グレイストーン(2)
「でも伯爵家の使いが乗っているだけという可能性もありますよ」
「そうだったらいいけど」
緊張しているのか、アイラは心臓を手で押さえている。
しかしすぐに『使いが乗っているだけ』という希望はついえた。
「あ、馬車が停まっているすぐ近くの店から伯爵が出てきました」
ルルが大通りを覗きながら言うと、アイラは敵を発見したウサギのように固まった。
「わざわざお越しくださりありがとうございます、伯爵様。けれど呼びつけてくだされば、いつでも城まで参りますのに」
「いや、いいんだ。今日は時間があったから。急に来て悪かったね」
服の仕立て屋だろうか、グレイストーン伯爵は店の女主人に見送られて外に出てきた。
灰色の髪を後ろに撫で付け、きちんと整えている伯爵は、黒い上着に灰色のベストとズボン、青いアスコットタイを身に着けていた。派手ではないのにおしゃれで洗練されて見え、シルエットもすっきりしていて上品だ。
「では、また」
伯爵は、頭を下げる女店主にそう言ってハットを被った。そして馬車へと向かう途中も、伯爵に気づいて立ち止まる街の住人たちに軽く手を振る。
「伯爵様ー!」
「うちの店にもまた来てください」
伯爵が外を歩くとすぐに人垣ができた。
「人気ですね」
そう呟くルルにくっつきながら、アイラもそっと物陰から顔を出す。グレイストーン伯爵は穏やかに笑って住人たちの声に応えながら、馬車に乗り込もうとしているところだった。
しかしその時、伯爵がふとこちらを見たような気がして、アイラは「ひゃっ」と声を上げて路地に引っ込んだ。
「グレイストーン伯爵を前にすると、アイラの反応が可愛いですね」
のんびり言うルルに、アイラは震える声で言う。
「め、目が合ったかも……」
「本当に? 人が多いですし、アイラを見たとは限らないのでは? ほら、もう行ってしまいましたよ」
ルルに促されて再び大通りを覗き込むと、黒い馬車はこちらに背を向け、城の方へ向かって走り出していた。
アイラはホッと息をついて言う。
「よかった……。やっぱり気づかなかったのか。今の私は王女だった時と髪型も髪色も違うし、顔も半分しか出していなかったからな。とにかくさっさと宿を探そう。もう戻ってこないだろうが、もし鉢合わせたら嫌だ」
アイラはそう言うと、ルルを盾のようにしてその体に隠れながら歩き出したのだった。
「そこのお兄さん」
しかし五分ほど歩いたところで、一人の若い女性がルルに声をかけてきた。歳は二十歳くらいだろうか、栗色の髪にカチューシャを付けていて可愛らしい感じだが、目は猫のように少し目尻が上がっている。
「旅人の方ですか?」
「……ええ」
気軽に話しかけてきた彼女に、ルルは他人行儀に答える。
そして女性はグレイストーン伯爵を警戒して挙動不審なアイラをちらっと見て続けた。
「ええっと、ご兄弟ですか? 弟さん?」
「私たちに何かご用でしょうか」
ルルが質問に答えずにそう返すと、女性は「あ、いえ……」と口ごもった後で照れながらこう説明する。
「実は、あなたの事かっこいいなと思って声をかけたんです。私はここの出身で街の事にも詳しいので、もしよかったら案内しましょうか? もう昼食は食べました?」
「いえ」
ルルはかっこいいと言われても嬉しがる事はなかったが、背中にへばりついてくるアイラを連れながら宿を探すより早いと思ったのか、こう尋ねた。
「昼食はまだですが、先に宿を探しているのです。馬を預けられるところがいいのですが、どこか知りませんか?」
「あ! 任せてください。この近くにも一つあったはずですから案内しますよ。馬を預ける分、宿代は高くなると思いますけどいいですか?」
「それはもちろんです」
女性は嬉しそうに歩き出すと、自分の胸に手を当て、「私はイディナと言います」と自己紹介した。名乗られたら名乗り返さないのは不自然なので、ルルも名前を教える。
「私はルル、こっちは弟のライアです」
「ルルさん。可愛い名前ですね。ライア君は……どうしたんですか?」
ルルの背中に隠れているアイラを見て、イディナは戸惑っていた。
「人見知りなのかな?」
「彼の事は気にしないでください。変わり者なんです」
「なんだか大変そうですね。弟さんはもう大きいのに、まだお兄ちゃんに頼ってくるなんて」
イディナは苦笑して言うが、アイラは伯爵を警戒するので頭がいっぱいなので聞いていなかった。
その後、彼女に馬小屋が併設されている宿屋まで案内してもらうと、部屋も空いていたので今夜はそこに泊まる事に決めた。
この街にどれだけ滞在するかは分からないが、すぐに出ていくつもりはないので、この宿にもしばらく世話になるかもしれない。
「ありがとうございました」
宿の受付での簡単な手続きが終わると、ルルは中まで付いて来ていたイディナに礼を言った。それは「もうあなたに用はないです」という意味の言葉でもあったが、イディナは気にしなかった。
「荷物を置いたらごはんを食べに行きませんか? おすすめのお店があるんです」
「いえ、せっかくですがここで食べるので大丈夫です」
この宿屋の一階は食堂になっていて、宿泊客に限らず誰でも食事を注文できるようだった。
「じゃあ私もご一緒していいですか?」
イディナはにっこり笑って言う。自分に自信があるからなのか結構押しが強い。
ルルはわずかに眉をひそめ、断ろうとしたが、
「いいぞ」
宿の中に入って伯爵と鉢合わせる危険性が低くなり、本来の偉そうな姿を取り戻したアイラがそう答えていた。
「お前は宿を紹介してくれたからな、昼食くらいおごってやってもいい」
「……えっと、ありがとう」
さっきまで何やら怯えていたくせに急に生意気な感じに変化したアイラを見て、イディナは微妙な笑顔を浮かべた。
彼女はルルには興味があるのだろうが、変わり者のアイラとはあまり話したくない様子だ。
三人でテーブルに着くと、ルルはアイラの正体について疑いを持たれる前にと、イディナに例の適当な説明を始める。
「ライアは両親を亡くしたショックでおかしくなってしまったんです。自分の事を王子だと思い込んでいますが適当に流してください」
「ええ……?」
イディナはアイラを見て頬を引きつらせていた。本格的に引いている。
そしてそれ以降、ルルの方だけ見てルルにだけ話しかけるようになった。
「ルルさんっていくつなんですか? え、二十歳? 私と同じですね!」
共通点があってイディナは嬉しそうだった。彼女は椅子をルルの方に思い切り向けてアイラの存在は無視していたが、アイラはそんな意地悪に気づくほど繊細ではなかったので、ルルにだけ話しかけているイディナに遠慮なく質問を投げかける。
「お前は仕事は何をしているんだ?」
最初は気づかない振りをしていたイディナだったが、アイラが何度も「なぁ、聞いているのか?」と言ってくるので、仕方なくといった様子で振り向く。
「私は城で働いているわ」
「城?」
「グレイストーン伯爵のお城よ」
イディナの答えにアイラは目を見開く。
「お前、あいつのところで働いているのか!?」
「伯爵様の事をあいつだなんて……。それにさっきから私のこと、お前って言うのもやめてくれない? 偉そうに」
アイラを睨むイディナに、今度はルルが尋ねた。
「伯爵の城で何をしているんです?」
「ただの使用人ですよ。でも伯爵様には信頼されています」
ころっと態度を変えて、イディナはルルにほほ笑んだのだった。




