9987日:数字の意味に対する考察を邪魔するほどに恋は人を盲目にさせるらしい
この物語は実在の人物や国家、宗教とは無関係です。
あの夜は結局、冗談だろうとはぐらかしてミナと別れた。しかし、困ったことに冗談ではなかったようで、それからというもの、ミナは僕への求愛を続けることになる。
「ノルと幸せになりたい」
「私、ノルのこと好きだけど、ダメかな」
「王都ソルに戻ったらさ、2人で暮らさない?」
「ノルにお願いされたら、私なんでもするけど」
そんな言葉に良い反応を返せなかった理由は大きく3つある。1つに、やはり僕に女性経験がなく、気の利いた返しができないということ。2つに、リルムからの思いが消えたわけではないということ。そして3つに、もしもこれが本当に呪いなら、ミナの感情は誰かに作られたものであり、それを利用してしまうのが心苦しいことだった。
それはそれとして、こうまで言い寄られて何も返せないことは、流石に僕も男として卑怯に感じてしまい、首都ソルへあと1日といったところになったその日、ミナにこう返した。
「付き合ってもいい。でも、1つ教えて欲しい」
「何?」
付き合ってもいいという言葉に喜ぶ素振りもなく、何を聞かれるのかと身構えるでもない自然体。天才魔法使いミナは、出会った時からそういう女性だった。だからこそ。
「その数字の意味を教えてくれないか?」
その言葉にミナが見せた狼狽は、ミナが見せたはじめての顔で。叩かれた頬の痛みにも、逃げるように去っていくミナにも気を向けることができず、ただぽかんと驚きに暮れることになった。
その日の夜、僕はケニスとカロルの2人を食事処に呼び出した。無論、酒は入れないという制限付きだ。
「異性から魅力的に見られるようになった気がする。僕に心当たりはない。あるとしたらそれこそ、魔王の呪いなんていう荒唐無稽なものでしかない。2人はどう思う?」
真剣な僕の表情に、いつもなら確実に茶化すだろうカロルだったが、彼なりに真剣な推理を返してくれた。
「自慢じゃないが、俺はそこそこにモテてきたつもりだ。女の子にモテるのは気分がいいからな。そのために自分を磨く努力をしたし、その方法論もわかっているつもりだ。その俺からの素直な感想なんだが、お前が何故急にモテはじめたのかわからない。吊り橋効果だっていうなら、その吊り橋には俺もいたはずだ。それなら、いっそ魔王に呪いをかけられたっていう方が頷ける」
なんで俺にかけてくれないかな、と最後に1つ茶化しを入れて、ケニスにバトンを渡す。
「正直に申すのじゃが、わしは今、ノルを好いておる。好いてしまっておる。ノルと幸せになりたい。ノルを独占したい。ノルの子種が欲しい。その衝動的感情は事実隠せておらぬ。しかし元々恋愛感情なぞただの衝動じゃ。理由があって好きになるのではなく、好きになったから好きになる。なのじゃが、わしがノルへの好意に気付いたのは確かに魔王を倒した後じゃった」
「冷静っすね。ケニス師匠」
「たわけが。何百年生きていると思っておる。であるからして、わしはノルの今の状態が魔王の呪いであるとしても、そうでないとしても、わしは感情に支配されることはもうないじゃろう。安心するがいいぞ、ノル」
「ありがとうございます」
隣から茶化しに入ったカロルを傍目に、僕は本心からそう述べる。
「しかしだノルよ。どうして魔王はそんなことをしたってんだ? お前にメリットしかないぞ。ていうかまじ、俺にくれよ! 俺にさぁ!」
「そうじゃな。魔王の呪いであると仮定してになるのじゃが、意味がまるでわからん。他になにか、気になることはないかえ?」
話そうと思って集めはしたのだが、実際のところ、切り出すのは少し勇気が必要だった。しかし、おそらく話の流れでは確かに今だった。
「魔王にとどめを刺して以後、ミナの右上に数字が見えます。最初は1万と1。数字は1日の日の出と共に1つずつ減り、その数は今9987にまで減りました。数字の意味はわかりません」
流れからは想像できない話が出たせいか、カロルは素っ頓狂な顔をして、一呼吸をおいて腕を組む。
「数字ねぇ。恋愛云々とはまるで関係ない話が出たな。すまん、俺は昔っから算数の類は苦手でね。さっぱり意味もわからん。そっちは俺は助けになれなそうだ。で、それ、ミナには言ったのか?」
「言ったさ。平手打ちをされた。それで今に至る」
つんつんと叩かれた頬をつついてみせる。それにカロルは納得し、言葉を続けた。
「なるほどな、ミナ自身はその数字の意味がわかってるってことだ。それも、平手打ちをされるような、恥ずかしいもの、見せたくないものである、と」
「助けになれないと言うわりにはまともなことを考えてくれるじゃないか」
なるほどと頷き、考える素振りを見せた僕に、カロルは驚いたとばかりのジェスチャーを見せた。
「おいおい、勇者様よ。というかここは、幼なじみの親友と言うべきか。まさかまさかとは思うが、俺に言われるまで気付かなかった、なんてことがあるわけないよなぁ? 成績優秀にして頭脳明晰。それがお前だろう? ならばこんな当たり前のことに気付かない方がおかしい」
狐につままれたような表情で、僕はその「当たり前に気付くはずのことすら気付けていない自分」に気付いた。
「すまない、気付いていなかった」
「こりゃ重症だ」
やれやれと首を振る。話が一区切りしたところで、ここまで沈黙を守りながら熟考していたケニスが口を開いた。
「改めてになるのじゃが、魔王を倒せたこと、そもそも魔王を倒すまでの道中を切り抜けることが出来たのはほとんど……いや、ほぼすべてミナのおかげであると言えてしまうの。彼女の魔道士としての才覚は秀でているという騒ぎではない。異常じゃ」
痛いところを突かれた表情は隠せないが、事実である。それは決して、僕らが無能というわけではない。僕もカロルも、剣術で言えば国内に敵はいない。特にカロルのそれは、シャープに鍛えられた体もあって、一回りサイズが大きい魔物5体を相手にしてまるで遅れを取らないレベルだ。リルムは毒や呪いや石化などの類をほぼすべて回復できるし、切り落とされ潰された腕を元の状態にまで治癒したり、心臓が止まったとしても24時間以内ならばほぼ確実な蘇生ができるという、まさに奇跡とも言える御業が使えた。極めつけのケニスは、龍神であり、その正体は巨大なドラゴンである。あらゆる魔法に秀で、ドラゴンのフィジカルでの暴虐も行える。そして何よりも、数百年の時を生きた叡智があった。ちなみにこの3人を前にして僕が誇れるのは、せいぜい作戦を考えたりという程度であることが情けない。
「チベラの渓谷で魔物に囲まれた時は流石にここまでだと思ったな。数の優位に位置の優位。どうしようもないと思ったさ。それを『ちょっと伏せてて』と言われて、藁にもすがる思いで伏せてみたらどうだ。周辺の地形ごとすべてがなくなっていた時はもう、笑うしかなかったね」
「勝利するために手段を選ぶものは愚か者じゃ。じゃが、魔王城が視界に入った段階で『ここからあの城を破壊します』と言われ、数十キロ離れた城を粉々にした時は、さしもの私の頭にも『卑怯』という言葉はよぎったぞ」
エピソードを思い出すときりがないのだが、今の2つは特に異常さの極まったエピソードだった。
「それで、それが今の話とどんな関係が?」
「その数字とやらが、ミナのエネルギーである可能性じゃよ。力は常に対価を要求するものじゃ。魔法におけるそれを、わしらは魔力と呼んでおるが、ミナはその魔力がまるで無尽蔵じゃった。しかし、ミナが、己だけが支払える対価としてのエネルギー源を持っていたのなら、ミナの異常とも言える力に納得がいくのではないかの?」
頷ける話だ。だが、そうであるとしたら疑問がある。
「僕が見ている限り、ここ2週間で数字は減っただけです。増やす手段はないのかもしれない。であれば……数字がゼロになった時。彼女はどうなるんです?」
「可能性は2つじゃ。以後一切の魔法が使えなくなる。もしくは、死ぬかじゃ」
結局この日の話は、可能性の話のみに終わる。そして翌朝。僕らはミナが失踪していたことに気付くのだった。
――彼女が死ぬまであと9987日
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