9935日:家族を大切にしましょうという民族的価値観が起こす勘違いに関する見解
この物語は実在の人物や国家、宗教とは無関係です。
「あー! わからん!」
部屋で書類仕事をしていると、突然カロルが叫びを上げた。どうしたと聞くと、どうやら部下の給与の帳尻が合っていないようだった。僕はその原因がすぐにわかったが、それはそれとして、君には休憩が必要だとカロルを庁舎の屋上に連れ出した。
耶麻がアリカと戦争状態に突入して、既に1ヶ月あまりが経過していた。あの日、僕が何故伝令が間者であるとすぐに気付くことができたのか。改めてそれをカロスに説明することになった。
「優秀すぎたんだ」
リース、耶麻、アリカの現状。僕がすらすらと語ったそれを彼はすべて理解していた。カロルもリルムも、ともすれば人間社会にそれほど興味がない補正があれども、賢者であるケニスすら知らなかったこと。それを知っていたということは、すなわち、彼が極めて優秀な役人であることを示していた。そんな優秀な役人が、伝令などに使われるはずがないのだ。ここで「いや」とカロルが待ったを入れる。
「どこにだって優秀なやつが居るのはおかしいことじゃないだろ。あいつも、もしかしたら入ったばかりだったのかもしれないしさ」
僕はカロルの言葉を背後から聞きつつ、屋上のフェンスへと近寄った。庁舎前では、今日も戦争反対を謳うデモが起きていた。ここのところ毎日だ。彼らが言うには、リース政府は、耶麻への戦争の協力に金を使っており、一方で国民の生活向上のための予算を蔑ろにしている。まぁ言ってしまえば、道徳的正当性を理由に、自分たちに金をくれと言っているだけとも言えた。僕はカロルにこちらに来るようにジェスチャーをする。
「あの人たち、知ってる?」
「いつもご苦労だな。気にしてもいなかったが」
「少し気にした方がいい。何人かの顔、覚えてみてくれ」
理由を問うカロルを「後で説明するから」と押し通す。いろいろと後で説明することが溜まっているような気がするが、できればカロルにはすべてに自分で気付いてほしかった。まもなくしてデモが解散するのを見てから、僕らは部署に戻ろうとした。が、ここで少し庁舎内を意図的な迂回をしてみる。最初に怪訝そうについてきたカロルだが、まもなくして、僕に背中から声をかけてきた。
「おい、着てる服こそ違うが、デモに参加してたやつらが仕事してねぇか?」
気付いたようだ。僕はそれに頷きを返し、部署へと戻った。そこではメイドさんが2人、怠惰なご主人さまに急かされつつも和気あいあいとお菓子を作りに励んでいたが、そんな3人を無視して自分の机に座り、改めてカロルが処理していた書類を手にとってカロルと「答え合わせ」を行うことにした。
「カロル、君はこの国が好きかい?」
「そりゃもちろん。生まれ育った国だからな」
「この国はいい国だと思うかい?」
「あぁ、当然だ」
「それはこの国の王族や官僚が腐敗しているとしてもかい?」
一瞬の間の後、「どういうことか」と問うカロルに、僕は書類を突きつける。
「改ざんの跡がここ。横領の跡がここ」
はぁ!? と声をあげ、ひったくるように書類を持っていったカロルが手持ちの資料とあわせての確認作業の後、ため息をついて頭を抱えるまで、3分ほどかかった。その間に2人のメイドさんはお菓子を作り終えたようで、怠惰なご主人さまに紅茶を入れている最中だったので、僕らももらえるかと声をかけてみた。僕は紅茶とクッキーを手に、カロルはそれらを無視して取った書類を手に。
「お前、いつから気付いてた!?」
「いつからかと問われると、もう5年以上は前からかもしれないな。その書類に関してなら、今だけど。カロル。落ち着いて聞いてくれ。この国の人々は、家族をとても大切にする。それは孤児である僕らには理解できないかもしれないが、そういうものだと理解してくれ。これはな、『家族の幸せ』と『家族以外の不幸せ』を天秤にかけた時、当たり前のものとして前者を選ぶということであって、家族以外を不幸にすること、それこそ、金を盗んだりすることへの道徳的罪悪感は、それによって家族を豊かにする道徳的幸福感で塗り替えられる。もしも金が落ちていたら、彼らがそれを届けるのは警察ではなく家族だ。カロル、その書類にある彼らは、同じことをしただけだよ」
紅茶のおかわりをジェスチャーで要求すると、早速身長の高い方のメイドさんがポッドを持ってきてくれて。そんな彼女がお茶を注ぐ中、カロルは激昂を持って僕に言葉を向けた。
「どうしてそんなことができる!?」
「言うならば当たり前。そういうもの。そうですよね? ご主人さま」
「そうだね。僕が君のご主人さまでないこと以外はその通りだ」
「巫山戯るなミナ! 俺は真剣な話をしている!」
「カロル。何故デモで行政の不満を訴える人間が行政に勤めている」
わからない。それがカロルの回答だった。だが、本質的にそれは僕には「わかりたくない」にも聞こえた。だがもうわかるまで進むしかない。
「彼らの希望通りの予算配分を議会が承認すれば、その予算を実際に動かすのは誰だ」
若干の躊躇いの後、「あいつらだ」と答えたカロルの言葉は弱々しかった。そこに部署のドアが叩かれ、小さい方のメイドさんがぱたぱたと駆け出しドアを開いた。
「失礼。ここにノルとカロルが居るって聞いたんだけど」
「おや、懐かしい声だね。もしかして、リューカかい?」
「まじか! 久しいなぁ!」
そう大学時代の彼女との再会を喜んで見せるカロルの声は、いつもより元気に欠けていた。一方のリューカとしても、前の男よりも、今の目的と、執着の方が重要だったようで、カロルへは軽く手を振るだけに留め、僕の顔を見て話を続ける。
「No2の声を覚えているなんて、No1は余裕ね」
「僕の記憶だと、大学の主席は君だったはずだ」
「そうね。勇者とかいう慈善事業のバイトでNo1が退学したおかげで」
言葉の端々から棘を感じた。
「どうぞ」
「ありがとう。甘い匂いがしたけれど、クッキーはもうないのかしら?」
「そちらの方が良いかなと思いまして」
そういって大きい方のメイドさんが、冷や飯にお茶をかけた軽食を差し出した。さておき。彼女の名はリューカ。僕とカロルが通っていた大学のクラスメイトの才女だ。彼女が居たおかげで僕の対抗心に火がつき学業に専念でき、その結果としてNo2である彼女の上であるNo1に立てたのだが、それを言うとプライドの高い彼女を傷付けそうだったので黙っておいた。さらに言えば、賢者としての才覚もあった彼女が、その時既に埋まっていた別の賢者枠に弾かれて魔王討伐に参加できなかったこと。そして、その賢者が今ばりばりと行儀悪くクッキーを食べている目の前のご主人さまであることも、あわせて黙っておくことにした。
「それで、思い出話をしにきたわけじゃないと思うけど。『勇者』になにか?」
「そう。あなたの名声を貸して欲しいの」
僕は嫌な予感を覚えつつも、続きを促した。
「同盟国の耶麻は戦争状態にあるわ。今は海の上での戦いが主みたいだけど、これは遠からず、大陸での戦いになる」
「一応聞くけど、どちらの大陸?」
「一応で聞かれたなら、答えるまでもないと思うけど」
耶麻が押され、そのまま僕らの国と大陸が戦乱の舞台になることを、当然のものとして彼女は予期していた。大学主席は伊達ではない。
「だからこそ、リースは戦争の準備をするべきなの。耶麻への支援ではなく、自国の武力の強化。最新の魔術研究成果を持っての新式の魔杖とミスリルに強化術式をエンチャントした武具の量産、それと、冒険者の訓練よ」
「出資を求めるなら謝らせてくれ。うちの予算は雀の涙だ」
「出資のアテはあるわ。というか、既にもう動いているの」
嫌な予感が加速していく。なにせ、僕はそんな組織があることを知らないのだ。それはつまり。
「非公認ギルド。それも国家の方針と違うもの。反政府ゲリラ組織とどう違う?」
「同じよ。だから、あなたの。勇者の応援の言葉が欲しいの」
僕はため息をついた後に、ぺろりとたいあげられたお茶漬けを確認して。
「数日考えさせてくれ。ミナ、彼女にもう1杯お茶漬け出しておいて」
「かしこまりました、ご主人さま」
「僕はご主人さまじゃないけどね」
――彼女が死ぬまであと9935日
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