グレイストーン(4)
「店はすぐそこだって言わなかったか?」
セイジに手を引かれ、入り組んだ路地を歩きながらアイラが言った。アイラはパン屋の前でルルを待っていたが、そのパン屋もとっくに見えなくなっている。
「ごめんごめん、もう着くからさ。……あ、ほら、あそこだよ」
セイジは悪びれずに言うと、路地の暗がりに建っているさびれた家を指さした。
「ボロい店だな」
家には看板もなく、あきらかに飲食店ではなさそうだったが、アイラは世間知らずなのであまりおかしいとは思わなかった。庶民はこういうボロい店でも食事をするのだろうと思ったのだ。
「さ、入って」
壊れかけたドアから中に入ると、狭い空間にはテーブルセットが一つしか置かれていなかった。しかもそのテーブルにはすでに男が四人座って酒を飲んでいる。
「客、いるじゃないか」
四人の男たちを見ながら、アイラは焦る事もなく言った。彼らは目つきが悪く、見るからに悪そうな人間だったが、アイラはそれは気にならなかった。それよりも店の中がちょっと汚いのが気になる。調理場などもないし、一体どこで料理をするのかと疑問に思った。
「私はこんなところじゃ食事はできない。林檎を丸かじりした事も歩きながらマフィンを食べた事もあるが、ここで食事をするよりそっちの方がましな気がする。もっと客に来てほしいなら店を綺麗にした方がいいぞ。あの壊れた窓も扉も直して、あとテーブルをもっと置くべきだ。これじゃ一度に四人しか客を入れられない」
アイラがもっともな指摘をしたが、セイジは「まぁまぁ」と言いながらテーブルの上に置いてあった葡萄酒をグラスに入れ、アイラに渡した。
「まずはそれでも飲んで」
「こんな安っぽい葡萄酒はいらない。これ水混ぜてるだろ。色が薄い」
「混ぜてないよ。色は確かに薄いけど、すっごく美味いんだから」
「本当か?」
「本当本当」
試しに一口飲んでみるが、やっぱり薄くてまずかった。
「おい、まずいじゃないか」
アイラは文句を言いながら、葡萄酒の後味に口をへの字に曲げる。セイジは「君ってちょっとお馬鹿だよね」と言って笑っていた。
と、そこでガラの悪い四人組が立ち上がると、先頭にいたスキンヘッドの大男がアイラに近づいて、被っていたフードを勝手に取った。
「上玉じゃねぇか。よく見つけてきたな。お前にしちゃ上出来だ」
ニヤリと笑ってセイジに言う。
そしてアイラに視線を向けてこう脅した。
「いいからもっと飲めよ、ボウズ。残したらもったいねぇだろ」
気弱な者ならここで大人しく葡萄酒に口をつけただろうが、アイラは弱くなかったのでこれ以上は断固として飲まなかった。
「私に命令するな」
「……なんだと?」
「まずいものを何故無理に飲まなければならない」
「このクソガキが。殴られたくなかったら大人しくそれを全部飲み干しな」
「そんなに飲みたいならお前にやる」
胸ぐらを掴んできた大男の顔に向かって、アイラは持っていたグラスの中身をぶちまける。
「……この野郎っ」
「お、おいおい、とんでもない馬鹿だなお前は。相手を見ろよ、なんで勝てそうもない相手にケンカを売るんだよ」
大男は顔にかけられた葡萄酒を腕で拭って怒りで青筋を立て、セイジはアイラの怖いもの知らずな行動に驚いている。
けれどアイラはもちろん、大男の事を『勝てそうもない相手』とは思っていなかった。
「覚悟しろ」
「お前がな」
殴りかかってきた大男をあっさりと魔力で吹き飛ばし、奥の壁にぶつける。男は壁に穴を開け、家の外まで吹き飛んでそこで気を失った。
その様子を見ていたセイジたちはあっけにとられたような顔をして、一瞬固まる。
「な、なんだ、今の……」
続いてアイラはテーブルの上の葡萄酒の瓶を浮かせると、それでガラの悪い四人組の残り三人の頭を殴る。葡萄酒の瓶は三つあったのでちょうどよかった。
「ッ……!」
三人の男たちも次々に気を失って倒れる。そして割れた瓶を再び浮かせると、今度はそれをセイジに向けた。
「お前、本当に料理人か? ここは本当にお前の店か?」
「ま、待て……」
青い顔をしているセイジに割れた瓶の先を突きつけ、続ける。
「お前、私を騙したな。こいつらも客じゃなく、お前の知り合いなんだろう。私をここへ連れてきた本当の目的は何だ?」
「俺は……」
セイジが口を開いたところで、アイラはふらりと倒れそうになった。めまいだろうか? 平衡感覚がおかしくなったような感じがする。酒に酔った感覚とも少し違う。
「なんだ? 目が回る」
アイラが両手で頭を抱えるように押さえると、セイジに突きつけられていた瓶は床に落ちた。
「おい、なにか変だ。医者を呼んでくれ」
そしてアイラはセイジに助けを求めた。他に頼れる人間がいなかったからだ。
「こんなの初めてだ。何か悪い病気かも」
アイラは今まで風邪すらひいた事がなかったので、体の不調に弱かった。些細な症状でもよくある事と流せずに深刻に考えてしまうのだ。
「どうしよう、ルル……」
アイラは泣きそうになりながら、そこにセイジしかいないのでセイジの服をぎゅっと握った。
「何この変わりよう」
急に勢いをなくして気弱になったアイラに、セイジは戸惑う。
「頭がぐるぐるする」
しかしアイラがあまりに不安がるので、セイジは何となく頭を撫でてみた。
「医者とルルを呼んでくれ。私、死ぬかもしれない」
「いや、死にはしないって」
葡萄酒に入ってた睡眠薬が半端に効いてるだけだから、と、もごもご言うがアイラには聞こえなかったようで、ついにぽろぽろと涙をこぼして泣き出した。
「こわい……」
「お、おい、泣くなって」
抱きついてくるアイラに、セイジは顔を赤くしつつ「ダメダメ、可愛くてもこいつ男だから」と自分に言い聞かせる。
「それにこれから〝売る〟んだから」
セイジはそう独り言を呟くと、アイラにはこう言う。
「医者のいるところに連れて行ってやるよ。行こう」
「うん」
セイジに支えられて、アイラはおぼつかない足取りで家を出た。まだ涙は頬を伝っている。
「うう……ルル……」
「泣くなって。死なないから」
そう励まされながら路地を進む。アイラは泣いていたのであまり前を見ていなかったが、セイジが急に足を止めたのでふと顔を上げた。
するとそこには、大通りの方から差し込む光を背に受けて、ルルが仁王立ちしていた。
逆光で表情はよく見えないものの、見た事もないくらい眉が吊り上がっているのは分かる。
セイジは不審そうに言う。
「なんだよ、お前」
「ルル……」
「え、ルル? ルルちゃんって成人男子だったの!?」
アイラの呟きに、セイジは驚愕していた。そして『やばい』という顔をする。相手があきらかにアイラの保護者的な人間だった事に加え、ものすごく怒っている事が表情や雰囲気から分かったからだ。
「まずい、まずいぞ……」
アイラは泣いている上に弱々しい雰囲気を出していて、足元はおぼつかない。セイジがアイラに何かしたのだと、ルルに気づかれても仕方ない状況だった。
「お、おい、涙を止めろ、馬鹿!」
慌ててアイラの涙を拭おうとするが、それより早くルルは地面を蹴った。
「――何してんだ、てめぇ」
そして低い声でそう言うと、
「ぐふ……っ!?」
問答無用でセイジをぶん殴ったのだった。




