13章 波乱への足音
「何これ!? 進みづらっ!」
海岸を歩き続けることおよそ数十分、ヨシアキが見つけた 「それら」 は夜の闇の中で月に照らし出され、何とも不気味な光景を生み出していた。
浜辺のあちこちに見渡す限り 「岩」 だらけのこの景色。 おそらく、陸側から伸びる大きな河口を通って、上流から転がって来たものだと思われる。 それにしても大き過ぎるその岩は、最大でヨシアキの身長程の高さがあった。
「こんな所、前に1周した時あったっけな・・・・・・」
訝しげに周囲を見渡すヨシアキ。 どう考えても全く覚えのない光景だった。
「前は岩が無かったの・・・・・?」
順子もヨシアキの横に立ち周囲を見渡す。
「ん〜岩もだけど、こんな河口も初めて見た・・・・・・」
どうにも腑に落ちないヨシアキだったが、とにかくここで引き返す訳にもいかないと、順子の手を取り、岩の間を通って進める場所まで歩く事にした。
流れ着いている岩の大きさから考えても、相当な川幅があることは予想できたが、いざ川沿いの大きな岩の上に立って前方を見渡してみると、
その河が予想以上に大きなものだと理解できた。
「順ちゃん、これ無理だ・・・・・・」
「・・・・・だね」
どう考えても、この河を超えるのは不可能だと即座に悟った2人は岩を降り、浜辺に埋まった小さめの岩に腰を掛けた。
「これ以上進めないなら戻るしかないのかな・・・・・・」
両膝を三角に曲げ、岩の上に完全に乗っかっていた順子は、膝を支えに頬杖をついた。
「あ、そうか・・・・・!」
何かを思い出したのか、ヨシアキは急に立ち上がった。
「どうしたの?」
「今、オレ達が進んでる方向は、前に来た時とは逆なんだ。」
「・・・・・?」
「えっと、3人で1周した時は健さんがずっと先頭で、オレは1番後ろにいたから気付かなかったんだと思うけど、途切れた海岸から森を超えて
また海岸が見えた時に、この河口を真っ先に見つけた健さんが通れないって判断して、何も言わずに遠回りに誘導してくれたんだ、きっと。」
「え・・・・・と・・・・・・」
一生懸命考えてみても、ヨシアキが何を言いたいのかどうしても分からない順子。
「あ、ごめんごめん。 つまりね、この河口の先へ進めたとしても、きっと海岸は途切れてる。」
「あ・・・・・なるほど」
「ってことは、これ以上進むなら森に入らないと無理ってことだ・・・・・・」
「でも森は危ないから行けないし、ここで時間も無駄に経っちゃったね。」
「だなぁ・・・・・・仕方ない、引き返そうか。」
これ以上の前進を断念した2人は腰を上げ、岩からヒョイと降りた順子に手を差し伸べるヨシアキ。
大して見て回る事も出来ず、どう考えても早く帰り着くであろう自分達に、中途半端で引き返す事になってしまった情けなさと、申し訳なさの
ような感情を抱きつつ、せめてこの立ち並ぶ岩影を見て回ろうと周囲を探索し始めた。
しかし、これ以上進めないと判断し、ここで素直に引き返したことが、逆に大きな発見に繋がる事になったと2人は後で気付かされる。
一通り周囲の岩を見て回った2人の収穫は予想通り、特に何も無し。
「まぁこんな場所に健さんがいる訳ないか、先に戻ってあっちの2人を待とう。」
溜め息混じりの言葉を漏らしながら順子の手を掴むと、岩の群れを後にし、来た道を引き返す為にまたガランとした砂浜の中を歩き出した。
2人きりになると、もういつの間にか手を繋ぐ癖が付いている事をヨシアキは意識していなかったが、順子は毎回それを嬉しく思っていた。
しっかりと繋がれた手を見つめてヨシアキの温もりを感じ取っていた順子が 「ある物音」 に気付くのが一瞬遅れたのは、仕方の
ない事だったのかもしれない。
「わ・・・・・!」
突然、不意に繋いだ手を引き離され、後ろに勢いよく突き飛ばされた順子は、抵抗する術も無く砂の上に尻餅を付いてしまった。
ザッザッザッザッザッザッ
「レイカッ!!!」
!?
砂浜を全力で駆けてくる足音と叫び声、ヨシアキがそれに気付いた時にはもう遅かった。
『自らの回避は不可能』
何かが迫ってくると瞬間的に判断したヨシアキは、咄嗟に順子を引き離し、その脅威を1人で受け止めるしかなくなっていた。
ズッ
ドサッ
「レイカッ!! 逃げろ!!!」
ボゴッ
猛烈な勢いの体当たりを食らい、砂浜に押し倒されたヨシアキは、胸の上に馬乗りになられたまま、頬に全力の拳の一撃を食らった。
「ぐっ・・・・・は・・・・・・」
頬とはいえ、顎近くまで届いたその一撃。 ヨシアキは朦朧とする意識の中でただ一つ、順子をこの場から逃がすことだけを考えていた。
「・・・・・にげ・・・・・て・・・・・・!! じゅん・・・・・ちゃん・・・・・!」
「ぁ・・・・・・キャアアアアアア!!!」
海岸に響き渡る壮絶な悲鳴。
腰を付く順子は、押し倒されてからここまでに何が起こったのかすぐに理解出来ず、信じ難い光景を目の当たりにして、ただ怯えているだけだった。
「レイカじゃ・・・・・・ない?」
浜辺で見つけた人影に、その余りの怒りで反射的に突進してきたその人間は正気に戻り、殴った相手の顔を確認するとすぐに立ち上がって
目の前の2人を見比べた。
それはタクヤだった。
「・・・・・・レイカは何処だ」
座り込んだままこちらを見て呆然としている女の方は相手にせず、横たわった男の方を見下ろしながらタクヤは問い詰めた。
「おい、意識はあるだろう・・・・・・答えろ」
「お、お前・・・・・あの時の・・・・・・」
グラつく頭を抱えながらゆっくりと身体を起こしたヨシアキは、見下ろしてくる男を見て相手が誰だかすぐに理解した。
「聞いてるんだ、答えろ! レイカを何処へやった!!」
「何のことだ・・・・・・レイカって誰だよ・・・・・・」
タクヤが何を言ってるのか全く理解できないヨシアキだったが、自分がされた事と、相手の言葉、更にその物凄い剣幕から、只事ではない
何かを感じ取っていた。
「恍けるな! あの男が連れて行っただろうが!!」
「・・・・・待って!」
尚もヨシアキを睨みつけ、怒号を浴びせるタクヤを制止したのは順子。 透かさず立ち上がるとヨシアキの横に座り込んだ。
「お願い、落ち着いて・・・・・・私達は何も知らないの」
こちらを見上げて訴える女の表情が真剣なのを、薄暗い中でも確かに認識出来たことで、タクヤは少し気持ちを落ち着かせた。
「知らない・・・・・・? お前ら、あいつの仲間だろ?」
「・・・・・そう、だけど今は別れちゃって、あの人は1人で行動してるの。」
先程まで怯えていた順子がまるで別人のよう淡々(たんたん)と、しっかりと喋ることが出来たのは、ヨシアキの存在が大きかった。 いつも守って
もらってばかりでは駄目だと自分に言い聞かせ、心を強く持った。 大事な人を守る為に。
「どうして1人で行動してるんだ? どうゆうことだ?」
レイカを連れ去られたタクヤの怒りと悔しさと不安は半端なものではない。 だが、相手が女となると流石に荒々しくは問い詰められない。
この女が嘘を付いてる様にも見えない。 黙ってその答えを待つしかなかった。
「順ちゃん・・・・オレが説明・・・・」
「大丈夫、私ちゃんと言えるから。 心配しないで、ヨシ君は殴られたとこ水で冷やして来て。 後でちゃんと診るからね。」
そう言った順子は迷う事なく、自分のTシャツの裾を破り取り、それをヨシアキに手渡した。
「順ちゃん・・・・・」
順子の余りのしっかりとした対応に驚きを隠せなかったヨシアキだが、すぐに立ち上がり、波打ち際へと早足で向かった。
もちろん、この2人を残して自分が離れるなんて行為は普通なら絶対にする筈が無い。 そこにいる男はいきなり飛び付いてきて、殴りかかって
来た相手なのだから。 だが、誤解を解くには自分の方がいいと自ら名乗りを上げてくれた順子の気持ちと、その勇気を踏みにじる訳にもいかない。
それでも不安を隠せないヨシアキはその足取りを更に速めた。
目の前にいる女の一連の言動を見ていたタクヤが荒ぶる心を抑え、説明を急かさなかったのは、その光景がどこかレイカの優しさを思い出させて
くれた為。
順子はタクヤに全てを説明した。
皆が健さんと呼ぶあの男とは、確かに仲間だという事。
タクヤ達2人と別れてから、その2人を追うと言い出した健一と口論になった事。
他の4人が反対しても止めようとせず、強引に1人で別行動を取ってしまった事。
そんな健一を連れ戻そうと4人で手分けして探していたという事。
タクヤは黙って聞いていた。 既に戻って来ていたヨシアキも、順子の横で痛む頬を布で抑えながら一緒に話を聞いていた。
「分かった、信じる・・・・・・」
順子の丁寧且つ真剣な言葉とその想いが伝わったのか、タクヤの表情は先程と比べ、随分と和らいでいた。 どうやら誤解は解けたようだ。
「それとあんた・・・・・・殴ったりして、すまなかった。」
「ヨシアキ」
「・・・・・?」
「名前、ヨシアキだよ。 誤解されてたなら仕方ないし、別に気にしなくていいよ。」
不意打ちで押し倒され、あれ程までに粗暴な扱いを受け、事情すらまだ聞いていないにも関わらず、全く怒る素振りも見せないヨシアキの
態度を見たタクヤの心は、また少し落ち着きを取り戻した。
「オレは・・・・・・知ってると思うけど、タクヤ。」
「私は安田 順子です。 みんなからは 『順ちゃん』 って呼ばれてます、どうそよろしく。」
誤解が解け、相手が心を許してくれた事にホッとした順子は自ら名乗った。 説明の時よりも言葉が丁寧になったのは、挨拶の際の
礼儀からか、自然に変わったもの。
「え・・・・・っと・・・・・よろしく」
こういった自己紹介に慣れていないのか、少し照れたように顔を下げるタクヤ。
「次はそっちの事情を説明してくれないかな? 何処で何があったのか、できるだけ詳しくさ。」
落ち着いたタクヤのどことなく幼い仕草を見て、自分の方が年上だと感じ取った事と、怒鳴りつけられた言葉から
「あの女の子を健さんに連れ去られたのでは?」 と予想していたヨシアキは、痛みを隠し、怒りも完全に捨て、出来る限り優しく聞いた。
「オレとレイカは・・・・・」
タクヤは2人に 『全て』 を話すことにした。
今回の事件に関しての、今ここで言うべき事だけを 『全て』 。 その中には洞穴の存在も場所も含まれていない。
目の前の2人は信用できたが、だからと言って同時に、他にまだ2人いる仲間まで信じた訳ではないからだ。 あとの2人が幾ら女だと分かって
いても、話した事も無い相手を簡単に信じるという油断が、後で命取りになるかもしれないと野生的に感じ取っていたからだ。
健一という男には洞穴の場所を知られてしまったが、ここで今この2人にまで教えてしまう事は即座に5人全員に伝わるのと同じこと。
逆に、ここで教えずにいれば、この問題が全て解決した時に、もし健一という男さえ 『完全にいなくなっていれば』 またレイカとあの
洞穴で一緒に暮らす事が出来る。
あの男だけは、レイカが無事でも只ではおかない。 もしも、レイカに何か危害を加えていたらその時は・・・・・・・・・・
タクヤはそう心に決めていた。
ここでヨシアキと順子の2人に対して、タクヤが話した事は4つだけ。
レイカという名前の女の子と2人で生活している事。
2人とも、ここに来る前の自分に関することを、下の名前以外に全く覚えていない事。
休息をとっていた所に健一が現れて、知っている事を聞き出そうとしてきた事。
『何も知らない』 という言葉を信じず、痺れを切らし、力ずくでレイカを連れ去ったという事。
話せる事だけを選び、冷静に喋っていたつもりのタクヤだったが、レイカを連れて行かれた事を話す時だけは、腹の底から
込み上げてくる憤りを隠せなかった。
そして、もう1つ。 健一が言っていた気になる発言。
『そこまで顔が似てる他人がいるものか』 『兄妹だろう?』
聞き流したい。 無視したい気持ちはあった。 だが、言われてみればそんな感じがして、何か心当たりのある自分。 もしかしたら
本当に兄妹なんじゃないだろうかと思ってしまう自分。 自分の顔を見て、はっきりと確認することを恐れている自分。
信じたくもなく、認める事も出来ない反面、事実かもしれないと疑ってしまっている自分に憤りを感じていた。
「健さん・・・・・本当に、知ってることを聞き出す為だけに連れて行ったのかな・・・・・・」
「ヨシ君!」
「・・・・・あ! ごめん!」
つい口走ってしまった自分の無神経な言葉に、ヨシアキは激しく後悔した。
「・・・・・・」
2人に事情を話し終えてから、難しい顔で考え事をしていたタクヤには、その会話が全く耳に入っていなかった。
タクヤの話を聞いた2人は、その心境を察して胸が痛くなる想いだった。 ずっと一緒に過ごしてきた大切な人が連れ去られてしまい、
今も何処にいるのか分からず、何をされているのかも分からない。
とてつもない不安の中、あちこち探し回った末に、ここで自分達を見つけた時の、あのヨシアキに対する暴挙も納得が出来る。
お互いを想い合っているヨシアキと順子だからこそ、余計にその心の痛みが理解できた。
そして、こうしている間にも時間は過ぎて行く。
「・・・・・あ!!」
静かな浜辺に突然響いた大声に、ヨシアキも、心此処に有らずだったタクヤも、ほぼ同時に順子の方を見た。
「順ちゃん? どしたの?」
透かさずヨシアキが問う。 男2人は揃って目を丸くしている。
「すっかり忘れてた・・・・・・髪・・・・・・とっくに乾いてる」
「あ! オレもすっかり忘れてた・・・・・・ほんとだ、もう乾いてそうだね。」
頭をクシャクシャ掻いている順子の髪に手を触れ 「うん、完璧に乾いてる」 と納得しているヨシアキ。
そんなやり取りを、未だに目を丸くして見ているタクヤ。
なぜ乾いた髪に驚いているのか。 それを忘れていたら何が問題なのか。 何に納得しているのか。 何かの実験でもしていたのか。この子は
そこまで乾きにくい髪の持ち主だったとでも言うのか。 もしかしたら、この2人は少し頭が変なのか。 そう考えると、聞くに聞けない状況。
疑問だらけのタクヤ。 全く意味が分からない上に、どう見ても恋人同士でじゃれ合っている様にしか見えないその光景を前に、この2人に
対しても微かな殺意が芽生えたのは、嫉妬心からの気まぐれか、只の気のせいだと確信していた。
この2人を見ていると、レイカの髪をまた撫でて早く安心させてやりたい。 元気に戻ってきたレイカを早く抱き締めたい。 そんな気持ちが
湧き上がってくるのと同時に、健一への憎しみがどんどん膨れ上がっていくのを感じずにはいられなかった。
「あ・・・・・・タクヤくんさ」
合流地点に戻る時間が遅れた事を思い出したのと、タクヤも急がなければならない状況から、ヨシアキは思い付いた提案をストレートに
ぶつける事にした。
「お互いに目的は同じなんだから、一緒に行動しよう。」
「え・・・・・・」
「こっちは4人より5人がいいし、そっちは1人より5人の方がいい筈。 探すならその方が絶対に早く見つけられるよ。」
「・・・・・ああ、分かったよ。」
その提案を拒否する理由がタクヤには見つからない。 今は、一刻も早くレイカを、あの男を見つけなければならない。
「じゃあ決まり! まず仲間と合流するから一緒に戻ろう。 それと、ちょっと急ごう。」
言葉の通り、急いで歩き出したヨシアキ。 すぐ後ろを追うようにして歩き出した順子が、まだ立ち止まっているタクヤの方を振り返って
更に言葉を付け加えた。
「約束の時間を過ぎちゃってるから、あとの2人を待たせてると思うの。」
「時間?」
「あ・・・・・えっと、髪を濡らして乾くまでの時間で計ってたの。」
「!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なるほど」
全く意味の分からなかった謎がようやく解けた。 タクヤの中の大きな悩みには全く関係なかったが、この小さな疑問が解決できた事で、
ほんの少し気分が楽になったのは、只の気のせいだと確信したくはなかった。
「あ、あのさ。」
「・・・・・え?」
補足の言葉を伝え終わった順子がまた歩き出そうとした時、タクヤはつい呼び止めてしまった。
「悪かったよ」
「え、何が・・・・・・?」
(いや、2人は少し頭が変なのか、とか言って)
「いや、何でもない、急ごう。」
キョトンとして立ち止まっていた順子を追い抜かし、急ぎ足でヨシアキの所まで追い付くと、今と全く同じ言動をもう1度行ったタクヤ。
このタクヤの、唐突な謝罪の意味を取り違えていたのはヨシアキのみ。 その意味を全く分かっていなかったのは順子のみ。
誰にも言える筈もないその真の意味を知っているのはタクヤ本人のみ。
(ふぅ・・・・・・意外と律儀だな・・・・・・オレって)
ここで気持ちを切り替えたタクヤは、目的を果たすまでの暫しの間、この仲間達に背中を預けることを決意し、改めてレイカの
その身を案じていた。
そして、漲ってくる健一への殺意を改めて確認していた。