11章 許されぬ油断
日暮れが近付くと、辺りも暗い森の様相を見せ始める。
昼間、驚愕の出会いを体験し、侵入者達が森に消えるまで見送ったタクヤ達は本来の目的である食料調達の為、その足で海岸へ向かったが、帰り道をいつもの最短ルートではなく、大幅な遠回りルートに変えたのはタクヤの用心深さの表れ。 万が一、尾行されている事も考えたからだ。
タクヤは必要以上に警戒していた。 日が完全に落ちるまでは油断が出来ないと、早々(そうそう)にするべき事を済ませ、洞穴の奥でレイカと共に身を潜めていた。
何故、タクヤがそこまで用心しているのか、レイカには全く理解出来なかった。 完全な日暮れ前とはいえ、穴の奥は光の届かない完全な闇。 そこで向かい合い座り込むタクヤの落ち着かない表情を、レイカの闇に慣れた目は幽かに捉えていた。
「心配ないよタクヤ。 あの人もう近付かないって言ってたし。」
「あいつの目、ちゃんと見たか?」
「・・・・・・・目?」
何を言いたいのか分からない、というレイカの様子に、タクヤは自分の不安を包み隠さず話す事にした。
一見、紳士的な態度で話しかけてきた大柄な男。 その男の目の奥深くに何か異質なものを感じたという事。 こちらの横柄な態度に対して、垣間見えた微妙な目つきの変化。 それらに気付いた自分の中の何かが 『危険』 だと判断した。
男の質問の内容からすると、彼らもこの場所から帰りたいらしい。 だが、簡単には帰れない場所だという事も分かった。 だとすれば、やっと見つけた人間にその手掛かりを求めるのは当然と言えば当然。
「あいつ、オレらから何か聞き出そうと必死なのがバレバレなんだよ。」
「ん〜なるほど・・・・・・」
「とりあえず今夜と明日1日は様子を見たい。 それで来なけりゃ心配ないさ。」
不安の理由を聞いて納得は出来たものの、男の目をじっくりと見たわけでもないレイカには、特に問題視する事でもないと軽く流していた。
どこか落ち着かないタクヤの様子と、難い会話、急に訪れた沈黙が気に入らなかったレイカは、話題の転換を思い付く。
「ねぇねぇ」
「ん?」
「お肉、美味しかったね。」
「ああ・・・・・・もっと食える所あったんだけどな。 腐っちまった。」
「もしかして、またイノシシ捕まえようって考えてる?」
「う・・・・・・」
「あ〜やっぱりだ」
「・・・・・・次はもっと安全にやるよ。」
「どうやるの? また木の上から飛び降りるとか許さないんだからね。」
先日の狩り成功の様子はレイカに全て知られている。 感動の抱擁シーンの後、いつもの雰囲気に戻ると、途端に尋問を受けたタクヤ。
結局、その危険な行為を口うるさく怒られる事になってしまった。
「あははは」
「あー! 笑ってごまかしてる! やるつもりだったんでしょ!」
「いや・・・・・・あれが1番確実な方法で・・・・・・」
「ダメ!! 絶対もうやっちゃダメ!」
「・・・・・・」
「また勝手に行ったりしたら、次はもっと泣いてやるんだから!」
「・・・・・・」
「一生抱きついててやるんだから!」
外まで漏れそうなその声を制止したい気持ちに駆られながらも、これがあの、健気に自分の事を待ち続け、恥じらいながら本音を言い、
素直に抱き締められた女の子と同一人物なのか、とタクヤは思わず苦笑いが出そうになるのをグッと堪えていた。
「・・・・・・よし、レイカ」
「ん?」
「次はまた一緒に行こう、協力してくれ。」
「・・・・・・!」
言葉は発しなかったが、レイカの表情が変わったのはすぐに読み取れる。
「うーん・・・・・・」
「それでもダメか?」
「んー・・・・・・」
「どうなんだよ」
「うーーーん・・・・・・」
「悩み過ぎだろ」
「・・・・・・協力って何すればいい?」
「えっと・・・・・・」
「一緒に行くならいいけど、邪魔はしたくない。」
「・・・・・・よし、じゃあ今度は何か罠を作るか。」
「罠・・・・・・ってどんなの?」
「それを一緒に考えてくれよ」
「・・・・・・うん、分かった」
決して態度には出さなかったが、タクヤの 『一緒に』 という言葉が嬉しかったレイカは、暗がりではっきり見えないのを
良い事に、ニヤニヤと含み笑いを浮かべていた。
「あ、こうゆうのはどう・・・」
言いかけたその時だった。 レイカは物凄い勢いで後ろに押し倒された。
「痛っ・・・・・何するのタク・・・・」
「シッ! そこに誰かいる・・・・・・!」
正面から伸し掛かられ、目の前に迫ったタクヤの顔に一瞬ドキッとしたレイカだったが、耳元で囁かれたその言葉を
聞いた瞬間、凍りつく程の恐怖に襲われた。
次の瞬間、2人が同時に見た先はそこから入口の方向。 奥に来るほど湾曲しているこの穴は、昼間でもここまで光が届かない。
つまり、完全な闇の中でその慣れた目を頼りに見ることしか出来ない状況。
影を確認した。
それは間違いなく人影。
「邪魔したか」
低く静かに響いたその声は、2人にとって確かに聞き覚えのある声。
タクヤにとってこの上ない程の油断。 すぐ目の前にいる、あの男が。 迂闊だった。 用心しているなら、この逃げ場の無い穴の中で
今夜も過ごそうとしたのは大誤算。 洞穴さえ見つけられてしまえば逃げ場が無いのだから。
「・・・・・・何の用だ」
自らの詰めの甘さを悔みながらも、素早くレイカを後ろに隠し、ゆっくりと立ち上がりつつ冷静を装うタクヤ。
「こんないい場所があったか・・・・・・わざわざ家を建てたのがバカバカしい」
「質問に答えろ・・・・・・」
暗がりの2人に対し、健一は強気だった。 もう既に追い詰めているからだ。
「お前ら、何か知ってるだろう?」
「・・・・・・何をだ」
「島から出る方法。 もしくは、お前ら2人がどうやってここに来たのか。」
「それは・・・・・・」
昼間と同じく 「答える必要は無い」 と言いかけ、タクヤは躊躇った。 相手の男の雰囲気とこの状況。 果たして、また強気な態度で
臨んでいいものか。 何か起こった時レイカを守る自信はある、普段なら。 しかし、この位置関係と暗闇ではこちらが不利。
「その前に・・・・・・この周辺にはもう来るなと言った筈だ。」
「気が変わったんでな。 ここではお前らも貴重な仲間だ、帰る為に協力してくれるな?」
妙に落ち着き払った男の口調は、昼間のものと殆ど変わらなかったが、そのどこか不気味な雰囲気は全く異質のものに感じられた。
それに 「君ら」 と呼ばれていたものが、今は 「お前ら」 に変わっている。
背中に密着し、自分に隠れているレイカが小刻みに震えているのを、タクヤは敏感に感じ取っていた。
「・・・・・・何も知らない。 もし、何か知ってればこんな所にいない。」
逃げるのが困難なこの場所でレイカもいる以上、昼間のような悪態と辛辣な言葉は危険だと判断したタクヤは、相手を
落ち着いて説得する事を選んだ。
「それは言えてるが、それならお前らの記憶だ。」
「・・・・・記憶?」
「ここに来る直前に何があったか教えてもらおうか。」
「悪いけど、オレ達は以前の記憶が無い。 本当だ。」
健一からすれば、こう言われたからといって 「はいそうですか」 と信じて帰る訳にはいかない。 1人になってまでこの洞穴を見つけ、
手掛かりを掴みに来たのだから。
「それが本当か証明できるか?」
「・・・・・・それはできない、でも本当に何も知らないんだ。 信じてくれ。」
もしタクヤが1人でいたならこんな態度はとらない。 幾ら暗闇の中で追い詰められていても、いざとなれば力づくでも追い出せる。
だが、レイカがいる。 危険は冒せない。 逃げる選択肢もない以上、ここはなんとしても守らなければならない。
「そっちの可愛らしい妹はどうなんだ?」
「・・・・・・!?」
「兄妹だろう? 同じ場所から一緒にここに来た筈だ。」
「・・・・・・何故そう思うんだ?」
この男が何を根拠にそう言うのか全く分からない。 突然の発言にタクヤもレイカも、その答えに興味を持った。
「そこまで顔が似てる他人がいるものか。」
!?
予想だにしなかったその返答は、2人を混乱させるのに充分な力を持っていた。
(似てる・・・・・・!? オレとレイカが?)
タクヤもレイカも、そんな事は考えたことすらない。 言われてみれば、お互いに自分の顔をよく知らない。 記憶が無い上に、鏡なんて物も無い。
見たことがあるとすれば、川の水面に映った自分の顔をぼんやりと見た程度。 お互いにはっきりと見たことは無い。
考えてみれば記憶が無いという時点で、自分の顔も思い出せない、それなら顔を見て思い出そうとする。 そんな発想が今まで全く無かった
自分達が不思議だった。
「兄妹な筈ないだろ・・・・・・そんな関係じゃない。」
「おや、知らなかったのか? それとも、とぼけているだけか? じゃあ何故 『そうじゃない』 と言い切れる?」
「・・・・・・!」
タクヤは何も言い返せない。 そう、違うとは言い切れないからだ。 この男が、ありもしないことを言ってこちらを戸惑わせようとしているのか、
引っ掛けようとしているのか、それも判断できない。
「言い切れるってことは、どっちかに記憶があってその根拠があるってことだ。」
完全に混乱してしているタクヤは迂闊な答えを返せなかった。
「はっきりしないな。 どっちかに記憶があるなら兄妹だと気付いてるだろ。 どっちにも記憶が無いなら、お互いに自分の顔を見なければ気付かない。 どっちにしろ、それなら最初に 『分からない』 と言えば済む事だろ?」
「・・・・・・」
「だが、最初に言い切ったってことは、実際には兄妹じゃないとして、それを知ってるって事だ。」
「・・・・・・」
「頭が回らないなら分かり易く言ってやろうか? お前は自分で 『記憶がある』 と正直に言っちまったんだよ。 となると、お前らは只の親戚か?」
タクヤは追い詰められた気分だった。 この男の言っている事はかろうじて分かる。 だが、そうじゃない。 記憶なんて無い。 言い切ったのは、
信じたくないから。 その上で、正直に 「分からない」 と言えばレイカを不安にさせてしまうかもしれない。
つまり相手に対して否定することしか出来ない。
しかし、否定すれば記憶があると言っているようなもの。
「オレ達に記憶は無いんだ・・・・・・でも兄妹なんかじゃない・・・・・・」
崖っぷちに立たされたタクヤが、精一杯に絞り出した言葉。
「おいおい、今更それで納得すると思ってるのか?」
「・・・・・・」
「・・・・・仕方ないな」
これでは埒が明かない、と健一は1歩前に出た。
「・・・・・・く、来るな!」
「協力する気が無いなら、こうするしかない。」
次の瞬間。
勢いよく走り出した健一は、ほんの1〜2秒でタクヤ達の元に辿り着いていた。
薄っすらと見えていた影が素早く動くのを確認したタクヤは、瞬時に身構えた。
しかし、それは遅すぎた。
ゴスッ
鈍い音と共に、頬に激痛が走った。
その衝撃は、タクヤの体を横方向に突き飛ばし、そのまま硬い岩の地面に叩き付けた。
「キャッ!」
!?
一瞬、痛みと驚きのせいで何が起きたのか理解できなかったが、レイカの声が近くから聞こえた事は、はっきりと意識できた。
「・・・・・・レイカ!?」
そこでまず理解する。 自分は顔面を思い切り殴られたのだと。
「タクヤ!!」
そしてレイカが自分を呼ぶ声が、只事ではない今の状況を理解させてくれた。
「おいレイカ!! どこだ!」
横たわった自分の体の半身を起こし、辺りを見渡すがそこにレイカの気配が無い。
!!
あの男の気配も無くなっている。
「いや! 離して! タクヤーッ!!!」
その叫びは先程より遠くなっている。 間違いなく入口の方からだ。 それと同時に聞こえてきた激しい足音から、タクヤは今の状況を把握した。
レイカが連れ去られた。
「レイカーーーーーッ!!!」
不意打ちにも近い攻撃を受け、足元をフラつかせながらも立ち上がったタクヤは、入口に向け急いで走り出した。
「レイカ! どこだ!!」
外まで出た所で周りを見渡す。 既に日は暮れ見通しも良くないが、それでも洞穴の中よりは明るい。 だが、人の姿は見当たらない。
レイカの声も聞こえない。 気配すらも消えてしまった。
青ざめる表情。 押し寄せる後悔。 止まらない自責の念。
男とレイカが去った方向すら分からない。 だが、タクヤは走った。 ひたすら走った。 もう無我夢中にそこらじゅうを探し回った。
レイカを引っ張って行ったのか、担いで行ったのか、どちらにしてもすぐに遠くまで行けるとは思えない。 木陰、草の陰、茂みの中、隠れられる
可能性のある場所は片っ端から探した。
しかし、見つからない。
足音も、物音も、手掛かりさえも見つからない。 夜を迎えた静かな森が広がるばかり。
「くそ! くそ!! くそぉ・・・・・・!!!」
タクヤは自分が許せなかった。 何があっても、レイカにだけは危害が加わらないように、細心の注意を払っていたつもりだった。
しかし、いとも簡単に連れ去られてしまった。
信じられない、信じたくない事実。
(許さない・・・・・・絶対に許さない・・・・・・見つけたらレイカが無事だろうと許さない・・・・・・!!)
タクヤの中に、計り知れない程の怒りが込み上げてくる。 この時、初めて誰かに対して殺意というものを抱いたのかもしれない。
「レイカーーーーー!!!」
その叫びは静寂の森の中に、ただ虚しく響き渡るだけだった。