行方不明の王女
「ごめんー!」
バレたなら仕方がないと、アイラは大きな窓を開けて、ルルに向かって謝った。
商館が半壊した大きな物音に気づいてだろうか、夜中だというのに、通りには寝巻き姿の街の住民たちがたくさん出てきていた。そしてみんなこちらを見上げている。
ルルの隣にはグレイストーン伯爵や伯爵家の騎士たち、そしてセイジの姿も見えた。
「あ、セイジ」
アイラはそこでケビンたちを呼び寄せると、子どもたちに窓から顔を出させる。
「ケビンたちは無事だったぞ! 子どもたちは九人いたが、みんな無事だ」
「ケビンー! コリー! デイジー!」
よかったぁ! と半泣きになって、セイジはその場に座り込んだ。
「でも問題があって、階段が壊れたから――」
アイラがルルたちに向かってそう説明していた時だ。
「いた! あそこだ!」
通りの向こうから騎士の一団がやって来た。アイラを追っている王都の騎士だ。
そして先頭には、アイラも顔を知っている騎士がいた。確か兄の近衛をしていた騎士だ。そして彼の隣には、先ほど裏通りでアイラに声をかけてきた二人の騎士がいる。
「あの子が本当に? 確かに人目を引く容姿でしたが、ただの貧しい子どもに見えましたが……」
「それに身を隠すためとはいえ、プライドの高い王女があんな格好をしますか?」
「いや、間違いない」
二人の騎士の言葉に、元近衛の騎士が返す。
「あれはアイラ王女だ。お前たちが色白で青い瞳の人形のような孤児がいたと言うから、まさかとは思いつつ可能性は低いと思っていたのに……本当に王女だとは」
色の白さと青い瞳の美しさ、そして人形のような容姿を、アイラは幼い頃から周りに褒められてきた。その三つと艷やかな銀髪が、アイラを象徴する外見的特徴なのだ。
だから元近衛の騎士も、その単語を出されてアイラの事を真っ先に思い浮かべたのかもしれない。
「こんな時に……」
アイラは舌打ちしたくなった。
「二階ヘ上がってアイラ王女を捕まえろ!」
そして騎士がそう叫ぶと、街の住民たちもざわめき出した。
「王女? 今、アイラ王女って言ったか?」
「あの人たち、王都の騎士様よね? 逃げている王女を追っているっていう」
「でもあの黒い髪の子が王女? 男の子に見えるけど……」
「だが、とても綺麗な子だ。肌だって日に焼けていないし、王女が変装しているとしても不思議じゃない」
「確かにそうね」
騎士のせいで住民たちにもアイラが王女だとバレてしまった。
「二階へ行く階段がありません!」
けれどアイラたちが下りられないという事は、騎士たちも上がってこられないという事で、しばらく彼らの事は放っておいても問題なさそうだった。
そこでアイラはまず、ベッグマンと鉄柵の下から這い出てきた無精髭の男を地上に下ろす事にした。
「うわっ、何だ!?」
二人を宙に浮かせ、窓からぽいと放る。けれど一応、ちゃんと地面に足がつくまで浮かせてやった。
「そいつらが子どもを攫った犯人だ。奴隷として異国へ売ろうとしていたらしい」
アイラがそう言うと、ベッグマンたちは伯爵家の騎士に捕らえられた。
「じゃあ次は子どもたちを下ろすぞ」
「慎重に頼む!」
セイジが懇願するように言うが、アイラももちろんそのつもりでいる。大人は頑丈だが、子どもの体はこの商館のように脆いに違いないから。
「よし。じゃあケビンからな」
「ぼく!? こわいよ」
「大丈夫、大丈夫」
「うわぁ!」
宙に浮かせると、ケビンはばたばたと手足を動かした。
「おい、動くな。じっとしてろ」
「でも落ちたらどうするの?」
「私が魔力で操っているんだから落ちない」
「でも……」
優しいけれど怖がりなケビンに、アイラは最終的にこう言う。
「覚悟を決めろ。たとえ落ちたって、二階からなら死にはしない」
「うわぁぁん!」
ケビンは泣いたが、二階から地上までの距離は短かった。それに騎士たちも街の住民も、もしもケビンが落下した時のために手を挙げて受け止めようとしてくれていた。
「何事だ?」
「どうやら攫われていた子どもが無事に見つかったようですが……」
「奴隷にされかかっていたみたいですね。こんなところ聖女様が見たらきっと犯人にお怒りになるでしょう。我々も協力しましょう」
王都の騎士たちはアイラの事を捕まえようとしていたが、階段も崩壊している上にアイラも二階から動かないので、子どもたちを保護する伯爵家の騎士たちにとりあえず手を貸す事にしたようだった。
「次、コリーな」
「わぁい!」
コリーは楽しげに地上に下りていったが、末っ子のデイジーはいざ宙に浮いたところで激しく泣き叫んだ。
「やだぁぁぁ! こわいぃぃぃ!」
「暴れるなって!」
あまりに激しく抵抗するので、下ではセイジはもちろん、騎士たちも街の住民たちもハラハラしながらこちらを見上げている。
「ゆっくり下ろすからな」
そして泣いているデイジーを何とか無事にセイジの腕の中に着地させると、みんなから歓声と拍手が上がった。
「怖かったな。もう大丈夫だからな」
セイジはそう言って妹の頭を撫でた。
けれど二階に残った子どもはまだ六人もいる。住民の中にはその家族らしき者もいて、心配そうに我が子を見上げているが、アイラは残りの子どもたちも一人ずつ慎重に地上に下ろしていった。
そして子どもを下ろすたび、住民からは歓声が湧き上がる。
「これは魔法なのか? 人が宙にふわふわ浮くなんて」
「そうに違いないわ。王女は魔法使いらしいし」
「何にせよ、みんな無事に下りられてよかった」
「でもまだ王女が残っているわ」
大通りにいる人々は、アイラも浮いて下りてくるのだろうと思っているようだった。けれどアイラは自分を操るのは苦手なのだ。
試しに、二階の廊下で自分を浮かせてみる。
けれどすぐに、ぐるんとひっくり返ってしまった。
「うわっ!」
空中でばたばたと暴れていると、集中が切れて廊下の床に落っこちた。それほど高い位置で浮かんでいたわけではないが、顔から床に落ちてしまって痛い。
「くそ……」
アイラは諦めて立ち上がると、窓から外を覗いてこう言った。
「私、どうしたらいいんだ! 下りられない!」
「子どもたちを下ろしたみたいに浮けばいいだろ?」
「自分の事は浮かせられない! 助けろ!」
セイジの言葉にそう返すと、下がまたざわざわし始める。住民たちはこう言っていた。
「彼女の事を助けるべきか? 処刑を恐れて逃げている王女だろ?」
「だけど子どもたちを助けていたし……」
「それに彼女もまだ半分子どものようなものだ。アイラ王女を実際に見たのは初めてだが、まだ幼い。最終的に処刑するかどうかは聖女様やアーサー陛下が決めることだし、今は助けるべきだ」
「ええ、私もそう思う。家からテーブルクロスを持ってきましょうか? みんなでそれを持って受け止めるの」
しかし話を聞いていたアイラはこう訴える。
「そんなの無理だ! テーブルクロスもお前たちの握力も信用できない! 違う方法を考えろ!」
「わがままな……」
助けようとしてるのに、と思いつつ、何故かアイラを見放せない住民たちだった。
すると別の住民が、家から持ってきたらしい縄の束を伯爵家の騎士に渡した。
「これ、何かに使えれば……」
そして縄を受け取った騎士に、グレイストーン伯爵がこう提案する。
「その縄の先をあの窓に投げ入れられるか? 王女に上で柱か何かに結んでもらって、誰かが上に登る事ができれば……」
「自分がやります」
一人の騎士がそう申し出て、縄の先を結んで重りにし、それをアイラのいる窓に向かって投げた。
縄の先は無事二階に到達したので、アイラはそれを檻の柵にきつく結ぶ。
「結んだぞ。これでいいのか?」
「ええ、そこで待っていてください」
騎士は縄を引っ張って強度を確かめてから、手で縄を握り、外壁に足を付きつつ、二階へと上がっていった。
「軽業師みたいな奴だな、お前」
「どうも」
そして二階に到達した騎士は、窓から中に入ってからアイラをおぶった。
「まさかこのまま下りるのか?」
「そうです。しっかり掴まっていてください」
「嘘だろ!? 絶対落ちる!」
わめくアイラを無視して、騎士は縄を握って窓から身を乗り出した。
「二階から落ちても死なないよー!」
「打ちどころが悪かったら死ぬんだよ!」
下から叫ぶケビンの言葉に、アイラは半泣きで返した。
そうこうしているうちにも、騎士は壁に足をつきながら少しづつ縄を伝っていく。
「ちょっと……苦しいです。首を絞めないでください」
アイラが必死で抱きついてくるので騎士は窒息しかけていた。そして地上では住民たちが「意外と怖がりなのね」と話している。「二階ってそんなに高くないのにね」とも。
やがてアイラと騎士が無事に地上に降りると、アイラはへなへなと地面に座り込んだ。
「ああ、怖かった。九死に一生を得た」
「大げさだな」
「でももう大丈夫よ」
半泣きのアイラを、住民たちが笑って励ます。
「ねぇ、あなた本当に行方不明の王女様なの? 私、王族と会った事なんてないけど、思っていたような人じゃないみたい」
「そう言えば、前国王や王妃、王子が誰それを理不尽に処刑したとか、そういう話はよく伝え聞いていたけれど、アイラ王女の話はほとんど聞いた事がなかったな」
「立てるかい? 王女様」
住民の一人に手を差し出されて、アイラはやっと立ち上がった。
ルルもすぐ側にやって来て、「大丈夫ですか?」とアイラを支える。
しかしそこで、王都の騎士たちが住民たちをかき分け近づいてきた。
「アイラ様」
一番先頭にいるダヒレオの元近衛騎士は、難しい顔をして言う。
「どうぞこちらに。大人しくしていてくだされば乱暴な扱いは致しません」
「いやだ」
騎士に捕まる寸前に、アイラは一歩後ろに下がってその手を避けた。
「処刑されるかもしれないのに大人しく捕まるわけないだろ」
「陛下は仕方なくそういう手段を取られるかもしれませんが、聖女様はそんな事なさいません。きっと聖女様が陛下を説得してくださるでしょう」
「逆だろ。アーサーは私を処刑しないだろうが、サチはするかもしれない」
言いながら、アイラはルルと共に体を反転させて走り出した。
「待て! 捕まえろ!」
騎士たちは逃げるアイラを追おうとするが、その前に子どもたちが立ちはだかった。ケビンやコリー、デイジー、それにこの奴隷商館で捕まっていた他の子どもたちも。
「ライアの事、いじめるな!」
「あの人、私たちの事たすけてくれたんだよ!」
そしてセイジや、他の子どもの親、街の住民たちも、アイラと騎士たちの間に割って入って壁になる。
「ここは通さねぇぞ!」
セイジだけは騎士とやり合う気満々だったが、街の住民たちの多くは迷いながらアイラをかばっているようだ。
「なぁ、本当に王女を逃がすべきなのかな?」
「分からん。だがなんとなくこうした方がいいような気がして……」
「憎めない人だし、子どもたちも懐いているようだから」
けれど住民たちが騎士の行く手を阻んでくれたおかげで、アイラとルルはその場から逃げる事ができた。
「うちの城に逃げなさい。いざとなれば地下に隠れられるし、あそこにいればまず見つからない」
「ええ? あんなところに隠れるの嫌だ」
「今はそんな事を言ってる場合じゃないだろう。そこにいる馬を使うんだ」
そしてグレイストーン伯爵は王都の騎士たちに気付かれないようにそう囁き、いつの間にか用意されていた二頭の馬――おそらく伯爵家の騎士たちが乗ってきた馬だろう――を視線で指し示した。
アイラとルルは有り難くその馬を使わせてもらい、伯爵の城に向かって大通りを駆けたのだった。




