31. 思惑 ※ ロアン視点
やがて誰かの悲鳴やら怒声やらで意識を取り戻せば、横で啜り泣くティリラと半裸の自分がソファで寝ていた。だから責任を取る形で彼女と結婚する事になった。
……ナタリエとの婚約は、破棄するしか無かった。
ロアンがどれ程怒っても、弁明を求めても、事は始めから決められていたかのように進んでいき、覆らない。
まるで孤立すらその伏線であったように、味方はどこにも無かった。
ティリラの信者たちは彼女を憐れみ、ロアンを恨んだ。
けれど何故かそれは婚姻式の直後、紐解かれるように霧散していった。
少なくともロアンの印象はそうだった。
理由は分からないが、その頃はもう考えるのも億劫で……
婚姻後ロアンはティリラに離宮を与え押し込めた。
そこで好きに過ごせば良いと思っていたから。どうせ誰も彼もティリラを訪い、あれこれ世話を焼くのだろうと。
そんな中で不貞でも見咎めれば離縁するつもりでいたのだが、どういう訳か皆、彼女から離れて行った。
拍子抜けする程にあっさりと引いて行った潮は、別の意味でロアンを縛った。
───決定的な離縁の理由が無い。
仕方がないので三年待つ事にした。
ノウル国では三年間、白い婚姻が認められれば離縁が出来る。
ロアンはそこに注力した三年を過ごしてきた。王族の責務をそんな事に尽くすなど、我ながらどうかと思う。
けれど過去を清算しなければ先に進めないと思ったのだ。イルム国との同盟強化は、かの国が神殿の実権を握っているからでもある。
この国でも神殿が認めなければ離縁は出来ない。
王政の中で複数の国と付き合う中で確立された制度だ。
三年前の冤罪を払う為には、彼らの力が必要だった。
あの時ティリラの身体を調べた医師は、彼女は未通では無いと診断を下した。
それが決定的な証拠として、ロアンは頭を押さえられたのだが、あれほど強く人を昏倒させる薬を服用して、手を出せるものだろうかと疑問が湧いた。
何よりあんな女相手にその気になったと言うのなら、自分で自分が許せない。
唇を噛み締める。
ティリラは王族になったところで、何もさせていない。婚姻後しばらくはティリラの機嫌伺いをされていたが、次第に誰も気に留めなくなっていった。
打ち捨てられた妃。
けれど今はもう誰も彼女を憐れまない。
不思議なくらいティリラは皆の記憶から消え去っていったのだ。
今ロアンが気に掛けるのは、離宮のティリラの世話係を定期的に代える億劫くらいか。
ずっと同じ使用人を据え置く事で、学園時代の時のように、誰かが彼女の信者になってしまうのが怖いのだ。
あの頃、ティリラが離縁すると言えば嬉々として迎えに来ただろう男たちには、既に決まった相手がいる。
一応本人の希望も聞くつもりはあるが、今のところ有力なのは実家の男爵家へ戻す事だろうか。
開いた掌を握りしめ、拳を作る。
(薬を飲みすぎた)
セルル国を警戒しすぎたせいで、耐性効果を高める薬を多く服用してしまったのだ。
油断のならない国王、アルダーノ。
謁見の際の隙の無い振る舞いに、自国の国王(自分の兄だが)以上に威圧感を感じてしまった。
セルル国を巻き込むのは本意では無かったが、イルム国との繋がりを妨害されたく無かったが為の、目隠しのようなもの。ロアンが優先すべきはイルム国との国交強化だけだ。
自分の兄は三人の正妻の他に、愛妾を呆れるほど囲っている。ロアンがティリラに不満があると訴えれば、兄はセルル国への縁談話も笑って許してくれた。
とはいえセルル国への言い分は自分でもどうかと思うような、子供の頃の婚約話。あれも身体の悪い王女との婚約など形だけで、ノウル国は実際に婚姻を結ぶつもりは無い、どちらかと言うと嫌がらせに近いものだった。
身体が悪いと知っていながら婚約しておいて、婚姻前に死ぬか、婚姻後に不具合あったなどと称して慰謝料を取る予定でいたのだから悪質だ。
しかしそれすら見透かしていた当時まだ王子だったアルダーノは、イルム国の婚約予定にあった第四王女と、ノウル国相手に多額の慰謝料を支払ったのだ。そら恐ろしい男である。
しかし悲しきかな、我が国の王は嬉々としてその慰謝料を受け取り、二人の婚約と婚姻に祝辞を贈り、アルダーノの掌の上を綺麗に転がった。
我が兄は無能である。
ロアンはいずれあの首を落とすつもりだが、きっともうそんな視線にも疎くなる程、彼は平和ボケしてしまったのだろう。残念だ。
無意識に手を開いては閉じ、具合を確かめる。
耐えられる程度の体調の異常とは、他者からどう映っているものか、自分ではいまいち分からない。
この薬は、体温が高くなる、動悸が早くなるなどの弊害がある。が、顔色一つで誤魔化せるところが気に入っていたのだけど……
(触れたからだ)
どこか気遣わしげな新緑の瞳が思い浮かぶ。
ロアンはずっと一人だったから。
だからそれは酷く違和感のある事で……
胸をざわめいた知らない何かに顔を顰め、少しばかり思考に暮れる。
(フォリム殿下、と、厚顔の女)
思いついたこれは、存外悪いものでは無いかもしれない。ロアンは凭れていたドアから背を離し、机に向かった。




