25章 沈黙の再会
行動を起こす日曜日。
昨夜は私の家族に順ちゃんを加えて夕食を振る舞い、子供を寝かし付けた後に3人で話し合った。
順ちゃんが素直に言ってくれた最終的な結論は 「まだヨシアキを想っている、どうしても会いたい。」
その気持ちの強さを汲み取り、私達が決めた次の行動は 「まず健さんに会ってみること」
この世界で確かに存在する私、順ちゃん、そして健さん。 それなら、他の4人も必ず何処かに存在する。
ヨシアキを求めるなら、まず健さんに会ってみるべきだというのが洋太の考え。
あの健さんに会うとなれば、男の洋太にも同行して欲しいところだけど、2人の子供達を置いて大人3人で行く訳にもいかない。
結局、洋太に子供の事を任せ、私と順ちゃんの2人で行動する事になった。
目的地は、順ちゃんが勤務している病院が存在する町の、その隣町。
実は順ちゃん、健さんの保険証を見て名前を確認した際に、その下に表記してあった現住所をチラッと見ていた。
番地までは覚えていなくともアパート名が書いてあり、それを覚えているらしい。
業務中に見た保険証の住所を利用し、本人に会いに行くなんて事は決してやってはならない行為と分かりつつ、それに頼るしかない私達。
洋太に聞くと、ここから順ちゃんの地元辺りまでは高速道路を使っても約2時間半は掛かるらしい。
明日からはお互いにまた仕事が始まる訳で、ゆっくり出来る時間は全く無い。
2人それぞれの車で行くのが良いと私が提案すると、順ちゃんは自分の車に2人で乗って行こうと言い出した。
帰りは私をまた送ってくれる気でいるらしいけど、それは余りにも順ちゃんに悪い。 でも、反対しようが順ちゃんは決して食い下がらない。
結局、順ちゃんの車1台で目的地に向かう事に決定する。
そこまで遅くなる訳じゃないのだから、帰りは強引に電車でも使って帰って来ようと密かに決心する。
現状の目的 : 健さんと会い、話を聞く
最終目的 : ヨシアキを見つけ出し、順ちゃんの想いを伝える
今日、健さんに会って手掛かりを得られるとも限らない。 最終目的はもっと先の話になるだろうと覚悟していた。
朝。
早くに起こした子供達に順ちゃんが帰る事を伝えると、当然の如く拒まれる。
一緒に朝食を取り、順ちゃんの 「また来るからね」 という言葉を何度も聞き、漸く気持ち良く見送ってくれた。
当初、7時半には出発するつもりだったけれど、家を出たのは午前8時過ぎ。
途中コンビニに寄ってお茶と少々の菓子を購入すると、そのまま高速の入口に向かう。 順ちゃんの運転で一路、目的地へ。
滅多に遠出なんてしない私には、ちょっとした旅行気分だった。
そんな私の昂る気持ちに同調してくれた順ちゃんとの会話も自然と弾む。
向こうでの時間的な余裕を作る為と言いつつ、高速に入ると順ちゃんのスピード狂的な部分が曝け出された。
「順ちゃん、ちょっと出し過ぎかも・・・・・・大丈夫・・・・・・?」
「まだ100キロ前後だし、周りの車も結構出してるから大丈夫。」
「まだ・・・・・・今、まだって言った・・・・・・!?」
どうやら、私の 「大丈夫」 と順ちゃんの 「大丈夫」 は意味が違っているようだ。
教習所依頼、私は軽自動車しか乗った事が無いけど、高速でも80キロ以上は怖くて出せない。
遊園地にある絶叫系の乗り物の様な気分を味わいつつ、全く渋滞の無い道を軽快に突き進むスポーツカー。
「ねぇ順ちゃん、確かあの時にもう健さん28だったから、今は43になってるんだよね。」
「うん、他人のこと言えないけど、すっかりオジサンだね。」
音楽を聞きながらも運転に集中する順ちゃんの隣で、ずっと無言でいるのも我慢出来ず、私は時々こうして話し掛ける。
「家を訪ねるなら、奥さんに変な誤解されない様にしないと・・・・・・女2人だし。」
「住所はどう見てもアパートっぽい名前だったし、もしかしたら独身かも。」
「ん〜どうだろ・・・・・・40代の独身男性とか、それはそれでイヤだなぁ・・・・・・」
「フフ、私がハルちゃんを訪ねる時は、独身でいてくれた方が気が楽だったんだけどね。」
「あはは、そりゃそうだよね。」
そんな会話をしていると、木曜日に私の家を訪ねる事が出来なかった順ちゃんの気持ちが少し分かった。
15年振りに会う人の生活にある日突然、勝手に踏み入るというのはかなり気が引けるものだ。
もし健さんが私達の事を覚えていなければ、手掛かりは無くなるけど 「失礼しました」 と言って帰るだけの事。
覚えていたとしても、別に仲が良かった訳でも無く、悲劇の後にあんな別れ方をした健さんが、私達を好意的に受け入れてくれるとも限らない。
でも、ヨシアキを見つける為にも、健さんに会って手掛かりを掴まなければ何も始まらない。 同時に、そこで全てが途絶えてしまう。
「次の出口で高速降りるね。」
「え、もう着いたの!?」
「うん、次で降りた方が健さんの住所までは近いの。 私の家だったら、もう1つ先の出口の方が近いけどね。」
休憩も取らず、最高速度120キロという無慈悲な爆走の結果、驚異的な早さで目的地周辺に到着。
時計を見ると午前9時52分。 家を出てからまだ1時間40分程しか経っていない。 (コンビニも寄ったのに・・・・・・
ゆっくりと時間が取れる時以外は、もう順ちゃんの横には乗りたくないって正直に思った。
まず車を停めたのは、健さんの住む町に入った所で見つけた大型スーパーの駐車場。
ここからはアパート名を頼りに探すしかないので、カーナビも地図も無い私達は試しにスーパーの店員さんに尋ねてみる。
数名に聞いたところ、成果は無し。
店員は近所に住んでいる人ばかりだったけど、みんな口を揃えて 「すいません、ちょっと分かりません。」 という反応。
他に道を尋ねる場所として市役所なら順ちゃんが知っているらしいけど、土日は休みだと気付き、それならば派出所か警察署の場所をここで
教えてもらおうという事に。
最後に聞いた店員さんから1番近い派出所の場所を教えてもらい、アパートの場所を聞く為そこへ向かうことに。
スーパーを後にし、聞いた通りに国道を走っていると、住宅街へと続く細い道を発見してそこを左折する。
「派出所ってこんな場所にあるのかな?」
「ここも割と田舎だし、小さいのがポツンとあるのかもね。」
私なら対向車が来た時に困りそうな狭さの道を、全く躊躇うこと無くスイスイと進んでいく順ちゃん。
乗ってる私は怖がりつつも、男顔負けのその運転技術にちょっと惚れてしまいそうになった。
これは車2台で来ていたら、後ろからついて行く事になる私は多大な苦労をしていたかもしれないと、ホッと胸を撫で下ろす。
そのまま店員さんの指示通りに右左折を繰り返すと、順ちゃんの言った通り小さな派出所がポツンと存在していた。
周りを住宅に囲まれていて駐車スペースもなかったので、路上に停めて私が1人で聞きに行く。
数分後、アパートの場所を聞いて来た私が順ちゃんに掛けた第一声。
「順ちゃん! すぐそこだって!」
親切なお巡りさんに依ると、そのアパートはここから歩いても10分程の場所にあるらしい。
因みに、この近所の駐車場は月極か住人専用の物しか無いという事で、1時間以内ならこの前に駐車しても構わないとの許可を頂いた。
付け加える様に 「一応、横のパトカーが出られる場所でお願いしますね。」 と言われる。 そりゃもう当然です。
本当に親切なお巡りさんに感謝しつつ、私達はお互い生まれて初めてになる 「派出所前に路上駐車」 という貴重な体験に胸を躍らせていた。
その鼓動と、これから会う事になるかもしれない相手への胸の高鳴りを判別出来なかったのは、私だけじゃなかったのかもしれない。
午前10時37分。
車を置いて、お巡りさんに聞いた道筋を辿っていた私達の目に飛び込んで来たのは、古ぼけた2階建てのアパート。
まさかとは思いつつ、表札も見当たらないそのアパート名を確認する為に、横に回り込んで建物の外観を見てみる。
『月見荘』
黒ずんだ文字でそう書かれた建物は、間違いなく私達が探し求めていたもの。
もう表現するのも嫌になる程に古く汚いその建物は、簡単に言ってしまえばボロアパート。
貧乏学生じゃあるまいし、本当にこんな所に健さんが住んでいるのだろうか。
「順ちゃん、ここみたいだけど・・・・・・部屋番号は覚えてるんだっけ?」
「105って書いてた。」
「よし・・・・・早く行こっか、車の事もあるし。」
「うん」
赤黒く錆び付いた鉄の門を開け敷地内に入ると、早速101号室だと思われる部屋が見えてくる。
通り過ぎる際に確認するとそこは表札が出ておらず、扉横の窓もヒビ割れていて、パッと見では誰か住んでいる様には全く見えない。
敷地内全体が静まり返っていて何処と無く気味の悪い雰囲気の中、そのまま105号室と思われる部屋を目指す。
全く人気が感じられず、1人でも住人が存在するのか不安になる程で、相変わらず部屋番号も表札も付いていない部屋が2つ続く。
104号室は無いだろうと予想していた私達は、4つ目の部屋の前に辿り着いた所で立ち止まった。
「順ちゃん・・・・・・廃墟じゃなかったね・・・・・・」
「うん・・・・・・」
そこもやっぱり部屋番号の表記は無かったけど、手書きの表札がちゃんと付いていた。
『栗原』
確かに覚えている健さんの苗字。 この部屋の前に来るまで私は疑っていたけど、本当にここで間違いなかったようだ。
通って来た3つの部屋には存在しなかったボタン式の呼び鈴が、この部屋には設置されている。
覚悟を決めた私は、順ちゃんと顔を見合わせて頷き合った後、そのボタンに指を当てた。
・・・・・・
「ん・・・・・・」
反応が無いので、もう1度強く押してみる。
・・・・・・
「鳴らない・・・・・・壊れてるのかな・・・・・・?」
「・・・・・みたいだね」
絶対に壊れていると判断した私は、ドアをノックする方法に切り替える。
コンコンッ
緊張の瞬間。 健さんがこのドアの向こうにいる。
2ヶ月前に1度見ている順ちゃんはどうか知らないけど、15年振りに会う事になる私は口から心臓が飛び出そうな程に緊張している。
暫く待ってみたけど返事も物音もしないので、もう1度ノックしてみる。
コンコンッ
「ごめんくださーい・・・・・・」
緊張の余り震えてしまっている私の声は、とても教師とは思えない程 「か細い」 ものになってしまった。
そのまま更に待ってみたけれど、やっぱり反応は無い。 というか、中に人がいる気配すら全く感じられない。
「留守かなぁ・・・・・・」
そう言って私がドアから1歩身を引いた時、今度は順ちゃんが前に出た。
ゴンゴンッ
「ごめんくださーい!」
私はその声にちょっとビクッとしてしまった。
それまで控え目に後ろに立っていた順ちゃんは、私よりずっと大きな声で呼びながら、激しくドアをノックした。
その意外な積極性を見た私は、運転以外にも活かされている順ちゃんの肝の太さを知った。
結局、それでも返事は無かった。
「やっぱり留守みたいだね、どうしよっか。」
「うーん・・・・・・順ちゃんごめん、緊張しちゃって・・・・・・」
「あ、気にしないでね? 私はハルちゃんと一緒だったから心強かっただけ。」
「私ビビっちゃってたよ・・・・・・」
ここまで健さんを訪ねて来たのは全くの無駄に終わってしまうのだろうか。
ほんの少しホッとしたような、残念なような、そんな複雑な気持ちを抱きつつ、私は意外にも冷静にある事を思い付いた。
「手紙?」
「うん、そこの郵便受けに手紙入れておこうよ。 名前と携帯番号も書いてさ。」
留守だというなら、連絡も取れない以上は探し回る訳にもいかない。
かと言って、健さんが帰って来るまでここで待つのも時間的に無理だ。 派出所のお巡りさんが車を退けるまで私達を待っている。
順ちゃんも賛成してくれたけど、私の携帯番号を教えてしまうのはどうだろうって心配してくれた。
ここに住んでいるのが間違いなく健さんだと分かったものの、確かに私も出来る事なら教えたくはない。
でもこうする意外の手段が浮かばず、この場は私の個人情報を犠牲にする事に決めた。 最悪、携帯番号は変えれば済むのだから。
健さんの部屋の前でしゃがみ込むと、鞄からメモ用紙とボールペンを出し、簡単な手紙を書く私。
それを上から見守ってくれていた順ちゃんが次の瞬間、意味の分からない声を発した。
「うぁ・・・・・・」
何事かと思い顔を上げると、順ちゃんの視線は私の真後ろの更にその先を見据えていた。
目を丸くしたまま立ち尽くしている順ちゃんに問い質す前に、まさかと思った私は振り向いてその先を見る。
「け・・・・・・」
私は見てしまった。 門を開けてこの敷地内に入って来ようとしている長身の中年男性を。
俯き加減の男性はまだ私達に気付いていない様子だけど、このままだと目が合うのはもはや時間の問題。
そして、それは私にも一瞬で 「健さん」 だと分かった。
間違いなく本人だと理解した瞬間、私の頭の中ではまるで嵐が起こった様に、記憶のカケラ達が勢いよく舞い上がった。
無精ヒゲとゴツい体格でお馴染みの健さん。
最初は怖くて近付くのもイヤだった健さん。
無愛想だけど頼れる健さん。
1人で暴走してみんなを困らせた健さん。
タクヤ君を傷つけて殺した健さん。
必死になって止めようとしたヨシアキの心を踏み躙った健さん。
マコトさんに心から愛されていた健さん。
そんなマコトさんを追い詰めて死なせた健さん。
竜巻によって巻き上げられた様に、グルグルと渦巻く私の記憶。
そんな記憶達が1つに纏まり、総合して湧いて来たのは 「計り知れない程の怒りの感情」
改めて全てを思い出した私が、全ての憎しみを絞り出すようにして睨み付けた健さんは 「違っていた」
そう、違っていた。 別人だ。 そうに違いない。 健さんはこんな 「目」 の人じゃなかった。
「・・・・・・誰だ?」
気が付くと目の前まで来ていたその人は、どうやら私達に声を掛けている。
私は今の自分に意識があるのか無いのか分からない程に動揺していた。 相手の声を聞いてやはり 「本人」 だとしか思えなかったから。
「ハルちゃん・・・・・・しっかりして・・・・・・! 大丈夫・・・・・・!?」
順ちゃんの声だ。 耳元で囁くように呼び掛けられ、やっと状況を少し理解する。
「あ・・・・・・うん」
睨み付ける視線をいつの間にか宙に浮かせていた私は、完全に平常心を失っていた。
隣にいる順ちゃんの存在と、私を心配してくれているその様子はしっかりと理解出来ても、目の前にいる男性が 「本人」 か 「別人」 か、
それを判別できる状態には決してなかった。
「あの、栗原 健一さんですよね・・・・・・?」
余りにも混乱した私の状態を読み取ってくれた順ちゃんが、相手との会話をスタートさせてくれた。
「・・・・・・そうだが、あんた達は誰だ。」
確かに聞いた。 この男性は 「そうだ」 と言った。 私は迷いが晴れ、またしても相手を睨み付けようとしたけれど、それが出来なかった。
「覚えていませんか? 私は、安田 順子と申します。」
「・・・・・・」
「あの・・・」
「知らないな」
少しも驚く表情を見せない健さんは、順ちゃんの名前を聞いても全く思い出さない様子。
漸く平常心を取り戻した私は、目の前に立つ健さんの風貌を見て唖然とした。
シワ寄った衣服、汚れた靴、白髪混じりでボサボサの頭、伸ばしっぱなしの無精ヒゲ、これでは当時の健さんと大して変わらない。
でも、それより私が気になった所はこの健さんの目つき。
まるで意思を示さないその目からは全く生気が感じられず、とても健さん本人とは思えない。
言い換えれば、それは 「死人の目」
一体何があったのか知らないけど、こんなにも無様な健さんを怒りに任せて睨み付ける事など出来ない。
「・・・・・・じゃあ、15年前の出来事を覚えていませんか?」
当然、簡単に諦める様子の無い順ちゃんは次の質問を投げ掛ける。
「何かあったのか・・・・・・? 悪いが人違いだ、帰ってくれ。」
「え・・・・・っと・・・・・・」
「あの!」
今度は私の番。 ここまで一緒に来たのに、いつまでも順ちゃんだけに任せていたら私の来た意味が無くなってしまう。
「じゃあ、私の事は覚えていませんか!?」
「・・・・・誰だ」
「たむ・・・・・・中山 遥です!」
「知らんな、もういいから帰ってくれ。」
何とも簡単にあしらわれてしまい、ポケットから部屋の鍵を出した健さんは、私達の間を素通りしてドアノブに鍵を差し込む。
本当に健さんは何も覚えていないのだろうか。 そうだとしたら、私達は完全に 「只の迷惑な客」 に過ぎない。
ガチャ
「あ、じゃあ最後に1つだけ!」
「・・・・・・」
しつこく食い下がる私に、健さんはドアを半分開けたままの状態でその動きを止めた。
視線どころか、顔もこちらに向けない。 耳を傾けるだけの体勢。
「マコトという女性を覚えていますか?」
最後に投げ掛ける質問として、それが1番うってつけだったのかは分からない。 でも、絶対にそれだけは聞いておきたかった。
もし断片的に記憶が消えているとしたら、印象深くて大事な部分だけは覚えてくれているかもしれない。
「いたかもな・・・・・・よくある名前だ・・・・・・」
バタンッ
ガチャ
曖昧な言葉を残して素早く部屋の中に入り、少々強めにドアを閉めると内側からその鍵を掛けられてしまった。
最後の質問に対する健さんの意味深な答え。
それは 「覚えている」 とも 「覚えていない」 とも受け取れる。
私も順ちゃんも、暫く部屋の前で立ち尽くしたままその答えの真意を探っていたけれど、何も結論が出る筈は無かった。
順ちゃんはどうか知らないけど、私には 「マコト」 という名前の同級生の女の子がいたし、男友達にだって1人いた。
つまり 「よくある名前だ」 と言われてしまえばもうそれまで。 それ以上は何も分からない。
私は今になって 「髪の長い」 だとか 「当時24〜5歳の」 だとか 「綺麗な顔立ちの」 だとか 「あなたを愛していた」 という言葉を付け
加えるべきだったと後悔したけれど、今となってはもう遅い。
もう1度呼び掛けてみようともしたけれど、本当に何も覚えていなければ余りにも迷惑過ぎる話だ。
もうこれ以上は何も出来ない。
「順ちゃん、帰ろうか・・・・・・」
「・・・・・うん」
結局、会えたのは良いけど私達の事を全く覚えていなかった健さん。
こんなアパートに住んでいる理由も、結婚しているのかどうかも、どうしてあんな小汚い格好でいるのかも、何も聞く事が出来なかった。
そして、あの変わり果てた 「目」 の理由も。
錆び付いた門を開けてアパートの敷地を出ると、世界が変わった様に明るく感じられた。
それもその筈、あの敷地内に生える木々は手入れの気配も無く完全に放置されており、建物への日当たりを悪くしてしまっている。
幾ら古いアパートとはいえ管理人が居て当然な訳で、一体何をしているのだろうか。
どうでもいい様な疑問は掻き消し、順ちゃんと共にあの派出所までの帰路を急ぐ。
午前11時14分。
派出所まで戻った私達は2人揃って中に入り、あの親切なお巡りさんが出て来ると、丁寧にお礼を言ってその場を後にする。
車を出すと、来た道しか分からない私達はとりあえず、最初に着いた大型スーパーの方まで戻る事にした。
「ハルちゃん、これからどうする?」
「ん・・・・・・お昼まで少し時間あるし、順ちゃんに任せるよ。」
「いや、そうじゃなくて・・・・・・」
「あぁ、健さんのこと?」
「うん」
順ちゃんはどうやら気付いていない様だけど、実は私には1つ作戦があった。
別に作戦と言っても、これからまた何かをする訳じゃない。 もう仕掛け終わった物に対する相手の反応を気長に待つだけのもの。
「え、結局あの手紙入れて来たの!?」
「うん」
「いつの間に??」
「帰りだよ。 順ちゃんが先に門の方に歩いて行ったからその時に。」
健さんに対面する直前に書いたあの手紙の存在を、私は決して忘れていなかった。
当初、あれは本人に会えなかった為に書いた物だったけど、会った後も諦めが付かなかった私は、最終手段としてあの手紙を利用した。
健さんに会って混乱する直前までに、私が書き上げた内容は以下の通り。
――――――――――
健さんへ
15年前の不思議な出来事を一緒に体験した者です。
もし、あの時の事を覚えていたらご連絡をお待ちしております。
マコトさん。 ヨシアキ。 順ちゃん。 タクヤ君。 レイカちゃん。
そして、最後の漂流者 中山 遥
090−3×○△−×□▲○
――――――――――
「でも、本当に何も覚えてなかったら意味分かんないよね・・・・・・」
「そう思うでしょ? だから、帰り際に少し付け加えてから郵便受けに入れて来たの。」
「・・・・・何を付け加えたの?」
「えっとね・・・・・・」
――――――――――
健さんへ
15年前の不思議な出来事を一緒に体験した者です。
もし、あの時の事を覚えていたらご連絡をお待ちしております。
マコトさん。 ヨシアキ。 順ちゃん。 タクヤ君。 レイカちゃん。
そして、最後の漂流者 中山 遥
090−3×○△−×□▲○
15年前のある朝、目覚めたら何故か額にコブが出来ていた理由を知っています。
そして、あなたを愛したマコトという女性を一緒に探して下さい。 きっと生きていると信じています。
――――――――――
「なるほど・・・・・・確かに、ヨシ君みたいなコブ出来てたもんね。」
「うん、あの後に私達2人が同時に戻ったんだから、きっと健さんも戻ったと思ってね。」
「でも、全然気付かなかった・・・・・・あの短時間でよく書き足せたね・・・・・・」
「別に順ちゃんに隠しておくつもりじゃ無かったんだけど、ヨシアキよりマコトさんを探すって書いちゃったから言い難くて・・・・・・」
「ううん、気にしないで。 遠回りでも諦めない事が大事だから。」
私にしては咄嗟に良い判断で行動したとは思ったけれど、実は瘤については自信が無かった。
あの日、目覚めた私はパジャマを着ていた上に、それまでに付いた手の汚れや髪のバサつきも元の状態に戻っていた。
元々(もともと)、私には怪我の類が1つも無かったので分からないけど、健さんの瘤がそのまま残っていたとは限らない。
ともあれ、やるだけの事はやった。
後は健さんからの連絡を待つばかり。
午前11時37分。
順ちゃんの車に揺られつつ、まず健さんがあの手紙に気付いてくれる事を願っていた私は、最初に見つけたレストランを指差した。
それは昼食の為でもあるけど、もう1つ理由があった。
今はなるべく携帯電話を使いたくない私は、店の電話を借りて家に連絡を入れておく。
「とりあえず今日はちょっとゆっくりして行くから、子供達の事お願いね。」
「分かった、それで会えたのか?」
「うん、でも連絡を待ちたいから、今日はギリギリまでいさせて?」
「あぁ分かった、ゆっくりして来るといい。 帰ったら詳しく聞かせてくれよ。」
「うん、ありがと。 また連絡するね。」
この日、昼食を済ませた私達は 「友達」 気分をちゃんと味わう為に、2人で初めてになる買い物へ出向いた。
携帯をマナーモードにしたくなかった私は、丁度見たかった最新映画を断念し、順ちゃんと出来る限りの遊びを楽しんだ。
何をしていても、常に携帯電話への注意は怠らない。
次の段階へと繋がる、健さんからの連絡は必ず来ると信じていたから。
自分でも思う。 もっとサクサク進めたいと。
でもね、この作品だけは無理なんです。 許して下さい。
そして、急展開とやらは一体何処へ・・・・・・あぁぁぁ