26章 決断の日
結局あの日、幾ら待っても健さんからの連絡は来なかった。
でも、少なくとも次への可能性だけは残し、順ちゃんとの時間を満喫出来たのだから、私にとって無駄な1日にはならなかった。
むしろ、充実した日になったと言えるかもしれない。
洋太の言葉に勇気づけられたのか、順ちゃんも 「焦らずゆっくり探せばいい」 なんて前向きな気持ちになってくれている。
案の定、帰りは車で送ってくれるつもりだった順ちゃん。
遠慮した訳じゃないけど 「それは了承できない」 と言い続けた私の勝利で、別れの場所は駅のホームとなった。
連絡を待ちながら夕方まで一緒に過ごした順ちゃんとの別れ際、私達は熱い約束を交わした。
『もし健さんからこのまま連絡が来なくても、私達はまた会おうね。』 って。
電車を乗り継ぎ、最寄駅まで帰り着いたのは夕食時。
折角の休日、子供達をほったらかしにしてしまった償いとして、私は外食を思い付く。
洋太の運転で子供達も一緒に駅まで迎えに来てもらい、そのまま家族4人でいつもの寿司屋へ直行。
後部座席の子供達が騒ぎ立てるのを相手しながら、私は洋太に今日の再会の成り行きを大まかに話した。
子供に聞かれたくない言葉もあったのか、それに対する意見が聞けたのは寝室で2人きりになり、ベッドに入ってからの事だった。
「その健さんって人は、遥達の事も全部覚えてると思うよ、絶対。」
「どうしてそう思うの?」
「だってさ、もし何も覚えていないなら・・・・・・」
「いないなら・・・・・・?」
そこで、寄り添う私の頭を優しく撫でた洋太。 言い掛けたままで何ムード作ってるんだこの人は。
「こんなに素敵な女性が訪ねて行ったのに、素っ気なく追い返す訳が無い。」
「ちょっ! ふざけないでよバカ!」
洋太の脳天に、私の握り締めた拳が直撃する。(軽くね、軽く
たまに真顔でこんな事を言ってくる洋太に対しプライドもある私は、照れながらも怒る仕草を見せておく。
「でも女性2人をそんなに冷たく追い返すなんて、不自然だと思わないか?」
「・・・・・どうだろ」
「俺が思うに・・・・・・」
健さんは私達の顔を見た時点か、名前を聞いた時点で絶対に思い出していた筈だと洋太は言う。
最後まで知らぬ存ぜぬの一点張りだったのは、きっとそれを思い出したくなかったから。 忘れたい事だったから。
未だ鮮明に覚えているのなら、自分がした事の罪の重さに苦しんでいても不思議じゃない。
「でも、別に殺人罪で捕まった訳じゃない。 そんな事件は聞いた事も無い。」
「まぁ確かに・・・・・・」
「裁かれぬ罪人は裁かれし罪人より苦しみもがく」
「また何かの格言?」
「あぁ、確かにそうかもなって思うよ。」
結局、洋太の意見にはいつも納得させられる私。
作家だけに想像力も豊かだけど、論理的な思考で考えているだけに、否定する材料が見つからない。
『とにかく、今は健さんからの連絡を待つしかないな。』 と言い捨てた洋太は、そのまま寝ると見せかけて私に抱き着いてきた。
疲れている私はいつもならそれを拒むのだけど、今夜は素直に受け入れた。
明日からはまた仕事で、体には長旅の疲労が溜まっているけれど、抱き締められた上に頭を撫でられると私は弱い。
子供達はもう寝ている。 今夜はこの身を預ける事にした。
月曜日。
また私の日常が幕を開けた。
仕事中は若干もどかしい気分で過ごす事になる。 昼休みと終業時に携帯チェックをするけれど、着信は入っていない。
家に帰ってからも、何度か携帯電話が鳴る度に敏感に反応してしまったけど、友人からのメールと着信のみ。
火曜日。
期待も虚しく、この日も終業時まで着信は無かった。 たまに届く洋太からの応援メールが1件入っていたのみ。
夕食後に1件の着信が入ったけれど、珍しく実家の母親からだった。
最近、携帯電話を買い換えた母はよくメールも送ってくる。 紛らわしいから電話は自宅に掛けて欲しいとお願いしておく。
私よりむしろ子供達が目当てだったらしく、孫の声を聞かせると安心して、次に電話口に登場した父にも聞かせていた。
水曜日。
少し気になる事があった。
昼休みに確認した際に、携帯電話に1件の非通知着信が入っていた。
普段は稀にしかない事で、まさかとは思いつつ確かめる術も無いので、帰ってから洋太に報告だけしておく。
この夜は全く静かなもので、着信は結局あの午前中の非通知のみ。 メールすら1件も届かない寂しい日となった。
木曜日。
前日とは打って変わって、色んな意味で賑やかな1日になる。
午前中に、高校時代の友人からメールが入っていて、2人目の子供を妊娠したとの 「おめでた報告」
終業時には着信とメールが1件づつ入っていて、どちらも洋太から。 メールの内容では、絵里香が保育園で男の子に泣かされたとの事。
慌てて帰ると、絵里香はいつも通り元気で怪我なども無く、事情を聞くと何やら2人の男の子に取り合いされ、困り果てた末に泣いたらしい。
実に可愛らしい話だけど、幼くしてモテモテの娘に若干の不安を抱きつつ、家族全員でその話に花を咲かせる。
バスの保母さんから事情を全て聞いた癖に、不安になる様なメールを送り付けて来た洋太にはお灸を据えておく。
夕食後には 「おめでたの友人」 に自宅からお祝いの電話を掛け、話が盛り上がってつい長電話になってしまう。
金曜日。
相変わらず、見知らぬ番号からの着信は無く、終業時の確認までそれは変わらなかった。
校舎を出て駐車場まで来た私は、今週も無事に仕事を終えたという安心から大きく深呼吸する。
順ちゃんには、全く進展が無くても今週末までには連絡すると言っておいたので、ここで1度連絡を入れておく事にする。
経過報告を聞いた順ちゃんは少し残念な様子だったけど 「ハルちゃんとまた話せて嬉しい」 と言ってその喜びを激しく表現してくれた。
そんな可愛い順ちゃんにまた会いたくなった私は、次の休日の予定を聞いてみる。
返事は 「予定なんか入る事まず無いから、いつでも会えるよ!」 という寂しいものだった。
今度はお互いの家の中間辺りで会おうと言うと 「ハルちゃんは出来るだけ家に居て! 私が行くから!」 と強引に決められてしまった。
結局、2日後の日曜日、順ちゃんが朝から家に来てくれる事に決定した。
帰宅してそれを伝えると、当然の様に子供達は大喜び。 洋太もまた大歓迎ムード。
これまでにも私の友人を家に呼んだ事が何度かあったけれど、あそこまで子供達に懐かれ、歓迎されるのは順ちゃんが初めてだ。
この日、電話の際にメールアドレスを教えた順ちゃんからの初メールが1件と、友人からのメールが1件のみ。
待ち侘びる着信の方は1件も入らなかった。
土曜日。
休日で特に予定も無かった私は、子供達に叩き起こされるまではベッドの中でまどろむ朝を迎えた。
洋太から派遣されて来たと思われる特攻隊は、私にとって最強の目覚まし時計。
先に起きて朝食の用意を済ませてくれていた洋太には、プライドを捨てて激しく感謝しておく。
久々の 「家族だけで過ごす休日」 になる訳で、みんなで何処かに出掛けようとしたけれど、外は生憎の雨。
大人しく家に籠もって子供達と遊んでいた私は、未だに健さんからの連絡が来ない事でどうにも落ち着かない。
そんな気持ちのまま午後を迎えた私の携帯電話に、見知らぬ番号からの着信が入ったのは午後2時11分。
見る限りそれは携帯の番号ではなく、驚くことに市外局番が順ちゃんの自宅番号と同じもの。
液晶の番号表示を確認し、近くにいた洋太に目で合図を送ると子供達を避けて寝室に入り、一呼吸置いてから通話ボタンに指を当てる。
「もしもし」
「・・・・・・」
「もしもし、どなたですか?」
「・・・・・・」
無言電話。 普段ならこの時点で気味が悪くなって切ってしまうけど、今は当然そんな事はしない。
「もしかして・・・・・・健さんですか?」
「・・・・・・」
「そうなんですよね・・・・・・!?」
「・・・・・・」
そろそろ何か喋ってくれないと非常に困る。
順ちゃんの近所で他に知り合いなんて居ないのだから、この電話の相手は十中八九健さんで間違いない筈。
「あのメモを見て掛けて来てくれたんですよね?」
「・・・・・てるのか・・・・・・」
「え?」
「生きてるのか・・・・・・?」
何の事を言っているのか分からないけど、その声から相手が健さんだという事はもう明白。
でも、そこから暫くは私の質問に対して同じく質問で、それも的外れなものばかりが返って来た。
少し掠れた低音ボイスで呟く様に発するのは 「生きてるのか?」 「何処にいる?」 「どうして生きてる?」 といったもの。
話が一向に噛み合わず、このままでは埒が明かないと判断した私は、今の感情も込めて強気な言葉をぶつけるという手段に出る。
「健さん答えて! 覚えてるの!? 覚えてないの!? どっち!?」
言い終わってから、隣の部屋にいる子供達に聞こえたかもしれない事を私は後悔した。
けれど、この判断は正解だったのかもしれない。
私の激しい質問で、健さんとの会話は想いも寄らぬ進展を見せる事になった。
「覚えてるよ・・・・・・全部・・・・・・」
「え・・・・・ホントに!?」
「あぁ・・・・・・」
待ち焦がれていた連絡に加えてこの返事。 私は、やっと肩の荷が下りた様な気分だった。
この後、思い付く限りの質問をぶつけた私は、その答えを聞いて健さんの想いの全てを知った。
全ては洋太の言っていた通り。
健さんは私達と同じく、あの15年前の体験の全てを覚えていた。 そして、自分のしたことの罪深さに押し潰されそうになっていた。
2人で訪ねて行った時に本当の事を言わなかったのは、 これまで 「きっと何処かに存在する」 程度に思っていた人間が、突然目の前に
現れて名乗ってきた驚きと、もうあの時の事を思い出したくなかった為。
あんなアパートに住んでいた理由を聞くと 「自分にはあれで充分だから」 という答えが返って来た。
なんでも元々は建築設計士という立派な職にも就いていて、それなりに満たされた生活を送っていたらしい。
けれど、あの体験以降は何に対しても全く意欲が湧かず、結局は自ら職を辞し、前に住んでいた部屋から今の部屋に移り住んでいた。
1年半にも渡る空虚の時を過ごした後、心配した友人からの強引な紹介で、今の仕事先である町工場に就職したとの事。
相手が私であるにも関わらず、そこから更に深い身の上話をしてくれた健さん。
先週の再会の時とは違い 「怒りを封印した冷静な私」 が優しく聞いた事で、少し心を開いてくれたのかもしれない。
未だ独身だという健さんは、当時付き合っていた女性もおらず、驚く事にあれから誰とも付き合う事なく15年経ってしまったという。
その理由として健さんは特に何も付け加えなかったけど、私は自らの胸中で核心に迫った。
――マコトさんの存在が今も消えないからだ、きっと。
また、健さんは自分の罪の重さに耐え切れなくなり、何度も警察まで出向いたらしい。 「人を見殺しにしたオレを捕まえてくれ」 と言って。
当然、死んだ相手の身元や苗字すらも分からない上、現場は何処かと聞かれ正直に答えると、頭がおかしいと思われる始末。
結局は麻薬中毒者か只の不審者と勘違いされてしまい、調べられた結果いつも追い返されてしまうだけだった。
『仲間を裏切ってしまった』
『人を傷つけてしまった』
『自分を想ってくれていた人を死に追い遣ってしまった』
3つの罪が健さんの心を蝕み、その後の人生を完全に狂わせてしまっていた。
そうゆう意味では、順ちゃんと似ている部分があるのかもしれない。
そして、全ての質問に対し正直に答えてくれた健さんが、最後に寂しく呟いた一言。
「オレにはもう幸せに生きる権利なんか無いんだ」
それを聞いた私は、言葉に出来ない程の切なさが込み上げてくる心の中から、健さんへの 「怒り」 の感情を完全に消し去った。
同時に、幾つもの疑問が湧き上がる。
――どうして同じ体験をした3人の中で、私だけが普通に幸せな生活を送っているの?
――単に私の神経が図太いから? それとも、他の2人と違って私には思い残す事が何も無かったから?
――どうして、あのメッセージは私だけに残されたの? どうして、順ちゃんと健さんには何も無かったの?
――記憶の無かった4人は本当に存在するの?
そんな疑問の答えが何1つ出せないまま、私が見出したある1つの結論。
――健さんを救ってあげたい。
方法なんて分からない。 でも、順ちゃんにそうすると言った様に、何か健さんの力にもなってあげたい。
もう健さんは充分に償ったと思う。 自分がしてしまった事を心から反省しながら、この15年間を生きて来たのだから。
順ちゃんが1番求めているものはヨシアキ。 じゃあ、健さんは何を1番望んでいるのか。
今の私が健さんにするべき事は、取り繕った言葉で励ます事なんかじゃなく、何を望むのかを問う事。
「本当に後悔してるなら答えを見つけようよ、健さん。」
「・・・・・答え?」
「自分が1番何を願うのか、どうする事が1番の償いになるのか。」
「それは・・・・・・」
私は、いつの間にか健さんに対し敬語を使わなくなっていた自分に驚いた。
別に同情してる訳じゃない。 見下してる訳でもない。 只、相手の立場になった時に、どれだけ苦悩したのかを理解出来たから。
健さんだって弱い一面を持っている、私と同じ人間。 困っているなら、助けてあげなくちゃいけない。
「・・・・・奇跡なんてものが本当にあるなら・・・・・・生きていてほしい」
「誰に?」
「・・・・・マコト・・・・・・それに・・・・・・タクヤ・・・・・・」
「もし生きてたら、どうしたいの?」
「・・・・・謝りたい・・・・・・心から・・・・・・・」
心の底から絞り出した言葉。
それがこの15年間、健さんの心を強く縛り付けていた想いだった。
「それが答えでしょう」
私の発したその言葉が届いた時、やっと健さんは長い呪縛から抜け出せたのかもしれない。
耳元で男性のすすり泣く声を僅かに聞き取った私は、携帯電話を少し離して相手のタイミングを待つ事にした。
必死に涙を堪える健さんが次の言葉を発するまで、時間にしておよそ10秒も無かったかもしれない。
「・・・・・探すのか」
「ええ、4人を探しましょう。 きっと見つかると思う。」
「分かった・・・・・・協力しよう・・・・・・」
この瞬間、健さんは初めて私達の本当の 「仲間」 になってくれたのかもしれない。
長電話を心配してくれたのか、興味があるだけなのか、様子を窺いに来ていた洋太に笑顔で頷きつつ、私は健さんに1つお願いをしてみた。
「健さんを信じて私の住所を教えるから、来れるなら明日の朝10時に来て。」
寝室のドアを少し開け、会話のそこだけを盗み聞きしていた洋太が驚くのも無理はない。
家族の許可も得ず、順ちゃんにだってまだ何も話していない。
でも、あの頃から全く見せてくれなかった本当の自分を、ここで私に包み隠さず話してくれた健さんを信じてみたかった。
電話とはいえ、私が自分で話してその相手を信じられると確信したのだから。
全ての責任は私が負う。
まず、私1人が幸せに暮らしてるなんて我慢ならない。
順ちゃんにも、健さんにも、望みを叶えてこれから幸せになってほしい。
その為なら 「家の住所を自分から健さんに教える」 程度のリスクなんて物ともしない。
万が一、家族に何か危険が及ぶような事があれば、私が絶対に守ってみせる。
劣等感だらけの少女だった私が 「変わる」 ことが出来たのは誰のおかげ?
勇気を持って行動できる様になれたのは誰のおかげ?
憎むよりも許す事の大切さを知ったのは誰のおかげ?
人に優しく、思いやる心を持てたのは誰のおかげ?
信頼し合ってこそ、人は強くなれると気付けたのは誰のおかげ?
今の私は、あの4人の言葉があってこその私。
順ちゃんは、愛し続けた人に会いたい。 健さんは、傷つけてしまった2人に会って謝罪したい。
それなら、私にだってちゃんと望みがあるじゃないか。 こんな大切な事をどうして今まで忘れていたんだろう。
まだ変わる前、17歳の私があの日、通学途中の電車の中で心に決めた事。
『もしみんなにまた会えたら必ず言いたい、ありがとうって。』
でも、それじゃダメだ。
『絶対にみんなと会って伝える、ありがとうって。』
それが、変わった後の32歳の私が心に決めた事。