黎明の烏(2)
「誰だ、お前」
公爵一家ではないけれど、公爵一家以上に偉そうな空気をかもし出しているアイラに、黎明の烏を名乗る魔法使いたちも注目する。
「私は――」
王女だ、と名乗ろうとしたが、いつの間にか後ろに回ってきていたルルに肩をぎゅっと掴まれたのでやめておいた。
「私が誰かはどうでもいい。馬が今にも子を産んでいるかもしれないんだから」
「さっきから馬が一体どうしたってんだ。公爵一家の味方をするなら、お前もただでは済まないぞ」
黎明の烏のリーダーらしき男はそう言うと、素早く呪文を唱えて炎を作り出す。手のひらから狼の形をした炎を出すと、それをアイラに向けて放ったのだ。
「ひーっ!」
悲鳴を上げたのは後方にいたトロージで、アイラは炎から目をそらさなかった。そして自分の力を使って、放たれた炎を操る。
アイラは炎を生み出すことはできないけれど、実体があるものは何でも操れるのだ。たとえそれが他人の作り出した魔法でも。
「何!?」
狼の形をした炎がアイラにぶつかる直前にくるりと向きを変えて自分の方に突進してきたことに、男は仮面の下で驚いていた。そしてとっさに再び炎を作り出すと、狼の炎と相殺させて消す。
「今のは何だ?」
「あいつも魔法使いみたいだ」
「でも呪文を唱えていないわ」
黎明の烏たちは仲間と口々にそう言い合い、気を引き締めた。アイラの能力がよく分からないからだ。
そして五人で一斉にアイラを狙う。
彼らの攻撃方法はもちろん魔法で、炎や水、氷、最初に窓を割った時に使った魔弾などを放ってきた。けれど実体があるそれらは、アイラにとっては脅威ではない。
「無駄だ」
全てを操り、彼らの魔法を使って逆にアイラが攻撃をすると、
「ぐっ……」
「きゃあ!」
三人は上手く避けたり防御したが、二人は返ってきた自分の攻撃を受けた。
「水だろうが炎だろうが関係ない。私は、目に見えるものは操れる」
アイラが腰に手を当ててふんぞり返り、そんなことを言っている間に、烏の男の一人が呪文を唱え始めた。
仮面の奥から響いてくる声は低く、何を言っているのか分からない。けれど耳の中で反響して、ぐわんぐわんと頭が揺れる。
アイラが混乱している間にも呪文は続いている。反撃しようにも手が重くて持ち上げられない。
心地いい眠りに誘われるのではなく、無理やり夢の中に落とされるような、そんな感覚がした。
「アイラ」
しかしアイラが意識を失いかけていると、同じくよろめいているルルに後ろから声をかけられ、一瞬意識を取り戻した。
このままでは眠ってしまうと、急いでテーブルの上に乗っていた皿を飛ばし、男の額にぶつける。
「っ……」
男が呪文を唱えるのをやめると、アイラたちの頭もすっきりしてきた。
公爵たちも眠りそうになっていたようで、廊下の扉に隠れながら冷や汗を拭いて言う。
「あ、危なかった……」
そしてアイラに向かってこう続けた。
「アイラ! 油断するな! さっさと殺してしまえ」
「私に命令するな」
アイラがちょっとムッとして後ろを振り返ったので、焦った公爵たちは「前を見ろ、奴らから目を逸らしては駄目だ!」と指示を出す。
一方、黎明の烏たちはアイラという名前に反応して、その正体に気づき始めていた。
「アイラ? まさかな」
「でも行方不明の王女は魔力持ちだと聞く。古の王族が使っていた魔法を使えるとか……」
「それならやっぱり、俺たちも油断するべきじゃない」
緊張を強める烏たちに、アイラは部屋に散乱している大量のガラス片を宙に浮かせながら言う。
「油断しようがしまいが関係ない。お前たちがどうあがこうと、私の方が強いんだから」
そしてそのガラスの破片を黎明の烏たちに向かって放った。破片は嵐の時の横殴りの雨のように勢いよく彼らに向かっていく。一つ一つは小さいが、全てが体に刺されば無事ではいられない量だ。
けれど烏たちも簡単にはやられない。リーダーらしき男が、懐から何か印が描かれた石を取り出し自分たちの前に放ると、それがあっという間にシールドになった。
ガラス片はそのシールドに次々刺さるが、烏たちまで届かない。
「何だ、あれ」
「事前に魔石に魔法陣のようなものを描いておいて、とっさの時に呪文なしで使えるようにしているんですよ」
「ふぅん。色々考えるんだな」
アイラには魔法を使う時に呪文を唱えたり魔法陣を描いたりという制約がないので、そういう工夫は必要なかった。
「でもあれをたくさん使われたら面倒だ」
「いえ、魔石は高価なのでそんなに持っていないと――」
ルルの言葉を聞かない内に、アイラは両手を掲げた。
「これで決着をつける」
自分の体内に渦巻く魔力を惜しげなく放出し、この部屋の窓側の壁を包む。
「何だ……?」
カタカタと鳴り出した窓枠、ギシッ、ミシッと音を立て始める壁に、烏たちは後ろを振り返る。そしてその瞬間アイラは広げていた手のひらを強く握り、窓の鎧戸を下げるかのように、上から下へ勢いよく両手を下ろした。
すると黎明の烏たちが立っている方の壁が、屋敷の三階から二階、一階と、大きな音を立てて上から順番に崩れ始める。
「ぎゃああ!」
後ろでトロージが叫び、公爵も夫人も、状況を見守っていた使用人たちも悲鳴を上げて廊下の奥に逃げていく。
「アイラ!」
そしてアイラもルルに引っ張られて廊下側へ下がった。けれど壁が崩れた衝撃で破片がこちらまで飛んでくるし、ものすごい粉塵が舞い上がって目や口が開けられない。それに衝撃音を間近で聞いて耳がじんじん痛む。
「やりすぎた」
ルルの胸に顔を埋めて埃を避けながら、アイラは呟いた。ルルもアイラを抱きしめながらゴホゴホ咳をしている。
やがて粉塵が収まると、黎明の烏たちの姿は消えていた。みんな崩壊した壁の下敷きになったのだ。
「ああ、屋敷が……」
戻ってきた公爵が嘆く。屋敷の西側の壁は、三階から一階まで全てなくなっていた。
「思ったより大げさなことになってしまった」
アイラは何故か照れながら言い訳し、「早く助けないと死ぬかも」と下敷きになっている烏たちを救出し始める。
魔力を使って次々に瓦礫を浮かせると、すぐに五人は見つかった。
「うぅ……」
「怪我はしてるが死んでないな。あ、公爵の騎士たちも巻き込まれてる」
黎明の烏の五人を助け出すと、彼らに眠らされていたせいで崩壊に巻き込まれた騎士たちもふわふわ浮かせて救出する。
「えーっと、悪かったな」
気を失ったままの騎士たちをポンポンと叩き言う。そして使用人たちに声をかけた。
「こいつら、治療してやってくれ。医務室まで私が運ぶから」
ちょっと罪悪感があるのか、アイラにしては珍しく自分から働き、騎士たちを魔力で持ち上げる。
けれど黎明の烏のことも一緒に運ぼうとしたところで、
「そいつらはいい」
公爵がそう言って止めた。そして無事だった騎士を呼ぶと、彼らに烏たちを運ばせる。
「こいつらに治療なんぞ必要ない。地下牢に入れておけ。水だけ与えてじわじわと死に追いやってやる」
「叔父上」
歯を剥き出して言う公爵に、アイラはこう声をかける。
「食事中にも言ったが、サンダーパトロスは自身を揶揄するようなことを言われても相手を罰しなかったんだ」
「だから何だ?」
「うーん、だから……黎明の烏を許すことも大切なのかもしれない。サンダーパトロスならそうしていたかも」
「何を馬鹿なことをッ!」
「誰が馬鹿だッ!」
怒る公爵にアイラも同じ温度で怒り返すと、公爵は「いや……」と怒気を弱めてから続けた。
「よく考えなさい、アイラ。奴らがしたことは度が過ぎている。屋敷に侵入し、私たちを殺そうとしたのだ。そんな大罪人を許すことはできん。奴らを許して解放すれば、再びこの街に混乱をもたらすだろう。ここできっちり殺しておかねば」
「まぁそう言われるとそうか」
倫理観がいまいち定まっていないアイラは、公爵の言い分に納得してしまったのだった。




