良くしてくださるんですか?」
トーイが立ち上がって、おずおずとアイラに尋ねてくる。
「どうしてって、強いからかな。私は強いから、弱い者には優しくするんだ。あとはそう……賢王サンダーパトロスやヘクターなら、お前たちを放っておかないだろうなと思った。そして父様や兄様、叔父上たちは放っておくだろうなと思ったんだ。だからだ」
「……?」
トーイたちはアイラの言っていることが分からず首を傾げたが、アイラは父たちの姿を思い出しながら、あんなふうになるのは嫌だと思った。弱い者を守ることなく虐げる姿は、何だか醜かったから。
「しかし奴隷制度が廃止されたことによって、奴隷が困ることになるとはな」
アイラの呟きに、ティアが静かな声で応える。
「仕事のこともそうですが、奴隷だった時には悪い人間に絡まれることもなかったんです。奴隷にはお金持ちや権力者の主人がいますから、悪い人間もその主人にケンカを売るようなことはしたくないんでしょう。奴隷制度の廃止が決まった時はとても嬉しかったのですが、急に奴隷という身分を失って、困ることも多いです。いっそ奴隷のままだった方がよかったのかもしれないと思ったりして……」
「そんなことないよ! これから仕事を見つければ、きっと奴隷だった時より幸せな生活が送れるよ。頑張ろうよ、姉さん」
「……ええ、そうね。弱気になっちゃ駄目よね。頑張りましょう、トーイ」
弟に励まされてティアはほほ笑みを浮かべた。けれど、まだ少し不安そうな顔もしていたのだった。
その後、アイラたちは宿を見つけてそこに宿泊した。ティアとトーイの部屋も取れたので、二人の分の宿代もルルが払う。
と、宿の主人の男がティアたちの身なりを見てこう言う。
「後ろの二人、元奴隷かい? あんたたちは綺麗だし、奴隷には見えないが……」
「そうだな、二人は元奴隷だが私は違う」
アイラは簡単に答えたが、面倒なのでティアたちと一緒にいる事情は話さなかった。
宿の主人はティアとトーイに向かって言う。
「お前たち、もし仕事を求めて来たのなら他の町に行った方がいい。この町にはすでにたくさん元奴隷たちが来て仕事を探しているからな」
「心配ない。こいつらはポルティカに行くんだ」
答えたのはアイラだ。
すると宿の主人は安心したように言う。
「そいつはよかった。元奴隷が増えてもこの町にある仕事は限られてるし、路頭に迷った彼らがこの町に住み着いてしまったら、治安が悪くなりそうで困るからね。今もその辺で野宿している元奴隷たちをちらほら見かけるよ。聖女様も奴隷制度を廃止したのなら、その後の就職まで面倒見てやってほしいね」
「まぁそれは大臣たちが何とかするだろ」
アイラはそう言いながら、王城にいる大臣たちの顔を思い浮かべた。賢い者は賢いがゆえに父に処刑されてしまっていたりもするが、まだ何人か優秀な大臣や役人が残っていたはず。
多くの元奴隷たちが仕事に就けずに浮浪者のようになったら、大臣たちの耳にもその問題が届くだろうし、対策を立てるだろうと思う。現国王のアーサーも動いてくれるはずだ。
「大臣たちより、サチが何とかするべきだとは思わないんですか?」
鍵を受け取って部屋に向かいながら、ルルは後ろの姉弟に聞こえないよう小声でアイラに尋ねる。
アイラは帽子を脱ぎつつ返した。
「思わない。サチには無理だろう。政治とかそういうのは」
「アイラはサチに甘いですね。言い換えれば何も期待していないということでしょうが」
「だって私は知ってるからな、あいつがただの一般庶民だってことを。他の世界から来て、私たちが知らないことも知っているとはいえ、サチは聖女じゃない。そうだろう? 国民が期待しているような、何でもできる崇高な存在じゃないんだ」
アイラはサチを貶したいわけではなく、ただ事実を述べた。サチを『聖女』ではなく『サチ』として見ている人間は、もはやこの国では少なくなっている。
そしてアイラは部屋の前でティアたちと別れると、ルルと共に休息を取ったのだった。
翌日、一泊しただけでアイラたちはこの町を発つことにした。騎士たちに追われている身であるし、目的地に着くまではあまり一か所に長居しない方がいい、というルルの計画に従ったのだ。
「ライアさん、馬を連れてきました!」
ちなみにティアとトーイには、ルルとアイラは兄弟だと伝え、アイラの嘘の設定――幼い時に親を亡くし、そのせいでおかしくなり、自分のことを王子だと思っている――も教えてある。
心優しく騙されやすいティアとトーイは、まんまとそれを信じてアイラに同情し、おまけに王子の従者になりきってくれている。
「ちょうど馬を連れてこないとと考えていたところだ。お前は気が利くな」
「ありがとうございます!」
トーイは偽の王子でも『誰かに褒められ認められる』ということが嬉しいらしく、本気で喜んでいる。
ルルは眉をひそめて言う。
「失礼を承知で言いますが、奴隷根性が染みついていますね。ライアに対する優しさで従者の振りをしてくれているというより、当たり前のように無償で労働しているでしょう? あなた方はもう奴隷ではないんですから、意識を変えた方がいいと思いますよ」
「う……。そうですね」
「私たち、生まれた時から奴隷だったので……」
ルルの言葉に、トーイとティアがおどおどと返す。
「あなた方の体も、身につけている物や持ち物も、労働力も、もう誰かのものではないのです。自分のものは自分のものなんですよ」
ルルがそう言うと、トーイはハッとした様子で頷いた。
とはいえ、奴隷気質の二人と生まれながらに偉そうなアイラの相性は良過ぎた。だからどうしてもトーイとティアはアイラのために働いてしまうようだ。
トーイは「ライアさん、帽子がずれています」と言ってはアイラの帽子を直し、「僕が馬を引きますよ」と言っては手綱を引き始め、ティアは「水たまりがありますからこちらを通った方がいいですよ」と言ってアイラを誘導する。
すると、
「あまり甘やかさないでください。着替えやお風呂のように、せっかく一人でできるようになったこともあるのに、あなたたちが世話をしていたらまたライアは何もしなくなります。それから基本的にライアの世話は私がしますので」
真っ当な保護者としての意見と独占欲をない交ぜにしつつ、ルルが言う。
「すみません、つい……。ほんとに奴隷根性が染みついてるのかもしれません」
トーイはしょんぼりして手綱をアイラに返した。
そして何やら考えながら、先ほどルルに言われたことをブツブツ言いつつ歩いている。
「僕は僕のもの。僕の持ち物も僕のもの……」
そしてしばらくすると、トーイは立ち止まった。
「あ、あの、すみません。僕、宿に忘れ物をしてきてしまいました」
「そんなわけないだろ」
「えっ!?」
アイラに即座に言われて、トーイは動揺する。
「そんなわけないって……?」
「金も奪われてるお前が何を忘れたって言うんだ? 忘れる物がそもそもないだろ」
「き、決めつけがすごい……。でも、えっと……とにかく大事なものなんです!」
トーイはそう言うと踵を返した。来た道を戻ろうとしたのだが、そこで驚いて立ち止まる。
自分たちの後ろに、この町の不良たちが立っていたからだ。人数は六人で、全員まだ十代後半くらいの若者だった。
どうやら彼らはトーイの金を奪った不良たちのようで、トーイは彼らを見て一瞬怯んだ。




