出立
奴隷商館で追っ手の騎士たちに見つかってから、アイラはグレイストーン伯爵の城に逃げ込み、結局そこに一ヶ月半も滞在する事になった。
王都の騎士たちの警戒が弱まるのを待っていたからだ。
騎士たちは一度この城を訪れ、中を隅々まで探ったが、伯爵や使用人たちは知らないふりをするのが上手だったし、アイラたちは一時的に地下に隠れていたので見つかる事はなかった。
「拷問部屋には今は入らない方がいいですよ」と伯爵がほほ笑んで言うので、アイラたちは牢屋の方に身を隠していたが、拷問部屋の方から女のうめき声が聞こえてきたのは気のせいだろうか。
街の宿に置いてきていた荷物や馬たちは、伯爵家の使用人のロンが王都の騎士たちの目を盗んで回収してきてくれた。
「宿代も代わりに払ってきてくれたか?」
アイラが尋ねると、ロンは無表情のまま頷いた。
「ええ。言われた通り、少し多めに渡しておきました」
「ご苦労。ルルほどじゃないが、なかなか使える奴だな、お前」
「どうも。街では行方不明の王女が現れたという話題で持ちきりですから、宿の主人やおかみさんたちも、自分たちの宿に滞在していたライアというやけに偉そうな少年の正体に気づいたようでした。けれど主人たちはあなたの事を心配していましたよ。王都の騎士たちから上手く逃げられるか、ちゃんと食事を取れているかと」
ロンはそう言うと、紙に包まれたサンドイッチをアイラに手渡した。
「おかみさんがそれをあなたたちに食べさせてやれと」
「ヘクターの城にいる限りは豪華な食事が食べられるんだけどな。でもせっかくだから食べよう」
アイラはそう言いながら、貰ったサンドイッチを完食したのだった。
匿ってもらっている間、アイラは敷地内からは出られなかったが、城の中は広いので窮屈な思いをする事はなかった。
服や靴も新しいものをグレイストーン伯爵が買ってきてくれた。
「私には息子しかいませんからね。女の子の服を買うのは楽しいですよ。妻が生きていれば、彼女も娘ができたように感じて喜んだ事でしょう」
などと、楽しげに言いながら。
けれどアイラはすでに男装に馴染んでいて、豪華なドレスを着るのは面倒だったので、コルセットの必要ないワンピースを買ってもらって着ていた。
ちなみに伯爵の息子も妻も、伯爵の趣味の事は知っていたようだ。妻からは「たとえ悪人でも苦しめるのはいけない」ととがめられる事はあったと伯爵は苦笑しながら話した。
息子もまともな人物だが、伯爵の趣味をやめさせる事はできないと悟って、伯爵が悪人を獲物にしているうちは、地下室の事は何も知らない振りをするつもりらしい。けれど何の罪もない人まで襲うようになったら、自分があなたを捕まえますからねと釘を差されているようだ。
「おい。これ、カボチャが入ってる!」
ある日の夕食の時間。
アイラは自分に出されたグラタンの中に憎きカボチャの姿を見つけて言った。
「それがどうかしましたか?」
同じテーブルについて食事をしていたグレイストーン伯爵が不思議そうに尋ねてくるので、アイラは怒って返す。
「私はカボチャは嫌いなんだ。なのにどうして料理に入れるんだ」
「知らなかったもので」
伯爵は笑って言う。
「グラタンは好きなのに、カボチャが入っているせいで食べられない」
「カボチャをよければいいのでは?」
「面倒だ。だって切ったカボチャが五つも入ってる」
「アイラ」
後ろに立っているルルが、呆れたように呟く。
伯爵も「五つくらい……」と呟いたが、アイラのグラタン皿を自分の方に引き寄せ、カボチャを全部取り出してくれた。
「これで食べられるでしょう」
「悪いな、ヘクター」
「伯爵にカボチャを取り出させるなんて……」
ルルはアイラの後ろでハラハラしていたが、伯爵はわりと楽しそうだ。アイラのわがままを父親のようにそっと諌める事もあるけれど、これくらいのものなら笑って許してくれる。
というか、伯爵はアイラの色々な言動がツボに入るらしく、よく声を漏らして笑っている。今も「カボチャはもさもさしているから嫌なんだ」と本当に嫌そうに言うアイラに笑っていた。
伯爵がいつアイラに牙を剥くのか、油断したところで拷問部屋へと連れて行くのではないか、とルルは何気に警戒していたけれど、伯爵は本当にアイラの事は獲物として見ていないようだった。
アイラにお金の数え方を教えたり、為政者としての在り方を語ってみたり、本を与えたりする一方、金を惜しまず服やお菓子を買ってきたりして甘やかす。
「私は彼女のファンなんだよ。支持者なんだ」
ある日の午後、伯爵は裏庭に出したテーブルセットに座ってお茶を飲みながら、後ろに立っていたルルに言った。
伯爵の視線は、母馬と子馬と一緒に庭を駆け回っているアイラに向いている。
「彼女は、人々の心を引きつける才能がある。それは持って生まれたものだよ。彼女は王族として、生まれるべくして生まれたのだろう。庶民の器は彼女には小さすぎる。ただ、この国の腐った王族の元に生まれてきてしまったのは残念だったがね」
ルルは黙って伯爵の話を聞いていた。
「私は幼い彼女をひと目見た時から、彼女に心酔していたよ。この子を引き取り、自分の手で立派な王女に育て上げたいと思っていた」
「そんな事を考えておられたのですか」
ルルが思わず言うと、伯爵はフッと笑みをこぼした。そして話を少し変える。
「陛下には私から話をしよう。アイラ王女を殺さぬようにと。陛下は元々王女を新しい王にと考えていたようだし、彼は王という地位に固執していない。王女が城に戻っても、陛下は彼女を殺さないだろう」
「ええ、それはそうだと思うのですが、私が警戒しているのはアーサー陛下ではなくサチの方なのです」
「聖女か……。エストラーダ革命が起きた後、陛下の戴冠式で彼女にも会ったが、なかなか興味深い人物だったよ」
「それはどういう意味ででしょう」
ルルの質問に、伯爵はティーカップを口元に運びながら怪しい笑みを見せた。
「サチはどうやら元の世界では異性に人気があったらしい。どんな異性でもサチが気のある素振りを見せれば、すぐに自分の事を好きになったと言っていた。しかしそれが当たり前すぎて、それを嬉しいとは思わなくなっていた、とも。けれど彼女はこの世界へ来て新たな喜びを見つけたのだ。異性としてではなく、ただ純粋に人々に求められる事が嬉しいのだと、彼女は言っていたよ」
伯爵やルルの視線の先で、「疲れた」と言って駆け回るのを止めたアイラを子馬がつついている。
「サチはそう説明していたが、つまりは相手から崇拝される事に快感を感じているのだろう。それは性愛の対象として愛されるよりもずっと価値のある事だからだ。彼女は極悪人ではないが、自分の自己顕示欲の強さも、自分が正義を振りかざしている事にも気づいていない。自分は正しい事をしていると思っている」
「そうですね……」
「アイラ王女とは違う意味で、彼女が今後どうなるのか楽しみだよ。サチは大きな可能性を秘めている。獲物として、いつか私に愉悦を与えてくれるかもしれない」
そう言って、伯爵は灰色の瞳を細めた。まるで獰猛な獣が舌なめずりしているようで、ルルはサチにちょっと同情した。
「ところでこの新聞を見たか?」
「いえ」
「数日前のものだが、王女の記事が出ているよ」
テーブルの上に置いてあった新聞を手に取ると、伯爵はそれをルルに手渡した。
ルルがそれに目を通すと、
『アイラ王女、今度はグレイストーンで奴隷商館を破壊。攫われた子どもを助けたのか?』
という見出しが目に入った。王女は奴隷商館の建物を破壊して街で騒ぎを起こしたが、住民や領主の話によると、奴隷として異国に売られそうになっていた子どもを助けようとしてそうなったらしい、という事が書いてある。
街の住民の証言として、『うちの弟たちを助けてくれたんだ』というセイジのコメント、『うちの宿に泊まっていたけど良い子だったよ』という宿のおかみさんのコメントまで乗っている。
「王女は味方を作るのが上手い。それは好かれようという計算をしていないからだろう」
伯爵は満足げに言う。
と、そこで、
「おい、やめろ!」
地面に座り込んだままのアイラが悲鳴を上げた。どうしたのかと見てみれば、母馬と子馬にがぶがぶと肩や腕を噛まれている。
「ルル、ヘクター、助けろ! こいつら噛むんだ。私が主人なのに!」
「馬が甘噛みしてくるのは愛情表現ですよ」
伯爵はサチの話をする時に見せていた獰猛さを消して、ハハハと笑ったのだった。
そして出発の日。
アイラは城の外まで見送りに出て来てくれた伯爵と向き合った。
「王城に戻る気がないのなら、ずっとここにいてもいいんですよ。あなたがいなくなると寂しくなります」
伯爵に優しくそう言われ、アイラはそれもいいなとちょっと思った。伯爵はアイラの本当の父親と違って些細な事で怒ったりしないし、優しく、物知りで、アイラが進むべき道を示してくれる。
けれど……
「私を狙わないと言っても、拷問が趣味の奴とずっと一緒に生活するのは嫌だ。この一月半、時々何か悲鳴のようなものが聞こえてきた気がするし、お前、私がいてもあの部屋普通に使っていただろ。自重しろ」
アイラがそう言うと、伯爵は無言で口角を上げて笑った。不気味だ。
そして話を戻してこう言う。
「アイラ王女にはここにいてほしいとも思いますが、このまま国中を旅してほしいとも思います。今まではほとんど王城の外に出る事もなかったでしょうから、旅する事で様々な経験を得られるでしょう。ところでこれからどこへ向かうつもりです?」
「適当に進む」
「南へ向かいます」
アイラに代わって答えたのはルルだ。
「当初は、このまま街道を進んで北へ向かい、ノーサーズの街に潜伏するつもりでした。けれどそのルートを進む事はおそらく追っ手も予想しているでしょうから逆に南へ下ります。最南の港街、ポルティカを目指すつもりです」
「カトリーヌのところか。まぁいい選択だろう。異国の人間も多いあそこなら、アイラ王女も目立たない。この周辺にはまだ王都の騎士たちがいるし、送れるところまで馬車で送らせよう」
「ついでに馬たちも運んでくれ」
「もちろんいいですよ。子馬は荷車に乗せましょう」
快く答えた伯爵に、アイラは「良い奴だな、ヘクターは」と言う。
「拷問が趣味でさえなければ、もっと良い奴だったんだけどな」
「人は誰しも完璧ではないのですよ」
伯爵は最後にそう言って、アイラとルルを馬車へとうながしたのだった。




