68. 駆けていく
「ほら、帰って来ましたよ」
呆れた声を聞き終わる前に、マリュアンゼは馬の背を蹴り、駆け出していた。後ろからシモンズが悪態を吐いて着いてくるのが聞こえる。
フォリムが帰ってきた。
新政権の安定を見せ始めたノウル国は、ロアンを新たな王として、無事に諸外国への認知と承認を獲得した。そして三か月が経った今、ようやっとフォリムはセルル国へと戻ってきたのだ。
隊列を組み、こちらに急いでいた部隊は、当然現れたマリュアンゼに警戒の姿勢を見せたが、奥から飛んできた声がそれを制した。
「マリュアンゼ!」
よく響くその声に隊列が割れ、声の主が顔を出す。
「フォリム様!」
マリュアンゼは馬の背を蹴り、フォリムの元へと飛び込んだ。フォリムが両手を広げてくれたので、迷わずその中に。が、フォリムは流石に飛び込んで来るとは思わなかったらしく、マリュアンゼを腕の中に囲い驚いている。
やり過ぎただろうか……
怒られるかと視線だけ上を向ければ、フォリムは声をあげて笑い出してしまった。
「あ、ごめんなさい。本当は城で待機しているよう申し付かっているのですが、フォリム様は城に戻ったら、暫くお仕事で会えないと知ってしまって……」
いよいよ王族への輿入れが間近となったからか、アルダーノからの、教育の一環と言う名の監視は益々厳しくなっている。久しぶりにフォリムと会える機会も、そんな理由で遠ざけられた。
彼はもしかして、マリュアンゼに嫉妬している、ブラコンなのではないだろうかと密かに疑っている。
「それで会いに来たてくれたのか」
マリュアンゼを抱き直し、フォリムはくすぐったそうに笑う。
「はいっ」
迷いなく本心を伝えれば、恥ずかしさが込み上げてくるけれど、見つめ合うフォリムが嬉しそうに笑い返してくれるから。
「幸せだな」
同じ事を考えてくれていた事がまた嬉しくて。
フォリムの胸にぐりぐりと額を押しつけて同意を表す。
「そう言えば覚えているか、マリュアンゼ。私たちが出会ってから半年以上過ぎた」
マリュアンゼは急になんだろうと首を傾げて見せた。
「はあ、知っていますよ。結局婚姻の準備もままならず、全部頓挫していますから」
そのせいで、マリュアンゼはまた婚約破棄されただの、捨てられただの、言いたい放題言われている。
それでもマリュアンゼがその立場で気丈に振る舞っていられるのは、意外と筆まめなフォリムから、週に何通も手紙を送られていたからだ。
因みに伝達係はシモンズで、彼はこの役を非常に嫌がった。
しかも一度恋のキューピッドだと評したら明らかに機嫌がどん底になってしまい宥めるのが大変で……
手紙でも名前で書くように強要され続けたせいか、気付けば自然と名前で呼べるようになっていた。
そうしてこの三か月を振り返れば、フォリムを感じられない日は無かった。
それに王子妃教育も時間がたっぷりあるから。と、王太后やヴィオリーシャの熱の入れようが凄くて───
……つまりまあ、楽しく過ごしていたのだ。
この三か月の回想に耽っていると、フォリムは何かをポケットから取り出し、マリュアンゼの手を取った。
「フォリム様?」
するりと指を滑る感触に目を丸くする。
薬指には金色に輝く豪華な指輪。
「これって……王家の紋章?」
王花カサブランカに、なんだろう。
王族に連なる韻は全て暗記させられた。
けれどこれは見た事の無い……金のリングに針のように細い剣がカサブランカの背後で存在感を露にしていて……
「君の印章だ」
「えっ?」
その言葉にマリュアンゼは、はっと顔を上げる。
ということは、この針のようなものは、もしかして剣───レイピアだろうか。
思わず紋章をまじまじと眺める。
「王族に連なる者ならば持つ物だ。けれど、どうせなら私から贈りたかった」
王族の証。
フォリムの妻の証となるもの。
「マリュアンゼ、きちんと言っていなかったな」
そう言ってマリュアンゼの頬を押さえる手を視線で辿れば、緊張した面持ちのフォリムと視線が絡む。
「マリュアンゼ・アッセム伯爵令嬢、どうか私、フォリム・オリガンヌの妻となり、生涯愛してくれると誓って下さいませんか?」
マリュアンゼは息を飲んだ。
明るい声を出したいのに、出てくるのは絞り出したようなもので……
「……本当に? フォリム様、王族は離縁出来ないんですよ? 良くお考えになりましたか? 私はきっと……しつこくあなたが好きですよ……もし、この先あなたが心変わりをしたとしても……」
自分はずっとフォリムを好きだろうと思うと、何だか申し訳なくなる。同じように好きでいて欲しいとは言えなくても、好きでいる事は認めて欲しいと……どうしようもない事を願ってしまう。
「大丈夫だ、私はずっとあなたの関心を手放さないように、郊外に邸を用意した」
郊外に邸?
繋がらない言葉に首を傾げるマリュアンゼに、シモンズがしれっと続ける。
「郊外の邸に監禁……ではなく、邸で二人で暮らそうと仰ってるんですよ。今後もフォリム様はノウル国との国交を担う事になりましたから、結婚後の居住用として、国境に近い領地を陛下から賜ったのです」
シモンズの回答に得心がいく。
「はあ、成る程」
「あと、あなたはやはり分かっていないな」
首を傾げるマリュアンゼにフォリムは再び被さるように抱き竦める。
「誰にも興味を持たずにいた私を振り向かせた、唯一の存在はあなただ。心変わり? したら許さないぞ」
いやだからそれは自分では無く……と口にしようと見上げれば、目が笑っていないフォリムと視線が勝ち合う。
「あ、あり得ません! 心変わりなんて! ずっとフォリム様が最高に決まっています!」
だってこんなに強い人───強く惹かれた人は他にいない。
始め強さに惹かれた。そして目を逸らせなくなってしまったから、彼から……
他にどんな相手が現れれば、こんなに胸が苦しくなるのか、マリュアンゼには分からない。
「主人はティリラ妃の言葉を信じている訳ではありませんが、それでも不安なんですよ。人目に触れさせるのが……」
ぼやくシモンズと、じろりと睨むフォリムに首を傾げる。
「また予言のような事を言われたのでしょうか?」
「別に何でもない。常に私が誰よりも素晴らしいと思わせれば良い事だからな」
相変わらずの自信に照れてしまい、つい顔を俯ける。
(そんな事をされたら、こちらの心臓が持たないわ)
そんなマリュアンゼの反応に気を良くしたらしいフォリムは馬の首を巡らせ、歩を進めながら話を続けた。
「騎士団の後任も決まった事だし、私は改めて兄上の直属の部下になったという事だ」
そう言ってフォリムが振り向いた先には騎士団副団長のジョレットが後に続いている。
侯爵家の後援を得た彼は、元々の人望も合わさり、騎士団のトップとなるに誰の反対も無く、承認された。
フォリムは王城から遠ざかる。
確かノウル国と隣接したデーデ領の領主は、フォリムの剣の指南役だったと記憶している。
後任にフォリムが就き、領土についての裁量は王家で図る。それで彼は辺境伯の役割を担うという事だろう。王家の血を引く公爵であるのに……
それが少なからず自分のせいであるのだと思えば、気落ちするのも無理は無く。
「……それで良いのでしょうか?」
「不服か?」
むっとするフォリムにマリュアンゼは慌てて弁明する。
自分の為の決断への、その責任は確かに重い。けれどそれを一緒に担おうと言われ、信頼を寄せられるのは嬉しい。
だからマリュアンゼの答えはいつだって変わらない。
「何も! 私はあなたがいるのなら何処でもついていきます!」
それを聞いてフォリムは一瞬驚いた顔をした後、嬉しそうにマリュアンゼの指輪に口付けを落とした。
「では誓いを」
真剣な瞳に戸惑いながらも、マリュアンゼはフォリムから目を逸らさずに言葉にする。
「はい。フォリム様と、ずっと一緒にいたいです」
マリュアンゼもまた、フォリムの嵌めた印章に口付けた。これはこの国での主人への忠誠の証。ただし、お互いの指輪を嵌めた手を絡ませ合えば、永遠を誓う意味となる。
神殿では無いけれど……
神への宣誓を聞き届ける者がこれだけいれば、きっと司祭も認めてくれる、筈で。
呆れ顔で眺めるシモンズと、囃し立てる団員たちに見守られる中、フォリムとマリュアンゼは二人手を合わせ、向かい合い、誓いを立てた。
「これから二人で行かないか?」
ふと合わせた唇が離れ、フォリムがそんな事を口にする。どこへ? と首を傾げるマリュアンゼに、にやりと口の端を上げ、フォリムが視界を向けた先は、
「王立公園」
約束したのはいつだったろうか。
もうずっと前のようだったように思う。それを覚えていただけでも───もとより、
「どこへでも! あなたとなら!」
ずっと一緒に
「なら行こう、ジョレット! 兄上には適当に言っておいてくれ」
言うなりフォリムは馬の横腹を蹴る。
「団ち……殿下!」
「しっかり掴まっていろ」
「はいっ」
フォリムの腕に包まれながら、向かい風を受けながら、二人ずっとずっと、駆けて行った。
◇ おしまい ◇
お読み頂きありがとうございました^_^




