45. 衝突
「感動する程に馬鹿ですね、あなた」
低く因縁を付けてくるシモンズに怯えていると、ナタリエが助け舟を出してくれた。
「その、冤罪……だったのですか?」
問いかけに視線を向ければ、ナタリエの瞳は複雑な色味で揺らいでいて……
ロアンに三年前起こった事を話して聞かせた。そしてこの婚姻の理由を話す為、現政権への翻意についても。
ナタリエは戸惑いながらも一つ一つ聞き、受け入れてくれた。
「はい。三年前の婚姻はロアン殿下の本意では無かったそうです」
はっきりとそう告げればナタリエは膝の上で両手をきつく握り、口を開いた。
「殿下は……ティリラ様の事を好きでいた訳では無かったという事しょうか……」
「そうなりますね」
安堵と悔恨の相まった表情を見せるナタリエに、つい余計な言葉が口をつく。
「そもそもナタリエ様は、当時ロアン殿下と話し合わなかったのですか?」
きっと当時、ナタリエも辛かった。
けれどロアンも等しく同じだった事は、今までの彼の様子から窺い知る事が出来た。もしあの時に二人が支え合う事が出来れば、アルゼ公爵の力を得る事も出来たかもしれないし、婚約破棄とならなかったかもしれないのに。
「話し合う? 何故……?」
けれど心底不思議そうに首を傾げるナタリエにマリュアンゼは僅かに息を飲む。
「ロアン殿下は何もおっしゃって下さらなかった。今までも、今でさえも。そんな状態で私に何が出来たのでしょう? 話をしなければ伝わらないのは、私にだって分かります。けれどそもそも私は……私たちは、親が決めた婚約者ですから」
「……」
親───家同士の都合で決まった婚約。
マリュアンゼにも覚えがある。家の為に相手の顔色を窺って自分を押し込めて振る舞う事に。自分で自分を殺す辛さを知っているのに、それが正しいと頭のどこかで妄信してしまう。
そうして気持ちを押し潰し続ける事で抵抗する気力が削がれ、心を疲弊させていく。きっと元は、ただの思い込みに過ぎないのに、自分を痛めつける方を選んでしまう。けれど、
「ロアン殿下は……誠実な方ではありませんでしたか?」
多分、ジェラシルよりは。
短時間でも分かるロアンの人柄は、警戒心が強いけれど、気を許した相手にはちゃんと心を預けてくれる、といった印象だ。婚約者の立場に据えたナタリエに、心を砕かない筈は無いのではないか。
マリュアンゼの追求にナタリエは口元を一度引き結んだ後、再び口を開いた。
「私は、邪魔をしたくありませんでした。ロアン殿下が他に好きな人が出来たなら、応援したいと思ったのです」
決意したようなナタリエの瞳に、マリュアンゼは喉の奥がヒリつく感覚で言葉を吐いた。
「それで、婚約破棄を受け入れて修道院に行く事で、あなたも幸せだったと?」
「っ別に幸せでは! ただ、好きな人には幸せになって欲しいものでしょう?!」
泣き顔で声を荒げるナタリエにマリュアンゼも眉を下げる。
「本当に幸せか見極めたのですか? ロアン殿下に会いましたか?」
マリュアンゼの問いかけにナタリエはふいと顔を背ける。
「だから、会いに行くのは迷惑だと……」
誰かに何か言われたのだろうか。
二人の恋愛話は市井にも出回る程広がっていたし、想い合う二人を邪魔したく無いと思えば、身を引いてしまうのかもしれないけれど。
「でも、ロアン殿下が振るったとされた暴力を否定する事は、出来たでしょうに……」
女性への暴行。
それが無ければロアンの名誉は払拭され、立場も挽回出来たかもしれなかった。
「っ出来る訳無いじゃない! あなたに何が分かるのよ! 突然現れた男爵令嬢に婚約者を奪われて、嗤われて、家族からも疎まれて! どこにも身の置き場なんか無くって……二人で幸せになるのならって思って身を引くのが精一杯だったわ。二人で幸せになるのなら、せめて……私の事を鑑みて欲しいくらいだったのに……」
「……っでもそれは誤解で」
「分かってるわ、今は! でも今知ったの! 私はあの時捨てられて、社会的にも抹消された、邪魔な女だったのよ!」
ナタリエの言葉にマリュアンゼはぐっと奥歯を噛み締めた。
「そうですか、よく……分かりました。あなたがロアン殿下を信じるか信じないかは、他人の言葉によるものだと言う事が」
マリュアンゼの科白にナタリエはハッと息を飲む。
「どうして会ったばかりの私の言葉を聞き入れて、ロアン殿下の無言を許していたんです? 怖かったんですか? 直に聞く殿下からの科白が。本当は、違うと言って欲しかったから」
ナタリエは僅かに顔を歪めて泣きそうに、それでも気丈に口を開いた。
「でもきっと、殿下は私の気持ちなんてどうでも良かったのだもの。だから……」
「私にはナタリエ様がロアン殿下の気持ちなんて、どうでも良いと言っているように聞こえます。ロアン殿下の事を思っているようで、自分の押し殺した気持ちを押し付けていただけではないですか」
「……何でそんな事を言うのよ。私はずっと耐えて来たのに。婚約者も公爵令嬢の地位も奪われて、修道院に入れられた。そして今度は元婚約者の為に政略結婚に応じているのよ? 私が何か悪い事をした? 責められる謂れはないわよ!」
そうかもしれない。マリュアンゼは唇を噛み締める。
でももしあの時、少しでも、ほんの少しでもナタリエにロアンを気にかける余裕があったなら……お互い今が違っていたかもしれないのに。
「そこまでにして下さい」
険悪な空気を払うようにシモンズが口を挟む。
「自己紹介が終わったのなら、もう今日はこれで退散しましょう。ナタリエ嬢には婚姻まで雪の棟で過ごして貰います。常に誰かの為に生きていると自負してるようですから、言う必要もないかもしれませんが、くれぐれも大人しくしていて下さい」
最後に余計な一言を落とし、シモンズはマリュアンゼに退室を促した。
マリュアンゼは渋い顔で頷き、シモンズの押し開いたドアを通る。
「私は」
背後から掛かる声に振り返る。
「誰かの命令でしか動けないの」
泣き顔に歪み、苦しそうに胸元を握りしめるナタリエにマリュアンゼは頷いた。
「分かります、私も、貴族ですから。……でも自分の心の声にも耳を傾けないと、辛い事も知ってるんです。私も婚約者に顧られず婚約を破棄をされました。だから、少なくともこれからは、自分の心の望みにも従えたら……いいと思っています」
そして幸せを自分で選んで、掴んで欲しいと切に願う。
ナタリエの強張った表情が緩み、目が見開かれる。
その様子に目礼を返し、マリュアンゼはナタリエの元を辞去した。




