5
トオルは陽炎を追いかけて広間から出た。
広間の外には既に陽炎の姿はなく既に陽炎の住まいに戻ってしまったのかと焦る。
いつもは走らない回廊を走り抜け白き者たちが珍しく表情を崩して驚く姿がちらほらと見えたが今はそれを気にかける暇はない。
「待ってください!!」
しばらく走って陽炎の住まいの手前でようやく陽炎に追い付き大声で呼び止めた。
「トオルか……」
「どうしてサキが死ななきゃいけなかったんですか!」
「そうか、お主はサキと結婚の約束をしてたんだったな。いいだろう話をしよう」
陽炎はそう言うとトオルに中に入るように促す。
トオルはしばらく迷っていたものの中に入った。
「ここは……」
中に入るとてっきり客室にでも案内されると思っていたトオルは通された部屋を見て呆然と呟いた。
「サキが使っていた部屋だ」
サキの部屋はたまに入ることがあったのでトオルはそこが今までサキが居たような錯覚を起こしそうになった。
「この部屋はサキが使っていたのはお主も知っておるだろ。サキの話をするのならばここの方が良いと思ってな。それとも違う場所の方が良いか?」
その言葉にトオルは首を振ってここがよいと示す。陽炎はそれに頷くと立ったまま「何が聞きたい?」と聞いた。
「どうしてサキは死ななきゃいけなかったんですか?」
「いつものように龍を移していると突然サキが苦しみ出し、そのまま燃えて消えてしまった」
「……あなたはそれを止めることは出来なかったんですか?」
「そんな暇はなかった」
その言葉についにトオルは泣き出してしまった。
「しばらくここはそのままにしておく。その書棚以外の物はサキの物だ。書棚以外の物は好きに持って行くといい」
陽炎はそう言うとトオルをそっとしておくべきだと判断し出ていった。
一人残されたトオルはしばらくそのまま泣いて居たが、ふらふらとした足取りでサキの物を触った。
「これは昔僕がサキにあげた花。押し花にして栞にするって言って言ってたけど本当にしてくれてたんだ……あっちは」
サキとの思い出がそこかしこに溢れてるここに居てはいつまでもサキの姿を探してしまいそうでトオルは栞とサキが前の人たちに倣って書いていた日記を持って部屋を出た。
部屋を出るといつの間にか夕日が差し込んでいてかなり長い間サキの部屋に居たらしいと自嘲してしまう。
◇◇◇◇◇◇
あれから一年。トオルはサキの部屋に毎日通い詰めた。
他の子たちがサキのお墓のことを言い出せないくらい熱心に通うので子どもたちはどうするべきか囁き合う。
「一応サキの墓によさげな場所は見つけたけどトオルがあんな調子じゃ」
「雪路あんた行って来なさいよ」
「何で俺?!」
「あんたが一番仲いいでしょ」
優日の言うことに他の面々は頷く。
「確かにそうだけどさ、でも、俺たちたちが何を言ったってあんな調子ならあいつの心は動かせねえぜ」
「……そうかもしれない。私たちはトオルみたいにあんなに大事にしてた人は居ないからトオルの気持ちは分からないけど、トオルが酷く落ち込んでいるのは分かる。しばらくはそっとして置いた方がいいよ」
「カサネもそんなこと言うの? でも、いつまでも待てないわよ」
「じゃあ、優日は自分の大切な人が居なくなっても自分たちには大切な役目があるのだからすぐに前向きな気持ちになれるの?」
「それは……無理ね。ごめん言い過ぎたわ」
女子たちの言い合いが終わると男子たちは少しだけホッとしたような顔になる。
カサネと優日は仲が悪いと言う訳ではないのだが、優日は思ったことをそのまま言うし、カサネはあまり口を開かないが、口を開くとその人に厳しいことを言うのでお互いに合わないと理解している。
サキが生きていた時はサキがこの二人の緩衝材となり上手くやっていけたが、サキが居なくなってしまった今二人の仲は微妙になってしまった。
「私たちに出来ることはトオルが元気になるのを待つことだけよ」
そんな会話をしてから数日後のことだった。
サキが死んでから陽炎は皆の集まりには参加しなくなっていたが、この日は珍しくふらり現れる。
「おや、珍しい。ここ一年程姿を見せなかった御仁が居る」
「はは久しぶりに寄らせてもらった」
葉山の皮肉に陽炎は愛想笑いを返すと空いて居る場所に適当に座った。
「ここに来たのは新しい子が生まれたことを知らせるためだ」
「えっ?!」
「そうか。それはよかったな」
「ああ」
「どこに生まれたんだ?」
「ああ、それは」
傍で聞き耳を立てていた子どもたちの驚きをよそに大人たちは新しい炎龍候補の赤子のことで盛り上がっている。
「あ……」
子どもたちはお互いの顔をそろりそろりと窺い、今この場に居ないトオルの耳にこの話が入らないようにしようと抜けだそうと部屋を出たところでトオルに出くわした。
トオルは中の会話が聞こえていたのかその場に呆然と立ち尽くしていた。
「行こう」
どうすんだよと五人が顔を見合せて居たが、このままでは埒があかないと思ったのか八尾がトオルの腕を引っ張りその場から離れる。
残された四人も二人の後を追う。
六人が庭に出る。
ここの庭には池があり、たまに白や八尾が泳いだり、利光や夕月が釣りをしていることもあるが、今は池の辺りは静けさが満ちそれは子どもたちの心を冷たく冷やしていくような感覚に襲われて数人がぶるりと身を震わせる。
「……」
ここに来るまで誰も何も言わなかった。
それはトオルのことを考えていたからなのか、大人たちのあのはしゃぎように憤りを感じたからなのかは分からないが、それぞれは口を開かずにお互いの感情を探っていた。
時折風がみんなの着物の裾や髪を揺らし空からは温かな太陽の光が降り注いでいる。
「長閑だな」
ぽつりとトオルが呟いた。
「ここにはもうサキは居ないのにどうして世界は進むのか」
「トオル、あのさ……」
「さっき炎龍候補が生まれたと言う大人たちの話を聞いて改めてサキがこの世を去ったのを突き付けられた気分だった」
八尾が何かしら口にしようとしたが、それよりも先にトオルが喋ったので八尾は黙った。
久しぶりに喋ったトオルの声はいつの間にか声変わりがきていたのか去年より幾分低くなっている。
この声もサキは知らないのだろうと考えるとトオルの顔には自嘲するような笑みすら浮かんでいる。
「僕はサキの居ないこの世界に未練はない。だけど、龍として生きなければいけないと葉山は言うし、僕の中の龍もそれが僕の生きる意味だと言う……どうして僕はサキの居る世界に行ってはいけないんだろ」
トオルの言葉に誰も答えることが出来ずに五人は俯く。
トオルも返事が欲しかった訳じゃないので誰も答えなくともよかった。
「僕が死んでも光龍候補ならいくらでも生まれる。なら、それは僕ではなくともいいはずだ」
「トオル!」
もしかしてこのまま死ぬのでは? と疑った白、八尾、雪路によってトオルは池の傍から引き離された。
「トオルそんなこと言わないでサキが死んで辛いのは分かるけど、トオルまで死んだら……」
「大丈夫だよ。今は死なない」
「え?」
今は? その言葉に不穏な気配を覚えた面々はトオルにどういう意味だと視線を向ける。
「だって僕たちじゃなくてよかったんだ! よかったのにそれなのにサキはここに来たせいで死んでしまった。昔からの仕来たりだなんて僕たちには関係ないじゃないか!」
「私もそう思う」
「カサネ?!」
「でも、私の家は貧しくて私はここに来なければ家族が一生食べていけるって言われたの。正直龍とかどうでもいい」
「俺の家だってそうだよ。うちの家はよく氾濫が起きる川の近くに住んでたんだ。引っ越したくとも金はねえ。畑をやろうにもすぐに川が氾濫するから食いもんだってカツカツでいつも腹を空かせていた。ここに来た時にようやっと満腹になるまで食えて嬉しかった」
「ちょ、ちょっとカサネに白まで何を言ってるの? ここは龍芳国よ。龍たちがこの国を守ってるんだから貧困や川の氾濫なんて起こるはずがないでしょ」
「優日はいいところのお嬢様なんだな」
「何で? 意味が分からないんだけど」
トオルから目を離すべきではないのにカサネと白が優日と喧嘩しそうになるので八尾と雪路はどちらを止めるべきかとおろおろとしていたが、八尾がとりあえずトオルに声を掛ける。
優日たちはもうしばらくはきっとあの調子だろうしと判断して。
「なあ、トオル」
「そもそもこの国に龍なんて必要なのか?」
「トオルそれはさすがにマズいよ!」
ぎょっとした二人は慌ててトオルの口を塞ごうとするも先にトオルは「他の国は龍なんて居なくてもやっていけているのにどうしてこの国は未だに龍に頼らねばならないのだろう」と言い出し、今にも掴み合いになりそうだったカサネ、白、優日の三人の動きを止めさせた。
「どうして?」
「どうしてって俺らはそのために集められたのにその俺たちが否定したら」
「否定したらサキが帰って来るの?」
「それは……」
「トオルは何がしたいんだ?」
口ごもってしまった雪路の変わりに八尾が尋ねる。
「僕はこの世界を滅ぼしてしまいたい」
「!」
トオルの言葉に誰かが息を飲んだ。
「めちゃくちゃにして滅ぼして何もなくなったらサキに会いに行く。でも、今はしない」
「どうして?」
「葉月、あいつから全部の龍を受け継いでここを出る」
それはサキと外に出ようと約束していたことでもある。
だから外に出て自分の目でこの世界を見てそしてこの世界を壊そう。
「……だったら俺も連れてってくれ」
トオルが決意を胸に刻んでいると白が着いて行くと言い出した。
これにはトオル以外の四人も目を見開いて驚いた。
「な、何を言ってんのよ白!!」
「そうだよ。俺たちが出たら家族が悲しむだろ!」
「何で? 俺ここに来る時にやっと食いぶちが一人減るって喜んでたぜ。それにうちは俺がここに入るために国から金貰ってんだ。そんな薄情な奴ら家族なんかじゃねえよ。まあ、それは俺もだけどな。ここに来てから腹いっぱい食えるし、あの暮らしじゃ知らなかった上等の服に勉強まで教えてもらえたけど、ここの暮らしはやっぱ性に合わねえ」
「それなら私も行くわ。別にこの世の人たちに恨みがある訳じゃないけど、でも、ここは居心地がよすぎて時たま無性にわめき散らして暴れたくなっちゃうぐらい嫌なの」
「好きにしろ」
白とカサネの告白にトオルは表情を変えずに言う。
優日、雪路、八尾の三人は自分たちはどうするんだと顔を見合せた。
トオルの考えはやり過ぎだ。止めるべきだと思っているものの、何故かそれに惹かれる自分たちが居るのも確かだ。
幸いトオルたちが出ていくのは今すぐじゃない。
それまでに決めればいいだろうと結論を先伸ばしにした。