表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

60/71

58. 兄弟② ※ ロアン視点


 ロアンはふと息を吐いた。

 父のようにはなるなと、言い含められていた兄は、真面目な男であったのに。

 けれど、それゆえ彼は脆かったのかもしれない。


 ロアンと兄は三十も歳が離れているから、物心ついた時はもう兄は大人で。歳が離れすぎて祖父のような父よりもずっと、父親のような頼もしさがあった。


 けれどやはり、と言うべきか……兄の結婚は遅かった。

 国内では父王の臣下たちがよく言い含めていたのだろう、気安く兄に近づく女性はいなかった。

 兄もまた、女嫌いだったのだと思う。

 ロアンが物心ついた頃でもまだ、彼は結婚どころか婚約者すらいなかったのだから。




 けれどある時、国としてどうしても断りきれない縁談が他国から舞い込んだ。

 ようやっと兄は結婚をし、その時初めて、ずっと遠ざけてきた女に触れて───それが多分、良くなかった。

 元父の臣下たちがそれを以て引退した事も重なり、


(妃はやりやすかっただろうな……)


 兄の周りに女はいなかった。

 けれど近付く理由が公的なものなのだ。

 夫婦として仲良くしようと言われれば、断る理由などなかったのだから。


 第一妃に何と吹き込まれてきたかは、聞いていなくとも思い当たってしまう自分が嫌になる。


『私はあなたの味方ですわ、ロアン様』


 ティリラがよく口にしていた、分かったような科白。


『あなたの辛さを癒やして差し上げたい』


 一体何様なのかと思って不快を覚えたのは、恐らくティリラに兄の妻たちが重なって見えたから。

 甘ったるい表情で誑し込み、隙を作って誘い込もうと、けれどその目の奥は爛々(らんらん)としている。

 ロアンにはそう見えたというだけで、実際はどうだは分からないけれど───


 ロアンは一人だったから。

 ロアンの母は離宮に召し上げられたものの、直ぐに辞去した。

 他の愛妾たちに追い出されたと言っても過言では無い。

 父王に見染められ囲われた母の年齢は、王位を継いだ父と大して変わらなかった。


 箱入りだった母には辛い環境だっただろう。年齢的にも、まだ幼さの残る彼女では、戦い抜く力など無かったのだ。


 だからロアンは一人、残された。




 背を向けられる事に慣れすぎて、近づいてくる者には警戒か威嚇しか出来なかった。そんな中で、

 大丈夫大丈夫と声を掛けながら伸びてきたティリラのあの手は、自分を犬猫のように飼い慣らそうという卑しさしか感じられず……


 自分の傍にいる女性と言えば、乳母のエンラや侍従の娘や弟妹たち。

 兄と同じようにロアンの周りの女たちも皆、ロアンに色を見せないように教育されていた者ばかりだった。

 婚約者のナタリエでさえ、そうだったのだ。


 けれどそれが普通だと思ってもいた。

 恋の一つでも……と、嘆くエンラには申し訳無かったが、ロアンは、ロアンこそが父や兄のようになる事が御免で、怖かったのだ。

 

(だから……)


 背後でこちらを見守っているであろう気配に意識が取られる。


 だからもし、自分が妻に望む事が許されるとしたら、その相手は庇護欲を(そそ)るでも、心を癒してくれる人でもなく、共に立ち向かい、乗り越えようとする誰かがいいのだと───


 そんな考えを振り払うべく首を横に振り、意識を目の前に向け直す。

 今はそんな事を考えている時では無い。

 同じく背後にある、強い意志で立つ隣国の王弟の気配が、何かを察したように揺らいだのが感じられて。

 思わず漏れそうな苦笑を噛み殺し、ロアンは呆然と自分を振り仰ぐ兄王を、改めて見下ろした。



 父は女に溺れ、兄は女の傀儡となった。

 どうせ第二妃第三妃の選別も、行ったのは第一妃。


 男児が産まれないが為に皇室から出た要望を逆手に、彼女は自分の有利に事を進めたのだろう。

 子を成せない事を理由に、涙ながらに自ら側妃を選ぶ姿は、さぞ兄の同情を誘ったに違いない。


 幼い頃から厳しく躾けられ、王たる器たれと、臣下たちから多くを求められてきた人───

 そんな兄に彼女のその姿がどれ程切なく甘く響いたのかは、想像だに難く無い。寄り添う存在。そんな人の有り難みを、ロアンだって分からなくも無い。


 ロアンは兄を憐れんだ。

 何故なら結局、人は、身近に誰かがいても、いなくても、脆く堕ち易い。或いはそこにへたり込んでいたのは、自分だったのかもしれないのだから。


 何かを辿るように視線を彷徨わせる国王を見据えた。


 ふと兄弟の視線が絡む。

 互いの眼差しの中で、嫌悪と、僅かに灯る兄弟の情。

 けれどそれを遮るようにロアンはきつく目を閉じた。

 過去はいらない。


「もう結構です、兄上。話し合うのは今までの事では無く、これからの事です」


 ロアンは進むと決めたのだから───






 イルム国の要人に危害を加え、内乱に巻き込み世界遺産を破壊した行為。

 そしてそれを妃が軽んじていたという事実───妃教育を放棄する事を許し、甘やかしてきた王。


 目の前に突きつけられた刃に退位と崩御のいずれかを迫られ、王は肩を落とし前者を選んだ。

 何かを言いたそうにしては口籠る王を、ロアンは一瞥もくれずに無言を貫きやり過ごす。






「陛下! こんな茶番に付き合う必要はございませんわ!」


 いつからいたのかは分からないが、妃の一人が声を張り上げた。三人の妃たちに、侍女も合わせて十人程の女性たちが、皆揃って不遜な態度でロアンを睨みつけている。


「あなた方は陛下の退位と共に離宮への幽閉が決まっている」


(とりあえずの処置として、な)


 静かに告げれば第一妃は目を剥いて吠え出した。


「ふざけるな! お前如きが我らに何を命じられると思っている! 自惚れるのも大概にせよ!」


 気の強い事で、彼女たちは誰一人ロアンに屈服する素振りも見せる様子は無い。


 ロアンを侮っている。

 少し押せば転げ落ち、あっさりと視界から消えた、ただの弱者。

 だから逃げも隠れもしなかったのかもしれない。

 この場に似つかわしく無い妃たちの煌びやかな衣装が、彼女たちの心情を物語っているように見える。

 彼女たちにある、驕りと慢心が……


「悪いがこれ以上、話す事は何も無い」


 連れて行けと暗に示唆するロアンに応じ、騎士たちが妃たちを引き摺っていく。その様を王は呆然と見送っていた。


 彼女たちはまだ信じていない。

 自分たちがこれから罪に問われ、裁かれる事を。

 ロアンを嵌めた罪に始まり、違法薬物の所持使用。国宝の建築物の崩壊。殺人に手を染めなかったのは、それが他国でも「犯罪」だという認識があったからだろうか……


 ならば不貞はどうなのだろう。

 妃たちが国を牛耳る勢いで城を制覇していると、当然彼女たちの母国は知っていた。

 国を乗っ取るなど、簡単なのだ。

 血を混ぜてしまえばいい。

 そしてそれを正当なものとして国に立たせてしまえば、後から全て奪うのは容易いだろう。

 既に城を牛耳る者は皆、異物なのだから……


 乱暴な考え方だが、先代の臣下たちには考えつかなかったようだ。まさかそんなやり方などありえない。国を制するなら戦だろう、と……そんな無骨な考えの者しかいなかった。

 それもまた、父王が女に溺れたが故の人選だったのだろうけれど。


 高い確率で兄の息子はこの国の王家の血を継いでいない。

 この国では犯罪だが、妃たちの国にとっては「正当」な行為だったのかもしれない。

 彼女たちもまた、母国の傀儡なのだから。

 いずれにしてもその「何故か」は裁判で後に彼女たちが語るだろう。


 ロアンは兄を見た。

 王位を奪われ、縋ってきた妃たちは捕らわれ、やっと授かった息子は他の男の子───

 けれど今の哀れなその様は……


「その今のあなたの姿が、この国の現状なのです、兄上」


 その言葉に王ははっと身動ぎをした。


「彼らは全て奪われ打ちひしがれ、今城外でこの国の元凶が排除される事を望んでいます。願わくば……」


 せめて最後は王として


 静かに口にするロアンにノウル国王はがくりと頭を下げた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ