46. マリュアンゼの選択
「余計な事を言ったかしら……」
短い期間でも仲良く、というか少しでも信頼関係が築けた方が良いと思ったのだ。一応命を預かる身だし……けれど、深窓の令嬢に言う科白では無かったかもしれない。少しばかり後悔が滲む。
「今更何を」
いつもの冷淡ぶりでシモンズが返す。
「心配しなくても護衛はあなただけではありません。間近に控えるのは確かに少数ですが、少し離れたところには捕縛用の騎士たちが多く控えております」
「ま、まあ。それはそうよね」
所詮マリュアンゼは同性という特異性を持った一護衛に過ぎなく、当たり前だが実力を買われた訳でも無い。
こんな事を平気で口にするから友達がいな……心の中だけでも最後まで言い切る事は出来ず、心はずうんと重くなった。
本当に人の心は難しい。
ナタリエは自分に自信が無い、のだろうか。どこか一歩引いた物の考え方は、謙虚で好ましいと言えるかもしれない。でもロアンだったら、自分の為に身を引いた相手が、自己を押し殺しているのならば、慮るのではなかろうか。
……溜め込むタイプという奴だろうか。よく分からないが、それこそ「あなたに何が分かるの」なのだろう。全く分からない事も無いけれど……自分を押し殺した結果が今のマリュアンゼなのだから……
そこでマリュアンゼは、ふと思いつき、シモンズを振り返った。
「ねえ、そう言えば公爵様にお会いしたいのだけれど」
思えばフォリムがノウル国に来てから、会えたのは雨の離宮で一瞬だけだ。
けれど、シモンズはマリュアンゼの申し出に珍しく顔を引き攣らせ口籠った。
「フォリム様からは、今は忙しいので誰も近くに呼ばないようにと言い付かっております」
「あ、そうなんだ……」
マリュアンゼは顔を俯けた。
シモンズがそう口にしても、実はマリュアンゼはエンラからフォリムの話を聞いている。
離宮の中は人が少ないので、どうしても人目に付いてしまうのだ。
『オリガンヌ公爵閣下は、ずっとティリラ妃の離宮に通われているのですよ』
エンラが顔を顰めながらも零したのは、マリュアンゼがフォリムの婚約者だと知らないからだろう。
それを聞いたマリュアンゼの方はお茶を吹きそうになり、取り繕うのに苦労した。
シモンズも忙しいらしく、マリュアンゼの傍にいたりいなかったりするので、この時の会話は聞いていない……
ロアンの話では、ティリラは何か催眠効果のある薬を使用して対象者を虜に出来る可能性がある。との事だけど……
(でも───)
あの時、ロアンとティリラの間に、言葉以外のやりとりなんて無かった。それにフォリムはティリラを熱心に見つめていたように見えた。
(どっちかしら)
一目惚れのように見えた。
今のフォリムがティリラのせいであるのならば、ある意味生きた証拠となるのだ。その為に実証を取りたい……のだが、勿論心は死ぬ程辛い。
好きな人が、本当に誰かを好きになったかもしれない。或いは、薬を使われ好意を抱いている。
……偽りだと分かっていても、本人から口にされれば、心へのダメージは同じだろう。本心なら即死してしまうかもしれない……
だからフォリムにわざわざ会いに行く必要など無いのだ。
ロアンの揃えた証拠でティリラとの離縁は成立する。
けれど……
フォリムがもし本当にティリラを好きになってしまったなら、ティリラを庇うだろう。そうなればロアンはティリラを罪に問いにくくなるし、自分の冤罪の証明に支障が出る。二国間同盟が立ちはだかるのだから。
そうなればロアンはどうするか。
(セルル国に……アルダーノ陛下に条件を突きつけるでしょうね。ノウル国の為に……)
思い出すのは儚い容姿をした隙の無い国王、アルダーノ。舞踏会のあの日、彼の目は静かに状況を見つめ対処していた。
あのどこか冷めた瞳で、自国に害ありと見做せば、アルダーノは実の弟だろうと切り捨てるのだと思う。
アルダーノが三年前の婚姻に不信を覚え、本来なら王弟の任務である、外交であるにも関わらず、フォリムを参列させなかった事は聞いている。
それなのにフォリムがそんな渦中の人物であるティリラを連れて帰るような事があれば……
そうなるとフォリムはどうなるのだろう。
マリュアンゼは唇をきゅっと噛み締めた。
(嫌だって思っちゃうのよね)
例えフォリムがもうマリュアンゼに興味を無くしたとしても、フォリムが窮地に立たされるのなら、助けたい。
フォリムは自分が騎士を志した、大事な理由なのだから。
それに彼が誰を好きになったとしても、自分の心に立ち向かわなければ、きっと後で後悔する。
だから自分の気持ちを整理する為にも、フォリムに会っておきたい。
マリュアンゼは顔を上げて笑みを作る。
「なら仕方が無いわね、諦めるわ」
軽く手を振り退室を促せば、シモンズは複雑そうな顔をしてから一礼して去って行った。
その様子を横目でちらりと窺ってから、急いで窓に寄る。
実はここは三階だったりするのだがマリュアンゼには余り関係がない。バルコニーへ続く窓を開け、ひょいと手すりを飛び越え庭に降りたった。そのまま雨の離宮の方へと進めば、高い垣根の向こうに目的地が見える。
そよそよと頬を擽る風が心地良い。
昼下がりに見上げる離宮は美しく、こんな天気なら午後の散歩にはうってつけだろう。
けれど今は妃の幽閉場所だ。それが頭にあるせいか、それとも今のマリュアンゼの心境のせいか、侘しさを見せる様相に映るのだから不思議なものだ。
そんな気持ちを振り払い、向こう側へ通れそうな垣根の隙間を物色していると、聞き覚えのある声が耳に届いてきた。




