66. 誓いの意味
その言葉にマリュアンゼの顔が更に熱を持った。
たった今そうだと言ったのだけど、本人の口からこう面と向かって聞かれると、恥ずかしい事この上ない。
「す、好きです」
けれど、ここで逃げては女が廃る。と、視線を泳がせつつも何とか口にすれば、どこか呆然したフォリムの声が返ってきた。
「……私は……あなたが騎士の誓いの意味を知らずに、間違えて求婚してきたのだと思った……」
その言葉にマリュアンゼは瞳を瞬かせる。……何の事だろう?
「求婚?」
「騎士の正式な誓いというのは、主に異性に向けた求婚の意を持つものなのです」
急に起き出したシモンズに驚くも、それ以上に聞いた事の無い儀式の話に目を丸くする。
「マリュアンゼ嬢はアロージュ神殿の聖堂の、セルル国も認める宗教下において、衆目に晒される事も厭わず堂々とフォリム様に求婚をされたんですよ。
───で、主人もそれを受けた。あの時点でお二人は婚約をすっ飛ばし、準夫婦となられました」
シモンズの説明にマリュアンゼはポカンと口を開けた。
「因みに正式な夫婦となるには、あとは神殿に夫婦の署名をした婚姻証明書を提出すれば良いだけです。が、それはアルダーノ陛下が既に押さえてありまして。それを返して貰う為に、フォリム様と私は今現在陛下にいいようにこき使われている次第でございます」
さりげなく恨み節を混ぜつつ締めくくるシモンズにマリュアンゼは固まった。
なんと、女から求婚してしまった。
しかもフォリムもそれを受けていた。
ああ成る程、だから……先程のアルダーノの様子が目に浮かぶ。
国王の怒りを買ったのは、どの辺だろうか……何となく遠くを眺めたくなる。
つい現実から目を背けていると、フォリムがマリュアンゼの手をそっと掴み直すので意識が現実に戻る。
「マリュアンゼ、私は、私の方こそ、あなたをずっと好きだった。兄上に敵対するよりも、あなたがいなくなる方が怖いと、あの時、アロージュ神殿で思い知った」
「はえ?」
思わず間抜けな声が出るのは許して欲しい。
何……? 急に何を言い出すのだろう? まさか……
「働き過ぎでおかしくなりましたか?」
「何て事を言い出すんです!」
ショックを受けるフォリムに代わりシモンズが憤慨する。
「主人はずっとあなたが好きで、どう見てもおかしかったでしょう!? いい歳して拗らせた成人男性の初恋ですから、自覚するのに時間が掛かる上にじれったいし鬱陶しいし……
自覚したかと思えば今度は急いで婚姻に持ち込もうと、必死に国王陛下の無茶振りに応じているんじゃないですか! ドン引きしながらも振り回されるこちらの身にもなって頂きたい!」
「……お前も大概酷い物言いをしているが……」
……そこはマリュアンゼも同意したい。
シモンズが働き過ぎなのは火を見るよりも明らかなようだ。
とはいえ……
今はマリュアンゼもその言葉を冷静に受け止められる精神状況では無いのだが……
「えっと……、あの……っ、ですね……」
妙な声しか出て来ない。
だって、き、聞き違いで無ければフォリムに好き、と言われた? のだ……
マリュアンゼはそろりとフォリムに視線を戻す。
繋がる手にドギマギとしては、ふわりと笑うフォリムに驚き、目を白黒させた。
「あなたが私を好きになってくれて嬉しい。出来れば経緯も詳しく知りたいのだが、それは……もう少し後でもいいだろうか? あなたが逃げてしまうと焦っていたけれど、永遠に傍にいると誓ってくれた今なら、今少しだけ離れる時間にも耐えられそうだから」
……永遠とはなんとも壮大な時間を思わせる。
さりげなく何かを水増しされているような気がするが、フォリムの瞳が嬉しそうに細まるのを見ては、へにゃりと思考が溶けてしまって。その気持ちをそのまま受け取る事にした。
「は、はい。私も公爵様と沢山お話したい、です。お帰りを……お待ちしています」
こくりと頷けば、足元にフォリムの靴が、いつの間にか狭い視界の中に立っていて。はっと息を飲んだ瞬間に、頭のてっぺんに唇が落とされていた。
またすぐに顔が熱を帯びる。
慌てて頬を押さえれば、その体勢のままギュッと抱き竦められた。
「すまない、今日はこれ以上は本当に無理だ。全て終わったら会いに行く。だから、待っていてくれ」
正直フォリムに触れる事はこれまで何度もあった。
それこそ組み手の時は、締め上げ目的で抱き締められていたし、舞踏会の時はぴたりと身体を合わせて踊ったのだ。そして初めて会った時だって、マリュアンゼから求婚をしたあの時だって……
「はい、待ちます。だから早くお仕事を終わらせて、戻って来て下さい」
マリュアンゼは想いを込めてフォリムを見上げた。
何を言いたいのか気付いたフォリムは、一瞬だけ躊躇う様子を見せたけれど。見つめ合い、お互いの唇をそっと合わせた。
◇
マリュアンゼが帰った後、フォリムはぶつくさ文句を言いながら仕事をしている。
思い出しては止まる手をシモンズに咎められては、ノウル国復興の仕事を取りまとめ、溜息と共に愚痴を零す。
「帰したく無かった」
「知ってます。良かったですよ馬鹿な真似をされなくて」
シモンズは遠慮もなく返してくる。
さっきは強行もありとか言ってたくせに……
ふいと手元の書類に視線を落とす。
普段と違う外交ルートを取ったというだけで、これだけ国に亀裂を入れるのかと、改めて気付かされた。
フォリムはその関係各所への説明や説得、書類仕事を全てやるよう兄から言い付かったのだ。
───流石に尋常じゃない、と思うが……
兄王アルダーノは、フォリムが非公式とはいえノウル国の内政に関わり、縁を持った事に不快感を露わにしていた。セルル国の外務不干渉の姿勢に対し例外を作った為だ。
ノウル国の暴政を止めた事で、必要とあらば他国の政治介入を行う国。常に中立の態度を示してきたセルル国が見せた対応は、表立っていないとはいえ、見ている国は見ている。
『あんな令嬢一人の為に国の在り方を、私の方針を無視したのか』
冷たい眼差しの奥では怒りが見て取れた。
『私の婚約者です、兄上。あなたが勝手に追いやったから、自ら取り戻しに行ったまで。何も責められる謂れはありません』
『……そんなにあの娘がいいのか』
『あなたに関係ありません』
『私に関係なくとも……』
『え……?』
『なんでもない。ともかく、ノウル国の件が落ち着くまで婚約の件は一旦保留だ』
『兄上!』
『陛下と呼びなさいオリガンヌ公爵、心配せずとも王族の婚約者をころころ代えるような真似はしない。けれど全ては君次第だと言う事を忘れないように』
『……心得ております……』
「……しかしアルダーノ陛下は、よくお許しになられましたね」
ポツリと零すシモンズにフォリムは苦笑を漏らす。
兄とのやりとり。
ここ最近は顔を合わせる度に苦虫を噛み潰したような顔をしていた。常に弱々しく笑っていた、あの隙だらけな王はどこにいったのか。
兄が何故かマリュアンゼを気に入らない理由は分からないが、フォリムとしては興味を持たれるよりずっといいので気にしていない。それよりヴィオリーシャが協力的なのが救いだと思っている。
兄が以前言っていた「好きな相手と結婚しろ」というのは勿論、「王族としての理性と自覚を持った上で」という意味だと捉えていたから。
こういう形で婚約した自分を、そんな想いを教えたマリュアンゼが厭わしい……のもしれない。
正直フォリムだって驚いた。
あの時、兄に呼び出された執務室で、ショックを受けている何より自分自身に───
ずっと自制してきた自我を凌駕したこの感情が何なのか、知った時はマリュアンゼに対して怒りすら覚えた。
というか怒りや苛立ちは、今尚湧いてくる。
マリュアンゼは鈍感な上、無自覚に人を振り回してくる。最悪だ。誰かが彼女を悪女だかと言っていたような気がするが、期せずしてそうなのだと思い知った。思わず、わしわしと髪の毛を乱す。
……それなのに、何でもなさそうに振る舞う言動で、自分は幸せを感じてしまうのだ。
それは精神の特殊訓練を受け直そうかと思う程に、こちらは重症で……見透かしたシモンズに残念なものを見るような目で見られては、まあまあショックな自分がいる。
「兄上の考えは分からないが、祝福を得られるならそれでいい。取り敢えずあと八か月を乗り越えるだけだ」
けれど、
長いな……
なんて一人ぼやく。
早く一緒に過ごしたい……
もっとお互いの気持ちを確かめ合いたい……
けれどその為にやらなくてはならない事は山積みだ。
その間マリュアンゼは、母やヴィオリーシャに妃教育を叩き込まれ、逃げられなくなればいい。
笑うようにふっと息を吐き、軽くこめかみを揉む。
そうしてシモンズと二人、再び執務室の書類の山に向かっていった。
副題
「重たい愛」(。-∀-)




