16章 刹那の攻防
少しお待たせしてすいませんでした。
今回、各章の中で1番長いです。
盛り上がりどころではあるのですが、若干グロテスクな表現があるかもしれません。
そう感じる方もおられるかも知れませんので、この場を借りてお詫びしておきます。
切り立った崖の如く立ち塞がる岩壁に、ぽっかりと口を広げたその洞穴は、まるでスプーンで掬い取ったかの様な滑らかさがある。
最初にこんな場所を見つける事が出来ていれば、苦労して材料を集め、何日もかけて家を建てる必要もなかっただろうと、目の前の光景に
見入っていたマコトはしみじみと感じていた。 同時に、どこか周りの景色と馴染んでいないその姿に、違和感の様なものも感じ取っていた。
遥を残した2人で森に入り、木々(きぎ)の隙間から射す月明かりだけを頼りに進むと、奇跡的にレイカの知る目印のある場所に出ることが出来た。
そこからはレイカの案内でスムーズにこの洞穴まで辿り着いた。
「タクヤ!」
洞穴の外観に目を奪われていた僅かな時間。 その隙に、隣にいた筈のレイカの姿を見失ってしまったと思い込んでいたマコトは、穴の内部から
聞こえた彼女の声を聞いて安堵の息を漏らした。
「レイカちゃん! 気を付けて!」
普段からここに住んでいるのだから慣れているとはいえ、何の躊躇いも無く1人で奥へと進んで行ったレイカに感心しつつ、後を追って中に入って
みると、そこは外に比べて完全な闇に包まれ、その閉鎖的な空間にはひんやりとした空気が漂っていた。
更にその空気の流れが止まっている事から、ここが天然のトンネルなどでは無く、一方が塞がれている空間だという事が分かる。 こういった穴には
熊はまず居なくとも、一部の虎やコウモリが住むことをマコトは知識として知っていた。
「タクヤ! いないの!?」
反響して距離感の掴めないレイカの呼び掛けに対し、返ってくる声は無い。
「レイカちゃん! どこ?」
奥に向かって一体どこまで続いているのか分からない上に、闇に目が慣れなければ足元さえもどうなっているか確認出来ないこの場所で、マコトが
レイカの位置を知る術は、呼び掛ける事だけだった。
ゆっくりと、だが確実に1歩づつ踏み締めるその足運びで、マコトは奥へと進んで行った。 人が普段から住んでいるのだから動物の類が出てくる
事は無いにしても、霊的な物の一切を苦手とするマコトにとって、この場所の雰囲気自体が既に震え上がる程の恐怖を湧き上がらせるのに充分な
ものだった。
「レイカちゃん!?」
「ここです」
「わっ・・・・・!」
マコトが驚くのも無理はない。 いつの間にかすぐ近くにいたレイカは、もう奥から引き返して来ていた様だ。
「・・・・・いないみたいです」
「そう・・・・・・まだレイカちゃんを探し回ってるのかしら」
誰もいないと分かれば、こんな不気味な場所に用は無い。 レイカを促し、早々(はやばや)と穴の入口へ引き返したマコトはこれからするべき行動を
考えていた。
レイカと共にここで待っていれば、タクヤが近々(ちかぢか)ここに戻る可能性は充分にある。 しかし、同時に健一と出会う可能性もある。
自分の目的を改めて考え直すと、レイカと一緒にいたのではまた危険な目に会わせてしまうかもしれない。 時間的に考えて健一はもう既に、
再度ここに様子を見に来た後かもしれないが、定期的にここを探しに来るとすれば、まだ会える可能性は充分にある。
何とかその時までにレイカを引き離し、自分1人になる必要がある。
誰にも邪魔されず、健一が他の誰にも気を取られず、自分の想いを真っ向から伝える為に。 そして、今度こそ元に戻った健一を仲間の元へ
連れ帰る為に。
「レイカちゃん」
「・・・・・はい」
考えた末、マコトは即席の案を持ち出すことにした。
「ここで2人で待つより、レイカちゃんは道が分かる場所だけでも探して来たら?」
「え・・・・・・?」
「健さんとまた会ったら厄介でしょ? もし、その間にタクヤ君がここに戻っても、私だけでもいればすれ違わせないから。」
我ながら無茶な案だと、流石にこの時ばかりは自分でも痛感していたマコト。
健一がレイカを逃がしてから再度ここを訪れているとしたら、この周辺の何処にまだ潜んでいるかも分からない。 そんな中に、わざわざ1人で
探しに行かせるという行為は余りにも無鉄砲ではないか。 だが、ここで待たせてまた健一に会うのも厄介には違いない。 かといって、マコト
自身はこの場所から離れる訳にはいかなかった。
「ここで待つより会う確率は少ないかもですね・・・・・・あの人に」
言ってから少し後悔していたマコトだが、聞いたレイカは意外にもすんなりと受け入れてくれた様子。
「でも、戻らなくていいんですか? 他の人の所に・・・・・・」
「・・・・・え」
何気なくレイカに言われ、遥と別れる直前に自分が言った事をよく思い出してみた。
『タクヤ君がいなかったらすぐみんなの所に行くから』
「あ!」
マコトは完全に忘れていた。 最大限に頭を働かせ、ここに来るタイミングと口実を見出した自分が、いかに焦っていたとはいえ、確かに
そう言った事を他人に言われるまで思い出せなかった。
「まぁ・・・・・事情は伝わってる筈だから心配するでしょうけど、健さんを探すのが目的だし・・・・・・」
そう言いつつも、マコトの脳裏には浜辺に置き去りにしてきた遥の事が過っていた。 タクヤの身の危険を案じたのも嘘ではないにしろ、本心を
隠し、自分勝手な行動で仲間を1人にして来てしまった。
ヨシアキ達とはちゃんと合流できただろうか。 もし、向こうの2人にトラブルでもあって、まだ戻っていないとしたら、遥は未だに合流場所で1人
待ち続けているかもしれない。 今更考えても仕方のない事だが、もしも遥の身に何かあったら自分の責任だ。
何かに必死になると後先考えなくなってしまう、そんな自分をマコトは呪いたくなった。
「じゃあ、私その辺を少し探してきま・・・」
「なんでお前までいるんだ」
(!!)
俯き加減のマコトが妙に考え込む姿に、しばし目を奪われていたレイカがその場を立ち去ろうとした正にその時だった。
2人は声だけでそれが健一の声だと瞬時に理解できた。
その場に立ち尽くし声の主を見つめるレイカ。 顔を上げ、声のした方向に視線を移すマコト。
「け、健さん!」
まるで何日か振りに会うような懐かしい気持ちで、健一に視線を奪われていたマコトは微動だに出来なかった。 別の意味で視線を奪われて
いたレイカは、その恐怖から蛇に睨まれた蛙のように固まってしまっていた。
足音も気配も殺して来たのであろうか、声を掛けられるまで2人はその存在に全く気付けなかった。
「偶然会って助けでも求められたか、マコト。」
そう言いながらこちらに近付いて来る健一の顔がようやくはっきりと見えた瞬間、マコトは背筋が凍りついた。
まるで別人の形相。
何があればこれだけ変われるのかという程の顔つきの変化に加え、よく見ると額には薄っすらと血のようなものが見えた。 それがまだ新しい
傷なのか、もう固まった血の跡なのかは暗くて判別出来ない。
マコトがそれに見入っている間に、健一はもう目の前まで来ていた。
但し、マコトの前にではなく、レイカの前に。
「また戻って来るとはな。 お前のせいで頭をぶつけちまった、どうしてくれる。」
決して荒々(あらあら)しく言う訳ではなく、むしろ穏やかに喋るそんな健一を前にしても、レイカは余りの恐怖からかその場に膝を付いてしまった。
この場にいる筈のないマコトに対して殆ど興味を抱かず、目潰しを食らったレイカに対する怒りを静かに燃やしている様子の健一が、どう見ても
危険だという事は誰の目に見ても明らかだった。
「健さん! いい加減にして! 怖がってるでしょ!」
レイカの身の危険を真っ先に考えたマコトは、自らの胸に芽生え始めた恐怖を必死に押さえ込み、健一に対して先手を打つかの様な毅然とした
態度で臨んだ。
「は? 何をいい加減にするんだ? まだ何もしてないぞ?」
全く怯む様子も無く、攻撃的な切り返し方をしてきた健一に、マコトは少なからず苛立ちを覚えた。
「さっきした事と、これからしようとしてる事よ! 頭をぶつけたのだって、元はと言えば健さんのせいでしょ!」
つい感情が昂り、必要以上に激しい口調になってしまった事をマコトは言い終わってから酷く後悔したが、もうその時には既に遅かった。
マコトの言葉は健一の怒りを買う事になってしまった。
「・・・・・なんだと? オレが何をしたって!?」
レイカの前にいた健一はその向きを変え、マコトの元へと早足で歩み寄るとその胸倉に勢いよく掴み掛かり、その体を思い切り引き上げた。
「あぁ!? 言ってみろ! オレが何をしたっ!」
「・・・・・け・・・・・ん・・・・・・・・・さ・・・・・・」
喉を押さえられた訳ではなく、首元を締め付けられた訳でもない。 半分、爪先立ちの状態にされてはいるものの、喋ろうと思えば喋る事は出来る。 だが、ずっと慕っていた人の余りの豹変具合と、それによる衝撃で、マコトはまともに言葉を発することが出来なくなってしまった。
「やめて・・・・・・やめて下さい!!」
完全に足が竦んでしまい、健一を止める事など出来よう筈も無い。 それならばせめて自分の方に気を向けようと、レイカは必死で声を上げた。
「うるさい! お前は後だ! 先にこの口の減らない女からだ!」
当初の恐怖を凌駕してしまう程のショックを感じながら健一の言葉を肌で感じていたマコトは、更に自分の言われ様を聞いて、もはや呆然自失と
なってしまっていた。 自分はそんな風に思われていたのかと、健一と過ごしたこれまでの約2ヶ月半を、薄れかけた意識の中で思い返していた。
健一にはもはや理性が働いていなかったのかもしれない。
『帰りたい』 という強い想いだけが、彼の判断と行動を突き動かしていたかの様だった。
「おい! 聞いてんのか! 大体お前は何も覚えてない役立たずの癖に、口ばかり達者で生意気なんだよ!」
掴んだ胸元を揺さぶりながら、これ以上ない程の暴言を浴びせかけてくる健一の顔を、ぼんやりと見つめるマコトの目には薄っすらと光るモノが
浮かび上がっていた。
何をされるかも分からないこんな状況だけど、もう関係ない。
このまま、今のこの人を見てるのは辛過ぎる。
ゆっくりと目を閉じた。
過去を何も思い出せないアタマの中で、真新しい記憶だけが色鮮やかに蘇る。
――――――――――
ここに来て初めて出会った人。
健さん。
栗原・・・・・だっけ? 健一だっけ?
ううん、私にとっては 「健さん」
最初っから無口で、ほんとに何にも喋ってくれない人だった。
感情も全然、表に出してくれない。
出会いの日、とにかく怖かったのを覚えてる。 とてもこの人を信じられなかった。 初日から不安だらけだった。
最低限の事だけ説明して 「死にたくなけりゃついて来い」 たったそれだけ。 何か質問しても、まともに答えてすらくれない。
私は言った。 「記憶が無い」 「何も思い出せない」 それを聞くと、ほんの少しだけ優しくしてくれた。
いつもどこか不機嫌に見えた。 とにかく無愛想だった。 人の話題を一言で終わらせる天才だった。
何も思い出せなくて、不安だらけで、泣いちゃいそうな時も何度かあった。 そんな時に、かけてくれた言葉。
「泣くなら全力で泣け、スッキリするぞ」
励ますのが下手なのか、思いやりのつもりで言ったのか、ほんとに不器用な人だと思った。
私は言われた通り、本当に 「役立たず」 だった。 最初からずっと。
泳ぎが苦手な私は魚もろくに獲れない、今だってずっと。
運動神経も鈍く、手先がこれと言って器用でもなく、何をやっても下手な私に文句1つ言わず、出来る仕事だけを与え続けてくれた。
あの 『家』 だってそう。
女にいつまでも野宿はキツいだろうって、例え粗末でも家を建てる事を考えてくれた健さん。
ヨシが初めて来た頃に、やっと半分程度しか完成してなかった。 健さんはヨシに 「2人でここまで建てた」 と言ってくれた。
でも違う。 2人で建てたなんて、とんでもない。 私は材料を集めただけ。 直接は何もしていない。
今でこそ頼れる女を上手く装ってるけど、なんの事は無い。 健さんがいなければ何も出来ない。
どれだけ表に出さなくても、心に秘めたその優しさに私は気付いてた。
信頼。 尊敬。 そこから始まった私の想いが、自然に 『愛』 へと変わるのに時間はかからなかった。
健さん・・・・・・
――――――――――
掴み上げた相手に全ての憎しみをぶつけるかの様に見据える健一の瞳には、目の前に見えている筈のものが何も映っていなかった。
マコトの頬を伝う涙が。 その想いの深さが。
健一は尚も力を緩めない。
「フンッ・・・・・・なんだこいつ、意識あんのか?」
もはや何も耳に届いていない様子の相手を見限った健一は、その手を振り放し、掴んでいたマコトをその場へ投げ捨てた。 次の目標は当然、
視界の隅に佇む1人の傍観者。
「おい、お前! 今度こそ逃がさんぞ! 知ってる事を全部話してもらうからな!」
既に足が竦んでしまい、立ち上がって逃げる事は出来ない。 それが出来たとしても、一緒に来た女性を置いて行く訳にもいかない。 レイカは
覚悟を決め、敵意を露にしたその目で近付いて来る健一の方に視線を定めた。
目の前まで迫った健一の片腕が何かの準備に入ったのをその目で確認したレイカは次の瞬間、首を鷲掴みにされ、そのまま無理矢理立たされると、
マコトの時と同じ体勢をとらされた。
「んぐ・・・・・っぐぅ・・・・・・んっぐ・・・・・・」
だが、今度は違う。 首を直接掴まれてしまっている。 小柄なその体は、地面に付くか付かないかギリギリのところまで持ち上げられている為、
レイカはまともに息をする事も許されない。
「ほら、どうした? 喋ってみろ!」
健一は自分で言いながら分かっていた。 それが無理な要求であることを。
「何とか言ってみろ!」
目潰しを食らい、視界を奪われた事で頭を強く打ったのを根に持っていた健一は、その腹いせの為だけに何度もそんな言葉を投げかけた。
その時だった。 苦しみ、もがき続けるレイカを持て遊ぶように攻め立てる健一は、背後に何かの気配を感じ取った。
「ぐっ・・・・・!!」
瞬間、何が起きたのか理解できぬまま脇腹に強い衝撃を受けた健一は、掴んでいた手を離してしまい、激痛と共にその場に崩れ落ちた。
一方、苦痛の束縛から解放されたレイカは、意識朦朧としながら地面に倒れ込む直前に、何者かの手によって抱き留められた。
「レイカ! 大丈夫か!?」
聞き慣れた声。 呼ばれた名前。 支えられた手の温もり。 苦しさで虚ろだった目をしっかりと見開いたレイカは、はっきりとその顔を確認した。
「ゴホッ・・・・・タク・・・・・・コホッゴホッ・・・・・・」
「分かった、もう喋らなくていい!」
喉を締め付けられていたレイカの声はもはや声になっていなかった。 その言葉を制止すると、タクヤは両手でしっかりとレイカの体を抱えて
立ち上がり、傍らに蹲っている健一から少しでも遠ざけようと洞穴の中へ運んだ。
入口から少し入った所にレイカを下ろすと、岩壁に寄り掛からせたその体を労わるように、ソッと頭を撫でた。 時折、低く唸り声をあげながら
苦しんでいる健一の方へ目をやったタクヤは透かさず立ち上がり、改めて憎しみを込めたその目で睨み付けた。
レイカを傷め付けられる場面を目撃したことで、元々(もともと)許すつもりも無かったタクヤの怒りは完全に頂点にまで達していた。
『こんな程度では済まさない』
だが、初手の不意打ちは確実に効いていた。 如何に相手が大男だろうと、防御を意識していた訳でもない脇腹に、全力を込めた蹴りを食らっては一溜まりも無い。 当たり所が悪ければ肋骨が折れている可能性もある。
健一に接近しながら次の攻撃方法を考えていたタクヤは、ある事に気付いた。 憎き男から少し離れた場所にもう1人の人間が倒れている。
(・・・・・まさか)
急いでそこまで駆け寄ったタクヤは、目が半開きで、意識の有無も分からないその女が誰かを認識した上で、念の為に息がある事を確認すると、
レイカの時と同じく抱え上げ、洞穴の中まで運ぶことにした。
運んだ女をレイカの隣に並べる様にして寝かせたタクヤは、絞り出した様なか細い声を聞いた。
「タクヤ・・・・・逃げよ・・・・・・」
まだ喉の調子が戻らないのと、恐怖からきた興奮が合わさってか、レイカの言葉には全く力が無い。
「大丈夫だ、ここでしばらく休んでろ、な?」
「・・・・・・う、うん。」
タクヤが無事だった事に安心したのか、その心強い言葉で安心したのか、微笑みを浮かべたレイカはそのままソッと瞼を閉じた。 よほどの心配を
かけた上に、疲れていたのか、目を閉じたまま静かに寝息を立て始めた。
再びレイカの頭を撫でたタクヤは、その場でしばらく考えていた。 あの健一という男をどうしてやろうかと。
このまま逃がせば必ずまたやって来る。 かと言って、中途半端に痛めつけても同じこと。 怒りを買って、後々(のちのち)余計な事になるだけだ。 和解という選択肢はまずあり有り得ない。 では、一体どうするべきか。
タクヤはずっと考えていた結論を出そうとして、思い留まった。
(まさか、本当に殺す訳にもいかないよな・・・・・・)
こんな場所でも、例えそれがどんな相手であろうと、自分が人殺しになるのは後味が悪過ぎる。 それ以前に、人を殺めるという行為を自分が実行
できるとは思えない。 ならば一層の事、気絶だけでもさせておいて、ヨシアキ達に引き渡すのが最善なのか。
考えが纏まらないまま、洞穴の入口で立ち尽くしていたタクヤは何気なく健一の方を見た。
「・・・・・!!」
自分の目を疑った。 いない。 そこに蹲っている筈の男が居ない。 すぐさま辺りを見渡したが、その姿は何処にも見当たらない。
(何処にいった!?)
確かにいた筈のその場所まで思わず走った。 そこからもう1度、周辺全てに目をやったが、やはり何処にも居ない。
(逃げたのか・・・・・・)
逃げたのだとすれば、悔しい気持ちがある半面、少しホッとしたような気持ちもある、そんな複雑な心境に駆られたタクヤはとりあえず、レイカと
もう1人の女の状態を確認する為に、2人のいる穴の入口へと引き返した。
ここで安易に 「逃げた」 と判断し、更なる周囲の捜索を怠ったのは、その若さ故の甘さなのか、只の油断なのか、それは本人にも分からない。
だが、この事をタクヤは文字通り 『後』 で 『悔』 やむ事になる。
「!!」
ズシャッ
「・・・・・うっ」
これまでに聞いたことも無い音がした。 それと同時に感じた痛みと、全身に伝わって来た衝撃が何を意味するのか、タクヤは瞬間的に理解した。
(刺された・・・・・・!?)
背後からの気配とも殺気とも言える何かを感じ取り、咄嗟に上体を捻ってその身を逸らしたタクヤだったが、完全に 「それ」 を回避するには至ら
なかった。
「ぐっ・・・・・・!」
ドサッ
激痛と共に、全身から力が抜けたタクヤはそのまま地面に倒れ込んでしまった。 痛みに耐えながらも確認した自分の体の異変は、どうやら脇腹に
あったようだ。 血。 それもかなりの量。
地に伏した状態のまま冷静に分析する。 咄嗟の判断で動いたおかげか、さほど深い傷ではない。 刺されたというよりは、掠った刃物で切られた
感じだ。 もう見当はついているが、加害者の方に目を移してみる。 あの男だ。 その手には以前にも見た槍らしき物を持っている。 どうやらあれで
攻撃されたようだ。
「フンッ、腹のど真ん中を突き刺してやろうと思ったが・・・・・・丁度いい、さっきオレが蹴られた場所だなぁ!」
恐ろしい言葉を口にした健一は横たわるタクヤに対し、まだその槍を向けて構えている。 明らかに第2撃を加えようとする意志が見て取れた。 その
姿を見たタクヤは傷口を片手で押さえながら慌てて立ち上がったが、痛みと出血のせいで足元がフラつくのを隠す事が出来なかった。
「お、お前・・・・・・イカれてんのか!?」
声を震わせるタクヤはかつてない程の恐怖心に襲われていた。 とても正気の沙汰とは思えない。 健一は間違いなく本気だった。 本気で自分を
殺すつもりで攻撃してきたのだ。
「そっちから仕掛けて来たんだろがぁ!! 今度こそ突き刺すっ!」
「くっ・・・・・・」
その荒々(あらあら)しさとは裏腹に、整った姿勢でしっかりと両手に持つ槍の構えは、素人とは思えない雰囲気を醸し出している。 まさかとは思ったが、この
男は槍術を心得ているのかもしれない。 これは危険だと察知したタクヤは、傷口を押さえながらも目を逸らさずに身構えた。
次の瞬間、健一は両手で握ったその槍を、勢いよくタクヤの顔面目掛けて突き出して来た。
「うわっ!」
これを紙一重でかわしたタクヤは、更に続けて繰り出される攻撃に、体勢を崩しながらも必死で対応し続けた。 そう浅くもない傷口からの出血は
その間も止まらない。 出血箇所を押さえながらの回避には想像以上の集中力を要した。
(殺される・・・・・・!)
この状況で、命の危険はとうに察していたタクヤだったが、決してその場から逃げ出そうとはしなかった。 あの2人を置いて行く訳にはいかない。
自分が逃げればレイカ達に危険が及ぶ。 そして、自分も殺される訳にはいかない。 恐ろしい程の殺意を込めて槍を突き出してくるこの男には今更、謝罪や説得といった類のものも通用しないだろう。
全ての攻撃をギリギリでかわし続けるタクヤの回避力は、もはや神業と呼べるものだったのかもしれない。 それも全ては心の底から湧き上がる
「大事な人を守りたい」 という強い意志がなせる奇跡的な技。
だが、その限界が来るのも時間の問題。 幾ら体力に自信があっても、この傷と出血ではそれも全く関係ない。
『限界が近い』
そう判断したタクヤは戦うことを決意した。
しぶとく避け続けるタクヤに苛立ちを隠せない健一は、何発かに一発、必要以上に大きな動作で突いてくる事があった。 時折、出血の為か意識が
薄れる瞬間もあるタクヤだったが、その大きな突きの寸前に生じる僅かな隙を決して見逃さなかった。
「・・・・・くっそっ!」
丁度その時、苛立ちが限界に達してきたのか、健一は掛け声とも取れるその声を漏らしてくれた。 そしてその直後、予想通り健一は他の突き
よりも腕を引き戻し、大きな溜めを作って強力な一撃を繰り出そうと構えた。
(今だ!)
ヒュッ
健一の全力を込めた突きは一直線に空を切った。 一呼吸早く対応していたタクヤは、その槍が最高到達点に達する頃には相手の間合いの
内側、且つ視界の外側にまで回り込み、槍を握っているその両腕を、自分の両手でそれぞれに掴み取った。
「くっ・・・・・・!」
よもやの展開に動揺した健一はそれを必死で振り解こうとするが、そうはさせまいと、タクヤも必死に食らい付いて離さない。
だが、タクヤにとっての誤算がそこにまず1つあった。
何とか相手を押さえ込もうと両手を使ってしまった事で、脇腹の出血を押さえる術を失ってしまった。 それに加え、力を入れることで余計に多くの
血を流す羽目になってしまう。
『頭が働かない』
タクヤにとって、圧倒的に不利な力比べが始まった。
出血が酷い。 何度も力が抜けそうになり、気を失いそうになるが、この手を離す訳にはいかない。 今ここで手を離せば、今度こそ攻撃を食らって
しまう。 それはつまり、自らの死を意味する。
もはや力比べではなく、根比べの勝負。
だが、それはタクヤにとってだけの話で、健一にとっては違う。 まず、2人の力が互角の筈が無い。 まだ若く、身体も完全に出来上がっていない成長期のタクヤに対し、大柄で体格もいい大人の健一の腕力の方が、圧倒的に勝っているのは誰の目にも明らかだった。
健一にとってはあくまで力比べ、それも圧倒的に有利な。
これがタクヤにとっての2つ目の誤算。
しかし、健一にも1つぐらいの誤算はあった。 タクヤから受けた不意打ちによるダメージと、体力だけは全盛期である若者との長期戦での疲労。
これにより、意外にも2人の競り合いは膠着状態が続いた。
両者は一歩も譲らない。
だが、その拮抗もタクヤの3つ目の誤算によって、脆くも崩れ去る事になる。
血を流している者とそうでない者の、頭の回転の速さの違い。
力ずくで振り払うのは無理だと判断した健一は、自らの両腕の力をわざと緩め、相手の反応を見る作戦をとった。 その緩みを感じ取ったタクヤも
決して油断していた訳ではなかったが、その痛みと出血の為に自分も一瞬だけ力を緩めてしまう。 その一瞬を健一は見逃さなかった。
再び腕に力を込め、自分の方へ思い切り引き寄せると、それによって体勢を崩したタクヤの腹部に強烈な膝蹴りを御見舞いした。
「ッグォッ・・・・・!!」
思いも寄らぬ一撃。 脇腹から吹き出た大量の血。 傷口から全身を駆けずり回る激痛。
勝負はついた。
遂にその手を離してしまったタクヤは大地に膝を付き、重力に逆らう事も出来ず、そのまま地面に倒れてしまった。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・油断したな・・・・・・」
返事は無い。 もはやタクヤの意識は途絶えてしまっている。
「突き刺してやる・・・・・・!」
足元に横たわり、もう微動だにしないタクヤの真上から槍の刃を向けた健一は、真上から思い切り串刺しにしようとでもいうのか、あえてその腕を
自分の頭上よりも高くに構えた。 その行動からは情けも容赦も全く感じられない。
「やめてっ!!!」
ドンッ
ズサァッ
止めを刺す為に両手を掲げて無防備になっていた健一は、背中に受けた強い衝撃で目の前に横たわるタクヤを飛び越える勢いでうつ伏せに
倒されると、持っていた槍もその手から離してしまった。
同じくその勢いからタクヤを飛び越え、健一の横に転がるようにして倒れたのはレイカ。 無茶な体当たりのせいで着地の際に身体を数箇所打ち
付けたが、そんな痛みは気にも留めず、膝を付いたまま急いでタクヤの元へと擦り寄った。
「タクヤ・・・・・・タクヤ・・・・・・!」
意識を失っているタクヤは当然返事をしない。 だが、レイカには最初からそれが分かっている。 何も呼び起こそうとしている訳ではない。 ただ、
遅過ぎた自分の行動を謝罪したかった。
「ごめんね・・・・・・タクヤ」
レイカはずっと見ていた。 今までこの場所で起こっていた争いの殆どの光景を。
健一の怒号で目を覚ましていたレイカは、タクヤが傷を負う事になった瞬間を見てはいなかったが、遠目からでも薄っすらと確認できたその服の
染みを見て、只事ではないという事は理解していた。
だが、動けなかった。 体が動いてくれなかった。
『早く助けにいかないと』
その気持ちと裏腹に、どうしても体が言う事を聞かない。
足が竦み、震えが止まらない自分は、タクヤが殺されたりしない事をただ祈るのみ。 そんな自分にいい加減、嫌気が差した。 自分を呪った。
そんな時に、とうとうタクヤが倒れてしまった。
自分に問いかけた。
『今行かないで、タクヤを好きでいる資格なんてある?』
ある訳が無い。
答えが出た時、レイカの中から 「恐怖」 という言葉は完全に消え去った。
『絶対にタクヤを守って見せる』
その 「信念」 は考えるより早く、冷静な人間よりも的確に、レイカの体を突き動かしていた。
「くっ・・・・・・てめぇ・・・・・・!」
かなりの勢いで地面に顔と体を打ち付けた健一だったが、小柄な少女の体当たりがそこまで効果的な訳も無い。 それでも痛みが走る顎を撫で
ながらゆっくりと立ち上がった健一に、第2の衝撃は襲ってきた。
ズンッ
「うぉ・・・・・!?」
健一が驚くのも無理はない。 立ち上がった所にまたしても体当たりが来たと思いきや、今度は跳ね飛ばされる程の勢いでもなく、その代わり
自分の身体に何かがまとわり付いている。 それは他でもない、レイカだった。
背中に飛び付かれ、リュックサックでも背負っている様な形になった健一は、首に廻された両腕と腰に絡み付く両足を、必死に体を捻じらせて振り
解こうとするが、レイカの信念が決してそれを許さない。
「ぐっ・・・・・離でろ・・・・・・! ごのっ!」
健一は尚もレイカの腕を引き離そうとするが、物凄い力で喉元を締め付けられているその両腕は、如何に力自慢であろうとそう易々(やすやす)と解けるもの
ではない。 更に、強い信念のみで動いている今のレイカの力は並大抵のものではなかった。
タッタッタッタッタッタッ
「・・・・・・!?」
「・・・・・・!」
奇妙な攻防を続けていた健一とレイカは、その速いテンポの足音を同時に聞いた。
「健さん!・・・・・・レイカちゃん!?」
誰かの声。
健一にとっては聞き慣れた声。 レイカにとっては何処かで聞いた事のある程度の声。 だが、直感でそれが味方だと瞬時に悟ったレイカの力は
安堵の為か一気に抜け、締め付けていた腕を解いてしまうと、そのまま背中から地面に落下してしまった。
呪縛から解放されたかのような健一は、落ちたレイカにも倒れているタクヤにも見向きもせず、近くに落とした槍を素早く拾い上げると、向かって
来るヨシアキに対して身構えた。
「邪魔をするなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
辺りに響き渡る健一の激しい怒号がこちらに向けられている事を確認したヨシアキは、自分の今とるべき行動を瞬時に理解し、その速度を全速力に切り換えた。
「順ちゃん! ハルちゃん! みんなを頼むっ!!」
加速した事で、少し後ろを走る2人との距離を更に離すと、それでも声が届く程の叫びで自らの意思を示したヨシアキ。 接近して、健一が槍を構えて
いる事に気付くと、透かさず背中に差していた槍を抜いて自分も構えた。 あくまでも、相手の攻撃を防ぐ為だけに。
猛然と駆け寄るヨシアキ。 待ち構える健一。 目前に迫った衝突の瞬間。
2人の目は真っ直ぐに相手を見据えていた。
片や 『止めようとする目』 片や 『殺めようとする目』
しかし、どちらにも共通している事があった。
両者ともに 『本気』 だということ。