奴隷解放(2)
アイラが奴隷商館に売られそうになった次の日。
睡眠薬入りの葡萄酒を一口飲んでしまった代償はひどくはなく、昨日は早くに寝てしまったが、朝はすっきり起きられた。
そして夕方になると、昨日は外で食べられなかったからと、二日連続で街へと繰り出す事にした。
「今日は財布を持ってきたか?」
宿の中の階段を降りながらアイラがルルに言う。
「ええ、もちろん。昨日のような思いはもうしたくありませんからね。泣いているアイラがあの男に連れられているのを見た時は、頭に血が上りすぎて死ぬかと思いました」
「大変だったな」
「他人事みたいに……。今日は知らない人間について行ってはいけませんよ」
「なるべく頑張る」
「それにしても、昨日のあの男の事を思い出したらまたイライラしてきました。次に会ったらもう一発くらい殴っておかないと――」
などと言いながら宿から出たところで、ルルはぴたりと言葉をとめた。
「どうした? ……あ」
アイラはルルの視線を追って、右を見る。
すると――
「え? あ! お前ら!」
なんと、宿の前を偶然セイジが歩いていた。
彼はアイラたちの事を発見すると顔を青ざめさせる。
「いいところで会いました。ちょうどあなたの事を考えていたんです」
「ひー!」
逃げようとするセイジの肩をきつく掴んで、ルルはにっこりほほ笑む。
セイジは慌てて言った。
「いやいやいや、ちょっと待って! 見て、これ! 子どもの前で暴力を振るうつもりか!?」
セイジが両手を持ち上げると、その手はそれぞれ小さな子どもと繋がっていた。右手は六歳くらいの男の子と手を繋いでいて、左手は三歳くらいの女の子と手を繋いでいるのだ。さらにその隣には十歳くらいの男の子もいる。
「子どもが三人……。お前その子どもたちを奴隷商人に売るつもりか?」
「懲りないですね」
アイラとルルがセイジを軽蔑の目で睨む。
「いや違うって! 奴隷制度は廃止されるんだから、売ろうとしても買い取ってもらえねぇよ!」
「なら、その子どもは何だ?」
「俺の弟と妹だよ」
「本当か?」
疑わしいが、しかしよく見るとこの四人の顔立ちは似ていた。茶色の巻き毛という髪の特徴もそっくりだ。
そして男の子二人もこう言う。
「本当だよ! セイジ兄ちゃんはぼくたちの兄ちゃんだよ」
「兄ちゃんをいじめないで」
「な! ほら!」
セイジが勝ち誇ったように言う。弟や妹はこのろくでなしの兄によく懐いているようだった。
「昨日、『養わないといけない弟たちがいる』と言っていましたが、あれは本当だったんですね」
「そう、本当なんだよ。親が死んじまったからもう大変でさ! この子……ライアだったっけ? ライアを攫って売ろうとしたのは悪かったけど、弟たちにひもじい思いはさせられないし、金が必要だから仕方なかったんだよ。今、本当に金がなくて……」
「金が必要なら、まっとうな仕事をすればいいのでは?」
ルルが冷たく言うと、セイジは「いやでも、それじゃなかなか稼げないし……」と言い訳する。
結局、楽な方を選択してきたという事なのだろう。
アイラは両手を腰に当てて言う。
「奴隷の売買も禁止になるわけだし、これを機にまともに生きるべきだ。こいつらが大きくなって、兄が犯罪を犯して自分たちを養っていたと気づけば悲しむぞ」
「時々まともな事を言いますね」
説教をするアイラにルルが呟く。そしてセイジは後ろめたさを感じたのか、「それはそうだよな……」と表情を暗くした。
そしてアイラはルルにこう言う。
「ルル、こいつに私の宝石を一つやれ。次の仕事が見つかるまでの生活費になる」
この時、アイラの頭の中ではグレイストーン伯爵の姿が浮かんでいた。
昨日、伯爵は奴隷商館の主人に対して「この仕事はもう辞めろ」と言うだけでなく、「私もいくつか仕事を紹介できるし、相談にも乗ろう」と親身な言葉を付け加えていたのだ。
その姿がなんとなくいいなと思ったし、賢王サンダーパトロス――アイリーデで伝記を読んで影響を受けた昔の異国の王――とも被って見えたので、アイラも真似をして優しさを見せる事にした。
「宝石? 何を言ってるんです、駄目ですよ」
けれどアイラの優しさはルルによって即座に却下される。そして小声で続けた。
「そんなもの渡したら、この男はますます仕事しなくなりますよ。城から持ってきた宝石や宝飾品は、小さいものでもかなり価値があるものなんですから」
「おい、何の話?」
話についていけていないセイジを置いて、アイラは子どもたちを見てルルに言う。
「だが、あの三人を見てみろ。粗末な服を着て、靴もボロボロだ。ひもじそうな顔をしてあまりに憐れだ」
「少し裾がほつれたりはしていますが、粗末というほどではないような……。靴も汚れているだけですし、別にひもじそうな顔もしていませんが」
ルルがそう言っても、アイラは続けた。
「セイジの事はどうでもいいが、あいつに金がないとあいつの兄弟が不憫だろ」
「まぁそれはそうですが」
ルルはセイジの弟や妹たちの顔を見る。子どもらしい純粋な目をしている。親ももう亡くなっていると言うし、この子たちにとって頼れるのはこの兄しかいないのだ。
ルルはため息をついて財布から紙幣を数枚取り出し、セイジに渡した。
「これだけあれば、しばらく食べるものを買うには困らないでしょう。このお金が尽きる前にまともな仕事を見つけてください。生活費以外の事に使ったらぶっ飛ばしますよ」
「え……くれるのか? いいの!?」
セイジは遠慮なく金を受け取って、「うおー! ありがとう!」と喜んだ。
「今日食べるものにも困っててさ、本当に助かったよ。これでこいつらにまともなメシを食わせられるよ。ほら、お前たちもお礼言って」
「ありがとうございます」
「ありがとう!」
「ありがとー」
子どもたちが順番に礼を言う。セイジも最後にもう一度「ありがとな!」と言って、彼らは去って行った。
「良い事をした。これでセイジもまともに生きるようになるだろう」
「いや、どうでしょう……」
ルルは微妙な顔をして、四人の後ろ姿を眺めたのだった。
その後、適当な店に入って夕食を食べ、まだ外が暗くならないうちに宿に戻る事にした。
「風が出てきましたね」
乱れた髪を耳にかけてルルがそう言った時、
「ルルさーん!」
前からイディナが駆けてきた。
ルルは回れ右してさっきまでいた店に戻りたそうにしつつもその場に留まっている。
イディナはこちらまで来ると、嬉しそうに笑ってルルを見つめた。
「私、今、仕事が終わったところなんです。こんなところで偶然ルルさんに会えるなんて」
「ええ、びっくりしました」
ルルは淡々と答える。
「ごはんはもう食べました?」
「ええ、今食べてきたところです」
「そうなんですか、残念です。一緒に食べたかったな」
イディナは可愛く眉を垂れて言った。そしてその後もずっとルルに話しかけていたが、相変わらずアイラの方は見ない。
いないものとして扱われているらしいが、アイラもイディナの事はどうでもよかったので、さっき食べたごはん美味しかったななどと思いながら黙々と歩く。
しかしそろそろ宿に着くという頃になって、イディナは急に「え?」と声をもらして立ち止まる。視線はルルの方を向いていた。
「どうしました?」
「……いえ」
イディナは眉間にぎゅっとしわを寄せて、それ以降口を閉ざした。そして急に大通りを駆けていってしまったのだ。
その後姿を見ながら、ルルとアイラは訝しげに呟いた。
「何だったんでしょう?」
「さぁ?」
そして翌日。
アイラとルルが昼食を食べ終えて部屋でゆっくりしていると、扉がドンドンとノックされた。
「おーい、いるか?」
その声は宿の主人のものではなく、その妻のアンナのものでもなければ、従業員である彼ら夫婦の子どものものでもない。
「誰でしょう」
アイラはベッドで転がっていたので、ルルが立ち上がって扉を開けた。すると――
「よう! 昨日はありがとな」
廊下に立っていたのはセイジだった。弟二人、妹一人と今日も一緒にいる。
「下にいた宿のおかみさんにお前らの知り合いだって言ったら、部屋を教えてくれたんだ」
宿から出てくるところは昨日見られているので、ここに泊まっている事は予想がついたのだろう。
「何か用ですか?」
ルルは迷惑そうな顔をして尋ねる。もしかして昨日の事で味をしめて、金をせびりに来たのではないかと思ったからだ。
けれどセイジはそこまで落ちぶれてはいないらしい。「実はさ」と前置きして、弟たちの肩に手を乗せた。
「お前たちに金を貰ったから昨日は久しぶりに腹いっぱいメシを食えたんだけど、そうしたらこいつらがお前らに礼をしたいって言うからさ。これ……よかったら受け取ってやってくれよ」
セイジにうながされて、弟たちは順番にルルの前に出てきた。そして三人それぞれ手に持っていた野花をルルに渡す。
「はい、どうぞ」
「どうじょ」
弟たちは恥ずかしそうに、妹は舌っ足らずな口調で言う。
「花ですか。ありがとうございます」
ルルはその可愛らしい様子に表情をほころばせつつ、アイラを手招きした。
「ライア。あなたが彼らに施しをしようと言い出したんですから」
アイラがベッドから降りると、ルルはその手に小さな花束を握らせる。その辺で摘んできたらしい野花ばかりで構成された花束は、はっきり言って安っぽいし、摘んでからここに来るまでの間に少ししおれてしまっている。
「綺麗だな」
けれどアイラの目にはそう映った。この花束の向こうに、子どもたちの澄んだ瞳が見えるからだろうか。
「気に入った」
アイラが花束を持ち上げて笑うと、子どもたちもホッとしたようにはにかむ。
その花束をルルにコップに生けてもらうと、アイラはテーブルの上のクッキーを指さして言う。
「お前たち、クッキーを食べないか? アンナが作りすぎたんだ。私一人じゃ食べきれない」
「え? いいの?」
「クッキーたべたい!」
喜ぶ子どもたちとついでにセイジも部屋に入れ、アイラはアンナが作ってくれたクッキーを分け与えた。
量が多いとはいえ本当は全部一人で食べられそうだったが、今日は子どもたちに譲ることにしたのだ。お菓子を食べるのも久々なのか「おいしい!」と言って喜ぶ彼らを見ると、何だか気分が良くなった。
そして一方、そんなアイラを見てルルは「優しくなって……」と涙をこらえる。
自分のものは自分のもの、人のものも自分のもの、という教育を受けてきたアイラが他人にお菓子を譲るなんて、と感動したのだった。




