5章 狩るもの (後編)
どれ位の時間が経っただろうか・・・・・・
静寂の中、微かに聞こえてくる寝息。
闇に包まれた空間で目を慣らす為にしっかりと見開いた2つの瞳。
「・・・・・・レイカ」
たった一言の囁きに破られた静寂。
「・・・・・・起きてるか」
タクヤは眠ってはいなかった。
襲う眠気を堪え、偽物の寝息を立てじっとチャンスを窺っていた。
呼びかけに対して背後から返事は無い。
今夜ばかりはレイカに背を向けてしまった。
勿論、理由がある。
初めて嘘をついてしまった。
初めて狸寝入りをした。
視線を感じるのが辛かった。
そっと振り返りレイカの姿を確認する。
目が慣れたとはいえ、さすがに寝顔は見えないが思っていたほど距離は近くない。
音を消し、気配を隠し、静かに立ち上がるタクヤ。
そのまま入口に向かって歩く。
外まで辿り着くと、ちょうど顔を出していた月を見上げた。
昨晩と同様、空は今夜も曇っているが、雲の切れ間から時折その光で照らされる。
レイカが完全に熟睡するまで充分に時間を置いたつもりだ。
それでも夜明けまでのタイムリミットに問題は無い。
洞穴の外に事前に用意しておいた手製の槍を見つける。
これは魚を獲る時に使う銛とは別の物だ。
昨晩の教訓を生かし、より鋭く、より深く刺さる槍に作り上げた。
昼間レイカのいる前で堂々と作ったものだが、新しい銛を作っているとしか思っていなかった様子。
今夜こそ狩りを成功させてみせる。
その為にまず、再び獲物を見つけなければならない。
縄張りはきちんとあるのか、群れを成す習性はあるのか、それも分からない。
前回の失敗の跡である仲間の血痕に誘われて、今夜は別の仲間が寄ってくるだろうか。
考えても仕方がない。
タクヤは自分の勘を信じて同じ場所で勝負することに決めた。
目印など残していないが、記憶を辿り昨晩の場所まで辿り着く事は容易い。
暗く静まり返った森の中でぼんやりと確認できた血痕の前に立ち、辺りを見渡す。
「・・・・・・・」
その時、ちょうど雲間から月光が射しつけた。
目を凝らすと昨日は見えなかった物が見える。
(この木・・・・・・)
視線を止めた先にあるのは何の変哲もない大木。
周りの他の木と比べ、太い枝が左右に、比較的低い位置に伸びている。
見た理由はまさにそこにあった。
(・・・・・・・登れるな)
!
タクヤは何かを思いついた。
巨木に近づくと、持っていた槍をその幹に立て掛け、慣れた手つきで迷わずよじ登り出した。
下を見下し 「ここなら・・・・」 と決めた場所、その高さはおよそ2、5メートルはあるだろうか。
立て掛けた槍に手を伸ばし、太い枝の上で待機する。
後はここでただ待つのみ。
タクヤの思いつきは一見単純、下を通る猪をそこから飛び降り突き刺すというもの。
だが自分の匂いも下へは届きにくく(なるはず)、物音も立てずに素早く一直線に攻撃ができるという面では、その作戦は好判断かもしれない。
着地の自信は無いが、普通に飛び降りるにはギリギリ何とかなる高さの筈。
問題は果たしてこの真下を都合よく猪が通るか・・・・・・・その一点。
(・・・・・待つしかない)
仕留め損ねた奴や、その仲間共が普段からここを通る習性でも無いものだろうか。
仮にそうだとしても、既に通った後なら今夜は無理かもしれない。
レイカは起きてはいないだろうか。
もし起きて自分がいないことを知ったらどう思うだろうか。
心細さで泣き出すかもしれない。
樹上で様々な考えを巡らせているうちに一体どれくらい経っただろうか。
静まり返る森は、鳴き始めた数匹の虫の気配を除けば何の変化も示さない。
それでも感覚を研ぎ澄ませる事は怠らない。
咳、くしゃみ、鼻を啜る音さえ立ててはいけない。
もし接近していたとすれば先に向こうが気付いて逃げられてしまう。
(・・・・・・レイカ・・・・・待ってろ)
焦りと緊張と興奮が等しい割合でタクヤを襲う。
その時だった。
何かが聞こえる。
まだ小さい、しかしこの音の種類が自分の待つ音だという事は瞬時に理解した。
(来る・・・・・!)
間違いない、足音だ。
この4足歩行独特のリズム、聞き覚えがある。
だが決して焦らない。
相手の正体は、別の動物の可能性もある。
(落ち着け・・・・・・何処から来る・・・・・?)
それまで以上に感覚を研ぎ澄ます。
ゆっくりとした歩調で、僅かだが先程より近付いている。
(右・・・・・斜め前の方向・・・・・・・)
接近してくる方角は理解できた。
だが今頃になってタクヤは 「餌で釣る」 という初歩的な事を忘れていた自分を酷く呪った。
不思議な事に、今まで全く頭が回らなかった。
猪は何を食べる? 虫か? 草か? 魚は食べるのか?
今度こそ成功させなければならない、失敗して怪我をするわけにもいかない。
その重圧からか、この状況で今更考えても仕方の無い事ばかり考えてしまう。
(・・・・・・落ち着け・・・・・・・落ち着け・・・・・・・・)
音の近付く方向を凝視するが、その姿はまだ見えない。
普通ならこの真下を通過する可能性は少ないかもしれないが、仲間の血の匂いを嗅ぎつけて来たのなら話は別だ。
最悪でもこの近くを通過する事はもう間違いない。
絶対に気付かれてはいけない。
等しい割合だった気持ちのブレンドのうちの 「興奮」 がこの上なく膨れ上がる。
!!
(・・・・・・見えた!)
まだ離れた場所だったが、その影をはっきりと確認した。
形からして間違いない。
獲物だ。
焦らず落ち着いて目標の位置、向かう方向を見守る。
すると、あの血痕のある方へ真っ直ぐ向かって来るではないか。
このまま進めば自分のほぼ真下を通る。
タクヤの読みは的中したのだ。
(よし・・・・・・・来い・・・・・来い!)
向かう方向さえ分かれば、あとはタイミングのみ。
予想するにおよそあと数十秒で真下に到達するだろう。
一切の物音を立てず、いつでも飛び降りられる姿勢と足の踏み込む準備を整える。
槍を握るその手にも力が入る。
両の掌は汗でびっしょりだ。
ターゲットはもう目の前。
怖い程に狙い通りの場所へ向かってくれている。
その進む速度とリズムから、最後の瞬間までタイミングを測り続ける。
真上からの狙いは心臓ではない。
首筋。
既にタクヤは意思が無いかのように、狩る側の動物的な本能のみで獲物を睨み続ける。
(・・・・・・3・・・・・・2・・・・・・1・・・・・・)
(今だ!!!)
瞬間、樹上を放れたその体は重力に逆らうことなく、一直線に急降下。
ズッ
グォッ!ッヴォォォァ・・・・!
ズシャ
ドサッ
一瞬だった。
真上から突き立てた槍は鈍い音を立て、目標の首筋のど真ん中に直撃。
完璧に急所を貫かれた相手は体を震わせ、ほんの数秒間呻き声を上げるとその場に倒れ込んだ。
一方のタクヤは、見事に突き刺した槍に飛び降りた衝撃を吸収されたが、刺さった槍が止まった反動でその手を離してしまい、背中から転がるように地面に叩きつけられてしまった。
「痛っ・・・・・・」
打った後頭部と背中、痺れる腕を気遣いながら獲物を見ると、もう身動き一つしない大きな塊が目の前に横たわっている。
よほどの衝撃だったらしく、ちょうど真上から刺さった槍は首筋の真下から少し突き出ている。
なんと、貫通してしまったのだ。
息絶える早さからもその狙いが正確だった事を物語っている。
「やった・・・・・・・・よっしゃ!」
柄にもなく大声をあげてしまった。
それ程にこの大成功はタクヤにとって嬉しいものだった。
刺さった衝撃をまともに吸収した腕の痛みと痺れはまだ残っていたが、打ちつけた頭と背中の痛みはすぐに引いた。
立ち上がって獲物を真上から見下ろす。
「でかっ・・・・・・」
これまで遠くから見る事はあったし、樹上から間近にその影も見下ろした。
しかし、改めて目の前で見ると想像以上に巨大だ。
おおよそで測ってみると、体長は120センチ以上はあるだろうか。
この大きさだと体重も100キロを優に超えていそうだ。
当然、持ち上げるのは不可能。
むしろ持ちたくもない。
即座にそう判断したタクヤは、突き刺さった槍の部分を持ち、引きずって持ち帰るという決断をする。
恥ずかしい事に、成功して持ち帰る時の事など全く考えていなかった。
しかも、想像以上の巨体。
(狩るまでより、持って帰る方が大変なんじゃ・・・・・・)
いざ、両手で槍を持ちその巨体を手前に引いてみる。
「・・・・・・げ」
予想通り、腕の力だけでは全く動かせない。
今度は全体重を使って、思いきり手前に引き寄せてみる。
「・・・・・うはぁ・・・・・・・」
数十センチ動いた。
「これヤバ・・・・・・・」
しかし、文句は言っていられない。
試行錯誤の結果、何とか少しでも運び易い体勢を編み出し、洞穴までの道をゆっくりと進み始めるタクヤ。
帰りは行きの3倍は時間がかかるだろうと、覚悟を決めていた。
猪の首に深く食い込む槍は、もはや少々の事では抜けそうにはない。
あまりに深く刺さった槍を肉が締め付けているようだ。
巨体を引きずるタクヤの疲労は尋常なものではなかったが、これでやっとレイカに肉を食べさせる事が出来るという想いは、その体力を倍増させているかのようだった。
「・・・・・・あ」
何かに気付くとタクヤは一瞬立ち止まった。
(これ・・・・・どうやって食べよう・・・・・・・)
振り返り獲物をまじまじと見る。
心底、自分の無計画さに呆れ返ってしまった。
タクヤは首を左右に2回振ると溜息を洩らし、また暗い森をズズッという不気味な音と共に歩き出した。
気が遠くなりそうな程の時間が経った様に感じた。
ドサッ
余りの疲労に、洞穴の入口がやっと前方にぼんやりと見えた所で、タクヤは地面に膝をついてしまった。
「はぁ・・・・・・・はぁ・・・・・・・」
気を抜くと、この場で倒れて眠ってしまいそうだ。
ここまで帰ってきてそんなわけにはいかない。
膝を起こすと何とか力を振り絞り、穴を少し入った所の脇に獲ってきた獲物を寄せる。
死臭に釣られて動物等が近付かない様、外から草を運びその体を出来る限り覆う。
(・・・・・・・休もう)
随分と時間が経った様だが、まだ夜明けまでにはかなりの時間があるだろう。
一瞬レイカの身を案じたが、奥に向かい、寝床に変わらず横になっているその姿を見て胸を撫で下ろした。
スヤスヤと寝息を立てて眠るレイカの様子から、おそらく1度も目を覚ましていない事が分かる。
もし目覚めて、横にタクヤがいない事を知れば起きて待っている筈だ。
少なくとも、以前夜中に用を足しに行った時はそうだった。
万事問題無く終わったと安心したタクヤは、元の場所に倒れ込むように横になった。
疲れ切ったその体が眠りに落ちるに殆ど時間は必要無かった。
途切れゆく意識の中で頭に浮かぶのは翌朝のレイカの反応ばかり。
怒るかな・・・・・・・
泣くかも・・・・・・・
いや・・・・・・・
怒りながら・・・・・・泣くか・・・・・・こいつの場合・・・・・・・
ま・・・・・・いいか
肉食って・・・・・・元気になれば・・・・・・・それで・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここで暮らし始めてから、タクヤは1番の深い眠りに就いた。
その時
自分の体に何かが優しく絡み付く
全身に温もりが伝わってくる
だが、それをタクヤは既に意識出来ていない
何故なら、その心地良さはタクヤの眠りをより深いものへと誘い込む
「安らぎ」 そのものでしかなかったのだから
「んぁ・・・・・・・」
変だ、すぐに目が覚めた。
あんなに疲れてたのにな。
あれ。
明るい・・・・・・
・・・・・・朝?
もう朝!?
あー・・・・・・・
なるほど
よっぽど疲れてたんだなオレ。
・・・・・・
!!
レイカがいない!
いるはずの場所にレイカの姿がない!
「レイカ!」
上半身を起こしキョロキョロしながら必死で探す。
いない。
素早く立ち上がり更に大声で呼ぶ。
「レイカ!!」
とにかく外を急いで見に行く、こんな事は初めてだ。
レイカがいない。
「レイカーーー!!!」
いた!
穴と外との境から1歩外へ出た位の場所に、レイカは立っていた。
「レイカ・・・・?」
背を向けたままのレイカは何も言わずに、こっちを振り返った。
「おはよう、タクヤ。」
普通だった、いつものレイカだ。
でも、どこかいつもより透き通るような綺麗な声に聞こえる。
「おはよう・・・・・・どうしたんだ? こんな所で。」
どこか不思議な気持ちと同時に、レイカの僅かな雰囲気の違いにオレは少し戸惑ってた。
「どうもしないよ。 ねぇタクヤ。」
「なんだ?」
ここで自分の直感が冴え渡る。
これは怒っているのかもしれない。
でもこんな雰囲気は初めてだ。
なんというか・・・・・・静か過ぎて、逆にそれが怖い。
「1つだけ聞かせてほしいの。」
「・・・・・・・ああ、なんだ?」
「私がついて行った狩りで失敗したのが・・・・・・・悔しかった?」
ハッとした。
そうか、やっぱり先に起きたなら 「あれ」 をもう見たのか。
別に悔しかった訳じゃない。
「いや、そうじゃないんだ・・・・・・・」
本当の理由を言うべきなのか迷った。 単純に、なんとなく照れ臭くて言いにくい。
「そっか、ケガ無くてホントに良かった。」
「・・・・・・ん? あぁケガは無いと思う。」
あれ、なんで言う前に知ってるんだ?
今、オレを見て?
でも、後ろ側とか見えないんじゃ・・・・・・・
「ごめんね」
何がだ? なんで謝る? むしろ謝るのはオレの方だ。
「昨日ね、タクヤ帰ったとき・・・・・・・起きてたの。」
!!
「お前寝てたんじゃ・・・・・・・」
「寝たフリしちゃったの、ずっと起きて待ってたんだよ。」
どうして「フリ」なんか・・・・・・
「心配したよ、でも帰ってきてくれて・・・・・・・すごく安心した。」
そりゃ心配する筈だ。
あまりに申し訳なくて、逆に言葉が出てこない。
「目が覚めたらいなくて、私のこと捨てて何処かへ行っちゃったのかなって思った。」
「そんなわけ・・・・・・・」
「嬉しかった、戻って来てくれて。」
レイカ・・・・・・・・
「いっぱい泣いちゃったの、だから・・・・・・・恥ずかしいところ見せたくなかった。」
本当に、言葉が出てこない自分が情けなかった。
「タクヤが寝てからね、ちゃんと安心したかったから・・・・・・・私ね、その」
?
「・・・・・・抱きついて、ケガしてないか・・・・・・調べちゃった」
!?
「ごめんなさい・・・・・体、全部触って調べちゃった。」
理解した、レイカの気持ちを。
どれだけ心配してくれたか。 どれだけ不安な気持ちにさせてしまったのか。 どれだけ想ってくれていたか。
「レイカ・・・・・・・ごめんな」
「ううん、私がごめん」
「謝らなくていい、ありがとう。」
「・・・・・・・・・」
レイカの目から大粒の涙が流れ出した。
自分は(おお)大バカだった。
どうして今まで出来なかったんだろう、レイカはこんなにも全力でぶつかってくれていた。 ずっと・・・・・・・・
なのにオレは、どうして素直に気持ちをぶつける事が出来なかったんだろう。
「レイカ、昨日1人で狩りに行ったのは・・・・・・」
照れ臭い? 大泣きしているレイカを目の前にして、一体何が照れ臭い?
「勝手に行ったこと、本当にごめん。 心配かけたくなかった。」
「ううん・・・・・・」
「・・・・・それと最近、体調よく崩すだろ?」
「・・・・・・うん・・・・・・」
「いつも魚ばっかりでさ、きっと栄養不足だと思う。」
「・・・・・え・・・・・・・」
「だからここは1つ、栄養のつく肉をレイカに食わしてやりたいと・・・・・・」
ここまで言って、レイカは少し泣き止んだ。
「・・・・・・その・・・・・ために・・・・・・・・?」
「ああ・・・・・・」
「私・・・・の・・・・・・・為に?」
「・・・・・ああ」
レイカは真っ直ぐオレの目を見ている。 思わず視線を逸らしてしまった。
決して目を逸らさないレイカ、黙ったままジッとこっちを見つめてる。
動揺してしまったオレはこうゆう時、どうしていいか分からない。
何か言うべきなのか、何を言えばいいのか、分からない。
「私も、ちゃんと言う・・・・・・」
「ん?」
「言っても嫌いにならないでほしい・・・・・・」
「え・・・・・?」
「好きなの、大好きなの、タクヤ・・・・・・・もう記憶が戻らなくてもいいって思うぐらい・・・・・・・ここから帰れなくても・・・・・・・ずっと一緒にいられれば、もうそれだけでいいって思えるぐらい・・・・・・・」
ああ、そうか。 やっと分かった。
こうゆう時、もう言葉は必要ないのかもしれない。
よほど恥ずかしかったのだろう、俯いてしまったレイカに迷わず歩み寄る。
レイカを抱き締めた、その存在ごと全て。
ただ、強く抱き締めた。
何も言わずに。
レイカは逆らわず、胸に顔を埋めてきた。
その手は素直に背中まで回してくれた。
何も言わずに。
時間が止まった。
いや。
止まればいいと思っていただけかもしれない。
それが・・・・・・・・・・・2人の本心