6. 何に怒っているのか
勝手に人の物を開けるなんてどうかしている。
ジェラシルの取った余りにも常識外れな行動に、マリュアンゼは目を丸くした。
「あら、ハンカチね」
横から平然と覗き込むリランダにも軽く目眩を覚える。
「ふうん」
そう言ってジェラシルは面白く無さそうに呟く。
マリュアンゼは刺繍が得意だし、内容はオリガンヌ公爵家にフォリムのイニシャルが入っている、シンプルなもの。
下手だのセンスが悪いだのは言いにくいだろう。
案の定、口をへの字に曲げたまま何も言えないジェラシルに、そろそろ返してほしいと言おうとすれば、リランダがハンカチに手を伸ばした。
「ちょうど良かったわ、さっきワインを溢しちゃって、シミになったら困るわって思ってたの。借りるわね」
「はっ?」
よく見るとリランダの胸元にはワインを落とした跡が見える。淑女がどんな飲み方をすればそうなるのか。しかもまだ開催前なのに。
色々と言いたい事はあるけれど、それ以上にそれはフォリムへのプレゼントだ。包装紙だって自分であれこれ悩んで選んだものだしラッピングだって可愛く出来て力作だったのに、横から出て来て簡単に破り捨ててくれて……っ
そもそも贈り物だって事も、見れば分かる筈だろうに。
「ちょっと! 止めて下さい!」
慌てて声を張れば、リランダは困ったような顔をしながら、遠慮なくドレスをごしごしと擦る。
「あら、少し取れたわ」
口元を綻ばせるリランダにマリュアンゼの頭はくらりと傾いだ。
「良かったな、リランダ。ほらマリュアンゼ、助かった。返すよ」
そう言ってハンカチは放られ、マリュアンゼの手元に届く前に床にぺしゃりと落ちた。
くしゃくしゃになって薄らとワインの染みがついてしまったハンカチ。
こんなものは、もうフォリムに贈れない。
(頑張った、のに……)
でも泣いてしまうのも悔しがるのも、この二人にだけは絶対に見せたくないと思ってしまう。
マリュアンゼは息を整えるように一拍置いて、ジェラシルとリランダを強く見据えた。
「な、なんだマリュアンゼ。こんなハンカチの一枚や二枚別にアッセム家ならいくらでも用意出来るだろう」
「そうよそうよ、それくらいで目鯨を立てるなんてみっともないのよ! 少しくらい貸してくれたっていいじゃない!」
僅かに怯むジェラシルと、ジェラシルにしがみ付きマリュアンゼを遠慮なく非難するリランダに、マリュアンゼは出来るだけ淡々と話す。
「フォンズ小伯爵様、まず人の物を勝手に使い投げ捨てるなんて、非常識にも程があるのではありませんか?」
その言葉にジェラシルは面食らう。
当然だ、マリュアンゼが彼に自分の意思を見せた事など今迄無かったのだから。
「な、何だマリュアンゼ。その呼び方は?」
いやそこじゃないだろう。
盛大に吐き出したい溜息を胸に留め、マリュアンゼは、ふと笑みを浮かべてみせる。
「当然でしょう、私たちはもう赤の他人なのですから。私の事も気安く名前で呼ばないで下さい。新しい婚約者の方に誤解されてしまいますわよ?」
けれどジェラシルは何故か怒りを露わにする。
「ふざけるな! こんな女と婚約なんてする訳が無いだろう!」
「え? 何でジェシー、いつも私の事一番可愛いって言ってくれてたじゃない!?」
理解出来ないという風にジェラシルを見上げるリランダを一切見ずに、ジェラシルはマリュアンゼを睨みつける。
「おま、っえが……謝りにくれば……僕は別に……」
ジェラシルにしては歯切れの悪い物言いにマリュアンゼは眉を顰める。言いにくそうに口をもごもごと動かしているジェラシルから目を背け、マリュアンゼは仕方なしに捨てられたように落ちているハンカチに手を伸ばせば、ジェラシルにガシリと腕を掴まれた。
「いい加減にしろ! そんなもの! もう使えないだろう!」
「な、何ですか小伯爵様。手を離して下さい」
気丈に対応しようと思うものの、ジェラシルの剣幕にその勢いを削がれる。焦り出すマリュアンゼに冷静な声が割って入った。